第17話 才と経験
「もうだめだぁ……おしまいだぁ……」
つい弱音を吐いてしまいました。
「何を寝言を申しておる! ふてくされる暇があったら戦え!」
さっきまでとは逆に、信玄公がわたしを叱咤してきます。でも、どうにも気力がわきません。
「だって信玄公、本多に井伊に榊原に鳥居ですよ。強い武将ばかりですよ! 徳川四天王のうち三人に加えて、二千の兵で四万の敵を相手に命がけで粘ったという鳥居さんですよ! こっちは兵力でも負けてるし、信繁さんこそいますが他の武将は……」
信繁さん以外で躑躅ヶ崎にいる武将は、正直使えない人たちばかりでした(名前は本人の名誉のために秘密にしておきます)。戦場になることはないと思っていたから、微妙な人ばかりを配置してたんですよね……。
「以前のようにこちらの兵力がゼロなら城を捨てて逃げるしかないと割り切れますが、こう、微妙に劣勢だと逆に悩んでしまいます。無駄に抵抗していたずらに兵力を減らすのも困るし、かと言って抵抗せずに城を捨てるのももったいないし」
「ふん、お主らしくないな宵子。状況を冷静に判断せい」
「え?」
「本多忠勝たちは本当に強いのか?」
「……はっ?」
「お主の思い込みではないのか」
「いやいや、そんなことは」
わたしは攻めてきた武将たちのデータを確認しました。本多忠勝さんの「戦才」……つまり武勇の最大値は180越え。これは上杉謙信と遜色ない数字です。対する信繁さんの戦才は160程度。これだってじゅうぶんトップクラスなのですが、井伊さんたちも信繁さんと同程度の数字です。
そして信繁さん以外の武田軍の武将たちは皆、ずっと低い数値です。これでは勝てるはずが……あれ?
「気が付いたか」
「な、なんとなく」
わたしは冷静になりました。本多さんたちの戦才は確かに高い。史実での活躍を反映したものなのでしょう。そのネームバリューのせいで、わたしの目は曇っていました。
「戦才」はあくまで武勇が伸びる「最大値」。今戦ったときに反映されるのは、「現時点での武勇」なのです。
わたしは落ち着いて、本多さんたちの武勇の数値を確認しました。……皆60~70程度です。一方、信繁さんはと言えば武勇120越え。
「これって……」
「わかったであろう。少なくとも今は信繁のほうが本多たちよりも遥かに強い。恐れることは無いぞ」
信玄公が誇らしげに言います。
「はい! でも、なんでこんなに差がついているんでしょうね」
「げーむの仕組みはよくわからぬが、信繁は上杉相手に嫌と言うほど戦ったからのう。負け戦も経験した。その結果強くなったのではないか」
「ふむふむ」
わたしは信玄公の言葉を聞きつつ、説明書を読み直しました。
「どうやら、そのようですね。武将の能力を伸ばすには、内政や戦争で命令を実行するか、教育を施すしかありません。信繁さんを教育した覚えはありませんから、おっしゃる通り上杉との戦いで自然に成長したんでしょうね」
「そうか。ならば、本多たちの武勇が低いことも納得できるな」
「ええ……。若いということもあるでしょうが、今川家は桶狭間以後、同盟国である武田と北条に囲まれていたこともあって、まったく実戦を経験していません。本多さんたちがいつから今川家に属していたのかはよくわかりませんが、成長していないわけですね、そりゃ」
「ふん。げーむと言えども、この仕組みは現実通りで面白いな。そう思わんか、宵子」
「何がです?」
「いくら才があろうとも、経験によりそれが磨かれなければ何の役にも立たぬということだ」
信玄公、すっごいドヤ顔です。良いこと言ってやった感が丸出し。
でも実際そうですよねえ。もっとも、現実はゲームみたいに才能が誰でもわかる形で表示されることは無いんですが……。
さて、こちらが決して不利な状況ではないことを把握したわたしは、武勇に勝る信繁さんを躑躅ヶ崎から出陣させ、前線に突っ込ませる作戦を取りました。他の弱小武将たちは信繁さんのフォローに専念です。今はとにかく、敵を追い払えばいいのですから。
本多さんたちと戦闘に入ると、武勇の数値通りの結果になりました。ほぼ信繁隊だけで次々と今川軍を蹴散らしていきます!
「ああん、強いですねえ信繁さん……ハアハア……」
「興奮するでない」
「だって信繁さん、これまで上杉相手に頑張ってましたけど結局負けましたし、あまりいいところありませんでしたから。鬱憤晴らしですよウへへ」
かくして信繁さんの大活躍により、本多忠勝さんを捕縛、今川氏真さんをはじめとした他の敵将たちは興国寺城へと退却していきました。
「はー、なんとか守り切りましたよ」
「うむ。……お、本多忠勝の登用に成功したではないか」
「やった! 山県昌景さんの後を継ぐ切り込み隊長として、これは教育やろなあ」
義信事件から連鎖して起こった危機も、どうにか一段落しました。
とはいえ、今川が敵に回ったのは痛い。放っておくわけにもいきませんから、赤松攻めに回していた兵力をある程度は駿河方面へ持ってこざるを得ません。西進政策はしばらく停滞してしまいそうです。
それでも、わたしたちはなるべく早く今川と決着をつけ、再び西へと向かう必要がありました。大友宗麟が本格的に本州と四国への侵攻を開始したからです。
今宵はここまでにしようと思います。
次回「大友脅威のメカニズム」ご期待ください。