マリアの幸せな結婚
街のお花屋『マルゲリータ』の一人娘マリアには、小さい頃から仲の良い幼馴染がいた。
彼の名前はサルバトーレ・ルーポ。
近所でも美味しいと評判のパン屋『プリマヴェーラ』の次男だ。
パン屋は長男のマッテオが継ぐからと、サルバトーレは子供の頃からマリアのいる花屋に足繁く通い、マリアの父アレッシオの花の仕入れを手伝ったり、店番をしながらブーケの作り方を教わったりと着々と花屋に婿入りするための準備を進めていた。
マリアとサルバトーレは、ちゃんとどちらかから告白して恋人になったとかではなかったけれど、なんとなくお互いに大きくなったら結婚するのだと思って育った。
サルバトーレはマリアのふわふわの赤毛にくりっと大きな緑の瞳が可愛いと思っていたし、そのおっとりとした性格も一緒にいると温かい気持ちになるので好きだった。
一方のマリアは、サルバトーレの眩い金の髪に湖のように澄んだ青い瞳が教会で見た絵画の中の天使のようで綺麗だと憧れていたし、いつもマリアを大切な宝物のように扱ってくれるから、自分は彼に愛されていると感じ嬉しかった。
ある日、サルバトーレが花屋の店番をしていたら、どこかのお屋敷の侍女らしい人がお花を買いに来た。
お屋敷のお嬢様が好きだというピンク色の店の花を全て欲しいという。
でもピンクだけでは彩りが悪いから、他の色も混ぜた方が良いですよと勧めると…
「じゃあ、あなたが選んであなたが届けてちょうだい。
言われた通りにしなかったとお嬢様に怒られるのは嫌だから…」
と言われ、仕方なくピンクをメインにした花束を作り、お屋敷に届けた。
その侍女が仕えるのはフィレンツェ男爵家の三女アンジェラ様だった。
今年15歳になるアンジェラ様は、年齢よりも随分幼く見えた。ベットの上で過ごすことの多い彼女は、外に出て走り回ることも、多くのものを食すことも出来ないので、少し成長が遅いようだ…。
サルバトーレが届けた花束をアンジェラ様に渡すと、その痩せこけた青白い頬に少し赤みがさした。
それから毎日のようにフィレンツェ男爵から花束の注文が入った。
男爵からの要望は、サルバトーレがアンジェラに似合う花束をアレンジし、届けることだった。
「お嬢様に気に入られちゃったね…」
マリアが茶化すように言うと…
「まあ毎日高い花束を買ってくれてお店の売上に貢献してくれてるんだから…少しくらいの我儘は聞くよ…」
サルバトーレも困った顔をしながらも、貴族を怒らせてお店に迷惑を掛けるわけにはいかないので、愛想よく毎日花束を届けた。
そんな日が3か月程続いたある日…いつもはお嬢様のお部屋に花束を届けて終わりなのに、応接間に通されて待つように言われた。
急にそんなお客様のような扱いをされて、落ち着かないので立ったまま待っていたら、男爵と夫人が現れ、ソファに座るよう言われた。
「君が、アンジェの王子様かい?」
「私は単なる花屋の店員なので、王子様ではありませんが…」
サルバトーレは貴族の旦那様に何を言われるのかとドキドキしながら、言葉を選んだ。
「いいや、それは分かってはいるが…娘は大好きな絵本の中の王子様のような君に憧れているようだ…」
男爵も夫人も、病弱な末娘をことのほか可愛がっていた…。
「そこで相談なのだが…」
その後、男爵夫妻から話された申し出は信じられないものだった…。
〜・〜・〜・〜・〜
「マリア…今まで口に出して伝えたことなかったけれど…僕ずっと、マリアと結婚したいと思ってた…」
男爵家から帰ってきたサルバトーレは、マリアと一緒に人気のない教会に来ていた。
ここは子供の頃からよく一緒に来た教会で、マリアはこの教会に飾られた天使の絵がサルバトーレに似ているとお気に入りだった。
「うん…私もそう思ってた…」
2人とも、何故か話が過去形だ…。
「今日、フィレンツェ男爵にアンジェラお嬢様との結婚を提案された。それは提案と言っても、平民の僕に選択肢なんてない…。
僕達がすでに夫婦だったら…せめて婚約していれば…違ったのかもしれないけれど…。
たぶん断れば…『マルゲリータ』も『プリマヴェーラ』も、このまま店を続けることは難しいだろう…。
僕には、自分の家族もマリアの家族も大切なんだ…」
「うん…」
「ごめん…最後にマリアを思い切り抱きしめさせて…」
2人は祭壇の前で、ただ無言で抱きしめ合った…。それは将来そこで挙げられるはずだった…結婚式のかわりのようだった…。
〜・〜・〜・〜・〜
あれから五年後…アンジェラは他界し、サルバトーレは貴族にとっては僅かばかりの…平民にとっては贅沢をしなければ一生困らないほどの遺産を渡され、実家に帰ることとなった。
憧れの王子様と結婚してアンジェラの体調が劇的に回復する…なんてことは無かったため、2人は式を挙げただけの、白い結婚だったけれど、サルバトーレは妻のために尽くし、アンジェラは幸せな花嫁としてあの世に旅立った…。
フィレンツェ男爵家の人々もそんなサルバトーレに心から感謝していた。
「ここを出て行くの…?」
初めに花を買いに来た…あの侍女が声を掛けてきた。
「ああ…」
サルバトーレは言葉少なに返すと、荷物の整理を続けた。
「あの幼馴染のところに帰るつもり?」
「・・・・」
サルバトーレはそれには答えずに、作業を続ける。
「帰ってもいないわよ。もう嫁いでいるって聞いたもの…。
それよりも私と一緒に、お嬢様の思い出を大切にしながら暮らしましょうよ。
その方がきっとお嬢様も喜ばれるわ…」
サルバトーレは侍女を無視して、荷物をまとめ終わると、最後の挨拶をするため男爵の執務室へと向かった。
男爵は笑顔でサルバトーレを迎えると、後ろに付いてきていた侍女に気づき、怪訝な顔をした。
侍女はサルバトーレが話を聞いてくれず、歩き続けるものだから、話しながらそこまで付いてきてしまったのだ…。
サルバトーレは侍女を指差すと…
「この侍女はたびたびアンジェラの私物をくすねていました。今すぐこの手癖の悪い女の部屋を検めた方が良いですよ」
と笑顔で言ってのけた…。
「なっ何を…!!旦那様、そんなの嘘です。
ずっとお嬢様を大切にしていた私が、そんなことをするはずがありません!!」
と弁解していたが…女の部屋から出てきた、いくつものアクセサリーや小物が動かぬ証拠となり、侍女はそのまま騎士団へと突き出された。
平民の侍女が、仕える貴族のお嬢様の物を盗んだのだ…極刑は免れないだろう…。
それらのアクセサリーや小物は、全てサルバトーレがアンジェラにプレゼントしたものだった…。
〜・〜・〜・〜・〜
侍女は、自分が仕えるお嬢様を大切に扱う王子様のように美しいサルバトーレを見て、勝手に自分が彼のお姫様なら…と夢想するようになった。
そしてアンジェラが亡くなった時…一番近くにいる自分がその立場に成り変われるのではないか?と思ったのだ。
思うだけなら勝手だが、その女はそのために邪魔なマリアを遠ざけるため、アンジェラを利用した。
『アンジェラ様の夫には、密かに思いを通わせ、隠れて逢引をしている幼馴染がいます』と嘘の証言をして…
アンジェラに心をあげることは出来ない代わりに、誠実であろうと努めたサルバトーレが、結婚後マリアに会ったことなど一度もなかったのに…
不安になったアンジェラは、その懸念を父に告げ…男爵は病弱な娘の心労を取り除くため、花屋の一人娘のマリアに縁談を持ち掛け、嫁に出させた…。
急な申し出だったから、良く吟味もされず選ばれたのは…年老いた貴族の男の後妻だった…。
そのことを父親のアレッシオから聞かされた時の怒りを…今も忘れない…。
アレッシオも…可愛い跡取り娘を、そんなところに嫁がせたくなどなかった…でも、貴族からの命令に近い申し出を、誰が断れるだろう…?
自分が幸せにすることは出来なくても、マリアには幸せになって欲しいと願っていた…。
それを…あの侍女が自分の勝手な妄想のために打ち砕いたのだ…絶対に許さない!!
だから…ワザとあの女の前で、羨ましがるようにアンジェラにいくつもプレゼントを贈った。
その行為はアンジェラにも男爵にも喜ばれ、サルバトーレはフィレンツェ男爵家の信頼を勝ち取ることもできた…。
案の定、あの女はアンジェラがベットから出られないのをいいことに、それらのプレゼントを着服して、自分のものにしていたようだ。
〜・〜・〜・〜・〜
『マルゲリータ』で、サルバトーレは店を手伝いながら、マリアの帰りを待ち続けた…。
例え何年掛かっても、ここで待つつもりでいた…。
そして…数年後…
「おかえり」
「ただいま」
教会で白い花嫁衣装を着て、僕が作ったブーケを持つ彼女は、最高に綺麗で…幸せそうに微笑んでいた。
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