第1話
そんなに長くならない予定です。
頭がぼんやりする。
何が起きたのか分からない。
さっきまで何をしていたのかも思い出せない。
ただ、やけに騒がしいことだけは分かった。
「――イレイナ・フォン・ローゼン! 貴様との婚約をここに破棄する!」
怒鳴り声が響いた。
会場中から歓声とざわめきが上がる。
俺は反射的に顔を上げた。
目の前には金髪の青年。
豪奢な礼服。
整った顔立ち。
そして俺を見下すような表情。
誰だこいつ。
いや、それより。
俺は誰だ?
その瞬間、頭の奥がずきりと痛んだ。
何かを思い出せそうで思い出せない。
男だった気がする。
会社員だった気がする。
だが霧がかかったように曖昧だ。
「聞いているのか、イレイナ!」
再び怒鳴られる。
その声でようやく周囲を見渡した。
豪華な大広間。
着飾った男女。
貴族らしき人々。
中央に立つ俺。
そして――。
視界に入った自分の手を見て固まった。
白く細い指。
小さな手。
どう見ても女性の手だった。
「……え?」
思わず声が漏れる。
その声も若い女性のものだった。
俺は混乱した。
何だこれ。
夢か?
いや、妙に現実感がある。
「現実逃避ですか?」
青年の隣に立つ少女が悲しそうな顔をした。
清楚で可憐な少女だった。
しかし俺は知らない。
本当に知らない。
「イレイナ。今さら黙り込んでも罪は消えない」
青年が言う。
罪?
何の話だ。
俺は何も分からない。
「貴様はエミリアへの嫌がらせを繰り返した!」
誰だ。
「学園内での誹謗中傷!」
知らん。
「私物の破損!」
知らん。
「階段から突き落とそうとした罪!」
知らんって。
全部初耳である。
俺は心の中で全力否定した。
だが当然、誰にも伝わらない。
「証拠も証言も揃っている!」
青年が得意げに紙束を掲げる。
周囲から拍手まで起こった。
何なんだこの状況は。
まず説明が欲しい。
俺は誰で。
ここはどこで。
なぜ女になっていて。
なぜ断罪されているのか。
順番というものがあるだろう。
「何か言い残すことはあるか?」
青年が勝ち誇ったように言った。
俺は数秒考えた。
そして。
「……どちら様でしょうか?」
会場が静まり返った。
青年の顔が引きつる。
「は?」
「申し訳ありません。私、状況がよく分からなくて」
本当に分からないのだ。
正直に答えただけだった。
「ふざけるな!」
怒鳴られた。
理不尽である。
「反省の色もないようだな!」
周囲からも非難の声が飛ぶ。
いや、だから何も分からないんだって。
そんなことを考えているうちに、青年は高らかに宣言した。
「罪人イレイナ・フォン・ローゼンを処刑する!」
あっ。
これ、駄目なやつだ。
説明もなく死ぬやつだ。
異世界転生したと思ったら即処刑。
チュートリアルすらない。
ブラック企業でももう少し引き継ぎ期間があるぞ。
「レオン」
青年の声とともに、一人の男が前へ出た。
銀髪。
青い瞳。
整った顔立ち。
年齢は二十代前半だろうか。
騎士だった。
剣を携えた処刑人。
彼はこちらを見た。
その瞳には感情らしい感情がない。
「罪人イレイナ・フォン・ローゼン」
低い声が響く。
なぜだろう。
初めて見るはずなのに。
ほんの少しだけ胸がざわついた。
もちろん理由など分からない。
「覚悟を」
「いや、待――」
銀色の光が走った。
一瞬だった。
痛みを感じる暇すらない。
視界が回転する。
床が近付く。
そこでようやく理解した。
首を斬られたのだと。
俺の意識は闇へ沈んだ。
◇◇◇
「――イレイナ・フォン・ローゼン! 貴様との婚約をここに破棄する!」
聞き覚えのある声だった。
俺は反射的に顔を上げた。
目の前には金髪の青年。
豪華な大広間。
貴族たち。
可憐な少女。
そして。
婚約破棄。
「……は?」
背筋を冷たい汗が伝った。
まさか。
そんなはずはない。
だが次の瞬間、頭の奥に大量の記憶が流れ込んできた。
イレイナ・フォン・ローゼン。
ローゼン侯爵家の令嬢。
王太子アルフレッドの婚約者。
学園の卒業記念パーティー。
そして今日、この断罪の日。
「ぐっ……!」
頭を押さえる。
知らないはずの記憶。
だが確かに自分の記憶。
さらにその奥から別の記憶が浮かぶ。
瀬尾猛。
四十二歳。
サラリーマン。
会社帰り。
眩しいヘッドライト。
衝撃。
死。
「おい、聞いているのか!」
怒鳴り声で意識が引き戻された。
俺は震える手で自分の首に触れる。
ちゃんと繋がっている。
さっき斬られたはずなのに。
傷一つない。
「どういうことだ……」
思わず呟いた。
理解できない。
転生したことも。
処刑されたことも。
生き返ったことも。
何一つ理解できない。
だが、ひとつだけ確かなことがあった。
このままだと。
俺――いや、私は。
またあの騎士に首を斬られる。
そんな確信だけが、妙にはっきりと胸の中に残っていた。




