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悪党狩り  作者: 伊藤イクヒロ
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泣き落とし

その日の夜、ムニューチンの職場兼住居の中の食卓でムタロウの帰還を祝うささやかな宴が開かれていた。

「今日は久しぶりに良い日だから」と、大量のドンコとピクを彼の妻のぺトーマンに買ってこさせたと言いながら、ムタロウに勧める事もなく、一人でドンコがなみなみ入った杯を飲み干してはドンコを注ぎ、また飲み干しては注ぎ…という動作を延々と続けていた。


「しかしよくも戻ってこれたもんだ。お前が赤竜の鱗を求めてこの町を出た時、正直、おれは今生の別れだと思っていたんだよ・・・ほんと、よく無事に戻ってきてくれた。」


ムニューチンは目尻に雫を溜め、鼻水をずるずるとすすりながら、照れ臭いのかムタロウと目を合わすことなく、テーブルのドンコが入った杯を見ながらぽつりと声を発した。

食卓を照らすランプの炎はゆらゆらと揺らぎ、炎が発する光によって作り出された杯などの影は炎の揺らぎに合わせる様に伸びたり縮んだりを繰りかえし、ムニューチンの心情を代弁しているようであった。


「あのお嬢ちゃんや婆さんはどうなったんだい?」


ムニューチンはうつむいたまま、消え入る様な声で二人の動静について質問した。


「ああ・・・ラフェールとクゥーリィーは、ムセリヌのところに居る。」


ムタロウはムニューチンとは対照的ドンコを飲みながら淡々とムニューチンの問いに答えた。


「・・・・!? 生きているのか?」


「ああ、ムセリヌたっての願いでな。二人は嫌がっていたが、言う事を聞かないと赤竜の鱗を渡さないと言われて、やむなく。」


ムタロウは赤竜の鱗を手に入れた翌日には、ノーブクロへの帰任を希望したが、長年竜人族に畏れられ、祀られていたばかりに人との接触が出来なかったムセリヌは久しぶりに対等の会話が出来る相手が現れた事を殊の外喜び、そして、早々にムセリヌのもとを離れる意向を知るとたいそう悲しんだ。


「まだ帰らないでほしい。寂しい」


何千年も生きている、ほぼ神と言ってもいい存在が何を言っているのかとムタロウは鼻白んだが、見た目は少女の姿をしたムセリヌが目を潤ませて、懇願している姿にクゥーリィーはすっかりほだされてしまい、ここに暫く残ると言い出した、クゥーリィー一人を残せないとラフェールも言い出したのであった。

赤竜の鱗を貰った手前、無下にする事も出来ずムタロウも3か月程、ムセリヌのもとで過ごしていたが、4か月目に入ると流石に我慢の限界が訪れ、ノーブクロへの帰任を訴え、ムタロウのみ帰任する事となった。


「そうか・・・生きていたか・・・!おれはお前が一人で帰ってきたからてっきり・・・」


感極まったムニューチンは席を立ち、鼻紙を取り出すとずるずると鼻をかんだ。


「はは・・・・鼻紙が何枚あっても足りないな。」


ムニューチンは鼻の頭を真っ赤にして、うれしそうな顔をムタロウに見せた。


「たまったものじゃないけどな。流石に一人で赤竜の砦からノーブクロまで帰るのはしんどいので、ここまで送ってもらったのだが・・・」


ムタロウはムセリヌの背中に乗って・・・というより、しがみついてノーブクロ付近まで飛んできた事を思い出し、ぶるっと身震いした。


「ははは。赤竜の背中にしがみついて移動してきた奴なんて聞いたことない。よく落ちなかったな。」


ムニューチンは、驚きと愉快さを交えた表情を見せながら空になった杯に今度はピクを注ぎ始めた。


「おい、大丈夫か?ちょっと飲みすぎじゃないか?」


ムニューチンの酒を飲むペースがあまりに早いのでムタロウは思わずムニューチンの手を制してしまっていた。


「大丈夫だ。久しぶりの楽しい酒なんだ・・・飲み過ぎてもバチはあたるまい。」


ムニューチンはそう言うと、ムタロウの手を払い、ピクをがぶがぶと飲み始めていた。


「おい、そういえば・・・俺が不在の間、ノーブクロで何があったんだ?名有りが出たと小耳にはさんだが」


ムタロウの質問を聞くやいなや、ムニューチンはビクンと身体を震わせ、ぎろりとムタロウに視線を向けた。


「なかなかの状況だぞ・・・ノーブクロは」


◆◆


「それは名有りの件か?灰竜の。」


「ああ、そうだ。カネと名誉に目がくらんだ連中が悉く返り討ちに遭っている。」


「そうはいっても灰竜だろ?奴らの基本的な強さを思えば、名有り認定するのはいくら何でも過剰にすぎやしないか?」


「どうもそうでもないみたいだ。生き残った奴等が言うには「灰竜の姿をした別の生き物だ」とかなんとか。」


ムニューチンは再び、ピクを口にした。

「明日は使い物にならないな」とムタロウはムニューチンを見て心の中で呟いた。


「しかし、別の生き物か・・・。俺も灰竜とは何度もやってはいるが、どう違うのか・・・気になるな。」


「じゃあ、お前が討伐に行けばいいじゃないか。」


ムタロウはぶはっと口に含んでいたピクを噴き出した。


「え?何で俺がそんな面倒くさい事をやらなきゃならないんだよ。」


ムニューチンからの想定外の反応を受け、ムタロウは声を裏返しながら反論した。


「そもそも、赤竜と戦って生きて帰ってくるような奴が、名有りの灰竜如きに遅れを取る訳ないだろうが!お前が行けば余計な犠牲者も出ないと思うのが普通の発想だと思うがな!」


「・・・・俺一人でやれた訳じゃないぞ。」


「まあ、それは分かっているが・・・。」


二人の間に沈黙が生じた。

ムニューチンの背中の向こう側からぺトーマンがかたかたと食器を洗っている音が聞こえた。


「・・・・みんな困ってるんだ。」


沈黙を破ったのはムニューチンだった。

息を止めている事に我慢できぬかのように、勢いよく口にした。


「あの灰竜は、ナメコンドやセントコンドからくる隊商を襲っては奪い、殺しを続けている。」


「・・・。」


「お陰で、食料や薬などがノーブクロに入ってこなくなって、食料品の物価は上がるし、満足に薬も無いからカネのない冒険者や町の連中は、満足な治療が出来ずに死んでいくものもいる。」


「・・・。」


「灰竜を斃してノーブクロを元に戻すと言っていた腕利きの冒険者も返り討ちに遭った。この町で最強と言われていた奴だった。俺がこの世界に来て初めてできた友人だった。」


「・・・。」


「みんな困ってるんだよ・・・・。」


再び沈黙が訪れた。

とても重い、ただこの場に居るだけで押し潰されそうな居心地の悪い成分がたっぷり含まれた空気で辺りは充満していた。

テーブルに置いている蝋燭も心なしかか細くなっている。

ぺトーマンの食器を洗う音はいつの間にか止んでいた。


「・・・・わかったよ。」


「?・・・・何がだ?」


「俺がその灰竜を討伐すればいいんだろ。」


「ムタロウ・・・。」


「その代わり、ちゃんとペニシリン作れよ。タダでな。あと、暫くここに住まわせろ。カネが無くて困っているんだ。」


「ああ、メシと治療付きだ・・・」


ムニューチンはそういうと鼻紙を何枚も取り出し、ずるると鼻をかんだあと、目尻に浮かんだ涙を拭いていた。


「ふん・・・泣き落としで人を追い込んでおいて、ありがとうも糞もないだろう。」


こうして、ムタロウの名有灰竜の討伐参加が決まったのであった。


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