『語られぬ物語』【掌編・戦記】
『語られぬ物語』作:山田文公社
戦局は非常に思わしくなかった。度重なる連戦に加え、食料も弾薬も補給がままならない状況が続いている。下士官も言葉にしなくても現状に強く不満を感じている。前線を押し上げる力もなく、進行を止める力もない。現状できる限りの遅延戦術を用いて補給が来るのを待つしかなかった。
兵の配置を見ながら突破口を探していると、突然テントが開かれて、溝口中将が入ってきた。起立して敬礼をとる。
「何をしている! すぐに進軍し我が軍の力を示すのだ!」
「はい、しかし現状、相手方の前線を崩すだけの兵力がありません」
「臆病者め! 弾がなくとも銃剣て突撃できるだろう!」
「4000名もの預かった兵を失って、どのように申し開きしましょう?」
「ええい! いちいち口応えしよって!」
そう言い手にした鞭で私の頬を叩いた。唇を噛み耐えた。
「すぐに対策を考えろ! 良いな!」
「全力を尽くします」
言うだけ言い溝口中将は去った。打たれた頬が痛む。
先の襲撃で上級将校が死亡し本国から、代わりの上級将校が送られてきたのだが、全くの素人で戦況も何も図ろうとせず突撃命令をただ下すだけだった。無論私もそのたびにいろいろと起こりえる責任を口にする。溝口は数多くの部隊を全滅に追いやっている。その癖自分だけは一部の取り巻きと共に逃げ出してくるのだ。
本来ならばこういった人物は更迭されて然るべきだが、代わりの人物を配せない程に人材が不足していた。戦線が拡大しすぎたためにどこもかしこも人手が不足していた。止む終えないと言えばそうなる、だが送られてくる新兵には明らかに子供が交じり始めたのだ。
兵士も弾薬も食料も何もかもが足りなかった。武器ですらまともに動かない粗悪品が混じっているのだ。部隊内では倒した兵の武器を運用している隊もあるほどに、物資の不足は深刻だった。
少なくとも本国も、空襲が増え状況は芳しくないのだと、墨が入れられていたが、読み取れた。そう遠くないうちに負けるのは明らかだった。
苦々しい思いで戦局を示した地図を眺めていると、表より声が上がり若い兵が入って来た。
「報告申し上げます!」
そう言い敬礼をとった。私も座ったまま敬礼をした。
「溝口中将が1個連隊、引き連れ高連高地へ陣を移そうとしています」
「本当か?」
「はい、本当であります!」
今、隊を動かして高地へと陣を移せば周辺にから砲撃を浴びせかけられて、ほぼ全滅する。とはいえ自分より階級が上なのだから何も進言できないのだ。
「中将は私に何か言っていたか?」
「……いいえ、ただ吐き捨てるように『腰抜けめ』とだけ申されておりました」
「そうか、下がって良いぞ」
「失礼しました」
陣を動かして見る。どう考えても囲まれる上に、四方からの集中砲火を受ける事になる。だが1200名も無駄に死なせる訳にはいかない。
「小野山! 誰か小野山を呼べ!」
すぐに小野山上等兵がやって来た。
「何でありましょうか中佐殿」
「足に自信があり、下士官からの人望の厚いお前を見込んで頼みがある」
そう言いタバコをひとつ差し出した。小野山は指に挟みこみ口へと加えた。私はタバコの先に火をつけると、部屋に紫煙が広がった。
「やはり上物であります」
私は小野山の肩に手を置いた。
「部下を助けたい、ひと走りして伝言を頼む……良いな?」
「喜んでお受けするであります」
小野山は不遜だが敬礼をして言った。
「頼む」
そして小野山は任務を果たした。攻撃が始まれば溝口中将は突撃命令を出すと踏み、右翼に陣する兵に先に攻撃を仕掛けて突撃先の待避場所を確保し、合流したその後兵の三分の一を退却させながら、三分の二を補給路である地に向けた。
「ええい! 敵に背を向けるとは何事だ!」
包囲され、攻撃をうけ損害が出たにもかかわらず、合流した溝口は懲りた様子など全くなく、むしろ作戦を妨害したとして私を軍事裁判にかけると息巻きだした。
「たかが中佐の分際で!」
溝口中将の言葉に、下士官が手を挙げて発言し始めた。
「お言葉ではありますが、高山中佐は亡くなった村瀬大将の代わりを立派に果たされております!」
「貴様は階級もわからんのか!」
するとそう言って下士官を鞭で打った。私も含め誰もが怒りをあらわにしていた。
「良いか! すぐに転進し奴らを討ち滅ぼすんだ! これは命令だ! 分かったか、高山中佐!」
鞭の先端を私にむけて溝口中将は叫んで命令した。
「ええ、充分わかりました」
その態度を見て私は、もうとれるべき方法が無いことを悟った。
「ならすぐに指令だし指揮をとれ!」
溝口は鞭をこちらに向けたまま指示した。
「村山曹長、撃て」
私の指示に溝口の背後にいた村山は銃を取り出した。
「申し訳ありません、高山中佐殿、誰を撃てばよろしいでしょうか?」
「溝口中将を撃て」
「わかりました」
乾いた銃声がした。背後から撃たれた溝口は驚いた顔で私を見て叫んだ。
「これは立派な反逆行為だぞ! 貴様何をしたのか分かっているのか!」
「ええ分かってます。あなたが将校として、指揮官としてふさわしくないこと、存命する限り部隊を危険にさらすということが充分に分かりました」
溝口が拳銃を抜こうとしていたので、私は素早く拳銃を抜き溝口を撃った。溝口は崩れ落ちて絶命した。倒れた溝口にさらに銃弾を浴びせた。
「溝口中将は立派に戦われて戦死した。いいな?」
誰も異論を述べずに深く頷いた。
時に戦争にはこういった事が起きる。それは敵に殺されるのではなく。味方に殺される事だ。階級は確かに重んじられるべきではある。だが絶対の権限はない。それが極限の状態であればあるほどに、階級よりも重んじられるものがある。
生きるために、選ばれる。生きるために選ぶ。より良い道を示す者を、何よりも尊ぶのだ。
語られぬ物語がある。生きるために語られぬ物語がある。それは今なお語られることなく……ただ、時が過ぎて消えていくのだった。
お読み頂きありがとうございました。