もう逃げないと約束した
プロ野球選手だった尾道駿介を覚えているだろうか。
セ・リーグとパ・リーグに跨って四球団を渡り歩き、ホームラン王一回、現役最後は代打の切り札として大活躍した。プロ野球ファンならば「ブチ抜けカンバン、オーノミチ」の応援を懐かしく思い出すに違いない。
今、彼は五十になろうとしているが球界を離れて久しいため、その後の彼の人生を知る人は少ないはずだ。
その後の彼を知ったのは、私が肝臓がんで入院し、最悪の時期を抜け出した頃のことだった。
がんと闘ったことのある人ならば、誰もが思い出したくもないであろう放射線治療や投薬の副作用。緩和ケアで受けるモルヒネにより痛みからは束の間解放されるが、自分が自分でなくなる姿を身内に曝すことになる。私も投薬と放射線治療の副作用に苦しみ、モルヒネの副作用の眩暈や眠気、嘔吐感で自分を失っていた。
尾道氏に出会ったのは、そんな最悪の三ヶ月間を経て副作用が改善され、ゆっくりと自分を取り戻し、下の世話も他人に頼まなくても良くなったある日のことだった。
天気のよい日はリハビリの後、車椅子を転がして病院に付属する庭園を一周する。
初夏の陽射しは青々とした芝を際立たせ、咲き誇る菖蒲の葉が硬質のプラスティックのように輝いている。少し汗をかいた私は、円形花壇の先にある東屋を目指した。そこは緩やかなスロープの上で、体力が回復途上にある私には少々ハードな運動となった。数メートル進んではブレーキを掛けて停まり、息を整えてからブレーキを外す。それを三度繰り返し、東屋まで十メートルほどになった時。
「押しましょう」
同年輩の男性が私の前に回りこんで声を掛けた。見舞いを含め親切な人間はがんの専門病院には多いが、その男性は私の目線に合わせるためにしゃがんで、微笑んだ。以前の私なら胡散臭げに断っただろうが、病気は私の人間観を変えていた。
「ありがとうございます、あそこまでお願い出来ますか」
男性は頷くと後ろに回り、
「いいですか?押しますよ」
彼はゆっくりと車椅子を押して東屋の前で停まり、私の手を取って東屋に入る介助をしてくれた。
ポロシャツにジーンズ姿の男性は肉体労働に従事している者に共通する羨ましいほどの筋肉の持ち主だった。程よく日焼けした顔には微笑が絶えない。
「助かりました、ありがとうございます」
私が礼を言うと、彼は被りを振って、
「知り合いが入院していまして、彼が治療中なので待っているんですよ。だから御気になさらず」
その時、どこかで見た顔だと気付いたが、確信はなかったので、
「今日は少し暑いくらいですね」
「ええ。いい季節になりました」
「私は小さな出版社に勤めていますが、お仕事は何を?」
「農業をやってます」
通りで、と思ったが雑誌記者という商売柄、もう一歩踏み込む事を抑えられない自分がいた。
「それはご苦労様ですね。ところでテレビか何かにご出演された経験はありますか?」
彼は一瞬私の顔を直視したが、
「昔、野球を少々やっていました」
私の記憶が目の前の男性と一致する。東京ドームで贔屓のチームを応援した時。相手チームの五番打者。こちらのストッパーからものの見事にサヨナラホームランをかっ飛ばした男。
「『カンバン直撃男』の尾道さんですか!」
彼は私の反応に少々照れた。
「そうです」
私は商売柄、人から話を引き出すことに慣れていたが、それを楽しんでやっていたわけではない。取材のインタビューというものはうまくいく時の方が圧倒的に少なく、締め切りと良い記事を書きたいという願望との葛藤で自分をすり減らす。不規則な生活とストレスが私を病気に追い遣ったと言っても過言ではないだろう。治療中は二度と記者なんかするものか、と思ってもいた。
だが、尾道氏に対した時、彼の話を聞きたいという欲求は喉の渇きにも似た切迫したものだった。私は自然、熱を込めて即席インタビューを開始していた。
Q 農業は大変ですか?
A 大変ですが楽しんでやらせて貰っています。
Q 何を作っていらっしゃるので?
A 葉物、根菜、豆、何でも作ります。
Q 畑はご自分のもので?
A 仲間と借りています。
Q 何ヘクタール?
A 五ほど。
それは広い!大変ですね。
まあ。
Q 出荷は、市場へ?それともJA?
A 契約栽培でスーパーに卸しています。
Q じゃあ、無農薬とか何か?
A そうです。無農薬・有機農法でやらせて貰っています。
一通り仕事のことを伺うと、次第に核心へ踏み込んで行く。
Q 現役を引退してからずっとおやりになっていた?
A いいえ。
Q 引退直後は何を?
トライアウトをご存知ですか?
ええ、一種の入団テストですよね?
まあ、そんなものです。私はそれに賭けていた。
尾道は最後の球団を自由契約になった後、その球団を含め数球団からコーチの誘いを受けたと言う。しかしあくまで現役に拘った彼はその申し出を蹴って現役で雇ってくれる球団を待った。しかし、代打としても峠を越えた彼に声は掛からなかった。彼は自由契約になったプロやドラフトに声の掛からないアマがプロの門を叩く十二球団合同トライアウトに挑戦した。
試合形式のテスト第一試合。元ドラフト一位投手からいきなりセンター前ヒット。その後の打席は惜しい当りのレフトライナーと見逃し三振。結果は三打数一安打。可もなく不可もなしと言った結果となる。
第二試合。アマ球界から参加した投手から三振とピッチャーゴロ。そして最後の打席に立つ。マウンド上は前の回から投げている長身の投手。
「僕は、高校の時はピッチャーをやっていて甲子園に二回行きました。トライアウトの相手は同じ高校の控え投手で、社会人野球でエースになっていた男でした。会ったのは十年振りくらいでしたね」
ツーアウト、ランナーセカンド。セットポジションからの一球目。鋭く落ちるスライダーを空振り。二球目。インコースストレートをファウル。牽制が二球続き、追い込まれた三球目。
「彼はその日私に回るまで無安打無四球、二三振を取っていた。僕を打ち取れば見守るスカウト陣にかなり好印象となったはずでね。こっちも後がないから正に真剣勝負というやつですよ」
再び外角低めに決るスライダー。ボールはあわや空振りと見えた尾道のバットの先に当りキャッチャーミットを掠めてファウルグラウンドに転々とした。
尾道は続く四、五、六球もカットし続け、七球目、外角を見送りボール。次の内角胸元すれすれのストレートも一歩外して避ける。
ツーエンドツーの九球目、投手は勝負球であるフォークを外角へ。尾道はこれにもバットの先で対応し、ファウル。
見守る選手もスカウトたちも真剣勝負に身を乗り出していた。十球目、はっきりボールと分かるフォークのすっぽ抜け。キャッチャーが辛うじて前にこぼし、ランナーを走らせない。いよいよフルカウント。ランナーがスタート、投手はランナーを無視して打者に対し、振り被って渾身の一球を投げた。
「ストライック!バッターアウト」
尾道はフルスイングの後尻餅を付いていた。暫くそのまま肩で息をしていたが、やがて静かに立ち上がり、バットを拾うとダッグアウトへ消えた。
「スカウトの中にはさすがだ、と、誉めてくれる人もいましたがね……」
三十八歳の彼が球界に呼ばれることはなかった。
尾道にはその八年前に結婚した妻がいた。子供はいない。
Q 奥さんは確かモデルの方でしたよね?
A そうです。
Q 奥さんはあなたが引退する時、何と仰いましたか?
A 野球を取ったらあなたには何もない、何か野球に関わる仕事をしたら?と言いました。
Q コーチの話を断って現役にこだわった時は?
A 諦めずチャレンジして、と励ましてくれました。
Q トライアウトの後は、どうされました?
A 妻が就職活動を応援してくれまして、知人に頭を下げて私に仕事を見つけてくれました。
尾道はプロを去った選手たちが辿る典型的な第二の人生を始めた。慣れないデスクワークと営業廻りの毎日。会社は彼がプロで培った粘り強さと知名度を期待する。営業成績はそこそこだったという。しかし、彼の中にある野球への未練は大きく、彼にとっては煮え切らない日々が続いていた。そんなある日。
「妻ががんと診断されまして」
乳がんが進行していた。既に肺に転移が見られた。
尾道は献身的に看病した。会社を休職扱いにしてもらい、毎日病室で世話をした。
「あなた。野球をやって」
ある日。病室で彼女は言った。
「あなたは野球を辞めてから顔付きが変わったよ。以前のように笑わなくなった。私は野球をしているあなたが一番素敵だと思う。私は大丈夫。野球をやって、あなた」
「でも、僕を雇ってくれる所なんてないよ」
「あなたは現役にこだわりたいのでしょうけれど、いいじゃない、後進の指導をしても。あなたが苦労してここまで来たのは私が知っています。きっといいコーチが出来ると思うの。きっと声をかけてくれるところがあるわ」
その日以来、事あるごとに野球の指導者としてもう一度後進の指導をしたいと口にした。プロからはやんわりと門前払いをされたが、当時ブームだった独立系のリーグから声が掛かった。さっそく彼は会社を退社するとそのうちの一球団と契約を交わし、ヘッドコーチとして入団した。
「よかった。ほんとうによかった」
妻はユニフォーム姿に喜んだ。最近は臥せっていることが多かったが、この時は起き上がっていて、こころなしか顔色も良かった。尾道は自分の態度が妻に勇気と励まし、何よりも生きる気力を与えていると実感した。
尾道の、野球と看病に没頭する日々が始まった。
セ・パ十二球団と違い、独立リーグのチームで専用グラウンドを持っている所は稀だった。尾道の所属するチームも例外ではなく、公営の河川敷グラウンドを時間で借りていた。
尾道コーチの姿は練習の二時間前にグラウンドにあった。まだ新人選手すら現われない時間、小石を拾い集め雑草を抜く。自らグラウンドキーパーで土を均す。ほうきでマウンドや塁周辺を掃き清め、ラインを引く。やがて、その姿を目にした選手たちも次第に早めに集合し、一ヶ月もすると練習一時間前には選手たちと肩を並べ、グラウンドを整備する尾道コーチの姿があった。厳密には借用時間前だったが、グラウンドを管理する役人たちも見て見ぬ振りをしてくれた。
チームは弱小だったが、監督は過去、甲子園にたった十五人の登録選手で出場し、準優勝まで勝ち登った人物。指導には定評があった。物静かだが選手の信頼が厚い監督を、尾道は熱血指導と明るく実直な態度で支えた。
ベンチから飛ぶ尾道の怒声と励ましは選手たちを熱くさせ、勇気を与えた。次第にファンも増えて、現役時代を髣髴とさせる彼の姿はそのリーグの風物詩となっていった。
一年目の成績は五チーム中三位。決して良くはなかったが、尾道の加入前、リーグ一年目の成績は最下位だったのだ。碌な補強が出来なかった球団としては上出来だった。その功績は選手のがんばりと尾道コーチの存在と言えた。
尾道のもう一つの闘い、妻のがんとの闘いもクライマックスを迎えていた。
がんの進行は若いが故に予断を許さなかった。治療は様々な方法が試みられた。新薬も使い、新しい緩和ケアも験された。痛み止めのモルヒネもなかなか効いてくれず苦痛に耐える妻の背中を、尾道は何時間もさすり続けた。試合直後ユニフォーム姿のまま掛け付け、放射線治療で疲れ切って眠る妻の手を一晩中ずっと握っていたこともあった。
尾道が独立リーグに参加して二年目の開幕を迎えた頃、彼は医師から最も怖れていた言葉を告げられた。
「残念ですが、奥様の余命は半年です」
「先生、何とかしてやってください」
その言葉しか浮かばず、医師の手を取って、
「何とか助けてください、お願いです」
医師はしばらく黙ったまま言葉を探り、やがて、
「今までと同じく、私が出来る手は尽くします。それは約束出来ます。しかし、それ以上になったら、許してください」
二十年に渡ってがんと闘って来たその医師も辛かったのだろう、目尻に涙を溜めていた。医師が全力を尽くすことは尾道にも分かっていた。しかし、同じ言葉を繰り返すしかなかった。
「先生、何とか、お願いします」
尾道の妻は次第に衰弱して行く。薬の影響で朦朧としている時間も長く、尾道が傍にいても気付いていないのか、掛ける言葉にも反応が薄いことが増えて行った。
彼は球団にお願いして妻の容態が安定するまで休業させて貰った。球団の成績的にも興行的にも尾道を頼りにしていたフロントはいい顔をしなかった。しかし、事情を知っていた監督や選手たちの嘆願もあって休むことが出来たのだった。
「野球はどうしたの?」
ある日、珍しく意識がはっきりしていた妻が声をかけて来た。
「休みだよ」
窓辺で球団から贈られた花束を花瓶に活けていた尾道は曖昧に答えた。しかし、察しの良い妻は被りを振って、
「私のことはどうでもいいの、ねえ、野球をやって」
「そうは行かないよ。君は僕が野球をやるためにあんなにがんばってくれたんだもの。今度は僕ががんばる番だよ」
しかし彼女は被りを振り続ける。
「私はいいの。私はあなたが野球をやって欲しいから、野球をやる姿を見ていたいから……」
半分起き上がった妻に慌てて駆け寄り、押し留める。彼女は苦しそうに息を吐くと、
「お願い、野球をやって」
搾り出すように呟き、眠った。尾道は深い吐息を吐くと、いつまでも彼女の手を握っていた。
その日はあっけなく、突然にやって来た。
秋の澄み切った大気が雲を高く高く、薄衣をなびかせるように走らせている。さわやかな風が吹き抜け、街路樹をかさかさと鳴らせていた。
尾道は疲れた目を擦り、思わず湧いて出たあくびを押し殺した。この三日ほどは夜も良く眠っていなかった。
意識が混濁しては醒め、混濁しては醒めることを繰り返していた妻は一ヶ月前に緩和ケア専門の病棟に移っていた。がんセンターの隅にあるそこには平屋の個室が並び、ひっそりと静まり返っている。以前はホスピスと呼ばれた末期がん患者が最期を迎える場所だった。四日前には血圧や心拍数などの測定機器も外して貰った。その時を刻むかのような電子音が刻一刻と近付くその時を暗示するかのようで、妻は嫌がり尾道も息苦しかったからだ。
「ほら、きれいな夕焼けだよ」
妻はベッドの頭を少し上げて枕を宛がい、窓の方を向いていた。大量のモルヒネは眠気を誘い、うつらうつらしていることが多かったが、この時は目をしっかりと開けていた。茜色の空は高層の絹雲を濃いオレンジ色に輝かせ、その照り返しで妻の白い顔も元気な頃を彷彿とさせる血色の良い顔に見えていた。
尾道は半分開いていたカーテンを全部押し開き、妻からも外が良く見えるようにした。
「きれい」
妻の呟きに尾道も頷く。
「覚えている?プロポーズした時もこんな夕焼け空だったよ。あれは確か九月……えーと……」
「二十三日」
「よく覚えているね。もう十四年も前になるよ。あの年はチームが三位で消化試合もあと三つ、そのオフに結婚したかったから頃合かな、と思ったんだ。多摩川の土手を自転車で並んで走っていて、僕がちょうど日が沈む時、自転車を止めて」
「一生付いて来て貰える?って言った……」
「うん。急だったしね、緊張したんだよ、あの時。君もモデルの仕事が順調だったから、断られるんじゃないかと」
すると彼女が笑った。この一ヶ月なかったことだったので、思わず尾道も吊られて笑う。
「あなた、鼻息が荒くて、おかしかった……わたしはあなたが野球をしている姿を見ているのが一番幸せだった」
そして点滴のチューブをかき分けるように右手を伸ばした。尾道は急いでベッドサイドに寄るとその手を握った。
「プロポーズ、ずっと待っていたんだから」
妻の目に涙が浮かんでいた。
「ずっとずっと……ありがとう。こんなになっちゃって、ごめんなさいね」
尾道も涙を止めることが出来ない。彼女は深い溜息を吐くと、
「もう休んで、いい?」
「うん、いいよ。お休み」
彼女は目を閉じ、枕に頭を沈める。
その夜、彼女は永眠した。
「何もかも、なくなった感じでした」
目の前の尾道氏は遠くを見据えるように庭園を眺めている。
「何もする気が起きなくて、半年間は引き篭もっていましたね」
葬儀の後、一ヶ月は球団も黙っていた。しかし、その後も呼び出しに応じない彼に対し、フロントはクビを宣告した。独立リーグのブームも一過性のもので、球団経営も苦しかった。妻の死で無気力になったヘッドコーチを雇い続けることなど無理だった。その球団自体もその後一年で解散した。
蓄えも尽き、毎日カップめんで凌ぐようになった。死ぬことも頭にあった。本当に死んでしまおうと山中を彷徨ったこともあった。でも。
「なんだったのでしょうね。死に切れませんでした」
そんな尾道にも友人がいた。彼らは農家の跡取りや脱サラで農業を始めた人たちで、古い農家の体質を改善し新しい農業の取り組みを模索するグループだった。最初、営業で訪れた尾道はファンだったという代表と意気投合し、その後、彼が独立リーグのコーチとなってからも親交は続いていた。江戸から続く農家の長男だというその代表が尾道を訪ねて来たのだ。
近所の居酒屋で二人は杯を重ねた。尾道にとっては久方振りの飲酒だった。
「野球に未練はある?」
代表は当たり障りのない近況や世間話の後、こうずばり切り込んだという。尾道は目を瞑った。暫くそのまま考え込んだが、
「いや、ないね」
「何かやることは見つかったのか?」
尾道には答えられなかった。
「説教しに来た訳じゃないが」
代表はこう断りを入れた後、
「そんな有様じゃあ、奥さんは浮かばれないぞ」
思わず目を剥いた尾道だったが、反論は出来なかった。
「月並みに聞こえるだろうが許せ。奥さんの分まで生きることが一番、奥さんが喜ぶことじゃないのか?」
尾道は無言のまま手酌で杯を呷った。
「なあ、一緒に農業やらんか?」
尾道は答えない。代表も手酌でもう一杯呷った後、
「今日はこれで帰る。これを置いておく。前に渡したかもしれないが、ウチのパンフだ。よく考えて返事をくれないか?」
それだけ言うと代表は尾道の肩を二度三度と叩き、勘定書きを引寄せ支払いを済ませると帰って行った。尾道は見送りもせず、空の杯を見つめていた。
数日間、パンフを前に尾道は迷っていた。もちろん農業などやったことはない。それに、実家が農家でプロ野球から引退して家業を継いだ男たちはいるだろうが、全く未経験で農家に転業した男などいるのだろうか?
農業というのはプロ野球選手の成れの果てがなるにしては余りにも都落ちの度が過ぎる、そんな気がしていた。そう思うと苦笑が漏れる。ここまで落ちぶれてもなお、体面を気にする自分がおかしかったのだ。
悩む彼はパンフを穴の開くようにずっと眺めていた。そこには芋や大根を手に笑う男たちの姿があった。積み上げられた野菜の山。それを見つめていると、ふとある情景が思い出される。
「ねえ、おいしい?」
妻が心配そうに尋ねる。
「ああ、とってもおいしいよ」
彼は正直に言った。本当においしかった。
「本当?よかった!ねえ、たくさん食べてね」
まだ新婚の頃、彼もクリーンナップを張っていて一年通して活躍するため、食事は大切な要素だった。
どの野球選手の妻もそうだが、キャンプ以外での食事の管理は妻の大事な役目と言え、苦労が絶えない。幸いにも尾道には好き嫌いがなく、何でも食べたが、やはり肉類に好みが偏りがちとなる。モデルだった妻は野菜中心のバランスよい食事をすることに信念があり、料理上手と相まって尾道が飽きないよう野菜中心の食事を心掛けた。
そんな妻の姿が浮かんでいた。彼女は無農薬・有機栽培の野菜にこだわり、直接農家から送って貰うネット販売の会員になっていたことを思い出した。
「彼女は私の身体のためを思って野菜を選んで食べさせてくれた。だから今度は僕が身体にいい野菜を作って恩返しをする、そんな気持ちが芽生えたんだと思います」
野菜を作って彼女に恩返しをする。その考えは目からうろこのようだった。
「この前の話、受けてみようと思う」
気が付くと無農薬有機野菜の会代表に携帯電話を掛けていた。相手は非常に喜んで、早速明日訪ねると言った。
電話を切ると、少しばかり放心した。ぼんやりとここ半年余りの自分を振り返る。
自分は逃げていたのかも知れない。妻を失った辛い現実から。野球の出来ない世界から。
「これからだ。これから恩返しをしなくては。そう思いました」
何かを乗り越えた人間の強さ。
私は商売柄、強い人間も弱い人間も嫌と言うほど見て来たが、尾道氏の話は格別に思えた。
しかし、目の前の男性は一度栄光を覚えた人間で、更にかけがえのない身内を失った男なのだ。本当に寂しくはないのだろうか?
「本当に失礼ですけれど」
私は断ってから
「お独りで、色々と淋しく思う時はありませんか?」
すると彼は微笑んで答えた。
「最初は影で泣いてばかりいました。農業は簡単ではありません。仕事の辛さと独りぼっちの自分と。何て言うか……そう、自分自身を哀れんでね。しかし今はもう……」
彼は少しだけ言い淀み、そして何かを思い出して笑みを深くした。
「ええ、今では大丈夫ですよ。もう逃げないと約束しましたからね」
その時、私には想像出来た。彼がその約束を交わす姿が、まるでフラッシュバックのように目蓋に浮かぶ。約束の相手は言うまでもない。その清々しい晴れやかな彼の笑顔は、先を、未来を見据えることが出来る者の自信に満ち溢れている。その眩しいほどの姿に堪えることが出来なかった。
私は思わず声を殺して涙した。
がん病棟では人が突然泣き出すことも珍しくない。デイルームで一緒にテレビを見ていた男性患者が突然泣き出したこともあった。無視する者がほとんどの中、その若い男性の隣に腰掛けていた老女が優しく大丈夫?と声を掛けて背中をさすっていたのが印象に残っている。
この時も彼は私の肩を優しく叩き、跪いて手を握った。
「大丈夫ですか?申し訳ない」
私は目を擦って何とか嗚咽を堪える。
「すみません、大丈夫です」
私は涙目で彼の顔を見る。深呼吸を二つほどして、気持ちを鎮めた。
「ええ、大丈夫です。いいお話を聞かせて頂きました」
「とんでもない。お恥かしい話で。こちらこそお気持ちも考えず……失礼しました」
謝る彼の手を握り返し握手する。
「いいえ。今の私にとっては勇気を貰ったような気がします。ありがとうございました。がんばっておいしい野菜をたくさん作ってください」
「こちらこそありがとうございます。お元気になられたら、あなたのお宅に野菜をお送りしますよ」
一ヶ月ほど後で私は退院した。再発の恐怖と闘う日々は残されていたが、尾道氏の話を聞いてから、度胸のような勇気のような、そんなものが心に残っている。
今頃、尾道氏は畑の土を均し、種を蒔いているだろう。かつてグラウンドの土を均し石を取り、雑草を抜いたその大きな手で。
彼も約束したように私も約束しよう。もう逃げないと。
彼は私の胸にも希望の種を蒔いていてくれたのだった。
この物語は実際のプロ野球選手の辿った半生を元にしていますが、内容自体は作者の創作です。