オーシマルにて⑤
ムタロウ達が軍事大学を廻った日の夜、宿の食堂でムタロウ達三人と宿の主こと、黄竜が同じテーブルの席に座っていた。
食事は既に済んでおり、テーブルの上にはザメンというイヴッウの乳を発酵させた酒が並んでいた。
ラフェールはザメンが大層気に入った様子で、うっとりした表情で上唇を尖らせながらザメンを啜っていた。
クゥーリィーは酒を飲むのが初めてであった事もあり、ザメンをひと口含んだ途端、口の中に広がるアルコールの苦みと、ザメンの酸っぱい臭いに驚き、眉間に皺を寄せていた。
呑み込むことが出来ない様で、暫くの間、口の中でザメンをむちゅむちゅと転がしていた。
「で、どうであった?」
黄竜が昼間の軍事大学を見ての感想をムタロウに訊いた。
「とても不快なものを見た。あの豚はなんだ?」
ムタロウは昼間の惨劇を思い出しながら答えた。
惨劇を思い出しながらの酒はとても不味かった。
「さあな。ただ、お前の言っている事はその通りだ。あれはただの豚ではない。何か薬物か魔導か…何かしらの処置が成されている。それに…」
「それに何だ?」
言葉に詰まった黄竜の言葉を促してから、ムタロウはザメンを手に取り、ぐいと一飲みした。
「奴らの所持している武器は、いずれも魔導処理が成されている。」
「豚如きが魔導の力が込められた武器を所持している?」
ムタロウは思わず声を裏返しながら問い返していた。
「魔導処理が施された武器って何ですか?それって珍しいのですか?」
ムタロウの驚く様を見て、驚いたクゥーリィーが己の頭に浮かんだ疑問を口にした。
「魔導処理を施された武器は、魔導師兼鍛冶師である世間から名工と呼ばれる者によって作られたものか、ごく普通の武器が長い年月と数多の戦闘経験を経ていつの間にか魔導処理をされているかのいずれかなのじゃよ。ひと言で言えばとても貴重なものであっての、豚如きが所持できるモノではないのじゃよ。」
先程からザメンを呑む事に夢中になって会話に参加していなかったラフェールが口を挟んできた。
「ラフェールの言う通りだ。豚如きが持てるモノではない。」
名工と呼ばれる鍛冶師は、自身の技術に絶対の自信がある為、客を選ぶ。
当然の事ながら為政者を始めとする有力者か、製作した武器を使いこなせるだけの技量を持つ者にしか製作した武器に魔導処理は行わない。
ましてや、この世界で最底辺に扱われる豚種の為に槌を振るうなど考えられなかった。
だとすると、魔導処理を施された武器は市中で手に入れる他ないのであるが、稀少である為、当然それなりの値をつける事から、彼らの背後にいる者達の資金力は相当であると思われた。
「なあムタロウよ。」
「なんだ?」
「儂が見た処、矯正員会のデニーとかいう奴が、あの浅ましい豚達を自らの私兵にしようと動いている様なのだが、奴は何がしたいのだろうな?」
「?」
「お前達が最初にこの宿に来た時、儂は水魔導が弱っていると言っていたのを覚えているか?」
黄竜はザメンを呑んでは口を開きとせわしなかった。
「水魔導の素である白竜が、あの豚共と交戦してこっぴどくやられたそうだ。何とか一命は取り留めたものの、怪我がなかなか回復せず弱っている。水魔導が弱っているというのはそういうことだ。」
「ばかな…。神に等しい存在である竜に豚が勝てるなんてありえない。」
ムタロウは声を荒げた。
黄竜の発言内容を認める事が出来なった。
ムタロウがこの世界で最も忌み嫌い、底辺の存在と見下している彼らが、自分が挑んでも決して超える事が出来ないであろう存在に勝ったという話は認める訳にはいかなかった。
「お前個人の自尊心など儂にはどうでも良いのだが…さりとて、あの豚はその辺にいる豚は看過できん」
「確かにあの豚種達は、私たちがこれまで戦ってきた豚種とは違いますね。戦い方について訓練を受けているのもそうですが、それよりも皆、一様に眼が赤いのが気になりました。」
冷静さを欠いているムタロウと、言わなくても良い余計な一言を口にする黄竜にひやひやしたクゥーリィーは話題を変えるべく、豚種の身体的特徴を挙げた。
「ふむ。あれは薬物接種をした眼だったのぅ。あれは何だっけかの。」
ラフェールはザメンを飲みながら口を挟んできた。
ザメンを口に含みながら話し始めるので、口からザメンが漏れ、ザメンの白い筋が口角から顎にかけてつぅと垂れていた。
クゥーリィーは、その様子を見て顔を歪めていた。
「ああ、思い出した。あれはカリダカを摂取している者の典型的な症状じゃ。あの眼の色を見ていると常習者じゃのお。」
「カリダカってなんですか? 麻薬ですか? そんな薬物、聞いたことありませんが。」
「成程、カリダカか。それならばあの眼も納得できる。」
クゥーリィーの質問を無視する形でムタロウが一人得心していた。
自分の存在が無視され、会話が進んだことにクゥーリィーはむっとした。
「カリダカってなんですか!?」
クゥーリィーは少しむきになって質問を繰り返した。
その様子を見ていた黄竜が笑いながら子供を諭すような口調でクゥーリィーの質問に答え始めた。
「カリダカってのは、カマグラ山脈のある地点で採れるカリダカダケという茸を乾燥させたのち、砕いて粉末状にした薬物の事を言うのだよ。この薬物は向精神性、向魔導力、向筋力と冒険者が喉から手が欲しい能力の著しい向上をもたらす万能の薬なのだよ。」
「そんな薬があるのですか!それは冒険者にとってとても貴重な薬ですね。特に強敵相手の時に使うと有効ですね。」
「クゥーリィー、薬は前借りでしかないのだ。カリダカが強力であるという事はイコール、前借り量も多い。」
ムタロウが黄竜の言葉を引き継いだが、クゥーリィーにはムタロウの言葉が抽象的過ぎて何を言わんとしているのかよく分からなかった。
「要は、その人の持っている潜在的な力を全部引き出してしまうのじゃよ。一度二度ならば身体も何とか耐えられるのじゃが、カリダカは常習性が強くての、一度手を出してしまうと廃人になるまで使い続けてしまう者が大半なんじゃ。」
ラフェールがめんどくさそうにムタロウの言わんとしている事を説明した。
先刻からずっとザメンを飲み続けていたせいか、酔いが回っている様で、目がすわっていた。
「あの豚の眼は赤くなっていた…あれは中毒症状を起こしている眼だ。カリダカの向精神性作用の為に恐れがない。そのうえ、魔導力も筋力も向上しているのだから相手にするのは非常に厄介だ。そのうえに魔導処理した武器を所持しているとなると…。」
ムタロウはそれきり黙り込んだきりとなった。
「ところで、弱っているとはいえ、水魔導はまだ使えたという事は、白竜さまは生きているという事ですよね?黄竜さま?」
「ん? 確かに、そうなるな。」
「白竜さまはどこにいるのでしょうか?」
「ウーム…アイツは儂と違って一人でいる事を好む奴だからな。北カマグラ山脈のどこかにいるとしか言いようがないな。」
黄竜は困った顔をしながら、クゥーリィーの質問に答えようと天井を見ながらぶつぶつと白竜の事を口にしていた。
「まぁ、傷が治るまで人目につかない場所にいるのだろう!水魔導の力が日ごとに落ちている事を考えると、容態はあまりよくないのかもしれん!」
「いや、お前、神なんだろ? そんな答え俺でも出来る。」
「ムタロウッ!」
ムタロウの恐れを知らぬ物言いにクゥーリィーは慌てて、ムタロウを責めた。
こんなところで黄竜の不興を買っていい事は何一つないと思った。
そんなクゥーリィーの慌てぶりを見て、ムタロウは不思議そうな顔をしていた。
「まあ、兎に角、あの豚達を鍛え、魔導武器を渡しているのが矯正委員会である事は間違いないという事だな。俺の見た処、オーシマルも若い優秀なヌル族の数は少ないし、そのうち矯正員会とあの豚に町が乗っ取られそうな気がする。」
ムタロウは何か遠くのものを見るような仕草でこの町の行く末を評した。
「ムタロウ…お前もそう思うか。」
黄竜は驚いた表情でムタロウの顔を見た。
「ああ、俺が前に居た世界では、差別や平等などを殊更声高に訴える奴は大抵、どこかの国の手先であったり、資金援助を受けて活動をしていたが、矯正委員会の連中はそれに被るって見える。町の外に出たヌル族の帰郷は許されず、そもそもこの町自体が隔離されて、王都からの関心も低いとなれば矯正員会の息が掛かった豚達を増やす事も容易かろう。」
ムタロウは相変わらず、そこにはない遠く何かに視線を送りながら、ザメンを手に取った。
「尤も、今言った事は所詮、俺の推測でしかないがな。まあ、俺の推測が当たっていたとしても、俺がどうと出来るものではない。この町の未来は詰まる処、この町のヌル族が決める事だ。」
ムタロウはそう言うとザメンを口にした。
ムタロウも少し酔いが回ってきたのか、ザメンを口にする間隔が短くなってきていた。
隣の席ではザメンを飲み過ぎたラフェールがいつの間にかテーブルに突っ伏して寝ていた。
「まあ、お前に言われた通り、この町を見て思ったことだ。知人に依頼を受けてここで商売する余地があるか見てきたが、残念ながらヌル族の気質と、矯正委員会が深く浸透しているという点で、この町に明るい未来は正直、見出せん。」
ムタロウは黄竜に対して正に忌憚のない意見を伝えた。
クゥーリィーもムタロウの意見に概ね同意であったが、もう少し穏便な言い方があろうだろうと咎めたい気持ちでいっぱいだった。
「ほんとにずけずけと嫌な事を言ってくれるが、まあ、その通りではあるな。」
黄竜が寂しそうな表情でぽつりと呟いた。
それを見て、クゥーリィーは何とか出来ないだろうかと思った。
「この町での用事はもう終わったので、明日にでも赤竜の砦に向けてこの町を発とうと思う。申し訳ないが、俺にはこの町の未来よりも大事な用があるんでな。」
「そうか。あそこが恒常的に痒いのはそれほど迄に辛いか。」
「…ああ。ラフェールから貰った痒み止めの秘薬の効き目が切れると、地獄だ。」
「ふん。民族の存亡よりも自分のそれか。つくづく小者だな。」
「しょうがない。俺はヌルの未来より俺の病気の完治の方がよっぽど重要だ。小者で結構。」
二人の間の空気がぴんと張った。
会話の内容は実にしょうもなく、こんなことで感情のぶつかり合いをする神と大人が実に情けないと思ったが、どちらも暴発すると非常に厄介な存在である為、どうやってこの場を治めようか必死になって頭を働かせていた。
「…まあいい。お前の病気が治ったらまたここに来い。」
「すまないな…俺のスタートはそこからなんだ。病気を治して、初めて先に進める。」
性病を治すだけなのに、なぜそこまで格好つけた物言いをするのだろうとクゥーリィーはムタロウの言い回しを冷ややかに見ていた。
尤も、ムタロウにしてみればクゥーリィーに性病に罹患したいきさつは話していないし、クゥーリィーがそれを知っているなど夢にも思っていなかったのだが。
「おぅ? 明日出発か? 」
先程迄テーブルで突っ伏して寝ていたラフェールがむくりと起き上がった。
「ああ、明日ここを発つぞ。お前も部屋に戻って寝ろ。」
「わたしももう寝ます。」
席を立つ絶好のチャンスとクゥーリィーもラフェールに続き、席を離れた。
ザメンは不味いし、黄竜との会話も心穏やかに聞ける雰囲気でもなく、苦痛の時間であった。
今後は、こういった会食には同席しないようにしようとクゥーリィーは思うのであった。
オーシマル編が思っていた以上に長くなってしまいました。
ムタロウの目的地がようやく見えてきた感じです。




