敗者のその後②
第一部と第三部を見直しました。
誤字脱字多くて萎えました。
年が明け、大陸暦は1203年に切り替わった。
大陸暦は、コンド=ピタがコンドリアン大陸を統一して、コンドリアン帝国を建国した年を始まりとし、以来、帝国内の権力争いに端を発した内戦を経て4つの国に分かれた現在もなお採用されていた。
デンマの塔でもささやかではあるが、新年の振る舞いがなされていた。
ペロシは、軟禁当初にまま見られた癇癪を爆発させる事は無くなり、また、暇さえあれば塔内の蔵書を読み漁るか、塔内で身体の鍛錬に励むようになっていた。
以前の口数の多さも減り、人が変わったようだと、塔内の給仕たちペロシの変わりように訝しんだ。
ニュリンは、部屋に籠りがちになり、食事と風呂以外では殆ど姿を現さなくなった。
元々快活さから程遠い物静かな気質であったが、ペロシとの口論以降、内から湧き出てくる生命力といったものがか細くなっているのが誰の目から見ても明らかであった。
◇◇
デンマから南東1,200キロメートル離れた所にカップ家の領地ハタテがあった。
ハタテは代々、カップ家当主の直轄地であり、現カップ家当主であるバキムも普段は、ハタテにある城で執政していた。
バキムが自室でペロシについての報告書を読んでいた時、「失礼します」という声が扉の向こうから聞こえ、扉が開く音と共に、後頭部以外は禿げ上がった浅黒い肌の男が部屋に入ってきた。
「タマリン…部屋に入るときは、儂が入れと言ってから入れと何度言えば分かる。」
「大変失礼しました。ペロシ様の報告を読んだバキム様がどのような反応をするのか気が気ではなく、つい…。」
「お前がいくら幼少時からの付き合いであり、歴代のわが子の教育係であっても、距離感の近さに不満を持つものがいるのだ。きちんと距離感を弁えて貰わないと臣下に示しがつかぬ。」
「それは大変失礼ございました…で、ペロシ様の件についてですが。」
タマリンが全く失礼と思っておらず、形式論などどうでも言いたいのが明らかだったので、バキムは少々呆れたものの、全てにおいて息子達が優先されるというタマリンの気質を分かっていたので、タマリンの望みの通り、ペロシの処遇について話をすることを許可した。
「儂の考えを言う前にタマリン、お前はどう思っている?」
「は、ペロシ様も10月にデンマへ軟禁された当初は癇癪を起したり、悪態をついたりと変わらぬ様子でしたが、報告にもある通り、近頃は人が変わったような振る舞いをとの事。ようやくご自身の立場と責任を自覚したのではないかと。」
「そうだな、身体を鍛える事は別として、勉学については課せられたもの以外は一切興味を持とうとしなかった。報告の通りであるならば、何かしら心境の変化があったのだろう。」
「彼がしでかした行いは、カップ家は無論の事、カタイ・コンドとしても、許されざる事でありますが、長い目で見れば今回の件はカップ家にとって良い事と見るべきかと。」
ペロシがM字開脚で吊るされながら陰茎を勃起させ、勃起した陰茎をフックと見立て垂れ幕を下げられていた時点で処断される事案であったのだが、ここに至る経緯について更に聞き取りを調査進めると、ナメコンドの矯正委員会の依頼を受けムタロウという野剣士と対決し敗北した結果、その野剣士に吊るされが事が判明した。
この事実は二重の意味でカップ家を地に貶める事案であり直ちに斬首して、当主として責任をとらねばならぬ事案であったが、一方で、バキムはペロシを溺愛しており、何とかペロシを生かしたいという思いに囚われていた。
そうした状況の中、タマリンの意見は思考の迷路に嵌っていたバキムにとって都合が良く、愚かな末弟を救う事への正当化を成立させるには十分であった。
「そうなると、あとは処置の仕方になるな。如何に周囲を納得させるかであるが。」
「そこでしょうな。変態勃起騎士という異名をもっているペロシ様の異名を覆すには、少々安易ではありますが民を救う英雄になって貰わないといけません。英雄にさえなってしまえば、ノーブクロでの醜態も、少し変わった性的嗜好を持った英雄と民衆は勝手に親近感を持つもの。」
「よし、早速検討に入ろう。検討に当たっての人選は任せる。」
「は、承知しました。」
こうして、ペロシ本人が知らぬ所で、ペロシ解放計画が始まったのであった。
そのことがペロシの人生にどのような影響を及ぼすのか、ペロシ本人は無論の事、計画を首謀するバキムとタマリンも知る由がなかった。
◇◇
2月に入った。
デンマは毎晩の雪により、みすぼらしい家は白銀の屋根を持つ屋敷へと変貌し、石造りのデンマの塔との組み合わせも相まって町は神秘的な雰囲気を漂わせていた。
ニュリンは相変わらず食事と風呂以外では部屋に籠りきりであり、ペロシはおろか、給仕との接触も避けるようになっていた。
給仕たちは、ニュリンの精神状態がまずいのではないかと噂をするようになり、その噂はペロシの耳にも入っていた。
ペロシは、ニュリンとの口論以来、ニュリンと会話することを避けていた。
ニュリンの魔導師の将来がなくなった事実を告げられ、自身の愚かさを思い知るに至ってから、顔を合わせられなくなってしまっていた。
「お前の名誉と命を助けてやるよ!」
最近、ムタロウの言葉が頻繁に頭に浮かぶようになっていた。
ムタロウは、命よりも名誉という単語を先に出した。
名誉を殺された事によって、ただ殺されるよりも苦しい状況に陥っている…と思った。
「もっと大人になりなさい。賢くなりなさい。」
ニュリンの言葉もまた頻繁に頭に浮かんでいた。
自分がカップ家の息子であり、ニョドン騎士団の騎士である事を喧伝していた事。
如何にも胡散臭い矯正委員会の女の提示した報酬の高さと、ムタロウの実力を見誤って現状に至っている事。
全ては自分の招いた種であり、それに付き合わされた仲間は命を絶たれるか、未来を絶たれている。
全ては自分の子供じみた振る舞いの結果であった。
あの日以来、ペロシは塔内に蔵書されている書籍のうち、呪いに関する書類を拾い集め、読み漁っていた。
文献を調べて分かった事は、ニュリンの呪いは刻印呪術というもので、古代文字を対象に刻み込み、紋様とする事で発動する呪いであり、魔導師の魔力封じでは一般的な呪術との事であった。
物理呪術である為、解呪自体は単純で古代文字を削れば解呪されるが、これは、対象の肉体を削る事と同義であり、解呪に当たっては対象の肉体的負担は重いという事と、上位魔導師になればなるほど、書き込む古代文字の文字数は多く、紋様も大きくなる為、解呪は命の危険を孕むとのことであった。
ニュリンは二級魔導師であるため、背中に刻まれた紋様は直径にして30センチ程と表面積が広く、紋様を綺麗に剥がせる腕の良い医師と、迅速に肉体再生の治癒魔導が出来る高レベルの治癒師が必要と思われた。
「俺は、仲間の絶望を救う事も出来ないのか…。」
ニュリンに施された呪いの厄介さを知るにつれ、ペロシは暗澹たる気分になった。
「それでいいのか? ペロシ…。俺は、それでいいのか?」
自問自答の結果、ペロシは意を決して自室を出て、ニュリンの部屋の前に立っていた。
すぅと深呼吸をしてから扉をノックする。
「…はい。どなたでしょうか?」
扉の向こうから小さな声が返ってきた。
「俺だ。ペロシだ。話があって来た。」
「…この前のお詫びならば要りませんよ。そもそも私の物言いは王族の人間に対する口のききかたではありませんでした。状況が状況ならば不敬で私が糾弾されるものです。」
言葉に覇気はないが、返答の言い回しはニュリンのそれであった。
給仕が噂していた精神状態の変調は大丈夫そうだと思い、ペロシは胸をなでおろしていた。
「そういう事ではない。この先についての俺の考えをお前に伝えたくて来た。」
「……。」
しばらく沈黙があったが、がさごそと部屋の中で動き回る音がした後、扉が開き、ニュリンが顔を出した。
「…入ってください。」
「お、おう…。」
ペロシは緊張しながら部屋に入っていった。
商売女と部屋を共にする事はよくあったが、堅気の女性の部屋に入るのは生まれて初めてであった。
見てはいけないと思いながらも好奇心に勝てず、部屋に入るなり周囲を見渡していた。
ペロシの部屋はよく片付けられていて、彼女の几帳面な性格そのものを表していた。
机には1級魔導師に向けた魔導書と解呪に関する書物が立ててあり、ニュリンが魔導師に対する未練が見て取れた。
「それで…話とはなんでしょうか。」
相変わらず、前置きを嫌う奴だとペロシは思った。
以前ならば、もう少し会話のやり取りを楽しんだ方が仲間とのコミュニケーションも進むのにと思っていたが、今回は、ニュリンのその気質がありがたかった。
「俺は…お前に大人になれ、賢くなれと言われて、この三か月間ずっと考えていた。」
「…。」
「今、自分がやるべき事について考えてきた。今までそんなこと思いつきもしなかったのだが、自分がこの世に生まれ、求められている事について…を考えていた。」
「…それで、結論は出たのですか?」
「ああ…恥ずかしい事ではあるが、人はそれぞれ何かしら背負いこんでいるものがあるという事に漸く気がついた。その中で、俺の人生で成すべきことは…ニュリン、お前を再び魔導師として再起させる事だという結論に至った。」
ニュリンはペロシの言葉に表情ひとつ変えず、ひとこと「馬鹿な人だ」と独りごちた。
「ニュリン、お前の背中に刻まれた紋様の解呪は単純だ。紋様を削ってしまえばいい。しかし、それはお前の背中の皮と肉を剥ぐことを意味する。そんなことをすれば普通の人間は死んでしまう…。だが、治癒師と医師が居れば話は別だ。」
「どういうことですか?」
「医師による部位の切除と治癒師による治癒魔導の同時進行で切除に伴う苦痛は軽減されるはずだ。また、部位切除後に起こる肉体の衰弱は医師の治療で乗り切れる。ナメコンドのイーブクロには腕の良い医師がいるとの事だ。ここにお前を連れていく!」
「医師は良いとして、そんな腕のよい治癒師は何処にいるのですか?私の紋様は背中の表面に刻まれたものではなく、背中の深い部分まで刻まれています。その辺の治癒師では到底無理ですよ。」
「分かっている。その治癒師も探す!世界中を廻って、金が必要ならば金を工面して、どんなことをしてでも、治癒師を…」
「やめてください!」
ニュリンの声にペロシはびくっとして言葉を止めた。
「あなたの考えは良く分かりました。以前に比べたら遥かに成長している事も認めます。
私の未来を考えて貰っていることも理解しました。」
「じゃあ、ニュリン…。」
「あなたの考えは分かりました。分かったので、この部屋から出て行ってください。要件は済んだでしょう。以前にも申し上げた通り、私は誰にも気づかれずに消えていきたいのです。分かってください。」
「しかし、ニュリン…」
「出て行って!」
ペロシはニュリンが感情を前面に出して声を荒げる姿を見て絶句した。
ニュリンは背中を向けており、その感情が怒りなのか、絶望なのか、悲嘆なのか分からず、掛ける言葉を失っていた。
「分かった…すまなかった。」
そう言ってペロシはニュリンの部屋を出ていった。
ペロシが部屋を去り、ひとりになったニュリンは椅子に座り、机に立ててある魔導書と解呪書をぼんやりと見つめていた。
「この塔から出られないのに…何、実現できない希望を言うのよッ!!」
ニュリンはにわかに噴き出した感情を爆発させた後、声を出して泣いていた。
ニュリンの部屋の前にいたペロシはニュリンの嗚咽の声を聞き、ただ立ちつくしていた。




