後編
「代表、本当にどこへ行くのですか」
始めはニコニコしながらついてきた光坂だが御神楽が無表情で立ち入り禁止区域である地下へと向かって行くうちにその笑顔が陰ってきた。
鉄で作られた廊下は足音が響く。幅五メートルの二人並んで歩ける広さがあったが、蛍光灯で照らされる廊下は不気味な印象を与える。
そしてある扉の前で立ち止まって光坂の方を振り向く。
「光坂君、もう一度聞こう。夢宮学園は好きか」
生徒会室で質問した内容をもう一度繰り返す。
「はい、それは好きですけど」
戸惑いながらそう答える。
「本当にか?」
「は、はい」
普段とは違う御神楽の凄みに光坂は驚く。
「光坂君」
扉を開ける前、御神楽は光坂に声をかけた。
「信じているぞ」
そして、御神楽は扉を押して光坂を中へと促した。
その空間は先ほどまでの廊下と打って変わって広大だった。端から端まで同時に視界を抑えることが出来なく、奥は深すぎてよく見えない。そして、その下に走る無数のチューブとそのチューブが膨大な数の円柱形のガラス水槽に繋がっている。水槽は赤い溶液で満たされており、その中には人が直立したまま目を閉じていた。
「こ…………これは?」
呆然と辺りを見回しながら光坂が呟く。
「見ての通り、人間だ」
御神楽が光坂に近づきながら疑問に答える。
「正確に言うとこの中で培養されている人間は来年中央校舎に入学する新入生だ」
淡々と、御神楽は信じられないことを口にした。
ラグナロク計画。過去の偉人達の遺伝子からクローンを作りだし、この閉ざされた島で最高の教育を行って超能力も開花させる。そして人間関係など社会的礼儀を三年かけてここで身に付けさせ、卒業と同時に自分達の社会へ奉仕させる。
「僕達は秀逸な遺伝子と最高の教育を施されているからな、大抵三年で学ぶべき事柄はなくなる。そして中には僕のように一年で必要知識を身につける者もいる」
近くの水槽をノックしながらそう言う。水槽が軽く波を立てた。
「あはは、代表。冗談はやめてくださいよ。全然笑えません」
首を振りながら蚊の鳴くような小さな声で呟く。
「残念ながら冗談ではない。そして、その証拠に僕達はここに通う以前の記憶が無い」
静かな声で光坂の言を否定する。
「そ、そんな馬鹿な。しっかりとあります」
大きな声で反論する。おそらくそうしなければ心が持たないのだろう。だが御神楽は容赦なく言い放った。
「では聞くが光坂君が通っていた中学名を挙げろ。両親の名前は? そしてこの島以外で見た景色を一つでもいいから言ってみろ」
「そ、それはもちろん」
「もちろん?」
御神楽が詰め寄る。
「もちろん…………」
段々と光坂の語尾が小さくなっていく。目をせわしなく動かして必死に記憶を思い出そうとしていた。しかし。
「…………わかりません」
掠れた声で呟いき、そして。
「あるはずなんです! 僕は人間です、こんな作られた存在じゃない!」
突如、人が変ったように取り乱して傍にあった水槽を蹴ろうとする。
「馬鹿が、やめろ」
その前に御神楽が光坂に近寄って襟を掴み、軸足を払って尻もちをつかせ、右手で相手の右脇の下から右腕を絡め、左手で相手の右襟を取り喉元から床の方へ押し付ける。さらに左足を相手の顔の上にのせた上に尻の辺りが乗るようにする。そして右腕で相手の肘を上げるようにして、後ろへ返りながら相手の腕を延ばして極めた。後挫逆十字が極まる。
「放してください! 僕は、僕はクローンでは断じてありません! これは偽物なんです! まやかしなんです! こんな代物は壊すべきなんです!」
腕を極められて身動きが取れなくなっても光坂は必死で抵抗する。
今の光坂は混乱状態で何を言っても聞く耳持たないと判断した御神楽は反らした腕を引っ張った。
「あああああああああああああああああああああああああ!」
嫌な音が響き、光坂が右腕を抑えて絶叫した。右腕が左腕よりも長くなっている。
「単なる脱臼だ、大人しくしておけ」
光坂の腕の骨を外した御神楽は無表情にこう言い放った。
「うああああああああ! ああああああああああああああ!」
それでも光坂は絶叫を上げ続けるのみ。御神楽はため息をついて光坂の腕を掴み、骨を元通りにはめた。
「あ、ああ」
途端光坂が大人しくなって右腕の伸縮を始める。
「気分は落ち着いたか光坂君」
御神楽が光坂を見下ろしながら聞く。
「殺してやる」
御神楽を見上げる光坂の目には怒りと憎しみが混ざっていた。
「次は折る」
暗く、低いその恫喝に光坂は身を竦ませた。光坂が話を聞ける状態に戻ったと判断し、御神楽は話し始めた。
「君の混乱は最もだ。こんな光景を突き付けられたら誰だって取り乱す。だから光坂君を責めるつもりはない」
そう言って首を振る。
「だが、これが現実だ。僕達は作られた存在であることに否定の余地は無い」
そう言って光坂の肩を叩いた。
「しかし、光坂君。良く考えてみろ、なぜ僕が君にこんな残酷な真実を見せたのか。それは君の想いが本物だと判断したからだ。君の学園が本当に好きで守りたいという感情が伝わってきたからこそ僕はここへ案内した。光坂君、君の信念はたった一つの出来事で変わる程脆弱なものだったのか」
「そ、それは」
目をせわしなく動かせてうろたえている。さらに御神楽の弁は進む。
「クローンだから、それがどうした。作られたから、それがどうした。社会の歯車になるから、だからそれがどうした。僕達は生きている。友人と喜び合い、誰かのために怒り、どうしようもない現実に悲しみ、そして学園生活を楽しむ。その時生まれた感情は本物だ、作られたものでは断じて無い」
さらに続く。
「それにな、光坂君。この夢宮学園は変なシステムでな。卒業生が国に対して功績を働いた場合、その卒業生の校舎に入学する新入生が増え、何か不祥事を起こした場合は新入生が減るというカラクリになっている。そこから考えるとスパルタ教育の兵学校舎や才能重視の専門校舎ではなく学生の自由を尊重する特徴があるこの中央校舎の生徒数が最も多いことを考えると僕達の扱いは酷いものではなさそうだぞ」
御神楽は光坂から離れて距離を取り、真正面から見詰めた。
「光坂君は中央校舎が好きだと言ってくれた。“中央校舎が最高”この伝統を残すためにはその想いが必要不可欠だ。しかし、君は少し逃走癖がある。ゆえに、少し酷かもしれないが真実を見せた。今は辛いだろうが僕は光坂君なら乗り越えられると信じている。そして、この現実を乗り越えた時、君は次代の中央校舎生徒代表として相応しい人物になる」
一分、二分と、ただ無情に時が過ぎる。御神楽と光坂は共に動かない。
ふと、光坂の右腕が動いた。炎を纏わせた左腕を御神楽に向ける。
「何の真似だ?」
御神楽の片眉が吊り上げた。
その質問に対し、光坂は壊れた笑みを浮かべて火球を放つ。それを御神楽が首を横に動かして避けた。後ろの方で火球が壁に当たり爆発音が部屋内に轟く。
「光坂君、一応言っておくが丁型である君の火炎球では水槽に傷一つ付けられないぞ。せめて丙型へ昇格し、火炎球を零距離発射でようやくひびを入れることが可能だ」
超能力者の格付けは特甲乙丙丁で分類される。
丁型――全ての炎系統能力者の基本ランク。表面温度三千度以下でサッカーボール以下の大きさの炎の球を操る者をそう呼ぶ。
丙型――丁型火炎球の発展型ランク。表面温度六千度以下で半径五十センチメートル以下の大きさの炎の球を操る者をそう呼ぶ。
御神楽の忠告を受けながらも光坂は火球を放つ行為を止めない。破壊情動の赴くままに火球を辺りに散らしている。
「なるほどな、どうやら光坂君は本気で追い詰められると周りを攻撃するタイプなのか」
まあ今は関係ないが。
「仕方ない」
御神楽は音もなく光坂の背後に忍び寄り、再度腕挫逆十字を極める。
だが、それでも光坂は止まろうとしない。
「ならばもう一度」
御神楽は力を入れて光坂の肩を外す。だが。
「……止まらない?」
光坂はまるで痛みを感じていないかのように火炎球を辺りに飛ばし続ける。
「そうか、君は今錯乱しているのだな」
御神楽は光坂の状態をそう分析する。あまりの事態に脳がパニックを起こし、何が何だか分からず、痛みさえも脳が判断できていない。
「ならば、少し危険だが仕方ない」
御神楽は光坂の後ろに回り込んで軸足を払って床に倒し、光坂の首筋に手を当てた。
そして電気を流す。すると光坂が痙攣して動かなくなった。
「起きろ、光坂君」
御神楽は光坂のブレザーを掴んで引き起こし、近くの水槽へ投げ飛ばした。
ぶつかった衝撃で水槽が揺れ、中の液体が揺れる。光坂はそれを背にしながらズルズルと腰が下がっていった。しかし、光坂の瞳には先程の狂気が消えている。
自分の変化に光坂は戸惑っている。
「君の視床下部を刺激して副交感神経を活発化させた。超能力にはこのような使い方もある」
未だに電気が走っている右手を見せびらしながらそう言い放つ。
「さて、光坂君」
もう一度御神楽は光坂を呼ぶ。そして右手に走っている電流を光坂に見せつけた。
「僕の超能力は知っているかな?」
憎たらしく聞こえるよう声のトーンを上げる。
「発電系能力者でしょう。しかも精密機械のように電気を遺伝子レベルでの操作が可能という特型の技術を保持している」
特型――それは誰にも真似できない技に対して与えられる型。特型へのランク付けは、甲型をも凌ぐ時もあり、そして見方によっては丁型にも劣ってしまうという特徴とオンリーワンであることの二つが条件である。
「正解だ、光坂君。その特性を利用して不眠不休二十四時間集中力のピークを保つことが可能だ。もう一カ月以上僕は寝ていない。そして、そのような特技が出来る以上。光坂君にやったように相手の生体内すらいじれる。それを発展させると相手の記憶すらいじれるということだよな」
声のトーンはあげる。だが、抑揚と表情は微動すらしない。それが相手にさらなる恐怖を与えることを御神楽は知っていた。
「さて、光坂君。もう一度聞こう。生徒会に入れ、そしてこの中央校舎を引っ張ってくれ」
光坂へと近づきながら問う。それに光坂は。
「もし、断った場合は?」
震えて怯えながら御神楽に聞く。御神楽は無表情に。
「記憶を弄る。光坂君が中央校舎の生徒会に入るよう暗示をかける」
御神楽は光坂の袖を引っ張ると同時に足を突き出してうつ伏せに倒し、左手を逆手に極めて止めとばかりに光坂の頸動脈に足を置いた。
「僕としてはこんな方法で光坂君が生徒会に入ってほしくない。だから、頼む。君の意志で生徒会に入ってくれ」
それは本心だった。植え付けられた感情は偽物だ。いつか必ず綻ぶ。
沈黙の後、光坂が口を開いた。
「ふざけるな!」
光坂の怒声が部屋に響き渡る。
「あなたのやっていることはただの自己満足だ!」
上から抑えつけられながらもそう叫ぶ。
「……」
しかし、光坂を組み伏せている御神楽は無言だ。
光坂を抑えつけている御神楽の瞳は凍りついたように揺るぎない。
「何が生徒のためだ! 何が学園のためだ! そんな題目で自分の行為を美化しているだけだ!」
その言葉が御神楽の心に届かないと分かっているにも関わらず、光坂は叫び続ける。
しばらくの間、光坂の口から御神楽に対する弾劾が延々と流され続けた。
「言いたいことはそれだけか?」
光坂が罵倒を出し尽くしたのを見計らって御神楽が声をかける。
「…………一つあります」
目をギュッと閉じ、御神楽から目を離して正面の床を向いた。
そして、唾を飲み込んで一拍空ける。
「あなたは間違っている。御神楽代表」
その声は諦めたような、観念したような響きが含まれていた。
「……………………そうか」
僅かな静寂の後、御神楽は右手で光坂の頭を鷲掴みにした。
「えっ……」
しかし、御神楽は光坂の頭を掴んだのは良いが電気を流さず、そして何を思ったのか光坂の拘束を解いた。光坂が呆然としている。
「一週間だ」
御神楽は光坂に背を向けて扉へと向かう。
「こんな現実を見せつけられてすぐに答えなど出ないだろう、だから一週間待つ。その時に君の答えを聞こう」
御神楽はドアの前で光坂に向き直り、最後にこう言った。
「一度この中央校舎を見回ってみればいい。彼ら達の表情を見ると何か分かるかもしれないぞ」
そして、御神楽は部屋から出ていく。一人になってからかなりの時間が経過しても光坂はなおもうつ伏せのままだった。
「くそっ」
最悪の気分のまま御神楽は生徒会室へと戻る。
「失敗したな」
少し焦っていたのかもしれない。もう少し時間をかけて光坂が学園に対する想いがもっと深まるまで待つべきだったと後悔した。
我知らず表情が厳しくなる。通り過ぎる生徒が怯えて御神楽に道を譲っていく。
「悩んでいても仕方がない。頭を切り替えるか」
もやもやを打ち払うように頭を振る。光坂が考え直して生徒会に入ってくれるかもしれないがそんな希望的観測はしないほうがよい。常に最悪の事態を想像してことを進めていかなければならない。
「まあいい、あと二年もあるのだ。次に生徒会室に入ろうとする生徒が現れた時、今回の教訓を生かして振舞おう」
そう自答し、生徒会室のドアを開けた。すると中には見慣れない生徒が丸型テーブルに礼儀正しく腰かけていた。
「誰だ」
警戒しながらその生徒に話しかける。念のため戦闘の心構えを準備しておく。
するとその生徒は首だけをこちらに向けて礼儀正しく頭を下げた。
「突然のご訪問に失礼します。私の名は一年の闇鴉愁苑、どうぞよろしくお願いします」
怜悧な声と正しい接待、腰まで伸びたストレートロングヘアーは額で分けられて目にかかっておらず、その瞳は万年雪のように凍りついている。雫と同じで理知的な雰囲気を醸し出しているが、雫は社長秘書のように細やかな気遣いが出来るのに対して愁苑はその逆、格式より実力を重んじる暗殺者のような鋭い雰囲気だった。
御神楽は少しうなずいて自分の専用机に座り、しっかりと愁苑を見つめ返した。
「で、闇鴉君。今日は一体何の用だ」
先刻の光坂の件があってか御神楽の言は少し威圧感がある。だが、それでも愁苑は涼しい顔で。
「生徒会に入会希望があって参りました」
自分の瞳を真っ直ぐ見て答えている。嘘はついていない。
「入会希望の動機は」
表情を変えずに御神楽が問う。だが、そこで愁苑の答えは予想の斜め上を突っ走った。
「惚れたからです」
「はっ?」
臆面もなくそう答える愁苑に御神楽は間の抜けた答えを返す。
「あなたに惚れたからです、御神楽代表」
この審査の場で「惚れた」と言われても表情に困る。
「どこに……惚れたのかな」
御神楽の苦笑いを不服と受け取ったのか愁苑はさらに続けた。
「それはたくさんあります。あの女子バスケット部に対する処断についてです。目的のために己が悪役になることも躊躇わない姿勢。そしてたった一人でこの中央校舎を陰ながら支える能力。そして最後に小動物のような抱き締めたくなるその容貌」
最後だけ妙に熱を帯びていた。御神楽は身の危険を感じる。
「それで、生徒会に入ってどうするのかな」
しかし、そこは生徒代表。怯えを全く表情に出さず、確認事項を聞く。
「あなたの支えになりたいです。御神楽代表」
ハッキリと宣言する。
「代表の心構えは立派です。指導者たる者時には汚名を被らなければならない時もあります。しかし、私の目から申しますと少々雑すぎるのではと考えます」
「その根拠は」
「先ほど申しました女子バスケットボールの件。あれは代表が汚名を被る必要は無かったかと思います。あれの本質は部員同士の不仲です。ならば廃部をかけた練習試合ではなく、心を操作する能力者を頼ればもっと速やかに解決できたでしょう。そう、例えば私に」
その言葉と同時に愁苑の目が妖しく光る。御神楽はその輝きを見つめ続けていた。
「なるほど、君は心理操作系の乙型催眠術師なのか」
しばらく見つめあっていた御神楽はそう愁苑に聞く。すると愁苑は笑って。
「さすがです代表。私の暗示を正面から受け、それを冷静に分析するとは」
その怜悧な美貌が関心の表情を作る。それに御神楽は。
「大したことではない。催眠や暗示というのは大体人の不安に付け込むものだ。ならばその不安に負けないほど心を強く保てば問題ない」
そっけなく言い放つ。
「『心を強く保てば問題ない』とは……それができないからこそ暗示に掛ってしまうのですが」
愁苑は苦笑いする。
「そうなのか、それは知らなかった」
全く表情を変えずにそう言った。
ああ、それと。と御神楽が続ける。
「闇鴉君の本気の暗示でも僕には効かないぞ」
その言葉に始めて愁苑は表情を崩した。
「なぜ、分かったのですか」
「目の輝き。暗示の最中君は『これぐらいなら耐えきれるでしょう』という思惑がこれでもかと言うほど透けて見えた。君以外でも心理操作系者は大体目を見れば思惑が見えてしまう。なぜなら『自分たちは心を読むほうであり読まれるほうではない』と勘違いしているからな」
御神楽は背もたれに凭れながら諭すように言う。
「ふふふ、素晴らしいですね。御神楽代表」
愁苑は多少ぎこちなく笑いながらも楽しそうだ。
「惚れたか?」
冗談めかしてそう言うと。
「はい、抱きしめても良いですか」
と、大真面目な返答が返ってきた。御神楽が椅子から転げ落ちる。
「いたた……闇鴉君。君はもしかして可愛いものが好きな性癖を持つショタコンなのか」
机を掴みながら立ち上がり、床に打ったところを摩りながら聞く。
「何故分かったのですか!」
何故か愁苑は異常に驚いて見せた。目を見ても嘘は付いていない。どうやら本気で驚いている。
「はぁ……」
御神楽は体を打ちつけた痛みも忘れて脱力した。
「さて、どうするか」
御神楽は一人、書類仕事をしながら愁苑の処断について考えていた。
愁苑には「また後日追って連絡する」と言って引き下がらせたが、正直な感想として彼女の存在は持て余ってしまう。
彼女の言い分に一応の理はある。わざわざトップが汚名を被る必要はない。むしろ被ってしまうと味方に対して不安を与えてしまい、そちらの方が問題になる。
「だがな、闇鴉君」
人知れず独白する。
「汚名というのは被らなければならない時があるのだよ」
しかし、思想はともかく彼女の能力は目を見張るものがある。あれがあれば校舎運営もずっと楽になるし光坂君も生徒代表になるよう誘導してやればいい。
「って、何を考えているのだ僕は」
頭を机に自ら叩きつけて正気に戻す。
「魔が差した」
ぶつけた衝撃で目に火花が散りながらも書類を決裁する手の動きは止めない。
「さて、どうするかな」
そう呟いて目を書類に止めたとき、ある一枚の要望書が目に付いた。
「これだ」
御神楽はにんまりとする。
「これを利用すれば愁苑君の勘違いを叩き直せるかもしれないな」
御神楽はその書類を見つめながら自らはどう動こうか頭を働かせていた。
「さて、闇鴉君の教室は……ここだ」
御神楽はとある教室の前で立ち止まり、愁苑の所属クラスと照らし合わせる。
間違いがないことを確認した御神楽はドアを開けた。
「闇鴉君。君の初仕事だ、が……」
ドアを開けたまま御神楽が硬直した。その視線の先にいるのは。
「えっ? あ、御神楽代表。こ、これは少し手違いがありまして」
愁苑がその怜悧な美貌を緩ませながら近くに侍らした生徒達の頭を撫でていた。愁苑に何か操作されたのかどの顔も虚ろだ。
しかもその生徒達は全員未発達の少年の体とあどけない子供のような容貌をしている。そして、更に衝撃的なことに、その生徒全員が自分と容姿や特徴が似ていることだった。
御神楽は無言でドアを閉めてその場を立ち去ろうとした。
「ま、待って下さい御神楽代表」
後ろから大慌ての声が響き、どんどんこちらへと迫ってくる。
「誰が待つか。君の要件はもう済んだ、お疲れさま」
御神楽は振り向きもせず逃げるように駆けだす。
「だから誤解なのです。あくまで私は御神楽代表一筋です」
息を切らせながら必死で追いすがってくる。
「それが怖いのだ。闇鴉君が近くにいると僕の身が危ない」
「大丈夫です。御神楽代表の身の安全は私が二十四時間三百六十五日離れずにお守りしましょう」
「だから止めてくれー!」
しばらくの間、御神楽と愁苑の間で追いかけっこが続いた。どちらも止める気配がなく、ようやく止まったのは両方が足の限界で膝をついたからだった。
「とりあえず、だ。あの生徒達は解放しろ」
「は、仰せのままに」
疲労困憊となった二人は生徒会室に場所を移して先ほどの光景について妥協案を模索しあった。
そしてその結果、愁苑が生徒会の仮入会を認める代わりに御神楽が許可を出す時以外は超能力の使用を禁止することで落ち着いた。
「さて、話を戻そう」
一つ咳払いをして気持ちを切り替える。
「この書類を見てくれ」
そう言って一枚の書類を愁苑に渡した。
「苛め…………ですか?」
読み終えた愁苑が御神楽に確認する。
「その通り、最近とあるクラスで問題になっている苛めだ。注意すれば一端収まるもののすぐに再開される。しかも最近は巧妙化そして陰湿化の傾向がある。さて、闇鴉君は心を操れるのだったな」
御神楽の言葉に愁苑は頷く。
「では闇鴉君にとって最初の役目だ。君の力でこの苛めの問題を解決してみろ」
御神楽は咳払いしてから今まで表情一つ変えずにそう言い切る。
数秒の沈黙の後愁苑は深く頷いた。
「ご拝命承りました。必ずやご期待に応えましょう」
愁苑が去ったのを確認した御神楽は光坂の元へと向かった。
光坂の在籍するクラスに入ると、一番後ろで意気消沈している光坂を見つける。
「久しぶりだな光坂君。調子はどうだ」
光坂の前の席に腰かけながら御神楽が質問する。しかし、光坂は一瞥しただけでまた目を背けてしまった。
「これは重症だな」
御神楽は苦笑する。ここに来るまでの間、光坂と同じクラスメートと話をすると今日一日ずっとこんな感じらしい。
クラスメート曰く。こんな光坂だとこっちまで調子が狂う、早く元通りの馬鹿で無鉄砲で呑気な光坂に戻ってほしい。とのこと。
「光坂君、愛されているなあ」
そのクラスメートは口では散々馬鹿にしていたが本心では心配しているのだろう。御神楽が横に目を向けるとそのクラスメートの姿が見える。それどころか教室に残っていた生徒全員が心配そうに御神楽と光坂を遠巻きに見つめていた。
御神楽は光坂がこちらに興味が向くまでその場所に居続けた。口笛を吹いたり無駄話を一方的に話したりしながら光坂の様子を見続けていた。それが一時間ほど続いた後、ついに光坂が口を開いた。
「あっち行ってください」
むすっと機嫌悪そうに呟く。その台詞を聞いた御神楽は笑って。
「何で?」
声のトーンを上げて言った。
「邪魔だからです」
光坂はそう言ってまた向こうを見ようとする。だが御神楽は。
「君は弱いなあ」
と嘲りを含んだ声で笑った。光坂が目を向く。
「何が弱いのですか」
声に怒りを含ませた。しかし、御神楽は涼しい顔で。
「『自分は一番不幸です、誰にも僕の気持ちは分かりません。ほっといて下さい』的なオーラを出している君だよ」
ククク、と嘲弄する。
「そんなに嫌なら死ねばいいではないか。それが出来なくても学校に来なければ良い。しかし、君は学校に来ている。それはな、何かがあるから、諦めたくないものがあるから生きることを放棄せずに学校へ来ている。違うかな?」
その弾劾に光坂は震え、次の瞬間には激昂して御神楽を殴り飛ばした。
「あんたに何が分かる!」
近くの椅子や机を巻き込みながら倒れ伏した御神楽を馬乗りにし、さらに二、三発殴る。
「信じていたものは全て嘘で守りたいものは全てまやかしだった! あんたは幻を現実だと勘違いしている僕を陰で笑って見下していたんだ! そうだろう!」
周囲のクラスメートが光坂の暴走に驚き、彼を止めようと後ろから羽交い絞めにする。
「僕は一体誰なんだ! 何のために生まれてきた! 何故僕は生きなければならないんだ!」
クラスメート達によって身動きが取れなくなっても光坂は体をめちゃくちゃに動かして御神楽に掴みかかろうとする。
その様子を無表情に眺めながらハンカチを血の滲む箇所に当てる。
しばらく後疲れてきたのか光坂の動きが鈍くなっていき、そしてついに動かなくなった。
そんな光坂に御神楽は
「君の疑問に答えよう」
淡々と言い放つ。光坂は燻し気な目を向けてくる。
「しばらくクラス替えだ。明日から週末までこのクラスに通え」
そう言ってポケットから取り出した用紙を光坂に見せる。
その用紙には御神楽が愁苑に苛めを解決しろと命令したクラスが書かれていた。
「とりあえずはこれでいいか」
生徒会室に戻った御神楽は椅子に腰かけて息を吐く。光坂に殴られた痕は新陳代謝を促進したのでほとんど目立たない状態へなっていた。
「予想通りことが運んでくれればよいのだが」
闇鴉は心を操るだけでは問題は解決しないことを。そして光坂は守りたいものが何であるか自覚すること。
「しかし、思い通りにことが運ぶことなど滅多にない」
御神楽は考える。どうすれば良いのかを頭をフル回転させて考える。
そして、出た結論は。
「よし」
と、気合いを入れて生徒会室の隅にあるロッカーを開ける。中から鬘とニーソックス、皮靴や女子用のブレザーやスカートを取り出した。
数分後、鏡の前に一人の美少女が現れた。
少し長めの髪から除く瞳が特徴的、腰は折れそうなほど細く、胸は無いが引き締まったスレンダーな体つきの美少女が顔を覗かせていた。
「まあまあかな」
己の姿を見てそう感想を漏らす。
元から女装が似合うと噂されていた。「まさかそんな」と一笑に付していたが実際に着てみるとそんなに悪くない。
この格好なら自分が御神楽だと分かりにくいだろう。そしてこの格好で光坂君と闇鴉君を同じクラスで陰ながら見守らせてもらおう。
「だが、正体がすぐにばれる可能性もある。少し確認してくるか」
そう言って御神楽は生徒会室を出てまだ校舎に残っている生徒に会いに行った。
するとすぐに見つけた。夕陽が差し込んでいる廊下をトボトボと肩を落とし、落ち込んで歩いている生徒を見つける。
御神楽は声を掛けようと思い、手を挙げたが、そこで。
「なっ!」
その生徒は光坂であった。慌てて口を塞ごうとするがもう遅い、光坂はこちらに気づき、近寄ってくる。
「ん? どうしたのかな」
光坂は憂いを含みながらも微笑して御神楽に語りかける。普通の女子生徒なら一発で一目惚れしたであろうその表情も御神楽にとっては何の効果もなかった。
「い、いえ、人違いでした。すいません」
そう言って足早に立ち去ろうとする。正体がばれるわけにはいかない。御神楽は背中に汗をかきながらも自然に見えるよう振る舞った。
「ん? 君は……」
そう言って肩を叩く。その刺激に御神楽は飛び上がりそうになる。
「な、な、何ですか? いきなり女性の肩を叩くなんて失礼ですね」
思いっきり動揺しながらも何とか言葉を紡ぎだす。
「君、名前は?」
その言葉を聞かず、光坂が真剣な瞳をこちらに向ける。
「み、御神楽圭子です」
何というネーミングセンス。咄嗟に出た名前だが思いっきり地雷を踏んでいる。御神楽は頭を抱えたくなったが、意外なことに光坂は名前を気にも留めず、更に質問を重ねる。
「クラスは」
その質問から御神楽は「おや?」と考え始めた。
「ええと、Eクラスですが」
何とか平成に答えられたと思う。すると光坂は表情がパッと明るくなり。
「僕が移動するクラスと同じだ。良かった、誰も友達がいないから不安だったんだ。これからよろしく、御神楽さん」
そう言って手を差し出してくる。御神楽は戸惑いながらもその手を握り返して。
「こちらこそよろしく光坂さん」
そう自然に言えた。しかし、光坂は「あれ?」と言い。
「御神楽さん、何で僕の名前を知っているの?」
首を傾げて聞いてくる。御神楽は笑いながら必死で考える。
「それは光坂さんが生徒会役員だったしそれにあの練習試合のスピーカー。あれで光坂さんのことを知りました」
伊達に中央校舎生徒代表をやっている御神楽ではない。すぐさまそう答える。すると光坂は納得して。
「あはは、なるほどね。しかし、それは恥ずかしいな」
後頭部を掻きながら苦笑いをする光坂。それに御神楽は首を振って。
「いいえ、あれは素敵でしたよ。光坂さんのあの行動で女子バスケットボール部が勝てたのですからそのことを誇りに思って下さい」
それは御神楽の本心だった。光坂があれをやったからこそ風が変わった。だから光坂君はもっと自慢して良いと思う。
「褒められたのは初めてだよ、ありがとう」
光坂は目を逸らしながらそう答える。ほんのりと顔が赤い。
「それでは失礼します。光坂さん」
お辞儀をして、この場を去ろうとした。これ以上ここにいる意味は無い。それに、何というか今の光坂から愁苑の雰囲気が漂い始めているのだ。
「あっ、ちょっと待って」
しかし、光坂が御神楽の進路を阻む。御神楽が少し顔をしかめると。
「ご、ごめんだけど携帯持っていないかな。ここで知り合ったのも何かの縁だからメルアドを交換しておこうと思って」
そう言いながら恐る恐る携帯を持ちだす。
それに御神楽は冷や汗を流して。
「ごめんなさい。今、私の携帯は寮なの。だからまたの機会にね」
そう言ってお願いする。すると光坂はあっさりと引き下がってくれた。
「それでは、また」
軽くお辞儀してその場を去った。しかし、後ろから。
「また会えるかな」
と、返ってきた。
御神楽は振り向いて微笑み、その場を後にした。
「光坂君でも気付かないのか。やはり僕の変装は完ぺきだな」
そう喜んでいる一方で光坂は。
「御神楽圭子さん……」
と呟き、御神楽が去った方向をいつまでも見続けていた。
光坂は御神楽圭子が女装した御神楽圭一だという事実を知らない。いや、知らない方が幸せなのかもしれない。
「少し自信がついたな」
光坂と会っても自分が御神楽だとばれなかった。一番近くにいる光坂でさえ分からなかったのだ、ならば他の生徒なら絶対に自分のことは分からないだろう。
「しかし、念のためにもう一人誰かと会っておくか」
そう呟いて再び校舎内をうろつき始めた。すると前から一つの人影がこちらに向かっているのが確認できた。その人影が見えるところまで近づいたところで御神楽はまたしても硬直した。
「闇鴉君?」
その理知的な風貌と鋭い目つき、そして堂々とした姿勢で歩いているが足音を殺して気配を出さないので注意して見ないと彼女のことは気付かずに通り過ぎそうだ。
ゆえにうっかりと漏らした彼女の名前に反応した愁苑はその場で立ち止まり御神楽を待ち構えた。
「よく私に気付きましたね」
冷淡な声音が廊下に響く、愁苑はあまり音量を出していないがその声は突き刺さるように届く。
御神楽は狼狽して。
「え? そんなに驚くべきことですか」
と、あくまでしらをきることを決めた。
愁苑は無表情に御神楽の顎を持ちあげて目と目を見合わせた。
「どういう風に私を知ったのかは知りませんが別にいいでしょう。私のことは忘れなさい」
そう言って愁苑の瞳が怪しく光った。
御神楽は心の奥底にミミズが入り込むような不快感を味わった。しかし、そのことは表情に出さずに呆けた顔を作る。
しばらく後に愁苑が目を離して御神楽に問うた。
「私は誰ですか」
その質問に「闇鴉愁苑」と言いだすのをすんでの所で堪え、首を傾げて「分かりません」と答えた。
その答えに満足したのか愁苑は一つ頷いて歩き去っていった。その後ろ姿を御神楽は見守る。
愁苑が完全に姿を消すとようやく御神楽は手を膝に置いて大きなため息を吐く。
「助かった……」
愁苑に会った時は本当にマズイと感じた。あれだけ自分に対して妄執を抱いているのだからある意味光坂より危険だった。
しかし、結果はご覧の通り。愁苑は自分の変装を見破られずにただの生徒だと勘違いして去って行った。
「よし、これで問題は無いな」
そう宣言する。すでにEクラスへの編入は済ませてある。
「そういえば授業を受けるなんて何ヶ月ぶりかな」
生徒代表になってからは多忙の毎日で授業に出席する暇なんてなかった。しだいに疎遠になっていき、ついには行かなくなった。最近は業務にも慣れて授業を受ける時間はあったものの行く必要が無かったのでずっと生徒会室に籠もるか中央校舎の見回りにばかりしていた。
「明日からの授業が楽しみだな」
自然と御神楽の口元が緩んだ。
なんだかんだ言っても御神楽は二年生。まだ人が恋しく感じる年代だった。
「えーっと、今日から一週間このクラスの仲間になる生徒達を紹介します。では、右からどうぞ」
クラス委員長が頼りない声で御神楽に自己紹介を促す。
教室の雰囲気は最悪、勉強したり友人としゃべったり果ては携帯を弄ったりする等各々が勝手に行動してクラスの統一性が全くない。
しかし、その中でも御神楽は笑みを浮かべて。
「始めまして、今日から一週間お世話になります御神楽圭子です。よろしくお願いします」
そう無難な答えで次の光坂へ譲った。光坂はやや緊張した面持ちで。
「光坂一です。よろしくお願いします」
と口早に終わらせてしまった。これで良いのかと御神楽は頭を抱えていると。
「ねぇ、あの光坂君よ」
「わあー、本当だ。写メとっとこ」
「ちくしょう、我らの敵モテ男め」
「ああ、後で成敗してくれよう」
と、何故かクラスが光坂に注目していた。御神楽は光坂の人気というのを改めて実感する。最後に。
「闇鴉愁苑」
と、端的に自分の名前のみを言って早々に下がった。皆もポカンとしている。
「まあ、仕方ないよな」
御神楽は苦笑する。これは昨日の出来事もそうであるように愁苑は基本的に自分の興味が無いものに関しては徹底的に無関心なのだ。
「しかし、相手を屈服させて快感を得るタイプより遥かにましだな」
心理操作系者に野心を持つ者ほど怖いものはない。自分を操り中央校舎を裏から支配しようと企む者から何度も攻撃を受けた。無論全て返り討ちにしてやったが彼らはいつ、どこで現れるか予想がつかないから性質が悪い。
「心理操作系者でなければいいがな」
このクラスの苛めの原因を考えながらそう呟いた。
休み時間――光坂は例によって皆から囲まれて質問攻めを受け、愁苑はどこかへ行ってしまった。御神楽は席に座りながら周りを見物していた。
「あの、失礼します」
その時、御神楽は不意に声をかけられる。
「ん、何かな」
敵意を見せないよう微笑みながら振り向くとそこには先ほどのクラス委員長が立っていた。
女子の平均よりは低い。髪はボブカットだが、決して明るい雰囲気ではなく逆に目は常に下を向いているので根暗な印象を受ける。
「あの、御神楽さんですよね」
その少女が再度聞く。
「えっ! どういうことかな」
冷や汗をびっしり掻きながらも努めて平静を装う。まさかもうばれたのか。
「御神楽圭子さんですよね。私、円道静夏と言います。これからよろしくお願いします」
そう言って静夏は頭を下げた。御神楽はばれていないことに安心し、すぐに気を取り直して「こちらこそよろしく」と、言った。
「で、どうしましたか」
自分に話しかけたということは何か用があってのことだろう。
「いいえ、何も。ただ、御神楽さんはクラス内で孤立しそうでしたので心配になって」
「なるほど、お気遣いありがとう。けど、私は大丈夫です」
静夏は心の優しい人物なのだろう。しかし、優しさだけではクラス内を纏めることは出来ない、時には厳しさも必要だ。
「あの、どうしましたか」
御神楽が急に黙り込んだので不安になったらしい静夏が声をかける。
「ごめんなさい。少し考えごとを」
御神楽は頭を切り替えて愛想笑いを浮かべた。
「けれど、そちらこそ大丈夫ですか。顔色が悪いですよ」
そう聞いても静夏は微笑むだけで御神楽の質問に答えようとしなかった。
その時、チャイムが鳴って生徒達が各々の席に戻る。
授業を半分聞きながら御神楽は先ほど話しかけられた静夏について考えていた。
「……何かあるな」
あの不自然な態度が気になる。
「やはり、心理操作系者か」
苛めがあるにしても無いにしてもこの傾向は心を操る者の影が見え隠れする。
「さて、少し調べてみるか」
そう呟くと同時に。
「御神楽さん。この問題を解いて下さい」
と教師にあてられる。
「はい、わかりました。その答えは……」
たとえ意識はしていなくとも教師の声はしっかりと聞くことが出来る御神楽だった。
昼休み――異変があった。教師がいなくなると同時に複数の女子達が前の方に座っている生徒を取り囲んだ。
物々しい雰囲気に御神楽は注視して見つめ、光坂も適当に話を打ち切る。そして、廊下の隅から愁苑が気配を殺していた。
複数の女子がその女子を囲んでどこかへと連れ去っていく。光坂は男子なので尾行するには目立ちすぎるため近くの生徒に何が起こるのかを聞き、愁苑はひっそりと後をつける。
「下柳さん……」
丁度近くにいた静夏がポツリと漏らす。
「下柳さんとはあの女子ことですか」
御神楽の問いに静夏が頷く。
「あの子、いじめられっ子なのです」
そう苦しそうに吐く。
御神楽は下柳という女子のプロフィールを思い出す。
下柳香恋。確かそんな名前だったはずだ。背は小さくおそらくクラスの中で最も小さいだろう。いつもびくびくして何かに怯え、ちょっとしたことで大げさなリアクションを取る小動物のような印象を受けていた。
「なるほどね。そして、あの複数の中でリーダー格みたいだった女子は誰かな」
御神楽がさらに聞く。静夏は上を向いて記憶を掘り起こした。
「確か……眞道さんだったと思います」
「眞道さん、か」
眞道東花。気が強くて周りを仕切るのが得意なリーダータイプ。背が高くほっそりしている。そして活動的なショートカットと眼に宿らせている強い意志が特徴的な彼女はどんな嫌なことでも率先して行う。
思えばなぜ彼女がクラス委員長を努めていないのか疑問に思った。
「それは私に譲ったからです、『円道さんが向いている』と言われましてね。彼女はこのクラスのリーダーですから誰も逆らえないのです」
たはは、と弱く笑う。御神楽はふと疑問が沸いた。
「円道さん、どうして私が疑問に思ったことが分かったの?」
その質問に静夏はしまったという風に表情を凍らせ、次に愛想笑いをした。
「た、たまたまです。御神楽さんがその疑問を顔に浮かんでいたからです」
早口にそう言う。御神楽はますます疑いの眼差しを向けた。
「何ですか、その目は。言っておきますけど私は下柳さんとは親友なのです。私が不慣れなクラス委員で苦しんでいる時も下柳さんが唯一助けてくれたのです。このような状況、辛いに決まっているではありませんか!」
そう叫ぶような声に。一時クラス内の視線が集まる。それに静夏が気付き、辺りを見回す。
「ご、ごめんなさい。ついカッとなってしまいまして」
静夏は平謝りをする。それに御神楽は「いいえ」と手を振って。
「こちらこそごめんなさい。でも、そんなに辛いなら助けてあげれば良いと思うけど」
その質問に静夏は黙り込み、そして。
「もう何度も助けましたよ。しかし、駄目なのです。何度助けても違う生徒から彼女は苛められるのです!」
そう言いオイオイと泣き出した。近くの女生徒が静夏の背中を撫でる。
「ごめんなさい」
これ以上話を続けられる状況ではないと判断した御神楽は謝罪してこの場を打ち切った。
そして昼ご飯も食べずに状況を整理する。
静夏と香恋は親友同士。
静夏が慣れないクラス委員で苦しんでいる時唯一助けてくれたのが香恋。
静夏がクラス委員になったのはリーダー格である東花に推薦されたから。
その東花は香恋を苛めている。
それら全ての言は静夏からである。
「仕方ない」
御神楽は呟いた。今日光坂と愁苑の二人を呼び戻して情報を増やそう。今のままでは何が原因で誰が悪いのか判断できない。
「御神楽、次の文章を読んでみろ」
すでに昼休みが終わって授業が始まっていた。考え事をしている御神楽に教師が指名する。
「はい、わかりました。それゆえに……」
意識はしなくても教師の言葉をしっかりと耳に入っていた。
読んでいる最中、教師が不快そうにグッと黙る。ついでに周りの生徒から驚きの声が上がった。
「さて、今日一日を終えての感想はどうだ」
放課後――御神楽は生徒会室に光坂と愁苑の二人を呼んで状況を確認する。
「さあ、いつも通りでしたよ」
ムスッとそっぽを向いて投げやりに答える。それに御神楽は苦笑して。
「カラス、そっちはどうだ」
と聞いた。愁苑は「はっ」と返事をして語りだした。
「苛める側の張本人の目星がつきました。おそらく明日には解決するでしょう」
淡々と答える。御神楽は一つ頷いて。
「それはご苦労だった。しかし、僕の予想だがこの事件はまだ終わらない。よって残りの三日、しっかりと通ってもらうが分かったな」
「御意に」
愁苑は軽く礼をした。
「ところで疑問に思っていたのですけど」
唐突に光坂が口を挟む。
「この生徒は一体誰ですか」
光坂は愁苑の方を向いた。
「ああ、すまない。まだカラスのことを紹介してなかったな」
御神楽は苦笑いをして愁苑のことを紹介した。
「彼女の名は闇鴉愁苑。先日の女子バスケット部の件がきっかけで生徒会に入会した者だ。いわば光坂君の後輩だな」
御神楽が挨拶を促しても愁苑は光坂に目を向けただけですぐに戻した。
御神楽は肩を落とし。
「まあこういう難儀な性格だ。しかし、光坂君と同じ一年同士だから仲良くやってほしいのだが」
その台詞を聞いた光坂はますます不機嫌になり。
「へー、新しい後輩ですか。良かったですね、もう僕は用済みなんで失礼します。これまでありがとうございました」
慇懃に礼をして生徒会室を去ろうとする。しかし。
「カラス」
「はっ」
御神楽の命を受けた愁苑によってその動きは阻まれてしまった。
「どいて下さい」
そう言って愁苑を押しのけようとする。だが、愁苑は岩のようにビクともしない。
「嫉妬か?」
嘲るような口調で御神楽が光坂に聞く。すると光坂は目を向いて。
「ふざけるな! 誰があんたなんかに!」
そう喚き散らす。御神楽は「ククク」と笑い。
「まあいいだろう。カラス、光坂君を放してやれ」
「はっ」
光坂は屈辱に顔を歪ませて足取りも荒く部屋を去って行った。
「よろしいのですか」
愁苑は光坂が出て行ったドアを見つめて御神楽に聞く。
「クラスに通ってくれればそれで良い」
背もたれに体を預けて少し目を瞑る。
「ですが、もう問題は解決したと思いますが」
「それは苛める側のリーダーに暗示をかけたからか」
目を瞑りながら御神楽が問う。それに愁苑は頷いて。
「ええ、ですのでもう問題は解決したかと思われます」
そう宣言した。だが、御神楽は「ククク」と笑い。
「カラス、苛めは個人の問題ではない、クラス全体の問題だ。なあに、明日クラスに登校してみれば分かる。まだ終わっていないと」
「……御意に」
未だ納得していない様子だったが御神楽の命を受けて渋々頷いた。
「それにしても」
御神楽は口を開く。
「君は光坂君のことを尋ねないのか」
光坂と愁苑は今回が初対面のはず、大体は光坂のような態度を取るのが普通で愁苑のように無関心でいるのは少数派だ。
しかし、愁苑は至極納得してしまう理由を持ち出した。
「さあ、興味がありませんので」
そっけなく答える。それに御神楽は目を丸くして。
「本当にか」
「ええ」
御神楽の確認に対しても即答で答える。
「カラス、君は変わっているな」
と呆れた声を出す。
「褒め言葉として受け取っておきましょう」
と、愁苑は切り返した。
「しかし、何というかな」
深夜――御神楽は書類仕事続けながらぼやく。
「何故闇鴉君は自分のことを“カラスとお呼び下さい”と願ったのか」
ことは今日の朝、いつも通りに不眠不休で目の前に積まれた書類を崩していた御神楽に突然愁苑が現れて、自分のことをカラスと呼ぶことを願い出た。
理由を聞くと「その方が中央校舎代表らしいから」とのこと。
御神楽は渋面を作ったが愁苑がそれを願ったので御神楽は承知した。ちなみに。
「もし呼んでくれなかったら抱きつきます」
と脅されたことも追記しておく。
次の日――御神楽が女装して教室に入ると予想通りの光景が広がっていた。
確認のため近くにいた静夏に事情を聞く。すると。
「ええ、今度は圓道さんが苛めの対象になりまして」
心配そうな目で静夏は東花の方を見る。
そこには机の上にゴミが載せられて更に机の中は砂が敷き詰められていた。そのような仕打ちを受けている東花は震えながら俯いている。そして、その東花見る周囲の目は嘲りか無関心だった。
「何が起こったのか」
「聞いたところによりますと圓道さんが突然『苛めはもう止める』とか言い出したそうです。そしてそれを咎めた女子グループが今度は圓道さんを苛めるようになりまして」
その説明を聞きながら御神楽は恐れていた事態が起こってしまったことを悔いた。
苛め。文字にして三文字。簡単な言葉だ。
しかし、その言葉に込められた意味は想像を絶するほど深い。
言うなれば奈落の淵を彷徨っている感覚だろう。
何を頼りにすればいいのか分からず、周りは無関心か嘲笑。誰も助けてくれない。
そこにいるだけで全てが嫌になってくる境地に立たされるのが苛めだ。
御神楽は愁苑の方を向く。愁苑は自らの失敗が信じられないのか教室の入り口に立ったまま呆然としていた。
「何故?」
声が震えている。おそらく今まで失敗してきたことなどないのだろう。心理操作系者はその能力ゆえに失敗とは無縁な生活を送る。ゆえに、一度失敗すると今の愁苑のように呆然自失の状態になってしまう。
「さて、この最悪な状況をひっくり返せるのは唯一人」
御神楽はもう一方のドアを見る。
「そろそろ来るな。さあ光坂君、君の活躍を見せてもらおうか」
御神楽は誰にも聞こえない音量で呟いた。
教室に入った光坂は東花の現状に目を見開きながらも何もせず、さっさと自分の席へと座ってしまった。
「あれ?」
あてが外れた御神楽は首を傾げる。
そして、休み時間になろうとも昼休みが過ぎようとも光坂は苛めを止めようとする動きは見られなかった。
「……なにをやっているのだか」
御神楽は机をトントンと叩いた。
そして放課後。痺れを切らした御神楽は光坂に近づいた。
「ねえ、光坂君」
後ろから声を掛けられた光坂は驚いて振り返る。
「み、御神楽さん?」
上ずった声で答えた。
「ど、どうしたの。そんなに驚かせたかな」
その疑問に光坂は首を振って。
「いや、違います。気にしないでください」
と、だけ言った。御神楽は本題に入る。
「圓道さんの苛め、どう思う」
その質問に光坂は唇を噛みしめて。
「僕には関係ない」
と言ってそっぽ向く。それに対して御神楽はため息をついて。
「そうかな、これは私の想像だけど光坂君が圓道さんを見る目、なんだか寂しかったよ」
不意を打たれたのだろう。光坂は目を見開いて。
「そんなことあるわけない」
下を向いて小さく呟いた。意気消沈している光坂に今は何を言っても無駄だろうと考え、話題を変える。
「代表はあなたのことを褒めていたよ」
その言葉に光坂は目を向いた。
「嘘に決まっている。代表はもう僕なんてどうでもいいと思っているに違いない。」
不貞腐れた言葉に御神楽はつい。
「そんなわけあるか、どんな時でも僕は光坂君を見捨てることは決して無い」
地に戻ってしまった。光坂がポカンとしているのを見て慌てて。
「と、代表ならそう言うかもしれませんね。あはは」
笑って誤魔化そうとする。ここで正体がばれるわけには色々な意味でいけない。
しかし、光坂はその豹変ぶりを咎めることはせず、何と体を震わせて泣きだした。
御神楽は慌てて光坂を無人の教室へと移動させる。すると光坂はポツリポツリと語り出した。
「御神楽さん。少しお話を聞いてくれませんか。ある一人の愚か者の話を」
落ち着いたのか先程まで比べて平静になっている。
「私でよければ伺いましょう。けど、その前に言っておきますが愚か者というのは迷わない人を言うのです」
そう答えて御神楽は聞く体制に入る。
「僕が生徒会に入ろうと思ったきっかけは入学式の時でした。僕は他の新入生と共に教師の詔や各委員会からの注意事項の伝達。何の面白みも無い進行でしたので、つまらなく感じていました。それでこう思ったのです 『高校もつまらないな』と」
そこで一拍区切った。御神楽は粛々と耳を傾けている。
「そして、入学式もお開きが近づき、最後の生徒代表からの祝辞が始まって御神楽代表が姿を現した時、空気が変わりました」
光坂の弁に熱がこもり出す。
「何を言っているのか分からないと思いますが本当に空気が変わったのです。先刻まで隣とお喋りをしていた生徒や半分夢に入っていた新入生達が前を向いて代表の一挙一動を注視し出したのです」
光坂は身振り手振りを交えだした。
「あの華奢な体なのに発する雰囲気はまさしく巨人。何か見えざる者が代表の後ろに見え隠れし、そしてそこから放たれる代表が持つ気迫に僕達新入生は畏れました。皆が緊張状態のまま代表が述べました『入学おめでとう』と」
ここで光坂は陶酔状態になる。
「あれほどの気迫と権力を持ちながらもああいう風に新入生に微笑みかける代表を見て僕は衝撃を受けました。これが強さというものだと。決して驕らず、顔も知らない僕達に謙虚な姿勢を示すことができるのだと。そして僕は決めました、御神楽代表のような存在になりたい、と」
そこで光坂は一息を吐いた。今までのテンションが下がっていく。
「最も、全て裏切られましたけどね」
光坂は寂しく微笑んで上を向いた。
「……代表は君を裏切っていないと思うな」
沈黙の後、御神楽が口を開く。
「何があったのかは知らないけど。もし代表が裏切ったのと仮定するとあの時君が感じた気迫は偽物だったということになると思う」
光坂がハッと御神楽を見た。さらに御神楽は続ける。
「生徒はそんなに愚かじゃないよ。裏切るというのは見下すということ。そして、人は見下すような人物についていこうとは思わないよ」
何か言っていてむず痒いような恥ずかしい様な気分になっていく。自分で自分を客観的に話すというのは結構難しい。そしてこの言葉遣いも難しい。
「でも、皆は代表のことを信頼している。だから、代表が生徒のことを大切に思っているのは事実だと考えるな」
最後にこう締め括る。
「一度代表と話をしてみると誤解も解けるかもしれないね」
光坂は御神楽圭子の弁を静かに聞いていた。
「ありがとうございました」
そう言う光坂の目は何か希望のような光が宿っていた。
「それでは失礼します」
そう御神楽に礼を言い、しっかりとした足取りで教室を出て行った。
「失礼します、代表!」
その声とともに思いっきりドアを開ける光坂。
「ああ、光坂君か、どうした」
机に座って書類整理を行っていた御神楽が光坂の姿を認める。
「代表? 汗を掻いていませんか。そして服も乱れている気がしますが」
光坂は御神楽の服装を見て疑問に思う。
「そ、そうか。それは気付かなかった」
少し早口になる。何しろ光坂が出て行った後彼より先に生徒会室に戻るため校舎の外面部から壁を登って来た。そして息をつく間もなく大急ぎで制服を着替える。御神楽が机に付くと同時に光坂が入ってきた。まさしく間一髪だった。
「それで、どうしたのだ」
この話題は都合が悪い。ゆえに本題へと切り替える。
「はい。代表、仮定の話ですがもし代表の目の前で苛めが起こっていた場合、代表はどうしますか」
ストレートな物言い。それに御神楽は少し笑ってこう述べた。
「決して見逃さない。僕に出来ることならどんな手を使ってでも苛めを撲滅する」
その単純明快な言葉に光坂は目を見開き、笑った。
「何かおかしなことを言ったかな」
その言葉に責める意志は入っていない。むしろ喜びの感情を滲ませる。
「いいえ、何も。代表、この週末二人きりで話をしましょう。場所はもちろんあの場所で」
そう力強く宣言する。
「そうか、楽しみにしている」
御神楽は唇の両端を吊り上げた。
光坂が自信に満ちた足取りで去った後御神楽は外に気配を感じて顔を上げた。
「さて、入れ。カラス」
その言葉とともに愁苑が静かにドアを開いて音もなく入ってくる。
「失礼します」
そう前置きを述べて会釈してこちらへと近づいてきた。
「その表情だと、どうやら失敗したようだな」
事務報告をするかのように淡々と述べる。決して嫌味にならないよう注意して。
「申し訳ありません」
そう深々と頭を下げる愁苑。それに御神楽は手を振って。
「別にいい。失敗は誰にでもあることだ。大切なのは失敗した後どうするかだ」
「寛大なお心に感謝申し上げます」
愁苑は顔を上げたが目は反省のためか閉じたままだった。
「さて、闇鴉君に少し忠告だ」
「なんなりと」
愁苑は御神楽の申し出に頷く。
「Eクラスの苛められていた下柳香恋。彼女が不可解な行動を起こした場合は後をつけろ」
「はっ」
変な忠告だと思っただろう。だが、愁苑はそんな考えをおくびも出さずに御神楽の命令に従う。
「それでは失礼します」
そう言い残して愁苑は去って行った。
「残り二日か」
深夜――頭に溜まった疲れを電気で取っている最中に御神楽が呟く。
「布石は打った。明日が山場になるだろう」
光坂は自信を取り戻し、愁苑は能力が万能でないことを思い知った。とりあえずは自分の思うとおりにことが進んでいる。
そして、御神楽は一枚の書類に目を通し、次に自分が行うであろう所業を思い浮かべた。
「ククククククはーーはっはっはっはっはっは!」
明日、静夏に対して行う行為を考えると御神楽は込み上げてくる感情を抑えることができなかった。
「悪魔だ」
まだ笑いが抑えきれない。
「酷過ぎる。いつから僕はこんな非道な道を選ぶようになったのか」
笑いすぎて苦しくなり、机に突っ伏す。
「許してくれ」
狂笑しながら、そして涙を流しながら御神楽はこの場にいない静夏に対して謝罪する。
「そして、誰でもいい。誰か、僕を、殺してくれ! はーーーーっはっはっはっは!」
広い生徒会室に御神楽の笑い声がいつまでも響いていた。
御神楽が持っていた書類が床に落ちる。
その書類にはこう書かれていた。
甲型心理操作系者――円道静夏。
「おはようございます、円道さん」
翌朝――早めに登校した御神楽はクラス委員である静夏に挨拶をする。
静夏も御神楽に挨拶を返した。
「少し、時間いいかな」
御神楽は時計を見ながら静夏に伺う。すると「はい」と承諾してくれた。
御神楽は静夏を連れだって無人の教室へと移動した。
ドアから最も遠い窓側に歩いた所で御神楽は振り返った。
「ええと、何の話かな」
静夏は不安そうだ。それに御神楽は安心させるように微笑み。
「円道さんて心理操作系能力者だったよね、それも最上位である甲型の」
とんでもないことを口にした。静夏は拳銃を突きつけられたかのように硬直して顔が真っ白に変化した。
「やはり本当みたいだったね。じゃあ、何で私がここに呼び出したのかはもう気づいているよね?」
首を傾げて声のトーンを上げる。
「な、何の事だか分りません。私が心理操作系だから一体どうしたのかと言うのですか」
震えながらも必死で気丈に言い張る。それに御神楽は「ククク」と笑い。
「気付いているはずでしょう。何でその力を使わないのか、それを使えば学級崩壊寸前のクラスも陰湿な苛めもなくなると思うのだけどなぁ」
あくまで無邪気に、自分は疑問に思っただけです。と、そう印象付ける。
「……できません」
辛うじて静夏は呟き、そして俯き沈黙した。それを見た御神楽は静夏をさらに抉る。
「怖いのでしょう」
静夏がピクリと肩を揺らす。
「自分が持つ能力は大きすぎる力。それゆえにみだりに使用することは許されない。と、そう自分を戒めているのでしょう」
静夏は沈黙を続ける。
「しかし、その結果が今のクラスの状況。円道さんが力を使わなかったせいであのクラスメート達はもっと辛いことになる。ところで円道さん学級崩壊が起こったクラスに在籍していた生徒はどうなるか考えたことある?」
その質問に静夏は首を振る。
「なら教えてあげよう。学級崩壊が起こったクラスの生徒達は全員転校扱いになり、もうこの学園に戻ってくることはない」
静夏は目を限界まで開いて驚き、そして口を抑える。そんな様子を御神楽は楽しそうに笑う。
「確かに円道さんの言う通り、その能力は危険だよ。一歩間違えれば取り返しのつかない事態に陥ってしまう。私は、円道さんは賢く優しい人だと思う。けど、賢すぎるがゆえに己の能力を必要以上に恐れ、優しすぎるがゆえに人を操ろうとしない。他の心理操作系者に見習わせたいほど円道さんは段違いに立派な人物だと私は確信する」
けどね。と、御神楽が続ける。
「その優しさは人を導く立場の場合だと時に足枷になってしまう。皆が勝手に動き出してしまって招集がつかなくなっても自分は動けない。ゆえに、指導者は守りたい人を騙してでも、傷つけてでも道を示さなければならないんだよ」
静夏の目が揺らいでいる。御神楽は止めとばかりに静夏の耳元で囁いた。
「学級崩壊が起こったクラスの責任者は無事で済むと思わないほうがいいよ」
その一言が決定的となった。静夏な感情が決壊して抑えきれなくなる。
御神楽は静夏の様子を嬉しそうに眺め。
「では。私は先に戻っているよ」
そう言い残して御神楽は空き教室を去って行った。
残された静夏はいつまでもその場で佇んでいた。
御神楽はもう一度静夏がいる教室を振り返る。
その眼には悲しみの表情が映されていた。
「……すまない」
そう小さく呟いて御神楽は元の教室に戻った。
「あれ、円道さんは?」
御神楽と静夏が共に出て行ったのにも関わらず戻ってきたのが御神楽ただ一人だということに近くの生徒が疑問を上げる。
「ああ、大丈夫大丈夫。円道さんは少し気分が悪いからと言っていたから」
御神楽は至極真っ当な嘘をつく。心が剣で突き刺されたように痛い。
「ふ~ん、そうなんだ」
生徒は納得したかのように頷いて席に戻っていった。御神楽はその様子を仮面の笑顔で見送った。
「ふう。さてと、こちらはどうかな」
生徒が興味を失ったのを確認した御神楽は光坂と東花の方に目を向ける。
光坂はゴミ箱を持ってきて東花の机の上や中にあるゴミを片付けていた。東花は先程まで遠慮していたのだろう、顔を僅かに赤く染めてそっぽ向いていた。
愁苑は御神楽の言いつけを守っているのか鬼気迫る雰囲気を放ちながら香恋をじっと見つめていた。
「カラス、もう少し空気を読め」
御神楽は愁苑の強引さにため息をついた。
――昼休み
光坂は真っ先に東花の席へ駆け付けて一緒にお昼を食べようと誘っていた。
東花は嫌そうな素振りをしていたが結局光坂の強引さに負けて机を合わせることとなった。光坂が一緒に食べているのだから自然と他の女子も集まる。
いつの間にか東花の周りには大所帯が完成していた。
その様子を見ながら御神楽は深く頷いく。
「やはり僕の目に狂いはなかった」
光坂一は自分が思っていた通りの周りを動かすタイプ。それも自然に相手の中心に立って皆を笑顔にする類い稀な人物だということを確信した。
「それに比べて僕はどうなのだろうな」
裏で動いて根回しを行い、策を用いて相手の弱みに付け込んで人を動かす。まさしく光坂と正反対な自分を自嘲する。
光坂が生徒代表になればこの校舎はもっと良くなるだろう。少なくとも自分が就いていたときよりも遥かに。
「早く光坂に生徒代表の座を譲りたいものだな」
御神楽はウーンっと背伸びをして気持ちを吐き出した。
「そして、向こうはどうかな」
御神楽はもう一方の香恋を見る。
香恋は黙々と弁当を食べていたが、東花の様子を眺める目は何か陰湿的な輝きを放っていた。
午後の授業が始まる直前に静夏が教室へと戻ってくる。
遅れたことを周囲に詫び、そして御神楽に対してキツイ目付きで睨んだ。
御神楽はそれに目を閉じて微笑することで受け流す。
その時、チャイム直前に静夏が香恋に近づいて何事かを囁き共に教室の外へ出て行った。愁苑がそれを追う。
「ついに動いたな」
御神楽はクックと獲物が罠に掛ったのを見た猟師のように笑った後、気付かれない様に教室を出て行った。
場所は空き教室。主がいない机と椅子が寂しく存在感を放っている空間に二人の女生徒がいた。静夏と香恋である。御神楽の目には静夏が思い詰めた様子で香恋に何かを訴えていた。
御神楽は聞こうと耳を澄ます。
「もう……わけがわからない!」
静夏が泣きじゃくりながら香恋に抱きつく。
「何が正しいのかわからない。私は何なの? 何で皆私を否定するの!」
香恋の後ろに回った手が白くなるほど強く握りしめている。その様子を眺めている香恋は微笑んで。
「大丈夫よ、静夏。あなたは間違っていない。だからこのまま進みなさい」
その優しい言葉に静夏は。
「もう嫌!」
と叫んだ。
「もう自分で考えたくない。私が考えて行動したことは全て裏目。私が考えれば考えるほど失敗ばかり!」
さらに静夏の手が白くなる。
一しきり喚いた後静夏はポツリと。
「……香恋が決めてよ」
小さく呟く。
「もう私は考えたくない。私は頭が悪いから。能力だけが高い馬鹿だから。だから、香恋が私の行動を決めてよ」
その独白を聞いた香恋は一瞬悪魔の笑みを浮かべ、すぐに消す。そして。
「いいわ」
と、だけ答える。
「今からあなたに暗示をかける。私の言うことだけを聞くような暗示を。だから楽にして」
そう優しく耳元で囁くと。静夏はコクリと頷いて体の力を抜いた。
それを見た香恋は低く笑いながら静夏を抱き抱える。そして、耳元で何かを囁こうとした、が。
「カラス」
「……はっ」
突然の呼び声に愁苑は一瞬驚いたものの、すぐに気を取り直して香恋を突き飛ばして静夏を抱き抱える。
静夏は意識こそあったが心に甚大な傷を負い、目が虚ろだった。
「やれやれ、本当に余計なことをしてくれるな」
もう一方のドアから小柄な少年の姿が現れる。
「な!」
香恋は後一歩で計画を邪魔した人物を見て驚愕する。
「御神楽ぁー!」
そして、憎しみに満ちた眼差しでその姿を見つめて叫んだ。
「そうだ、中央校舎生徒代表御神楽圭一だ。始めまして、と言うべきかな。丁型心理操作系者下柳香恋君」
御神楽は無表情のまま淡々と宣言した。
この事件は最初から変だった。クラス内で行われる苛めの実態を見ていると全ての責任が静夏に来るよう仕組まれていた。そして静夏が辞めようとすると苛めがピタリと止まり、クラス委員を再開するとまた苛めが再発する。
そのことによって苛めが起きたり止まったりしていた。
御神楽は最初、この問題は委員長の指導力不足だと思っていた。だから光坂と愁苑の教育にちょうど良いと思って送り込んだ。
しかし、実際はそんな軽いものではなかった。この苛めの実態はもっと深い問題。最上級の心理操作が可能である彼女を精神的に追い詰めて傀儡に仕立て上げようとする陰謀だった。
「危なかったな」
御神楽は息をつく。下級の丁型心理操作系だからと言って見逃していた自分の甘さを責める。
強さとは能力の強弱ではない。少しの知恵と勇気によって強さが何倍も増えるということを改めて思い知らされた。
「見事な計画だ。下柳君、一応褒めておこう」
その声音には感嘆が込められていた。しかし、それで香恋の怒りが収まるわけではない。むしろさらに炎を燃やす。それを見ながら御神楽は。
「大方、クラスを自分の思うままに支配しようとしたのだろう、下らない」
そう吐き捨てた。
劣等感から来る支配欲ほど愚かなものはない。過去、それでどれだけの混乱が持たされてきたか。
香恋は憎しみの呪詛を吐こうとしたが、突然ため息を漏らして怒りを吐き出し、そして諦観の表情を作る。
「代表、あなたがそれを言いますか?」
香恋は壊れた笑みを浮かべながらそう呟く。
「どういうことだ」
御神楽は眉を吊り上げた。
「代表、あなたは誰ですか」
不可解な質問に警戒感を強める。
「誰とは……僕は中央校舎生徒代表御神楽圭一だがそれがどうした」
そう答えた時、香恋は哄笑を上げた。いつまでも笑い続けてしばらくの間、止まらなかった。
「まさかとは思うが君は気付いたのか」
その様子を見た御神楽はある一つの予想を考える。だが、それは外れてほしい予想だった。
「カラス、席を外せ」
御神楽が急いで愁苑を下がらせようとする。だが。
「待ちなさい」
香恋の鋭い声が飛び、その気迫に愁苑の足が止まった。
「ちょうどいいわ。あなたも聞きなさい。代表が何を隠しているのかをね」
御神楽は焦り出す。
「香恋の言うことを気にするな。早く去れ」
愁苑に知らせるにはまだ早い。まだ愁苑が真実に耐え切れるほどの力を持っているとは考えていなかった。
だが、愁苑は予想外の言葉が飛び出た。
「それは、ラグナロク計画のことですか」
ラグナロク計画。愁苑の口から飛び出した言葉に御神楽はおろか香恋さえも硬直した。
「知って……いたのか」
御神楽が震える声で聞くと愁苑は頷く。そして香恋も。
「何で? 何で知っているのにも関わらずそんな態度を取れるの? 代表は隠していたんだよ? 陰で何も知らない私達を見下していたんだよ」
香恋は愁苑の平静な態度を信じられないようだ。それを見た愁苑は御神楽の方を向いて。
「代表。私はこの香恋と少々話したいことがあります。ですので、席を外してくれるとありがたいのですが」
その提案に御神楽は少し考える。
御神楽の葛藤を見た愁苑はさらに。
「決して代表の損となる行動は致しません」
その言葉に御神楽は。
「分かった。後は任せる」
愁苑が抱き抱えている静夏を受け取ろうとしたが愁苑に遮られてしまう。
「申し訳ありません。彼女もここに置いてほしいのですが」
更なる要請に御神楽は肩を竦めて。
「駄目だと言っても聞かないだろう。なら、好きに任せる」
そう言い残して御神楽は教室を去って行った。
「さて、二人きりになりましたね」
淡々と愁苑が呟く。そして、香恋が警戒感を愁苑に向ける。
「そう固くならないで下さい」
その言葉に香恋は笑って。
「はっ、心理操作系統者の前で気を抜くのは自殺行為よ」
そう宣言する。
心理操作系統者を相手にする場合、常に気をつけておかねばならないことは絶対に気を許さないこと。彼らは少しの隙があればそこから入り込み、相手を支配する。
「そうですか」
愁苑は軽く肩を竦めるだけだった。
「さて、本題に入りましょう。下柳さん、あなたは生徒会長を知っていますか」
その問いに香恋は少し考えて。
「生徒会長? 御神楽圭一じゃないの」
そう軽蔑の意味を込める。それに対して愁苑は首を振って。
「御神楽様はあくまで中央校舎生徒代表です。この校舎ではトップですがこの夢宮学園全体でみるとそうではありません」
その説明に香恋は目を丸くして。
「えっ! そうだったの?」
愁苑は軽く頷いて。
「生徒会長はこの夢宮学園のトップ、つまり全体を統括する立場です。ゆえに、外の世界との繋がりもあるはずでしょう」
「まあ、それは考えられるわね」
納得するように香恋が頷く。
「生徒会長は二年の各校舎代表から選ばれます。その方法とは外世界に卒業生が最も活躍した校舎の代表が生徒会長に指名されます」
と、ここで一泊置く。
「私の願いは外世界がどんなものか探ることです。それゆえに代表は会長に就任してほしいのです。ここで同盟を結びましょう」
愁苑が提案を出す。それに香恋はニヤリと笑い。
「お互いの利益のため二人でこの中央校舎を良くしましょうってね」
その提案に香恋は面白そうに笑う。
「それは面白いわね。私はこんな世界を作り上げた人を全員殺したい。そしてあなたは外世界を知りたい。なるほど、確かにお互いの利益のため組むのは悪くないわね」
香恋が物騒なことを言う。しかし、それを聞いても愁苑は表情を変えず。
「そこは想像に任せます」
そう述べるに留めた。そして、静夏の方を向いて。
「彼女の能力は強大です。出来れば手元に置いておきましょうか」
放心状態の静夏に向かって非情なことを言い放つ。
「おっけ、暗示は私がやっておくわ。一応私は丁型だけど今の静夏の状態なら楽々かけられるわ」
そう言い、静夏へと近づく。だが、そこで愁苑が阻み。
「どうせなら二人が暗示をかけましょう。その方がお互いを監視できます」
そんな提案に香恋は笑って。
「確かにね。催眠状態になるには私と闇鴉二人のキーワードがなければならないようにしておきましょう。抜け駆け防止という意味で」
親友に向かって非情なことを言う。
「では、始めましょうか」
愁苑が静夏へと近づく。
「うん、りょーかい」
それに伴って香恋も愁苑と同じように接近した。
と、ここで愁苑が立ち止まって香恋の方を向く。
「そういえばお忘れでしたか」
「ん、 何?」
と言って香恋は首を捻る。そして愁苑は香恋の首を掴んで強引に目を合わせた。
「心理系統者の前では決して隙を見せてはならないと」
「なっ!」
香恋が驚いた声を出すと同時に愁苑は香恋に暗示をかけた。
香恋は目を虚ろにして立ち止まる。そこには先ほどまでのギラギラした光はない。
精神崩壊している静夏と暗示をかけられて虚ろになっている香恋。そんな二人を見ながら愁苑は粛々と己のやるべきことを実行した。
「それで、円道君と下柳君はどうした」
生徒会室で報告を受け取っていた御神楽が愁苑に聞く。
「別に何も。円道さんは心の傷を思い出さないよう暗示をかけて下柳さんはラグナロク計画に関する全てを忘れてもらいました」
「なるほどな……しかし、何故下柳君は生徒会長選出の方法というデマをあっさりと信じたのか。普通考えれば分かるはずだろう」
生徒会長を務めるためには自分達の校舎をより良いものにしなければならない。そんな話などあるわけがない。
ここは夢宮学園。各校舎の特色が大きく出ている学園。その特色の一つから全体の統括を出そうとすれば必然他の特色が薄れてしまう結果になってしまう。
それではラグナロク計画の本末転倒だ。多様な人材を輩出する目的であるこの夢宮学園に統括者は不要な存在だろう。
「しかし」
と、続ける。
「カラス、今度から生徒会長を出すことは控えろ。次に出すと君は万が一“消されてしまう”可能性がある」
「はっ」
生徒会長は実在する。だが、その存在は限られたごく一部しか知らない。知るのに相応しくないと判断された生徒は存在を消されてしまう。
そして、愁苑は淡々と報告を行う。全てを聞き終わった後御神楽は気になっていたことを話す。
「カラス、本当に何も思わないのか?」
「何も、とは」
愁苑は首を傾げる。それに御神楽は少し躊躇い。
「自分達がクローンだという事実だ。普通泣き喚くかと思うのだが……って、どうした、何故笑う?」
途中から愁苑が笑い声を上げ始めた。御神楽が責めると愁苑は涼しい顔で。
「興味ありませんので」
そっけなくそう述べた。
「興味ない?」
御神楽は燻し気な表情を作る。
「はい、私は自分や他人、そして世界について興味がありません。私に興味があるのはただ一つ、代表のことだけです」
そう言いって御神楽に熱い視線を送る。
それを御神楽は苦笑して手を振った。
「ああ、それと」
愁苑が思い出したように御神楽へ告げる。
「生徒会入会希望者が現れました」
「ほう」
御神楽は感嘆の溜息を洩らす。
「ちょうど人手が欲しかったところだ。その生徒達は今どこにいる」
御神楽は手をそわそわさせて気分を表せる。だが、その生徒達が入ってきた時、御神楽は机に突っ伏す羽目になった。
「新しい入会希望者は」
愁苑が音頭を取る。
「円道静夏と下柳香恋です」
「「よろしくお願いします御神楽様」」
そう同時に二人は頭を下げる。御神楽はあまりの脱力感から起き上がれなかったが、自分の名前の後に付いている名称に疑問符を付けた。
「御神楽、様?」
ギギギ、と首を上げる。すると二人はほぼ同時に。
「「私達は御神楽様を尊敬しております。ゆえにあなた様からの命令であればたとえ火の中水の中でさえ飛び込んで見せましょう」」
呼吸ピッタリにそう言う。御神楽が奇妙な表情を作って愁苑を見た。
「二人には暗示をかけておきました。何故なら、円道の能力や下柳の知恵は生徒会にとって必ずや利益をもたらすからです」
全く悪びれもせずに愁苑は頭を下げた。
「どうか私の愚行を受け入れ下さい」
御神楽は何か言おうと口を開いたが思い直して別の言葉を口にした。
「二人は操られているだけだ。特に円道君は哀れな犠牲者だ、利用するわけにはいかない」
そう苦虫を噛み潰した様な声で拒否の意向を伝える。しかし、愁苑は薄く笑って。
「代表、あなたは誰ですか?」
その不可解な問いに御神楽は眉を潜めて。
「誰、とは。僕は中央校舎生徒代表だが」
御神楽の答えに愁苑は頷いて。
「ええそうです。御神楽様は生徒代表です。誰かを救うヒーローでも破滅を目論むヒールでもありません」
御神楽は衝撃を受けたかの様に詰まった。愁苑が自分に何を言おうとしているかが大体予想が付く。
「……つまり、僕は中央校舎を管理する者であり、それ以上でもそれ以下でもない。つまり、中央校舎のために二人を利用しろと言いたいのだな」
苦々しい口調に愁苑は更に唇の端を吊り上げて。
「はい、その通りです。ゆえに代表は時に悪魔の力を借りてでもこの中央校舎を管理しなければならないのです」
そう自信満々に言い放つ。そしてさらに愁苑は。
「これは代表のためを思っての行為です」
そう抜け抜けと言い放った。
御神楽は頭を押さえて溜息を吐き。
「…………好きにしろ」
辛うじてそう述べた。
「さて、今日が最終日か」
早朝――御神楽はいつも通りにスカートに足を通して女装する。
「まあ、この変装も今日が最後だ。名残惜しいと言えば名残惜しいな」
鏡に映った美少女が苦笑する。
「よし、行こう」
そう自分に気合を入れて御神楽は生徒会室から出て行った。
クラスに着き、教室に入ると何やら雰囲気がおかしい。御神楽は近くにいた静夏に訳を聞く。
すると静夏は寂しそうに笑って。
「はい、実は私、クラス委員を圓道さんに譲ったのです」
「譲った?」
御神楽は首を捻って聞き返す。
「はい、一連の事件で私はクラス委員に向いていないことを悟りました。ですから、もういいのです」
「良くないだろ」
鋭く御神楽が言い返した。
「私は言ったと思うけど円道さんはクラス委員に相応しいと思う。だから、もう一度だけやってみれば変わると思う」
そう説得する。しかし静夏は首を振って。
「良いんです、自分の実力は分かりましたから」
そう言って寂しそうに笑った。
御神楽は誰にも聞こえない音量で。
「すまない」
と、呟いた。
そして臨時のHR。そこには光坂に推薦されて迷惑そうだがしっかりとした表情の東花がクラス委員としての宣誓を行っていた。
周りから拍手が起こる。
「頑張ってくれ」
御神楽はそう呟きながらも新しいクラス委員に拍手を送った。
――放課後
黄昏が空を支配する中、生徒会室で唯一人御神楽が待っていた。用件は光坂との話し合いについて。
しばらく後、ドアが開いて緊張した面持ちで光坂が入室してきた。
「一週間他のクラスでの活躍御苦労だった。」
御神楽は厳しい表情のまま光坂に聞く。
光坂は声も無く頷くだけ。
御神楽は光坂の緊張をほぐす為に冗談を飛ばした。
「本当にいいのか。告白してきた彼女を悲しませる結果になるかもしれないぞ」
その冗談に光坂は目を丸くして。
「えっ? 何で代表は僕が圓道さんから告白されたことを知っているのですか」
「……何?」
数秒間気まずい沈黙が流れる。
「光坂君は確か榊宮君と付き合っているのでは無かったか?」
御神楽が口を開く。
「いいえ、付き合っていませんよ。誰がそんな嘘を」
すると光坂は慌てて否定する。
「……椿原君」
御神楽はため息をついて頭を抱えた。
「まあいい、話を戻そう。準備はいいか」
その質問に光坂は「はい」と答える。その眼に迷いはない。
「よし、分かった。では聞かせてくれ。君の考えを」
そう言い、光坂の言い分に耳を傾けた。
「僕はこの中央校舎が大好きです」
そこから始まる。
「この中央校舎は生徒自治が確立されている。ゆえに生徒全員が己のなすべきことを自覚して動いている。だからここまで校舎が大きくなり、生徒全員の眼が輝いています」
「ふむ、そう褒められると嬉しいな。ここまで頑張って来た甲斐があるというのものだ」
光坂の評価に御神楽が頷く。
「僕はこう考えました。そろそろ次の段階に進むべきではないかと」
「次の段階?」
その言葉に御神楽が反応する。光坂が頷いて。
「ええそうです、次の段階です。僕達が一体何であるか、どういう目的で作られたのか知るべき時であると考えました」
「ほう……」
「確かに真実は衝撃的でしょう。耐え切れないことかもしれません。しかし、事実を受け入れることが出来たら僕達はもっと強くなれるでしょう。精神的にも社会的にも」
そして、最後にこう締め括る。
「代表、僕達がクローンだという事実を発表しましょう。そして、僕達生徒会は事実を知って暴走しないよう導きましょう」
長い、長い沈黙が訪れた。光坂は真剣に御神楽の眼をしっかりと見据え、御神楽は考え込むかの様に机に目線を下げていた。そして。
「く、クククはははははははは。はーーーーはっはっはっはっは!」
突然御神楽が爆笑した。笑い過ぎて腹が痛いのか体を丸めて突っ伏している。
「何がおかしいのですか!」
笑われるとは予想外だったのだろう。机をバンっと叩いて御神楽に抗議する。
「ククク、いやあすまない。光坂君の理想があまりに理想過ぎてな。笑いを抑えることが出来なかった」
眼尻に涙がたまっている。それを拭いながら御神楽は話し始めた。
「確かにそれが理想だ。自分達が何であるか知り、そしてそれを受け入れる。それが出来たらもう最高だな。僕達生徒代表は苦しまなくて良くなる」
だがな、と御神楽は続ける。
「皆に真実を伝えた場合、それが中央校舎だけの話になると思うのか? 然的に他の校舎にも話が伝わりこの中央校舎だけでなくこの学園全体の問題へとなってくるぞ」
指を組んで淡々と続ける。
「この校舎だけなら問題は無い。何かあろうとも最悪この校舎に在籍していた生徒の口を封じれば何も問題はないからな」
その口封じが死を意味するとしてもな。
御神楽は心の中で嗤う。
「しかし、情報というのは伝わる速度が速い。自分達がクローンだということを他校舎の生徒まで知れ渡ってみろ。この校舎どころか夢宮学園全体を巻き込んだ問題にまで発展するぞ。そして、学園に住む全生徒が反乱を起こして上から処分命令が下され、そして僕達は全員皆殺しだ」
御神楽はその恐ろしいほどの凍りついた眼で光坂を射抜く。
「そ、それは……」
光坂は口籠ってしまう。
「それにな、その事実は僕達がここを卒業し、社会の一員として加わる際に公表される。だからそんなに焦る必要はないぞ」
光坂は黙る。俯いて視線を彷徨わせている。
それを見ながら御神楽は安堵した。
おそらく光坂君も自分の考えが正しいと感じたのだろう。だから迷っている。
それでいい、世の中にはどうにもならないことがある。どれだけ足掻こうとも変えられないものがある。大事なのはそれを認めて自分に出来ることを考えて行動することから全てが始まる。
「光坂君、辛いのは分かる。堪え切れないのもわかる。僕もそうだった、何度立場をかなぐり捨てて事実を公表したいと思ったか。しかし、僕はしなかった。何故ならその行為はだれも得しないからだ。単に自分が楽になりたいだけだったからだ」
御神楽は一転して優しく語りかける。
「僕は君の辛さが理解できる。だから何か困ったことがあれば遠慮なく言ってほしい。君の苦悩は僕も経験しているから絶対に君の力になれる」
そう締め括った。数秒の沈黙後光坂が口を開く。
「……ならいいですか?」
「ん、何だ?」
小さくて聞き取れなかった。御神楽は光坂に聞き返す。
「なら、全ての校舎代表が僕の意見に賛同してくれたら公表してもいいですか!」
叫ぶように光坂が目をむき、その気迫に御神楽は一瞬ひるむ。
「代表は反対する生徒代表がいるから駄目だと言った。なら、反対する代表がいなく、学園全体の合意として発表すれば問題はないのでは!」
突然の変貌に御神楽は驚くもののすぐに無表情へと戻る。
「出来るのか? 中央校舎は生徒自治が根幹とした校舎だ。生徒達の意識も高いから君の言うように生徒はすんなりと事実を受け入れるかもしれない。だがな、ここと他の校舎を一緒にしない方が良い。教師の命令を絶対とした校舎どころか生徒に自由さえ与えていない校舎さえある。信念も心構えも違う各校舎代表達が容易に賛同してくれると思うな」
突き付けられる言葉の前にも光坂は怯まず。
「『やってみなくては分からない、まず行動してから全ては始まる』そう言ったのはあなたでしょう! 代表!」
その言葉に御神楽は頭を掻き毟り。
「光坂君。僕はそういう意味で言ったのではない。『どれだけ素晴らしい考えがあろうとも行動しなければ何も変わらない』だ。しかし、君の場合はどうだ? 僕が出した疑問に答えていないではないか?」
それに。と、続ける。
「それにな、他の校舎に干渉するということはその校舎から不快な印象を与える可能性を否定できない。生徒会役員そして校舎代表という立場だと自分だけでなく校舎全体が迷惑を被るのだぞ。最悪外交に甚大な支障をきたし、試合や文化交流などを受け入れてもらえなくなる。そのとき、困るのは生徒達だ、それを分かっているのか」
御神楽の弁にも光坂は怯まない。
「なら、生徒会役員でなければいい! それなら迷惑はかからない!」
そう強気に言い返すが、御神楽は溜息を吐いて。
「あのなあ……己の校風に反する組織を各校舎が許すと思うのか。張本人だけでなく在籍している校舎も弾劾されるぞ。しかもその場合、火消しが厄介なため間違いなく学園から孤立してしまうだろうな」
「じゃあどうすればいいのですか! あれもダメ、これもダメ。代表は全て否定しているだけでしょう!」
光坂が叫ぶ。それに御神楽は一拍置いて。
「なら、譲歩しよう」
そう切り出した。
「光坂君は生徒会役員となって一年間僕の傍に付き添って働き、他の校舎の校風を実感しろ」
「それのどこか譲歩なんですか!」
光坂が机を挟んで御神楽に詰め寄る。
「話は最後まで聞け。そして一年間務めきった時、僕が君の理想を実現するために他の校舎代表と話し合う場を用意しよう。君はそこで自分の正しさを証明すればいい」
御神楽の提案に光坂は額に皺を寄せて考える。その提案のメリットとデメリットについて深く考える。
御神楽は指を組み直して光坂の答えを待つ。
完全に落ち切る程の時が過ぎてようやく光坂が口を開いた。
「…………お受けいたしましょう」
小さく呟く様に漏れたその言葉に御神楽は深く頷いて。
「そうか、それは良かった。これから一年間よろしく頼む」
そう言って手を差し出すも光坂はそれを払い除けて。
「僕は代表のことが嫌いです」
そう吐き捨てて足音も荒く生徒会室から出て行った。
「カラス」
御神楽は振り向かずに愁苑を呼ぶ。隣から「ここに」と返ってきた。
「光坂を監視しろ。つかず離れずの立場を貫いて彼の行動を逐一報告するように」
その底知れない冷徹な声色に愁苑が身震いする。
「はっ。しかし、何故そこまでするのですか。光坂の理想は代表の理想と似通っている気がすると考えますが」
愁苑の疑問に御神楽は首を振る。
「カラス。疑問に思ったことはないか、何故中央校舎の生徒会は僕一人でしかも二年生なのか」
生徒会というのはどれだけ少なくても三人――会長、幹事そして経理が必要。そして他に副会長や書記を合わせた五人の下で働く雑用係が存在し、多い校舎では生徒会役員が三十人に上るところもある。
「確かに、言われるまで疑問に思いませんでした」
愁苑がはっと気づく。
中央校舎の生徒会は御神楽ただ一人。それは何故なのかその理由を話し始めた。
「僕が生徒会に入ったのは一年だ。その時にはおそらく五十人以上いたぞ。何せ一万人を擁する巨大校舎だからな、それぐらいの人数が必要だった」
愁苑は御神楽の話を興味深そうに耳を傾けている。
「だが、ある時僕一人を残して全員消えた」
消えた。その言葉を発するときの声は僅かに震えた。
「元代表は光坂君と瓜二つだ。誰かのために怒り、自分のことは省みない癖に他人の事になると黙ってはいられない。誰からも慕われるのに何故自分がこんなに慕われるのかが分かっていない。謙虚なのか無鉄砲なのか、よく分からない人だった」
その声音には懐かしむ様な響きが含まれていた。
「僕もその理想に賛同した一人。いや、させられた、かな。正直な感想を言うと当時僕は元代表から真実を知らされて心が不安定な時に理想を聞かされたからな」
御神楽は苦笑する。
「そして僕は元代表の手足となりこの夢宮学園中央校舎に貢献した」
そしてある時、生徒会が中央校舎の生徒達に自分達がクローンであることを公表する日だった。
「だがそこで事件が起こった。何だと思う」
御神楽が唇を吊り上げて愁苑に聞いた。
「何かが現れた。発表の最後の詰めとして生徒会役員全員がこの場所に詰めていた時に現れて僕一人残して全員目の前で消された」
沈黙が辺りに落ちた。そして、愁苑が声を出す。
「しかし、五十人以上死んだのならそれは大きな事件になっているはずです。私の情報網でもそんな事件なんて欠片も出てきませんでしたよ」
光坂の言葉に御神楽は沈痛な面持ちで首を振る。
「違う、光坂君。“死んだ”のではない“消された”のだ。生徒会役員五十人以上が始めからいなかったことになっている。彼らの行ったこと、残したこと、それら全ての痕跡すら残ってはいない」
「そんな馬鹿な。対象の痕跡を消すなんていう超能力。それは一体何系統の能力ですか」
「それも答えることが出来ない。それに関する事項に僕は一切答えることが出来ないのだ」
その言葉に光坂は首を振って窓の方を向く。
窓の外にはすでに日が堕ち、教室や寮の電気が存在感を放ち始めていた。
「そして一人残された僕は何かから中央校舎の生徒代表と名乗るように言い渡された。そして次の日、生徒はまるで生徒代表は昔から僕一人だったように、生徒会は僕一人で動かしていたように認識させられていた」
そこで御神楽は目を瞑り、フウッと息を吐いた。
「この話はもう終わりだ」
「御意に」
愁苑はまだ納得してないようだったが御神楽がこれ以上話すことはないと判断し、渋々了承した。
「おお、御神楽はん。お久しぶりでんなぁ」
第一体育館のとある一席に座っていた御神楽に後ろから声をかけられた。御神楽が振り向くと。
「ああ、宮原代表か」
その恵比須顔を見て御神楽は返事をする。
「しかし、御神楽はんの隣にすわっとる生徒は一体誰でっか?」
宮原は御神楽の隣に座っている光坂を見てそう言う。光坂はぶすっとした表情で無視する。
「次の中央校舎生徒代表の光坂一だ。すまないな、愛想がなくて」
御神楽が苦笑する。それに宮原は「ええよ、ええよ」と言って。
「それは仕方ないなぁ、生徒代表候補なら光坂はんのような時期もあろう」
次に宮原は神妙な顔つきになって。
「光坂はん、今は辛いと思うけど頑張りいな。その気持ちはわても御神楽はんも経験しよる。何か御神楽はんにも相談できんことがあればわてにも相談してくれていいで」
そう光坂に語りかける。すると光坂はそっぽを向いた。
「光坂君、宮原代表に失礼ではないのか」
御神楽がそう注意しても光坂は答えない。それに御神楽は溜息を吐いた。
「しかし、本当に女子バスケット部は頑張ったよな」
御神楽は話題を変える。宮原は「ほんまやな」と相槌を打って。
「あの練習試合からお互い切磋琢磨し合って強くなり、この大舞台にまで立ったんやからなぁ」
「その大舞台を立役者が君だ。光坂君、胸を張っていいぞ」
そう言って背中をバシッと叩くと光坂は少し呻いて「別に」とそっけなく答える。
どうやら本気で自分のことを嫌っているらしい。「これは心を開くのに時間がかかるな」と呟きつつコート内を見る。
「ほら、選手入場や」
宮原が勝手口を指差す。するとそこから第二専門校舎と中央校舎の女子バスケットボール部の選手が入場を始めた。
雫は表情が硬く、緊張しているようだったが隣の汐海に脇をつつかれて驚き、表情を崩す。
今は互いにアップをし、最後の調整に入っている。
「ついに始まるなぁ、決勝が」
宮原は興奮を抑えて呟く。
年に二度ある夢宮学園の校舎全体で行う女子バスケットボール大会決勝。
お互い前評判を覆して強豪や伝統校を打ち破ってここまでたどり着いた。
ここに至るまでの苦労は言葉で表せないほど濃く、辛く、厳しいものだった。
「ああ、今回も勝たせてもらうけどな」
御神楽が挑発する。それに宮原は目を向いて。
「そんなことはあらへん。彼女達はなぁそれはそれは厳しい練習をしてきたんや。負けることなど万に一つもあらへん」
その反論に御神楽は笑顔で。
「大丈夫だ。もし負けそうになったら光坂君を突撃させるから」
その言葉に光坂は驚いて振り向き。
「そんなことは二度としません!」
と慌てて宣言する。しかし、宮原は驚いた表情を作って。
「そうか、その手があったか。どないしよう、ここで光坂はんを簀巻きにしておこうや」
「や、止めてくださーーい!」
光坂は絶叫を上げた。宮原は光坂を見て笑い、御神楽も含み笑いをする。
ここは夢宮学園。多数の校舎が存在し、その校舎は生徒代表が仕切っている。
生徒も生徒代表も過去の偉人から作られたクローン。
しかし、それでも皆生きて笑って足掻き、苦しみ、そして喜ぶ。
御神楽が卒業するまで後二年弱。その時まで御神楽は生徒代表として中央校舎を引っ張っていこうと心に決めていた。
試合開始のブザーが鳴り、お互いのセンターがボールを取り合う。
最初に手を触れたのはどちらなのか。