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婚約破棄されましたが、私は【おでん屋台】で美味しい愛を手に入れたので幸せです

作者: 岡崎 剛柔

「男爵令嬢カレン・バードレン! 本日この場において、僕はお前との婚約を破棄する! 異論は認めない!」


 私は瞬きを忘れてポカンとなった。


 時刻は夜。


 場所はランドルフ王城の大広間……ではない。


 第一王太子であるカーズ・ランドルフ様の別邸の大広間である。


 そんな別邸の大広間には私たちと同じ十代の貴族令嬢や令息たちの他に、カーズ様と個人的な付き合いのある王都の貴族諸侯たちが勢ぞろいしている。


 目的は私ことカレン・バードレンと第一王太子であるカーズ・ランドルフ様との婚約記念パーティーだった。


 そしていよいよパーティーが始まろうとしたとき、カーズ様は大広間の中央にやってきて私に言い放ったのだ。


 私との婚約を破棄する、と。


 当然、私には意味がわからなかった。


 一体、彼は何を言っているのだろう?


 このランドルフ王国に強力な結界魔法を施す、三代目の〈結界姫けっかいき〉となる私と婚約を破棄する?


 それはつまり王国が私の力を必要としなくなったということだ。


 だが、それだと強力な魔物に王国が蹂躙されてしまう。


 王城の地下にある巨大な結界石に特別な魔力を込めなければ、人間の血液のように各領内に点在している結界石に魔力が行き渡らない。


 では、その結界石に特別な魔力を込めなくなったらどうなるか?


 決まっている。


 人間でも倒せるレベルの魔物は結界の隙間を通って領内に入ってくるが、Sランクの冒険者でも裸足で逃げ出すほどの超強力で超巨大な魔物がランドルフ王国に攻め入ってくるだろう。


 つまりランドルフ王国の終焉である。


 もちろん、そうならないようにランドルフ王国には〈結界姫〉がいる。


 百年前、神才と謳われた魔導錬金術師が造った結界石。


 この結界石を王国全体を守るように何百個も各領内に設置し、特別な魔力を持った貴族令嬢を〈結界姫〉と呼んで結界石に魔力を流すようになった。


 こうすることでランドルフ王国は他国とは比べ物にならないほど魔物による被害は激減したことで、農産物の大量生産や騎士たちの軍事力が強化されたのである。


 それだけではない。


 他国よりも安全に商売ができるということで、行商人たちの数が爆発的に増え、国と民の財政が潤ったことで教育にお金が回るようになった。


 貧しいことが理由で死ぬ子供たちの数が減り、読み書きを教える場所が増えたことで国全体の識字率が大幅に上昇。


 まさにランドルフ王国は結界石と〈結界姫〉によって繁栄の一途を辿っている。


 そして私は男爵家という貴族の中では最底辺の家柄の令嬢だったが、半年前の十七歳の誕生日に〈結界姫〉としての力が発現した。


 あの日のことは今でも鮮明に覚えている。


 貴族社会の中でも落ちこぼれと言われた父上と、おそらく浮気をしているであろう母上たちが普段とは打って変わって大喜びしてくれた。


「カレン、お前はバードレン家の誇りだ!」


「嬉しいわ、カレン。今日ほどあなたを生んでよかったと思った日はないわ」


 愛情の薄い家庭だったことは認める。


 それでも私は両親に喜んでもらえたことは凄く嬉しかった。


〈結界姫〉の力を発現した貴族令嬢は、どんな貴族階級の令嬢だろうと第一王太子と無条件で結婚できて王妃になる。


 これがランドルフ王国の王族のしきたりであり、同時に両親が大喜びした理由だった。


 他の貴族から下に見られていたバードレン家から王妃が誕生する。


 他人からの評価を何よりも優先する両親が喜ぶのも無理はない。


 自分たちの娘が〈結界姫〉となって王妃にもなれば、その親である自分たちは周囲から羨望の眼差しで見られて承認欲求が満たされるのだから。


 でも、私は他人からの評価や承認欲求など欠片もない。


 私は〈結界姫〉としての特別な魔力が発現したとき、ようやく自分の力でこのランドルフ王国に貢献できると思った。


 この国のために何かできることをしたいと幼少から考えていた私にとって、〈結界姫〉としてこの国を守っていくということは望んだ結果だった。


 正直なところ、王妃になるなんてどうでもいい。


 私は〈結界姫〉としてこの国を守りたい……そう思っていたのだけど、まさか〈結界姫〉になる前に婚約自体を破棄されるとは夢にも思わなかった。


 それでもまだ諦めるわけにはいかない。


「カーズ様、理由を……理由をお聞かせください。どうして私との婚約を破棄なさるのですか?」


 カーズ様は「ふん」と鼻で笑った。


「いいだろう。理由を教えてやる……さあ、ここへ!」


 カーズ様は若い貴族諸侯たちが集まっている場所に顔を向けた。


 すると、一人の貴族令嬢が私とカーズ様がいる大広間の中央へと歩いてくる。


 軽くウェーブのかかった栗毛。


 猫のように愛嬌がある顔。


 160センチの私よりも10センチは背が低い。


 しかし、女性としてのプロポーションは彼女のほうが上だった。


 特に胸についている二つの果実は男性には魅力的に映っていただろう。


 私は無意識に自分の胸に視線を落とした。


 これまでの食生活が悪かったのか、貴族といえども肉付きは悪い。


 などと女性としての負い目を感じていると、カーズ様は高らかに言い放った。


「皆の者、よく聞いてほしい。ここにいるのが僕と新しく婚約する子爵令嬢のミーシャ・ドリフターだ」


 カーズ様は得意げな顔で言葉を続ける。


「なぜ、僕がカレンと婚約破棄をしてミーシャと新たに婚約するのか疑問を持っただろう。その理由はずばり、ミーシャも〈結界姫〉としての特別な魔力に目覚めた貴族令嬢だからだ。それもカレンより数倍上の魔力を持つ、な」


 ざわざわざわざざわざわざわざ。


 カーズ様の言葉で場の空気は一気にざわついた。


「疑うか? これが証拠だ!」


 カーズ様が言うなり、ミーシャはあらかじめ持っていた小さな結界石を天高く掲げた。


 全体的に緑色をした石だ。


 直後、ミーシャの掲げた結界石が神々しく光り出した。


 おおおおおおおおおおおお――――ッ!


 これには貴族諸侯たちも感嘆の声を上げた。


 結界石が光り出したということは、ミーシャの魔力に反応したことを示していたからだ。


「どうだ! 〈結界姫〉の資格を持った者はミーシャも同じ。ゆえに俺はミーシャを新たな〈結界姫〉として認めた。もちろん、同時に婚約もな」


 私はハッとした。


(ダメよ、カレン。こんな不条理な婚約破棄を認めてはいけないわ)


「カーズ様、確かにミーシャにも〈結界姫〉の資格があることはわかりました。ですが先に婚約をしていたのは私です。貴族と王族の婚約は神に誓った正統なものです。そんなに簡単に破棄してよいものではありません」


 私は一気に畳みかけた。


「それにこのことは陛下はご存じなのですか? ご存じでないのなら後々で必ず問題に……」


「そんな心配はいらん!」


 私の言葉をカーズ様は勢いよく遮った。


「お前、僕が激情に駆られて婚約破棄したと思っているのか? 馬鹿女が! 僕がお前と婚約破棄するのは父上も了承済みだ! そしてミーシャと新たに婚約することもな!」


「――――ッ!」


 開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだった。


 まさか、陛下もこのことを了承しているなんて……。


 私が愕然としていると、カーズ様はビシッと人差し指を突きつけてきた。


「わかったら出ていけ! お前はもう用無しだ!」


 続けてミーシャも「おほほほ」と高笑いする。


「そういうわけですので、〈結界姫〉のお役目はわたくしが完璧に成し遂げますわ。ですから、この場からとっとと立ち去りなさい」


 その後のことはよく覚えていない。


 ただ、一つだけ覚えていることがあった。


 ふらふらと出入り口に向かって歩いた私の後方から、カーズ様とミーシャの下卑た笑い声がいつまでも聞こえていたことに。


     ◀●▮━


「こ、婚約を破棄されただと!」


 場所はバードレン家の広間である。


 満面の笑みでくつろいでいたお父様だったが、 私が意気消沈しながらお父様に事情を話すと悪魔の如き形相に変貌した。


「カレン……ほ、本当なの?」


 一緒にくつろいでいたお母様も仰天した顔で問いかけてくる。


「はい……」


「ば、馬鹿な! お前以外に結界石に魔力を込める女がいるとは思えん!」


「ですが事実です。私はしかと見ました。子爵令嬢のミーシャ・ドリフターが結界石に魔力を込めて発光させるところを」


「くそッ!」


 お父様は小机の上にあったワインボトルを手で薙ぎ払った。


 勢いよく飛んだワインボトルは壁に激突してバリンッと割れる。


「あなた、落ち着いてください」


「落ち着けだと! これが落ち着いてなどいられるか!」


 お父様の空気を震わせる怒声に、私とお母様はビクッと身体を震わせる。


「終わりだ。カレンが〈結界姫〉に選ばれたことで、我がバートレン家は格下の男爵家から王族の身内になるはずだったのに……」


 私は心臓を素手で掴まれたような錯覚を覚えた。


 お父様には申し訳ないことだけど、こうなってしまった以上はもうどうしようもない。


 これはカーズ様の独断ではなく、すでに国王陛下も了承済みのことなのだ。


 国王陛下の言葉は神の言葉に等しい。


 おそらく直談判しても今回の一件は絶対に覆らないだろう。


 などと私が思ったときだった。


 お父様は私をキッと睨みつけると、大きく足音を立てながら近づいてきた。


 そして――。


「この役立たずが!」


 バチンッ、と私は強烈な平手打ちを食らった。


 私の視界は一瞬真っ暗になり、誰かに引っ張られるように真横に吹き飛ぶ。


 そのあまりの威力に私は立っていられず床に倒れてしまった。


(お父様……)


 直後、ジンジンとした熱と痛みを左頬に感じた。


「どうしておめおめと帰ってきた! カーズ様に必死に頭を下げて懇願すれば、まだ考え直すこともあったではないか! だが、こうして何もせずに帰ってきたということは婚約破棄を受け入れたと同義! これではどうあっても婚約破棄の事実は覆らん!」


 お父様は一気にまくしたてると、私に近づいてきて足蹴にしてきた。


 私は無意識に身体を丸めた。


 それでもお父様の蹴りは止まない。


 容赦なく私の身体を足裏で踏みつけてくる。


「あなた、止めてください! カレンが悪いわけではありません!」


 お母様は慌ててお父様の手を掴んだ。


「うるさい! それもこれもお前が不倫しているからだろうが!」


 お父様はすかさずお母様に平打ちを食らわせる。


「わ、わたくしが不倫しているですって……」


「ふん、何を驚いた顔をしている。貴族社会で無能と罵られている俺とてそれぐらいは調べられるわ。十以上も離れた若い男と街の安宿で密会していることぐらいな……この恥さらしの淫売女が!」


「そ、そういうあなたこそ浮気をしているじゃありませんか! わたくしも知っているのですよ! しかもお相手はカレンと同年代の少女とか! ふん、とんだ少女趣味ですわね!」


 修羅場とはまさにこのことを言うのだろう。


 お父様とお母様は獣のように感情をむき出しにして言い争いを始める。


 一方、私はまったく間に入れなかった。


 両親と言えども顔を真っ赤にしながら、大量の唾を吐き出すように互いのことを罵る光景は見ていて気持ちいいものではない。


 たっぷり一分ほど経った頃だろうか。


 お父様とお母様は全力疾走したあとのように息を荒げながら、同じタイミングでゆっくりと私のほうに顔を向ける。


 これはちゃんと話し合う好機チャンスだと私は思った。


「あのう……」


 私はこの機会を逃すまいと、何とか声を絞り出した。


 その直後である。


「お前のような親不孝者は勘当だ! さっさと出ていけ!」


「あなたのような親不幸者は勘当よ! 出ていきなさい!」


 こうして私は何の反論もできずに家を追い出されたのだった。


    ◀●▮━


 実家の後ろ盾がなくなった貴族の末路は哀れの一言だ。


 貴族令息ならば財産や領地の相続権の喪失に始まり、社会的信用が地に落ちることで縁談などはまったくなくなる。


 そうなれば社会的信用がさらに落ち、文武に長けていなければ一週間も経たずに飢え死にして路地裏で発見されることになるだろう。


 貴族令嬢もほぼ同じだが、おそらく貴族令息よりも少しは長く生きられる。


 理由は言わずもがな女だからだ。


 つまり私のような元貴族令嬢には女としての価値がまだ残っていて、それはすなわち矜持と身体を売りさえすれば日銭が稼げるということ。


 元貴族令嬢ならば平民の娘よりも付加価値は高いに違いない。


 では、実家から勘当された私は身体を売って生きる気があるのか?


 答えはノーである。


 私にはとても身体を売ってまで生きたい気力はない。


 私は十二月の寒空の下、何とか持ってきたコートの襟元を立ててトボトボと歩いていく。


 もう夜も遅い時間だ。


 貴族街にはまったく人気はなく、ようやく辿り着いた平民街でも通りを歩いている人間はほぼいなかった。


(これからどうしよう……)


 私はコートのポケットに入っていた三枚の銀貨を取り出す。


 貴族令嬢の身分のときはお小遣いにもならない金額だったが、今の私にはこの三枚の銀貨が生を繋ぐ生命線である。


「まあ、この程度のお金なんてすぐになくなっちゃうけどね」


 安宿に一泊すれば銀貨二枚の消費。


 一日二回の食事をしたら銀貨一枚の消費。


 要するに、何も手立てを打たなければ私の命は明日で終わりということだ。


 数秒後、私はパッと表情を明るくさせた。


「よし……明日死のう」


〈結界姫〉候補になったことも運命ならば、 婚約されたことも運命。


 実家から勘当されたことも運命ならば、三枚の銀貨がポケットに入っていたことも運命である。


 これはきっと神様が明日まで生かしてくれた慈悲に違いない。


 だとするなら、明日は元貴族令嬢らしく正々堂々と自ら命を絶とう。


 そして神様の国に逝くのだ。


 私は三枚の銀貨をギュッと握り締めた。


 二枚の銀貨は宿代に取っておくとして、せめて最後の晩餐ぐらいは温かくて美味しくて腹持ちがする食事がしたい。


 などと思ったときだ。


 ぐうううううう。


 お腹の虫が盛大に催促してきた。


 私はお腹をさすりながら考える。


 時間帯を考えるとレストランはもう閉店しているだろう。


 大通りに毎日出ている飲食の露店も夕方には店じまいするので無理だ。


 となると、残るのは今は亡き叔父様に何度も連れて行ってもらったあの店しかない。


 私は最後の体力を振り絞って目的の場所へ向かう。


 平民街の外れにある、魔力灯もほとんどない色街に近い場所にその店はある。


 やがて私は目的の店があるはずの場所に辿り着いた。


「……ああ、よかった。まだ開いてる」


 私の視界にはノレンという布にヒノモトの文字で「おでん」と書かれているという、移動式の簡易店舗の姿が見えてきた。


 とても美味しそうな匂いと、優しい光に包まれた屋台というお店の姿が――。


   ◀●▮━

 

「マスター、まだお店はやっていますか?」


 私はノレンをくぐって店主に話しかける。


「ええ、やってますよ」


 黒髪黒目の店主が快活な声で答えてくれた。


 年齢は三十代半ばほどだが、和服という衣服の下には強靭な筋肉が存在している。


 最初は冒険者や戦士の経験があると思ったが、本人いわく子供の頃から料理の道一筋だという。


「すみません。今日はちょっと混んでいるので隅の席でも構いませんか?」


「はい、構いませんよ」


 確かに屋台の中は盛況だった。


 10人は座れるL字型のカウンターはほぼ埋まり、外まで出している四つの簡易テーブルも満席だった。


 時間も時間なのでお客さんの大半はすでに出来上がっている。


 元とはいえ、貴族令嬢の私のことなど誰も気にしていない。


 それぞれお酒とおでんと談話を楽しみ、身を切るような寒さの他の場所と違ってここは春のような温かさが充満している。


 私はカウンターの一番奥の席に座った。


 隣の席は空いているが、別にきちんと詰めて座らないといけないルールはこの店にはない。


「さて、お嬢さん。何が食べたい……ってあれ? 誰かと思ったらシドさんのお連れさんじゃないですか」


 シドとは私の叔父だった人だ。


〈結界姫〉に必要な特別な魔力が発現した半年前、ちょうど同じ頃に乗馬中の事故で亡くなってしまった。


 生前は気さくで陽気な人だった。


 生涯独身を貫き、貴族なのに平然と平民街の場末の酒場や色街に通っていた。


 私はそんな叔父様が大好きだった。


 生来の根暗な性格が災いしたのか、あまり貴族令嬢たちのお茶会に馴染めなかった私を見て、叔父様は夜に人目を盗んで私を平民街へと連れて行ってくれた。


 その中で私が叔父様と同じぐらい大好きになったのが、この【おでん屋台】である。


 このランドルフ王国のはるか東にヒノモトという島国がある。


【おでん屋台】はそのヒノモトでも人気な平民の食べ物であり、ランドルフ王国とヒノモトの国交が成立したことで互いの文化が入り合うようになった。


 まあ、それはさておき。


「聞きましたよ……シドさんのことは残念でしたね」


 店主は叔父様の訃報を知っていたのだろう。


 温かいタオル――おしぼりを出してくれながら、口だけではない心の底から悲しそうな顔をしてくれた。


 それがなぜか堪らなく嬉しかった。


「はい……ですが、あの人らしい最後といえば最後でしたから」


 私は叔父様のことや自分の境遇を思い出して泣きそうになったが、せっかくの最後の晩餐を涙と不幸で終わらせたくない。


 なので私は無理やり明るい表情を作った。


「ごめんなさい。今日は叔父様のことを伝えに来たわけじゃないんです。またこうしてマスターのおでんを食べに来たんですよ。マスターのおでんは私がこれまで食べてきた食べ物の中でもトップクラスに美味しいものでしたから」


「嬉しいですね。貴族のお嬢様にそうまで言っていただけると、こっちも異国でおでん屋を始めた甲斐があるってんものです。そんじゃあ、今日は何から行きます?」


 私は「え~と」とマスターの背後の棚に並んでいるヒノモト酒を見渡した。


 ワインボトルよりも大きな形をしているガラス製の酒瓶が綺麗に並んでいる。


「まずは食前酒を熱くして一杯いただけますか……そうだ、叔父様のキープしていたヒノモト酒をもらうことはできます?」


「もちろんですよ。シドさんのキープしていたのは【白龍】でしたがいいですか?」


「ええ、お願いします」


 マスターは慣れた手つきでガラスのコップに【白龍】を注ぐと、私の目の前のカウンターにそっと置いてくれた。


「何か食べたくなったら言ってくださいね」


 そう言うとマスターは他の客の応対に切り替える。


 私はヒノモト酒が入ったコップを手に取った。


 ヒノモト酒は水のように透明だが水ではない。


 実はワインよりも酒精アルコールが強いヒノモト産の穀物酒である。


 こういうお酒は一気に飲んではいけない。


 激しく酔ってしまうこともそうだが、少しずつ飲むことで異国のお酒を十分に楽しむことができる。


 私はチビッと【白龍】を口に含む。


「~~~~」


 口に含んだ途端、私は両目を閉じて声にならない感嘆の声を漏らす。


(ああ……美味しい)


 ワインとはまた別物の清らかでキレのある味わい。

 

 口触りも重すぎず軽すぎず、異国のコメという穀物の旨味がしっかりと感じられる。


 他にも上質なフルーツの味も若干感じられたが、マスターが言うには原料はコメと水の他にコメコウジというものしか使っていないという。


 何にせよ、冷え切っていた身体に最高だった。


「……さて」


 胃の中が少し熱くなったことで、さらに空腹感が増してきた。


 となると、いよいよ本命のおでんを食べるとき。


 私はカウンターの中に設置されている、木製と鉄版を組み合わせた長方形の調理器具に顔を向ける。


 あれはおでん専用の保温調理器具らしく、真下には発熱する魔力石があってダシ汁というものに浮かんでいるおでんの具材を長時間温めているという。


「マスター、まずは卵とダイコンを一つずついただけますか?」


 卵とダイコンは叔父様も大好きだった具材で、もちろん私も初めて食べたときから一発で大好物になってしまった具材である。


 マスターは「はいよ」と言うと、湯気の立つおでん鍋から白いダイコンと、ころんとしたゆで卵をすくい上げる。


 卵は殻を剥いた茹で卵で、ダイコンとは異国の野菜のことだ。


「へい、お待ち」


 湯気の幕をかき分けて、マスターは皿に乗せた卵とダイコンを目の前のカウンターに置いてくれた。


「相変わらず美味しそう」


 白磁の肌を思わせるダイコンは、ダシ汁をたっぷり吸っていて、フォークが簡単に突き刺さる。


 私はフォークで一口大に切ると、「ふうふう」と息で冷まして口に入れる。


「~~~~~~~」


 たまらない美味しさだった。


 以前に食べたときも美味しかったが、今のような絶望なときにでもしっかりと旨味を感じるのだからおでんは偉大だ。


 とはいえ、私の本命はダイコンではない。


 ずばり私の真の好物は卵である。


 私はフォークで卵を半分に切り、ダシ汁を吸った茶色の卵白部分と黄色の黄身のコントラストを見て生唾を飲み込む。


 そして――。


 ガブリ、と恥も外見もなくかぶりついた。


「~~~~~~~~~~~~~~~~~~」


 これぞ至福!


 卵焼きとも目玉焼きともスクランブルエッグとも違う、玉子という素材を最大限に生かした最高の調理法に違いない。


「お嬢さん、涙を流すほど今日のおでんは美味しいですか?」


「……え?」


 マスターに言われて私は気づいた。


 自分でも知らない間に涙が溢れている。


「嬉しいですね。そんなに喜んでもらえるとおでん屋冥利に尽きるってもんです」


 マスターは天使のように微笑むと、乾いたタオルを渡してくれて再び他のお客さんの対応に入る。


(うん……本当に美味しい……美味しいですよ)


 マスターには言うつもりはないけれど、このおでんが私の人生の最後の食事なのだ。


 たった十七年、されど十七年の貴族令嬢の儚い人生だった。


 悔いがないと言えば嘘になる。


 怒りがないかと言われれば嘘になる。


 でも、もはやどうしようもできない。


〈結界姫〉としての立場も奪われ、王族から婚約破棄され、とどめは実家からの勘当である。


 このおでんを最後に私は一晩明けたら命を絶つ。


 さすがに宿屋で首を吊ったり手首を切ったら迷惑なので、どこか廃墟を見つけて人知れず死のう。


 ただ、その前に目の前のおでんを心ゆくまで堪能したい。


 そう、今だけはすべてを忘れておでんを最後まで美味しく味わいたい。


 などと思って涙を拭こうとしたときである。


 バサッとノレンが人の手で大きく揺れ動いた。


 そして一人の若い男性客が入ってくる。


「マスター、まだ店はやっているかな?」


 私はその若い男性客に目が釘付けになった。


 その若い男性客は、白髪のような美しい銀髪の想像を絶する美青年だった。


   ◀●▮━


「おや? あんた新顔だね?」


 マスターは銀髪の美青年を見るなり笑顔を向ける。


 一方の銀髪の美青年も太陽のような笑顔を返しながら「はい」と言う。


 そして銀髪の美青年は店内をぐるりと見渡す。


「まだお店はやっているようですが……もう満席のようですね」


「いやいや、まだ一つ空いているよ」


 マスターは私の隣の席にあごをしゃくった。


 確かに店内では私の隣が空いている。


 けれど、まさかあんなイケメンと隣の席になるなんて……。


 私が動揺していると、銀髪の美青年は「よかった。今日は運がいい」と私の隣に近づいてくる。


「失礼。お隣に座ってもよろしいでしょうか?」


 銀髪の美青年は、私に向かってニコリと笑いながら問いかけてくる。


「は、はい……どうぞ」


 必死に動揺を隠しながらうなずくと、銀髪の美青年は「それでは遠慮なく」と空いている席に腰を下ろす。


(……こんな素敵な紳士は見たことがない)


 私はおでんを食べることを忘れ、メニューの注文を始めた銀髪の美青年の横顔を眺める。


 身長は180センチ前後。


 遠目には華奢そうに見えたが、こうして近くで見ると彼が着痩せするタイプなのがよくわかる。


 貴族や豪商が着る上等な絹製の衣服が全体的に薄っすらと盛り上がっている。


 私の叔父様と同じだ。


 普段は飄々と風来坊を気取っていたが、実は裏で勉学や武術の鍛錬に余念がなかった叔父様と同じ肉体つきである。


 私はじっと彼のことを見つめた。


 年の頃は20代前半だろうか。


 毛先まで清潔感がある銀髪をなびかせ、顔立ちはまるで役者のように整っている。


 キリッとした目眉。


 ちょうどよい高さの鼻梁。


 肌質などは貴族令嬢も裸足で逃げ出すほどきめ細かく潤っていて、染みや汚れなどはまったく見当たらない。


 まるで天使の絵が描かれた宗教画から抜け出してきたような男性である。


「この店へはよく来るんですか?」


 …………ドキッ!


 私は思わず口に含んでいたヒノモト酒を吹き出しそうになった。


 銀髪の美青年が急にこちらを向いて質問してきたからだ。


 ううん、違う。


 これは料理が来るまでの暇つぶしの会話よ。


 私にはわかっている……でも、声をかけてきた驚きと視線が交錯した嬉しさは否定できない。


「い、いえ……以前に叔父に連れて来てもらったときが最後で」


 私は自分でもわかるほど目を泳がしながら、慌ててヒノモト酒をあおる。


 酒精アルコールの強いヒノモト酒が最速で胃の中に落ちていくのがわかった。


「ダメだよ、ヒノモトのお酒でそんな飲み方をしたら。ヒノモトのお酒は水みたいだけど酒精アルコールがとても強いんだ」


「ひゃ……ひゃい、そうれふね」


 ……あれ?


 何だか目が回って気分が心地よくなってきた。


 それに身体全体が熱く火照ってくる。


「だ、大丈夫?」


 私は「大丈夫れふ」と満面の笑みで返した。


(ああ……何だか今は凄く気持ちがいい)


「君、あまりお酒が強くないんだね。一人で来たみたいだけど、酔い潰れる前に帰ったほうがいいんじゃない?」


 冗談じゃない。


 絶望していた暗い気持ちが払拭され、身体の底から果てしない高揚感が湧き上がっているのだ。


 それにおでんもお酒もまだまだ不足している。


「私は全然平気れふから気にしないでくだひゃい。そうそう、そういうあなたこそお一人なんれふか? 凄く綺麗な銀髪れふね。お名前は何というのかしら?」


 私は酔った勢いに任せて矢継ぎ早に質問する。


「ふふ……おかしな人だな。俺の名前はカイト・カー……カイトだよ。ただのカイト。旅の行商人をしているんだ」


(旅の行商人?)


 私はジト目で銀髪の美青年――カイトさんの全身を再び見つめる。


 確かに恰好は豪商にしか見えないが、元貴族令嬢の私の目は節穴ではない。


 この人は商人じゃなく、もっと身分の高い人物だ。


 彼の全身からは本人すらも隠し切れない高貴なオーラが放たれている。


(もしかして異国の貴族?)


 私が食い入るように見つめていたせいか、カイトさんは「そんなに見つめられると食べずらいよ」と微笑を浮かべる。


「あ……そうですよね。ごめんなひゃい」


 私は気恥ずかしさを隠すため、ヒノモト酒を一気に胃に流し込んだ。


 くらり……と視界が左右に揺れ動く。


 同時に私の気持ちも大きく揺らいだ。


 何とも言えない気持ちのよさが湧き上がってくる。


「大丈夫? 顔が真っ赤だよ」


 そう言われて私は嬉しくなった。


 どうして嬉しくなったかはよくわからない。


 嬉しくなったものは嬉しいのだ。


「カイトさんは良い人ね。私みたいな馬鹿でアホで間抜けでブスな女に優しい言葉をかけてくれるなんて」


「いや、別にそこまで優しい言葉を言ったつもりはないんだけど……それに君は自分で卑下するほど不細工じゃないよ。見た目も可愛らしいし、目元なんてとてもチャーミングで素敵だ」


「か、カイトさん……」


 私は脳みそがスパークしたような高揚感に駆られ、マスターに「お代わり」と叫んだ。


 そしてカイトさんに潤んだ瞳を向ける。


「カイトさん、あなたはとっても良い人だわ。だから私と一緒に飲み明かしましょう」


「え? ああ……別にいいけど」


 マスターから「はい、お代わり」とヒノモト酒を受け取ると、私は無理やりカイトさんのコップに軽く当てて「乾杯!」と言い放つ。


 そうして私は束の間の幸せを感じながら、財布の懐具合も忘れて大いにカイトさんと飲み明かしたのだった。


 そして――。


   ◀●▮━


 チュンチュン……チュンチュン……


 私はスズメの鳴き声で目を覚ました。


 ゆっくりと上半身を起こし、何度も瞬きをして周囲を見渡す。


「……待って」


 私の視界には簡素な部屋の様子が飛び込んできた。


「待って待って待って……」


 意識が鮮明になってくるほど額から冷や汗が浮かんでくる。


 どうやら私は一泊三銀貨ほどの宿の部屋にいるようだった。


 ちゃんとした造りのベッドには分厚いマットが敷かれ、私の身体は毛布が掛けられていたのだろう。


 ベッドの横にはランタンと水差し、そして二つのコップが置かれている小机が置かれている。


 部屋の隅には小さな暖炉があり、一時間ぐらいまで薪が燃えていた形跡があった。


 おかげで部屋の中はそれなりに暖かく、私は今の今まで《《全裸で快適に寝る》》ことができていたらしい。


 そう、今の私は生まれたままの全裸の状態だった。


「スー……スー……」


 私は瞬きを忘れ、小さな寝息が聞こえている真横に視線を移そうか迷った。


 正直なところ、目が覚めてから隣に誰かいることはわかっていた。


 でも、本能が確認することを明確に拒んでいたのだ。


 ただ、意識してしまってはもう無理である。


 きちんと確認しないことは前には進めない。


 私はおそるおそる真横に顔を向けた。


 正確には真横の斜め下――私の隣で健やかな寝息を立てている男性の顔を確認するために。


「嘘でしょう……」


 うろ覚えの記憶の中の顔と、隣の青年の顔は完全に一致していた。


 銀髪のカイトさんだ。


(これってもしかして……朝チュン?)

 

 朝チュンとは、貴族令嬢の中で流行っていた恋愛小説に登場する造語だ。


 設定は様々だったが、特に人気なのは高貴な身分を隠している美青年が身分の低い女性――読者を想定――と一夜の逢瀬を過ごし、朝を告げるスズメの「チュンチュン」という鳴き声で目覚めることから「朝チュン」と言われていた。


 つまり過激な性的描写を行わず、物語の中で男女の関係があったことを示唆する表現技法のこと。


 いや、そんなことはどうでもいい。


 私は冷や汗をダラダラと搔きながら、毛布をめくって本当に男女の関係があったのかを確認する。


 というか、実は自分の身体の一部の違和感によって大体のことはわかっていた。


 それでも確認せずにはいられない。


「…………」


 はい、ダメでした。


 きっちりと男女の行為が行われていたようです。


「う、う~ん……」


 私が唖然としていると、カイトさんがようやく目を覚ました。


 上半身をゆっくりと起こし、「ふわ~」とあくびをする。


 凄い、と私は思ってしまった。


 イケメンはあくびをしてもイケメンだった。


「おはよう」


「お……おはよう……ございます」


 カイトは首をかしげた。


「どうしてそんなに他人行儀なんだい?」


 それは私のほうが訊きたい。


 なぜ、彼のほうがそんな親近感を覚えているのだろう。


 今の状況をかんがみるに、私たちは昨日の夜に飲みすぎたことで意気統合。


 意識が朦朧とするまで飲み明かしたあと、そのまま安宿に向かって事を致したのだろう。


 というか、そうとしか考えられない。


(何てこと! 貴族令嬢がいきずりの相手に乙女の純潔をあげるなんて!)


 ……と普通ならこうなるところだが、あいにくと今の私は元貴族令嬢だ。


 一方的に婚約を破棄され、生家からは勘当を言い渡された。


 しかも将来どころか自分は今日までの命である。


「そうか……そうよね……だったら、いいか」


 私はクスッと笑った。


 カーズのような最低の男に純潔を捧げるよりも、こうして正体不明のイケメンと一夜の逢瀬をしたという事実が今の私にはお似合いだ。


 むしろ最後の最後に本当の女になったことは幸いだったかもしれない。


(まあ……昨夜のことは全然覚えていないんだけど)


 などと思っていると、カイトさんはベッドから降りて全裸を晒す。


 私はギョッとした。


 カイトさんの身体は鋼のような筋肉がついている。


 おでん屋台でもそうなのかもと思っていたが、実際に明るい場所で見ると衝撃は凄まじい。


 本当に男性として火の打ちどころがなかった。


(こんな人と結婚できる女性は幸せ――)


 でしょうね、と心中でつぶやこうとしたときだ。


「さあ、カレン。旅立つ準備をしよう」


 とカイトさんが満面の笑みで切り出した。


「旅立つ?」


 私はポカンとした。


 カイトさんの言っている意味がわからない。


「そうさ。昨日言っただろう? 君は俺の国に来て〈結界姫〉になる、と。そして第一王子である俺と結婚するって」


「はあっ!?」


 寝耳に水とはまさにこのことだった。


 私がカイトさんの国に行って〈結界姫〉になる?


 しかも、その国の第一王子がカイトさん?


 私はもう何が何だかわからなくなった。


「もしかして……お酒のせいで全然覚えていないのかい?」


 私は無言のままコクリとうなずいた。


 カイトさんは「そうか……」と床に畳んでいたパンツをはき始める。


「じゃあ、もう一度説明する」


 その後、カイトさんは自身の事情を教えてくれた。


 カイトさんの国はランドルフ王国から北にある小国で、国の名前はカーマイン王国だった。


 カーマイン王国。


 この名前は私も知っている。


 貴重な結界石の巨大原産国だ。


 しかし結界石の原産国でありながら魔力を持つ者がほとんどおらず、長年にわたって魔物の襲撃も少ないので魔法使いや〈結界姫〉がいなくても何とか国の平穏は保たれていたらしい。


 ところが一か月前、カーマイン王国の近くに大量の魔物が出現するダンジョンが発生したことで事態は急変。


 大量の魔物からの襲撃に耐える高純度の結界石はあるものの、肝心の結界石の効力を発揮させる〈結界姫〉がいない。


 そこでカーマイン王国はランドルフ王国に協力を要請した。


 できれば〈結界姫〉、もしくは魔法使いを派遣して欲しいと。


 けれどランドルフ王国はこの協力要請に否定的だった。


 イエスともノーとも言わず、どんな使者を送っても返事をはぐらかされたという。


 そこでカーマイン王国は本気という意思表示のため、何とカーマイン王国の第一王子を使者として派遣させた。


 その使者こそ私の目の前にいるカイトさんらしい。


 すべてを聞き終えたとき、私はようやく納得した。


 確かにカイトさんには隠し切れない高貴なオーラが放たれている。


 それでも異国の第一王子とは夢にも思わなかった。


 しかも、そんな異国の王子様と私が結婚って……冗談ですよね?


「冗談って顔をしているけど、冗談じゃないよ。俺の国の王族には最初に身体の関係を持った女性と結婚するというしきたりがある。他の国の王族は知らないが、カーマイン王国ではそうだから仕方ない」


 でもね、とカイトさん改めカイト様は真剣な表情になる。


「そんなしきたりとは関係なく、俺は君の人柄に惚れた。人間は一緒に食事をすればその人間の人柄がわかるらしいが、君と一緒におでん屋台で飲み明かしたときに思ったんだ。この女性こそ俺の伴侶となるべき女性だってね」


「いえ、私はそんな大層な女じゃありません」


「悪いけど、君の否定を俺は否定する。君はとても知的で魅力的な女性だ。しかも結界石に特別な魔力が込められる〈結界姫〉候補だったんだろ? だったらカーマイン王国の王家に嫁ぐ資格は十分にある。いや、むしろ俺の父上は大歓迎だ。何せ君を王家に向かえればこのランドルフ王国の属国にならずに済むのだから」


「まさか……カイトさんは自身を人質にランドルフ王国に自分の国を明け渡そうとしたのですか?」


「ああ、それしかカーマイン王国が生き延びる手段がなかった。このままだとカーマイン王国は魔物の大群に蹂躙されて滅びてしまう」


 私はカイト様の言葉に胸を打たれた。


 下手をすれば殺されかねない状況にあっても、第一王子として国のために命を懸けて使者の役目を引き受けるなど素晴らしいの一言に尽きる。


「わかりました」


 私はカイト様に対して深くうなずく。


「私はあなたの妻となってカーマイン王国に向かいます。そして結界石に魔力を込めて魔物の攻撃を防いで見せます」


「ほ、本当なのか?」


「貴族令嬢に二言はありません……まあ、元がつきますが」


「カレンッ!」


 カイト様は感極まったのか、私をギュッと抱きしめる。


 私はあらためて男性の力強い筋肉の厚みと熱をひしひしと感じた。


「この俺――カーマイン王国第一王子、カイト・カーマインも二言はない。君を王族に招いて俺の妻として生涯愛すると誓う」


「はい、これからよろしくお願いします」


 私もカイト様を抱きしめ返した。


 その後、私はカーマイン王国に行って正式な〈結界姫〉となり、結界石に魔力を込めてカーマイン王国全体に強力な結界魔法を施すことに成功。


 最初こそ奇異な目で見られた私だったが、実力と人柄が認められたあとは王位を継いだカイト様の妻となってカーマイン王国の王妃となった。


 こうして私は順風満帆な人生を掴むことができた。


 ところがである。


 そんな不遇な環境から一転して幸福を手に入れた私とは違い、ランドルフ王国はとんでもない事態に陥っていた。


 それは――。


   ◀●▮━


 それはカレン・バードレンがランドルフ王国から去った一週間後のことだった。


「た、大変でございます!」


 宰相のマクガイアがカーズの政務室に飛び込んで来た。


「何だ騒々しい! 僕は忙しいんだぞ!」


 カーズ・ランドルフこと僕は、筆ペンの勢いを止めてマクガイアを睨みつける。


「み、み、み、み、み、み」


 よほどの事が起こったのだろう。

 

 マクガイアは血相を変えて何かを喋ろうとした。


 けれども上手く言葉が口から出ないようだった。


「落ち着け。宰相のお前がそんなに狼狽えてどうする。まあ、水でも飲め」


 僕は自分の机の端に置いていた水差しとコップにあごをしゃくる。


 するとマクガイアは早足で机に近づいてきてコップに水を注いだ。


 そして勢いよく飲み干していく。


「どうだ? 少しは落ち着いたか?」


 僕がたずねると、マクガイアは一息ついたのか大きく息を吐く。


「まったく……それで? 何が起こったんだ?」


 僕も小休止の意味合いも兼ねて、コップに水を注いで口に含む。


「ミーシャさまの魔力がゼロになりました」


 ブウウウウウウウウウウウウ――――ッ!


 僕は口に含んでいた水を盛大に吐き出した。


「ごほごほ……今……ごほごほ……何と言った?」


「そのままの意味です。ミーシャ様の魔力が枯渇し、結界石に魔力を流し込むことが不可能になりました」


「ふざけるな! そんな馬鹿なことがあるか!」


 僕は怒りに任せてコップを壁に投げつける。


「じ、事実であります……先ほど宮廷錬金術師たちが確認いたしました。もうミーシャ様では結界石に魔力を流し込むことはできません」


「……ということはどうなる?」


 マクガイアは幽鬼のように顔を真っ青にさせて答える。


「このままでは国が滅びます」


 僕はハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。


 このままでは国が滅ぶ?


 嘘だ……いや、しかしミーシャの魔力が枯渇したのが事実ならば当然そうなる。


「み、ミーシャはどこにいる!」


 マクガイアにたずねると、ミーシャは地下の結界室にいるという。


「この目で確認しないことには信じられない!」


 僕は政務室から飛び出して結界室へと向かった。


 時間にして五分ほど。


 結界室に辿り着くなり、僕は扉を開けて室内に入った。


 すると信じらない光景が飛び込んできた。


 結界室にはミーシャ以外にもう一人の人間がいた。


 中年のダーク・ブラウンの髪の男だ。


 しかもその中年男はミーシャと抱き合ってキスをしていたのである。


 僕が唖然としていると、二人は僕に気づいて大きく目を見開いた。


「カーズ様! こ、これは違うのです!」


 ミーシャは慌てて中年男から離れて言い訳をする。


「お前……」


 僕はミーシャから中年男に視線を移した。


 中年男の顔には見覚えがあった。


 結界石のメンテナンスを司っている宮廷錬金術師のトップの男だ。


「貴様ら、僕に内緒で不倫していたのか!」


 激怒した僕は腰に刷いていた剣を抜き放つ。


「お、お待ちください!」とミーシャ。


「これには深い理由が……」と中年男。


「問答無用!」


 僕は逃げ出そうしたミーシャと中年男を斬り伏せた。


 ブシュウウウウウウウ


 ミーシャと中年男の傷口から大量の血が吹き出し、やがて二人は絶命した。


 直後、宰相のマクガイアが室内に飛び込んできた。


「カーズ様……これは?」


 マクガイアは凄惨な現場を目にして棒立ちになる。


「こいつらは僕を裏切った不届き者だ。ゆえに成敗した」


 僕は勢いよく剣を振って汚い血を落とす。


「おい、マクガイア。こうなったら結界石に魔力を込められるのはあいつしかない。だから早くあいつを連れて来い」


「あ、あいつとは?」


「馬鹿か! カレン・バードレンに決まっているだろう!」


「しかし、カレン殿はカーズ様が婚約破棄を……」


「それがどうした! こうなったからにはカレンしか適任者がいないんだから仕方ないだろうが。いいからさっさと連れて来い!」


「連れて来いと言われましても無理です」


「はあ?」


 僕は自分の耳を疑った。


「何が無理なんだ? バードレン家に遣いを出して強引にでも連れてくればいいだけだろうが」


「そ、それが……」


 マクガイアは困惑した顔でカレンのことを話し始める。


 すべてを聞き終えたとき、僕の手から剣がこぼれ落ちた。


「か、カレンが……この王都から消えた……だと?」


「これも間違いありません。数日前に門番が王都から出ていく者たちを確認したさい、とある一団の中にいたのを目撃していたと」


「その一団とは何だ!」


「カーマイン王国からの使者です。何度もこの国の〈結界姫〉の力を借りたいと申し出てきていた北の小国です」


 僕は思い出した。


 確かにそんな国から〈結界姫〉の借り入れの嘆願書を目に通した覚えがある。


「しかし、そんな国の使者たちと僕は会っていないぞ」


「カーマイン王国から急遽、面会の中止が宮廷に届いておりました。まさかとは思いますが……」


「まさか……カーマイン王国の奴らはカレンを手に入れたから」


 マクガイアはこくりとうなずく。


「そ、そんな馬鹿な。では、この国にもう〈結界姫〉は……」


 あまりのショックに僕の膝がガクガクと震えた。


 そのときだった。


「た、大変でございます!」


 騎士団長が慌てて結界室に駆け込んで来たのである。


「緊急の伝書鳩から報告がありました! 王都近くの大森林から魔物の大群が確認されたとのこと! その数およそ一万! この王都に向かって押し寄せているとのことです!」


 その報告を聞いて、僕は今度こそ完全に膝から崩れ落ちた。


 そして――。


 数時間後、魔物の大群に蹂躙された王都中からは阿鼻叫喚の悲鳴が沸き起こった。



〈Fin〉

 

読んでいただき本当にありがとうざいました。


そして現在、異世界恋愛作品の新作を投稿しております。


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 ぜひとも一読していただけると幸いです。


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