第12話 武田騎馬隊西へ
西へ攻め上がるという目標は決まっているとして、その具体的な進め方にわたしと信玄公は頭を悩ませていました。どれだけの戦力を守りに残すか、という問題です。
「同盟を結んでいる北条・今川・斎藤と接している城は最小限の兵力でいいとして……結局、上杉対策が難しいんですよねえ」
「当面は上杉と争う気は無いのであろう?」
「ええ。流石に懲りました。もっと勢力を大きくしてからリベンジしようと思います」
悔しいですが、やむをえません。まだわたしたち武田家より上杉のほうが全ての面で上なのです。
「それでも、もし上杉に攻められても追い返すことができる程度の戦力を信濃方面に残しておく必要はあると思うんですよね」
「うむ」
信玄公が同意してくれたので、わたしは続けます。
「ただそうなると、西へ攻める本隊は戦って消耗しては兵を補充して訓練して、また戦って……というハードな日々を過ごすことになりそうです。手間もかかりそうですし、なんとかならないでしょうかね」
「……わからぬか?」
「えっ」
信玄公が意味ありげな声でおっしゃったので、わたしは驚いてしまいました。
「なにか、うまくやる方法でもあるんですか」
わたしがたずねると、
「すぐにわしに頼るでない。少しは自分で考えるのだ」
信玄公は学校の先生のようなことをおっしゃいました。自分で考えるって言ってもねえ。
「ヒントだけでもくださいよう」
「……仕方ないのう。先ほどから宵子は、戦場となる地のことばかり考えておる。だが、戦場にならない地も同じくらい重要なのだぞ」
「戦場にならない場所……」
「つまり、ここだ」
信玄公は、画面上の三河周辺を指差しました。なるほど、確かに三河あたりは敵勢力と接していないので、戦に巻き込まれない安全地帯と言えます。西へ攻めるのに、その場所が重要……?
「よく考えるがいい」
考え込むわたしを見て、信玄公がニヤニヤしています。こっちはムカムカしますが。
尾張から西へ攻める。信濃や甲斐では上杉に備える。そしてその間にある三河で、何をすれば……? わたしの思考は堂々巡りに陥りました。何度も同じところをぐるぐる回るような感覚に襲われます。
……ん? ぐるぐる回る?
「ああっ!」
わたしはつい声をあげてしまいました。
「なんとなくわかった気がしますよ、信玄公!」
「聞かせてみせい」
「ええと、つまり、軍をローテーションさせるんです」
「ろーてーしょんとはなんだ?」
信玄公がたずねてきました。そういえば戦国時代の人でしたね。
「なんて言えばいいのでしょう。回転、じゃなくて……そう、持ち回り! 持ち回りで戦うんですっ」
つまり、こういうことです。
まず清州を拠点にして西へ攻める部隊をAとします。当然、A部隊は戦により消耗してしまいます。そこで減少したA部隊の兵を補充する必要があるのですが……さっきまでわたしは占領した先の地域で徴兵することばかり考えていました。
それが非効率的だったのです。戦いを終えたA部隊はすぐに三河へ引き返し、そこで兵を補充すればいいのです。三河は豊かな土地ですし、ここ数年は戦も起きていませんから人口も増えています。兵を集めるのに適していると言えます。
そうなると、当然ですが最前線に部隊がいなくなってしまいます。そこでどうするかといえば、上杉に備えて信濃を守っているB部隊を最前線に移動させるのです。そして今度はB部隊を使って西へ侵攻する。
となれば今度は信濃が手薄になりますから、そこは三河で兵を補充したA部隊を向かわせ、兵を訓練しながら上杉に対する抑えとすればいいのです。安全な三河に大軍を常駐させる必要はありませんからね。
そうしてAとBをローテ―ションで活躍させることにより、常に充実した戦力で西へ侵攻することができ、活躍する武将が偏らず、平均的に勲功を上げることができるのです。
「どうですか、信玄公」
「正解じゃ」
信玄公は満足そうにうなずきました。
「やった! 完璧な、完璧な仕組みですよ、これはー。武田システムと名付けましょう。なんか藤井システムみたいですが!」
わたしのテンションは無駄に高まってきました。このやり方を用いれば、天下取りが近付くと確信したからです。
1567年は疲弊した戦力の回復に務めました。そして1568年から、武田家の進撃が始まります。
まず信玄公以下、家康さん・秀吉さんといった旧織田・徳川家臣中心の面子で六角義賢さんを攻めました。大きな兵力差もあり、春には水口城、夏には観音寺城を落とし、六角家を滅ぼしました。
そしてここで武田システムによりメンバーチェンジ。兵力減少した家康さんたちはいったん三河へ退き、徴兵後信濃へ向かいます。代わりに、信濃に駐屯していた信虎さんや義信さん勝頼さん、飯富兄弟などなど武田ファミリー&初期から仕えている人たちを最前線に移動させました。
彼らに攻めてもらうのは、伊勢に引きこもっている織田有楽斎さんです。清洲での戦いで大打撃を受けた織田家は、もはや風前の灯火でした。義信さんを総大将とした大軍の前になす術も無く長島城は落城し、1569年冬には織田家も滅んだのです。
「ふっふっふ、見て下さい信玄公。南近江、伊賀、伊勢まで瞬く間に武田のものですよ」
「うむ、見事だ。呆れるほどに有効な戦略じゃのう、武田しすてむは」
信玄公もお喜びです。まあ、ここまでは相手が小さい勢力でしたから簡単でした。が、ここからさらに西へ侵攻しようと思えば否が応でも大きな壁が立ちはだかります。
三好長慶さん。史実では1564年に亡くなっていますが、このゲームでは未だ健在で、畿内ほぼ全域を支配下に置いています。
今宵はここまでにしようと思います。
次回「畿内バトル・ロワイアル」ご期待ください。