第2章 始まりのDM
大学2年の終わりごろ、私はパパ活から距離を置いた。
実験が本格化して、課題も山積みで、それ以上に――疲れていた。
お金をもらって会って、笑って、別れて。
そのたびに、心のどこかを少しずつ削り取られていくような感覚があった。
もう、そういう付き合いに自分の時間と感情を使いたくなかった。
Xのパパ活アカウントは、ある日プロフィール文を静かに書き換えた。
自撮りもすべて消して、代わりに日々の授業や実験の愚痴、レポートに追われる日常のぼやきばかりをつぶやくようになった。
投稿の内容が変わっていくのに、さほど迷いはなかった。
もう“あの頃”に戻るつもりはなかったし、自分でもこの変化が自然なものだと思えた。
気づけば、そんな投稿が何か月も続いていた。
いつの間にか、フォロワーも少し入れ替わっていて、“パパ活垢”と呼べるものではなくなっていた。
でも、不思議なことに――
そういう“素”の部分を気に入ってくれる人も、わずかに残っていた。
大学3年の秋ごろ。ある日の夜、私はいつものように、誰に届くともなくこんなことをつぶやいた。
「化学ポテンシャルって何者……?
μの符号が変わった瞬間、分布の形が別人になるのおかしくない?
フェルミ粒子、クールすぎて感情読めない。
#量子統計で詰んだ」
ただの愚痴だった。
誰かに理解してもらおうとも思っていなかった。
その数時間後、一つのDMが届いた。
「“量子統計で詰んだ”、めちゃくちゃ分かります。
μが負になる理由、僕もずっと納得できなくて……
結局、“粒子数を保つための調整係数”って自己暗示で飲み込みました。
フェルミ分布の肩のライン、美しいけど、何者なんですかね。笑」
思わず、スマホを見ながら笑ってしまった。
何、この人。変わってる。でも、ちょっと面白い。
そして、ふと目に留まったアカウント名――「パパタロー」。
……いや、待って。名前、パパタロー?
それって、まさか“パパ活”から来てるの?
こんなに理系でまともな文章を書く人が、まさかの自己申告スタイル?
一瞬、眉をひそめたけれど――なぜか嫌じゃなかった。
むしろ、ちょっとだけ笑ってしまった。
パパ活の世界って、もっとガツガツしてて、がめつくて、
どこかで相手を試すような駆け引きばかりだったのに、
この人の“パパタロー”には、妙な無防備さがあった。
変に隠そうとも、誤魔化そうともせず、
むしろ開き直ってるようなその名前が、逆に信頼できる気がした。
そして気づいた。
この人、ちゃんとわかってる。
表層じゃなくて、中身に反応してる。
返信するつもりはなかった。
でも、気がつけばキーボードに指がかかっていた。
「DMありがとうございます。
“自己暗示”って、めっちゃ分かります。笑
あと、フェルミ分布って見た目が綺麗すぎて逆に怖いですよね」
それが、すべての始まりだった。
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