進行②
勢いで書く事はなくなりました。
「隠密」は通称であり、実際の正式名称は国内治安工作対策室と呼ぶ。
国内治安工作対策室は警察部の下部機関であるが、その存在は大々的に公開されておらず、その存在を知る者は、政府高官など一握りの人間だけであった。
このため、政府関係者は同室の事を正式名称では呼ばず、隠密と称して、当該組織の存在をぼやかしていた。(以降、国内治安工作対策室を隠密と記載する)
隠密は、その名称に反して百名程度の人員で構成されていた。
人員は、大きく分けて調査官、分析官、実行官の三つに分かれており、調査官による実地調査によって得られた情報を以て分析官が文字通り対象組織の分析を行い、分析によって得られた組織情報・個人情報を以て実行官が処断(摘発や組織の壊滅、殺人)していた。
調査官の現地での地道な情報収集と得られた情報でを以て対象となる組織・人物の特徴や行動傾向を元に最適な対処プランを考案する分析官の働きのお陰で、実働部隊である実行官の作戦行動の成功率は非常に高く、そして実行に際してのリスク管理もあって、この手の職務に係る職員の殉職率の低さは特筆すべき数字を挙げていた。
元々、隠密に所属する実行官の一人一人が手練れであった事に加え、処断に向けた入念な事前調査を基にした実行部隊編成と装備の準備が結果に繋がっており、隠密を立ち上げ後、現在の形まで作り上げたムクの手腕は、ナメルス王を始めとして政府高官からは一定の評価をされていた。
先の行政会議でムクは長官達から国内治安の状況について状況説明を求められ、国内治安を預かる警察部として、一連の事件についての状況説明を行ったのち、今後の対処方針として隠密の起用を提起していた。
歳出部長官のヒキを筆頭に長官達はムクの提案に対し異論を唱える事はなく、三人の調査に隠密を起用する事が承認された。
行政会議が終わると、ムクは直ぐに執務室に戻り、着席すると同時に机に置いてある呼び鈴を二回振って専属の秘書官を呼び出した。
秘書官は二度のノックの後、音もなく執務室に入り恭しく頭を下げた後、無言で扉の前で立っていた。
「バルトリンとウィドゥを呼んでくれ。」
ムクが秘書官に指示すると秘書官は再度恭しく頭を下げ、やはり音もなく執務室から退出した。
数分後、扉をノックする音がしたと同時に先刻の秘書官と女性の職員が執務室にやはり音もなく入室してきた。
「忙しい処、急に呼び出してしまいすまんな。貴殿ら隠密の力を借りる必要が出てきた。」
ムクが秘書官と女性職員に声を掛けた。
秘書官は身長190センチを超える長身で劇場の主演俳優と見まがう均整の取れたスタイルであった。顔は恵まれたスタイルを強調するかの如く小さく、涼し気な切れ長の目とすらっと通った鼻筋、そして整った艶のある黒髪を持つ男の周りには他者の居心地を悪くさせる不思議な存在感があった。
一方、秘書官の背後に立っている女性職員は、身長175センチ程でナメコンドの平均的な女性に比較して大柄であった。
その四肢は日頃から鍛え上げられている事が伺え、猫科の動物を思わせる美しさとしなやかさを同居させていた。
髪の毛は秘書官と同様に黒色で、かつ飾り気のないショートカットであったが、それが見事な四肢との相乗効果なのか清潔感と周囲にぴりりとした空気感を作っていた。
「お気遣いありがとうございます。ですがムク様による直々の依頼です。余程の事かと緊張をしています。」
女性職員は微笑を浮かべながら、返答した。
ムクは女性職員を取り巻く空気が桃色に染まっていく錯覚に陥っていた。
美しいなと、ムクは女性職員の顔を見て思い、ムクの男性が微かに動いた事を自覚していた。
「こちらこそ、そう言って貰えるとありがたい。バルトリン、ウィドゥ、隠密…国内治安工作対策室長並びに室長代行である貴殿らに、私の持つ情報を共有した上で、対象の調査業務を依頼したい。」
ムクは意識してキリと硬い表情を作り、隠密のナンバー1、ナンバー2に命令を下した。
「例の国内を荒らしている三人組ですか。」
秘書官…バルトリンは静かに答えた。
バルトリンは隠密のトップである事を隠しつつ、ムクと情報共有が密にかつ、自然に出来るという表のポジションとして秘書官を兼務していた。(他者は兼務しているという事実を無論知らない)
「そうだ。警察部、自警団、ギルドと出来得る限り、情報を吸い上げているのだが、奴らの目的がどうにも分からなくて正直行き詰まっている。伝聞情報での限界を感じてどうかとは思ったが隠密による直接調査を決断した処はある。」
ムクとしても、裏の組織である隠密はその組織の性格上、警察部次官が指示を出すという事は避けるべき事態であったが、本件を見過ごす事が自身の立場のみならず国家に対して重大な影響を及ぼすという胸騒ぎから、敢えて裏の組織の活動を表の人間が動かすというリスクを背負う動作をしなければならぬという衝動に駆られたのであった。
「対象は三人と仰ってますが、個人は特定されていますよね?教えてください。」
ウィドゥが口火を切った。
彼らはムクの配下ではあるが、一方で国家の安定を支えているのは、自分達であるという自負が強い。
このため、自らが課せられた責務を全うする事こそ最優先事項であるという思いから、良い意味で上長に対する忖度とは無縁であった。
「対象となる三人は次の通りだ。」
そんなウィドゥの質問はお見通しだと言わんばかりに、ムクはバルトリンとウィドウに1枚の紙を差し出した。
重要参考人情報
ムタロウ・チカフジ(男)
剣士
転移者
能力:未来視
ラフェール・シャクハッツィ(婆)
治癒師
老婆
能力:治癒能力
クゥーリィー・イマラ(女)
炎魔導師
若い
能力:炎魔導
「なんですか?このふざけた情報は。」
ウィドゥはじろりとムクを睨みつけた。
先刻、ムクの男性を動かした微笑は瞬時に失せ、ムクの男性が恐怖で幼虫の様に縮こませる刺すような視線であった。
「そう睨みつけないでくれ。現状で確認出来る情報はこれくらいなのだ。無論、未確定の情報ならば沢山あるが、調査前に先入観を植え付けたくない。」
ムクは内心はらはらしながらも、ウィドウに察せられない様、表情に注意しながら少ない情報量に至った理由を説明した。
「このムタロウ・チカフジは転移者との事ですが、転移してからどれくらい経つかご存じですか?」
「詳しい期間は分からぬが、ブクロの街に来てから五年以上経っているとの事なので、多く見積もって十年だろう。」
「成程。手練れですね。」
「そうだな。」
流石にそこは察してくれたかと思いながら、ムクは短く答えた。
別世界の人間が転移してくるに当たって、何かしらの能力を授かる現象は然程珍しくなく、コンドリアン大陸の人間にとっては常識と言っていい程に知られた話であった。
特にムタロウが有している(と隠密が思っている)未来視は結構な割合で授かる能力ではあったのだが、そもそも剣も魔導もない世界からの転移者が武術・剣術・魔導など習得している筈もなく、転移して最初の戦闘で未来視が発現しても良く分からぬまま殺されるケースが大半であった。
言い換えれば、転移者がこの世界に来てから十年生き残っているという事は、武術・剣術・魔導のいずれかを習得し、能力と連動して修羅場を潜り抜けている強者の可能性が高いと見て間違いないと言えた。
「…クゥーリィーという女性…、この方は一年前に公開殺害された元ブクロの長コンジロー氏の娘さんではありませんか…?」
バルトリンが抑揚のない口調でクゥーリィーについて言及した。
「バルトリンの認識の通りだ。クゥーリィーはコンジローの娘だ。コンジローの娘が何故、ムタロウ達について行ったのか?いつ火魔導を身に着けたのか?彼女の魔導師の力がどの程度なのか…我々が処断する決断を取った時にどれだけ脅威となるのか不明だ。」
ムクは処断を前提とした調査である事をバルトリン達に伝えた。
コンジローの娘であるクゥーリィーがいつ親元を離れたのか?何故離れたのか?クゥーリィーが出奔した事とコンジローの処刑にどのような関係性があるのか。
そして、敵として対峙した時、どれだけの脅威になるのかを見定める必要がある事を説明した。
「この、ラフェールって人…老婆と書いていますが、なんなんですか?ふざけてるんですか!? 」
ムクの思いを敢えて無視するかの様に、ウィドウは不快な表情を見せ、何故隠密がこのような仕事をしなければならないのか抗議した。
「ちょっと腕の立つと思われる転移者、最近火魔導師になったばかりの田舎の有力者の娘、よく分からないババアの三人の調査に我々を使うとか、どうかしてます!こんな連中に死霊街のアンデットを全て浄化するとか竜門会を壊滅させるとか出来る訳ないじゃないですか!ムク次官も前線から離れて、思考力が落ちてるんじゃないですか?」
ウィドウは自身が放った言葉に溺れたのか、目を吊り上げてムクを罵倒し始めていた。
流石にムクがむっとした処で、ウィドウの身体が硬直し、先刻まで怒りで紅潮していた顔が青白く変化していた。
「…黙れ。」
バルトリンが抑揚のない口調でウィドウの非礼を叱責した。
ウィドウの首筋には火糸が二重三重に巻かれていて、バルトリンの意志でいつでも火糸を発火させながらウィドウの頸を切断出来る状況になっていた。
ウィドウは調子に乗り過ぎて棺桶に片足を突っ込んでいる状況を認識し、恐怖で全身が硬直してしまったのであった。
「…お前如きがムク様に意見するのは百年早い。…次にこのような失礼を働いたら。」
バルトリンはそこで声を出すのを止め、無言となった。
ウィドゥはバルトリンに対する恐怖で額に脂汗をかいていた。
「…殺す。」
十秒後、バルトリンはボソッとウィドウに処断の意を伝えた。
抑揚のない口調は相変わらずで、それが逆にバルトリンの言葉が単なる脅しではないと、その場にいたムクもウィドゥも察していた。
「たっ…大変失礼しました…。隠密は、ムク次官の命令に基づき、ムタロウ、クゥーリィー、ラフェールの調査に入ります。」
恐怖で喉の奥から出せない声を無理矢理絞り出し、ムクとバルトリンの意向に沿う事を表明した。
「ありがとう。では、調査官を選定の上、直ちにムタロウ達三人の調査に入ってくれ。」
「…承知しました。」
バルトリンは恭しくムクに対して一礼をした後、ウィドウの鳩尾目掛け蹴りを入れ、ウィドウを執務室外まで吹き飛ばしていた。
不意打ちで鳩尾に蹴りを入れられた事で、ウィドウの胃袋は痙攣をおこし吐瀉物を撒き散らしながら執務室前の廊下を転げ回っていた。
「…調査官は、ウィドウにやらせます。」
「お、おう…分かった。期待している。」
バルトリンの容赦ない制裁にムクは若干圧倒されながら、一方でこれで少なくともムタロウ達の行動目的と実力は分かると、安堵していた。




