小悪党②
明日から仕事始めです。
今日は酒が美味い。
祝いの酒だ。
ウーマに呼び出され、他の幹部連中の前で虚仮にされて以来、酒を飲んでもあの時の事しか考えられず、穏やかな気持ちでいられた日は無かった。
漸くだ。
漸く、俺は自らの剣を手に入れた。赤眼の豚軍団という剣を。
あの日、ウーマに罵倒され、他の幹部連中に嘲笑されたあの日以来、ウーマと矯正委員会の連中に見下されない何かが
その為には金・武力・後ろ盾が必要だった。
俺は自分で言うのも何だが、王都では名の知れた歌い手だった。
王都で俺を知らぬ者はいなかった。
そのお陰もあって、数多の俺のファンが助けてくれた。
俺の受けた屈辱を理解し、憤り、そして俺の考えに賛同して資金協力を申し出る者もいた。
矯正委員会の以外の者は皆、俺を理解し、期待してくれている。
この間は、隣国のビチク・コンドから来たという俺のファンと名乗る女がやってきた。
その女は俺の顔を見ると俺に会えた嬉しさから泣き出してしまう始末であった。
賛同者と言えば、リョウマだ。
リョウマ・デカチと俺は盟友だ。
リョウマとの出逢いは5年前俺がウーマに辱めを受けて自暴自棄になって毎晩酒を飲んでは泥酔していた時だった。
あのとき俺はいつもの様に泥酔し、いつもの様に路上で嘔吐していたのだが、はねた吐瀉物が付近を歩く若い女に掛かってしまった。
女は激怒した。
女には連れの男がいた。
灰竜の鱗をピンク色に着色加工したブレスレットやベルトを身につけ、右腕には女の名前が彫られた刺青を誇示していた。
品のないチンピラだ。
女の名前を腕に彫るとか正気の沙汰ではない。
別れたらどうするんだ。どうやって消すんだ?
知能の足りない奴は、後先を考えないで行動するからどうしょうもない。それを肚が座っているとか度胸があると言い換えて自己肯定するからまたタチが悪い。
「おいこら、オッサン!どうしてくれるんだ!あぁ?」
どうしてくれるんだって、謝りゃいいのだろうが。
馬鹿か、コイツは。
「これは大変申し訳ない…汚した箇所の洗浄代はこちらで負担するので……あぐっ」
俺が謝罪と汚れを落とす費用について言い終わる前にチンピラは殴ってきた。
左頬を殴られて俺は右斜め後方に吹き飛んだ。
めちゃくちゃ痛い。
チンピラは、女に良いところを見せるチャンスと踏んだのだろう。
しかし、殴った相手が悪かった。
殴った相手は矯正委員会上級幹部のデニー・ゴールドボゥルだ。
「貴様ッ!誰を殴りつけたか分かってやってんのかこの野郎」
俺は平和主義者だ。
自ら暴力を振るって人を抑え込むのは好きではない。
俺が誰であるか知れば、相手のチンピラも暴力は止めるだろうと考えて敢えて警告をした。
「知らねぇよ、この糞爺ィが!お前が誰だっていうンだよ!」
チンピラはそう言うと、俺の鼻を殴りつけた。
殴られた鼻が潰れ、つんとした痛みが鼻に走り、涙が溢れた。
教養の無い底辺の人間は、社会のことなど興味がなかったのだ。
「あんたのゲロが付いたこの服はねぇ、マンコレの毛で織った服なのよ!どうしてくれるのよ!」
女は、金切り声をあげて俺をなじった。
馬鹿言ってるんじゃない。
マンコレの生地の服をお前の様なアバズレが買える訳ないじゃないか。
いいか、マンコレは東カマグラ山脈に生息しているんだ。
希少種だ。
生息地はナメコンドと対立関係にあるビチク・コンドだ。
そんな希少種かつ、交易のない敵対国からお前等みたいなしょぼい奴が、どうやって入手できるんだ?
ハッタリ利かすならば、もっと現実味のある嘘をつけ馬鹿野郎。
「謝ればいいってもんじゃネえだろうがぁぁ!!」
じゃあどうすりゃいいんだ。
頼むから意思疎通をしてくれないか。
女の金切り声に反応し、チンピラは俺の顔面を何度も殴り、殴られて吹っ飛んで倒れ込むと腹めがけて何度も蹴りを入れてきた。
チンピラに一方的に暴行を受けている間、俺は不当なに暴行を受けているにも関わらず、殴り返す事ひとつ出来ない自分自身に腹立たしく、情けなく思いながら嵐が過ぎるのをひたすら耐えていた。
◇◇
「ひぐっ…、うぐッ…、くくくッ…」
俺はチンピラからの暴行を何とか耐え切ってみせたが、身体中を殴られ蹴られた為、全身を激痛が絶えず走り、身動きが取れる状態ではなかった。
暴力に対する恐怖から失禁はおろか、脱糞までした。
ズボンの前は小便でびしゃびしゃに濡れ、後ろは大量の糞で盛り上がり、かつ、酷い悪臭を放っていた。
俺の横を通り過ぎる人は皆、顔をしかめて小走りで去っていった。
俺は自分の惨めさに耐えきれず、人目をはばからず声をあげて泣いていた。
人としての程度を考えれば、あのチンピラよりも俺の方が遥かに上なはず。
にもかかわらず、力が無いだけでどうしてこんな目に遭わなければならないのか。
あまりにも不条理じゃないか。
「おい、大丈夫か?酷い有様だが。」
悔しさと情けなさでオイオイ泣いている俺に向けて声が掛けられた。
自分で言うのもアレだが、路上でボロボロになって糞と小便まみれで泣いている中年の男に声を掛けようなんて思う奴はいないだろう。
少なくとも俺は絶対に掛けない。
「泣いているのか?本当に大丈夫か?怪我はないか?」
「……。」
大丈夫なわけないだろう。馬鹿野郎。
全身滅茶苦茶痛いし、漏らした小便が冷めて冷たくて寒いし、糞のにちゃっとした感触が裏腿まで達して最悪だ。
「歩けるか? とりあえず俺の家に行こう。」
そんな俺の状況など全くお構いなしに、声の主は意外な申し出をしてきた。
俺は思わず顔を上げ、声の主を見た。
声の主は、身長が170センチ程で、年齢は30過ぎ位の男であった。
小柄ではあるが身体の各部は厚くそして太かった。
腰には使い込まれた剣がぶら下がっており見るからに歴戦の手練といった風だった。
この世界の人間では珍しく髭は綺麗に剃っていて、ビチク・コンドの人間だろうか、髪の毛は黒髪の直毛だった。
「おお、やっとこっちを向いてくれた…と、顔ボコボコだな。取り敢えず風呂に入って汚れも落としてから手当てするぞ。」
「すまない…、全身暴行を受けていて痛くてまともに歩けないんだ。痛みが治まるまで俺はここで横になっているから、俺の事はほっといてくれ。」
「そういう訳にもいかないだろう。ここで放置したら死んでしまうかもしれない。仮にそうでなくても、何かしらの障害を持ってしまうかもしれない。」
「ここで死んでも別にかまわ…。」
男の掛ける言葉に俺は不覚にも不意に押し寄せてきた感情の洪水を抑える事が出来ず、再び声をあげて泣いてしまっていた。
「おいおい、大の大人が声をあげて泣くなんて止めておけ。歩けないならば俺がお前を背負って連れて行くぞ。」
そう言って、男は糞と小便まみれの俺を両手で軽々と持ち上げ、ぽんと俺の身体を男の上に飛ばし、落ちてきた処を起用に背中で受け止めた。
「あぶぅッ」
暴行を受けて全身打撲なのに、俺の身体を上方に飛ばして背中でキャッチとか、受けた時の衝撃で死ぬほど痛いだろうが。
もう少し考えろ、配慮しろ馬鹿野郎。
「悪いな、痛かったか。」
「…ああ、痛かった。怪我が治ったら、怪我人の扱いが粗雑だと訴えてやるからな。」
「ははは。それは困るな。訴えられても俺には金がない。」
「じゃあ、俺が治るまでに金を貯めておけ。覚えておけよ。」
「まあ、努力はするか。」
そんなやり取りをしながら男は俺を背負って夜の王都を歩いていた。
「…なあ、お前、俺が臭くないのか?汚いと思わないのか?」
「あ?何が臭いんだ?」
「俺は、糞を漏らしているぞ。いいのか? 汚いぞ? 汚れるぞ?」
「そんなもん、洗えば元に戻るだろう。それに、糞は誰でもする。」
「…お前、変わった奴だな。」
「そうか?」
「ああ、そうだ。そういえば、名前を聞いていなかったな。」
「ああ…、俺か? 俺はリョウマだ。リョウマ・デカチだ。」
「リョウマ・デカチ…変わった名前だな。」
「まあな。俺は転移者だからな。」
…それが俺とリョウマの出会いだった。
吾ながら実に情けない奴との始まりであった。




