名乗る
女剣士は夢を見ていた。
夢は幼少期の女剣士を映し出していた。
右手に夕日で真っ赤に焼けたウーマ砂漠が見えた。
未だ5歳にも満たぬ彼女は、十数年後に電蟲を駆使して灰竜を強制的に射精させるなど微塵も想像させない純粋無垢を絵に描いた様な女児だった。
彼女は、父親と思しき男の背中にしがみついて満面の笑みを浮かべていた。
「おとうさん。おとうさん。このままいえにかえります。おとうさんからおりません。」
幼少期の女剣士は、父親の首に両腕を絡ませ、精一杯甘えていた。
そんな親子のやり取りを成人になった女剣士が背後からじっと見ている夢だった。
「あ、夢だ。これ…」
ウーマ砂漠の景色を見るのは久しぶりだった。
夢の中の女剣士は目から涙をこぼしていた。
◇◇
目が覚めると女剣士は見知らぬ部屋のベッドに横になっていた。
意識を失っている間に湯浴みをされていた様で、汗と埃と精液と血液でガビガビになっていた黒髪は絹の様な繊細さと輝きに戻っていた。
折れた左上腕と靭帯が切れた右足首は薬液を十分に含ませた湿布が巻かれていて、処置の適切さから医療知識のある何者かによって処置されたと女剣士は思った。
「臭いは…?」
鉄分と海生生物が腐敗した臭いを持つ体液を全身に被っていた事を思い出し、女剣士は慌てて右肩や右腕を鼻につけてクンクンと自分の身体の臭いを嗅いでいた時、中年女性が室内に入ってきた。
「あ、意識が戻ったのね!良かった‥‥」
中年女性は目尻に浮かべた涙を右手で拭き取りながら、ゆっくりと女剣士が横になっているベッドに近寄ってきた。
「大丈夫?左腕と足首は痛くない?」
「え…あ、はい…大丈夫です。」
「それはよかった!あなた、ここにきて4日間ずっと意識を失っていたから…喉も乾いたし、お腹も空いたでしょう?」
中年女性は、そう言うと女剣士の返答を待つことなくばたばたと部屋から出て行った。
心配してくれている様だが、もう少し人の話を聞いた方が良いのではないかと女剣士は思ったが、すぐにかぶりを振った。
「どうやら助かったみたいですね…。彼がもう一匹の灰竜を斃したということですか。」
女剣士は改めて部屋の中を見回した。
「それにしても、ここはどこかしら。」
女剣士が今ある状況について整理をしようと考え始めた時、「おとうさん、おとうさん」という声が部屋の外側から聞こえ、ずかずかと先程の中年女性が部屋に入って来た。
中年女性は水の入ったコップと、オメッコという米のような穀物を茹でてふやかしただけの料理とも言えないもの載せたお盆を持っていた。
「さ、4日間飲まず食わずだったのだから、先ずはゆっくりと水を飲んで、これを口に含みなさい」
中年女性はそう言うと、お盆をベッド脇の机にかたんと置いた。
「さ、さ、さ、」
中年女性が女剣士にオメッコを食べる様、促した時、部屋のドアがぎいと音を立てて開き、白髪の中年男性が部屋に入って来た。
「ぺトーマン、あまり急かすな。お嬢さんが戸惑っている。」
そう言ったのは、ムニューチンだった。
女剣士は、ぺトーマンなる中年女性があまりにも一方的な親切の押し売りをしていた事に辟易し始めていた為、ムニューチンなる中年男性の助け舟に内心ほっとしていた。
「意識が戻って良かったよ。ここに運ばれた時の君は虫の息だったからね。4日でここまで回復するのは流石、名有灰竜を斃すだけの実力者なだけはある。」
ムニューチンは、そう言いながら女剣士の足を取り包帯を外して薬液をしみこませた湿布を手際よく交換していた。
「あ、ありがとうございます。・・・あの、ここはどこでしょうか?」
女剣士は断りなく足を触ってきたムニューチンに対して蹴り倒したい衝動に駆られつつも、何とかその衝動を抑え込み、目が覚めて最初に浮かんだ疑問を口にした。
「ああ、ここはノーブクロにある私の診療所だよ。ムタロウが君を担いでうちに転がり込んできたのだよ」
「ムタロウ?」
「ああ、灰竜の討伐に一緒に参加していた奴だよ。君と二人で双龍を斃したのだろう?ブラボウ草原から君を担いでここまで来たから、ムタロウに会ったらお礼はしておくんだね。」
「あの距離を担いできたのですか、それは・・、あの・・・ムタロウ・・さんはどちらに?」
「ムタロウだったら、私の研究室に居るよ。黴を見てニヤニヤしている。」
「かび?」
「まあ、理解出来んよな。と、それはさておき、君がいくら頑丈な身体を持っていようと、左上腕骨の骨折と左足首靭帯の損傷は、高位の治癒魔導師でない限りは完治に時間がかかるから、無理はいかんぞ」」
ムニューチンはそう言うと、ぺトーマンの手を引っ張って部屋から出て行った。
二人が部屋から出ていくと、病室は元の人気のない部屋となった。
◇◇
ムニューチンが「研究室」と称していた離れの建屋内で青黴の生えたオメッコの塊を見ていたムタロウは、今後の事について考えていた。
呪いを解いた後の生活設計であった。
二匹の灰竜を斃した事による報酬はギルドから出なかった。
灰竜を討伐した証拠がない・・・というギルド側の主張だった。
やられたと思った。
ムタロウが斃した灰竜はコンジロムが放った火蟲の刃によって跡形もなく消し炭になった。
女剣士が斃した灰竜の死骸は死後、塵になった。
この世界に転生した者は、死ぬと塵になり跡形もなくなる。
あの二匹の灰竜は転生者だった。
つまりは、そういうことだった。
「こちらでしたか。黴好きの剣士さん。」
声の主は女剣士だった。
「意識が戻ったか。腕と足は大丈夫か?」
「おかげさまで。ムニューチンさんの手当のお陰でなんとかなっています。」
「そうか。それは何よりだ。」
女剣士は左脚を引きずりながらムタロウの隣に立った。
「・・・・すまなかった。」
「何がですか?」
「おれが灰竜をしっかりと抑えていなかったばかりに、大怪我をさせてしまった。いくら電光使いとはいえ、意識外からの攻撃への回避は難しい・・・本当に申し訳なかった。」
「ええ・・・そんなの気にしないでください。あれを避けられなかったのは私が未熟だからです。戦闘時に周囲に神経を張り巡らせるのは当然の話で、電光使いでありながら、攻撃を受けてしまった事は恥ずかしい事です。」
女剣士は少し慌てた表情を見せながら、ムタロウの謝罪に対して恐縮してみせた。
女剣士のそんな様子を見て、年相応の振る舞いも出来るのだなとムタロウは思った。
「そうか。」
「そういえば、お名前を聞いていませんでしたね。わたし、ウィドウ・フルチルドっていいます。」
「…ムタロウ。ムタロウ・チカフジだ。」
その名を聞いた瞬間、ウィドウは目の前の剣士が、任務対象ではないかという疑惑と、そうであって欲しくないというという心のせめぎ合いがガラガラと崩れていく音を聞いていた。




