⑫
「九十九!!大変よ!」
石段を急いで駆け下りてくる桜月。
「桜月!ここらへんで白い狐を見なかった?」
桜月の腕の中には傷だらけで弱っているハクがいた。
「ハク!!!」
「九十九。急がないと、この子が死んじゃうわ!」
「どうすればいい!?」
ハクを失いたくない一心で桜月に聞く。
「あなたの霊力をこの子に注いであげて。ゆっくり水が流れるのを想像して。」
ハクの身体に触れながら桜月の言うとおりにやってみる。
「そう。集中して。ゆっくりで大丈夫だから。」
手から水が溢れてハクへ移るような感じがする。
これでいいのだろうか。
「もう大丈夫。よく頑張ったね。」
桜月にゆっくり頭を撫でられる。
焦っていた気持ちが少しづつ落ち着く。
何でこんなに落ち着くんだろう?
「ハク…。」
「隠し神と出会ったのでしょう?きっと九十九を守るために邪気を一身に受けてくれていたのね。今度は貴方の身を清めないと。おいで。」
桜月はハクを抱えたまま石段を上がっていく。
その後ろ姿を見ながら雨ノ宮の本殿へ向かう。
手水舎の前で桜月が足を止める。
「本来はこんな使い方をしたら良くないんだけど、この山から流れている水はとても綺麗なの。どんなものでも清めてくれる。」
桜月にハクを渡され、受け取ると手水舎の水をハクに少量かける。
「冷たいけど我慢してね。」
そう言うと桜月は僕の頭から水をかけた。
「冷たっ!」
想定以上の冷たさにさっきまでの暑さが嘘のように感じる。
「あははっ。冷たいって伝えたじゃない。」
柄杓を持ちながらも口を着物で隠しながら上品に笑う。
「冷たいけどさっきの疲労感がなくなった気がする。」
それに不思議と服が濡れたのに不快感がない。
「九十九も不思議な子ね。小さい頃からたくさんの者から気に入られてる。」
昔から?
どういうことだろう。
「でも気をつけて。神はね。気に入ったものを連れていこうとするよ。守られることはいいこと。けどね、時に貴方自身を殺すかもしれない。」
柄杓を手水舎にもどしてから、腕につけている音無鈴に桜月が触れる。
「この鈴を外さないようにね。」
「ねぇ、桜月はどうして僕を助けてくれるの?」
「そんなの簡単よ!大事な話し相手だもの。私が助けになるのなら力を貸すのは当たり前よ!」
桜月が言い終わるのと同時に心地よい風が吹き抜ける。
「やっぱり、貴方なのね。」
ぽつりと小さくつぶやいた桜月の声がはっきりと聞こえた。
「?」
意味が分からず首を傾げる。
「どうか、真実を知ったとしてもこの町を見捨てないでほしい。」
懇願に近い言い方に戸惑う。
さっきまでの表情が嘘のようだ。
笑えば少女の様に幼く見えるのに真剣な表情は大人びて見える。
けど、その顔はどこかで見たことがあるような。
懐かしいような妙な既視感を覚えた。
「その真実にもし僕が辿り着いたら考えることにするよ。今は隠し神が先かな。」
香織さんと愁生くんをこの町から解放しないといけない。
「あまり思いつめないで。貴方の言葉が誰よりも隠し神に届くわ。怪異となっても元は人間だったのを忘れないであげて。」
そう。元は人間だった。
なりたくてあの姿になったわけじゃないんだ。
息子を守りたかった母親の思いに社が力を与えただけ。
「公園の社はどうやって清めればいい??」
「穢れが落ちれば良いと思うのだけれど…。あ!九十九の霊力なら簡単にできるかもしれないわ!」
桜月は着物の裾からガラスの小瓶を取り出し、手水舎に流れる水を小瓶にいれる。
「この水を社にかけて。゛払い給え、清め給え゛って念じてみて。貴方の力ならそれだけで大抵の穢れは祓えると思うわ。」
小瓶を受け取るとガラス越しでも水の冷たさが伝わってくる。
「わかったよ。教えてくれてありがとう。」
「きっとその子もそのうち目を覚ますはずよ。何も心配いらないわ。」
桜月は僕を落ち着かせるように優しい声色で言う。
「隠し神も九十九なら助けられると思うの。自分の選択を信じて。救えない者もいるかもしれないけどきっと貴方は真正面から向き合うのでしょうね。」
「うん。きっと見てみぬふりはできないかな。」
誰よりも孤独を知ってしまったから。
それが辛いことだと痛感したから。
それを救ってくれたのは紛れもなく…。
理来や紬、婆ちゃん。
それに妖や廃れ神。
悪い者もいたけど僕の存在を認めてくれていた。
だから、視えることも悪くないことだって思って生きてこれた。
「たぶん。楽には死なせて貰えない人生だと思うけどできる事はやりたいかな。」
そう言うと桜月は驚いたように表情を崩した。
「その言葉…。」
「あぁ。これね。婆ちゃんが良く僕に言うんだよ。昔婆ちゃんのお父さんが言ってたんだって。言葉に出すと勇気をもらえるって言ってたよ。じゃあ、そろそろ帰らないと。」
手水舎の前から立ち去ろうとしたときに桜月に腕を掴まれる。
「いつか、あなたの名前を教えてね。」
その言葉に鳥肌が立つ。
「…。それは桜月が教えてくれたら考えようかな。」
やはり、人間ではないのか。
少しの落胆。
でも、人間じゃなくてよかったと逆に安堵してる自分もいる。
「わかったわ。楽しみにしてる。」
「じゃあ、またね。」
そう言って雨ノ宮から去った。




