ムタロウの呪い②
ムタロウ達が強盗団の襲撃を撃退してから4日経ち、一行はナマナカ峠を超えてナマナカ盆地に到達した。
前方に南カマグラ山脈、後方はナマナカ峠に囲まれた平地は山々のなだらかな稜線の大らかな曲線と山々の麓から僅かに広がる平地が作り出す箱庭感溢れる景色は、あの日以来、表情の冴えなかったクゥーリィーが初めて見る景色にムタロウやラフェールにあれやこれやと質問するまでにクゥーリィーの鬱屈とした心を回復させていた。
「それにしても…」
ムタロウはクゥーリィーの改めて魔導の才能に舌を巻いていた。
彼女の指から放った火線の見事なまでの繊細さ。
そして、それをミリ単位で操作できるたぐいまれなる蟲操作のセンス。
そして、躊躇なく獲物を仕留める思い切りの良さ。
魔力量の少なさという欠点を克服さえすれば、既にその辺の凡百の魔導師など足元に及ばない強力な魔導師たりえるといえた。
この才能の塊を早くちゃんとした正規の魔導教育を施し、この世界を一人で生きていける様、仕込まなければとムタロウは思うのであった。
クゥーリィーはナマナカ峠で襲撃してきた強盗団を返り討ちにしたあの日、初めて人を殺した事を思い返していた。
服を剥ぎ取り、木に縛り付けた強盗団の一人が口にした凶行を聞いた時、強盗団に犯され、腹を裂かれ、お腹の子すらも犯し殺された被害者の絶望が、自分が豚種に犯され、暴行された時の絶望よりも更に深いものであったと思いを馳せた瞬間にクゥーリィーは蟲に殺意を飛ばしていた。
クゥーリィーが我に返った時、一人は頭が柘榴の様に割れ、脳漿を撒き散らし、もう一人は全身を火線に貫かれた無数の穴で真っ黒になった死体が目の前に転がっていた。
あれをやったのは自分なのか、人を殺したのかという事実の認識はしたが、それよりも初めて人を殺したことに対する心の動揺が無いことに動揺していた。
「ああ、わたしは豚に拉致されたあの日から、わたしの心は別のなにかに変わってしまった…。」
ムタロウ達に助けられたあの日から自身の人生は激変した事は分かっていたつもりであったが、それでも何処か別の世界の話であるという他人事の感覚で見ていた。
しかし、それは他人の人生ではなくクゥーリィー自身が今後、平凡な女としての人生をまっとう出来なくなってしまったという現実に初めて実感を伴って理解したのであった。
◇◇
ナマナカ盆地は標高1200メートル程の高地にあり、典型的な高原気候で夏は涼しく冬は雪が積もる極寒の地であった。あまり高い木は生えておらず、背丈の低い木がまばらに生え、岩地と草地が入り混じる地形であった。
この為、冒険者にとっても行商人にとっても移動は比較的楽であり、また、この地に生息している魔物も大人しいものが多いため比較的安全に旅を進める事が出来た。
時折、カマグラ山脈に生息する、赤竜がナマナカ盆地上空を飛行している姿が見られたが、赤竜は基本性格が穏やかであり、こちらが危害を加えない限りは無関心であった。
「こういう旅がずっと続けばいいんですけどね。」
クゥーリィーが火線でリボンや猫の形を描いたりしながらラフェールに語り掛けた。
「そうじゃのぅ。戦闘はやっている最中は未だ必死だからいいのだが、終わった後の後始末が嫌じゃの」
「ほんとそうですよね。尋問って、毎回あんなことやってるんですか?」
「そうじゃ、毎回あれじゃ!裸にひん剥いて、木に縛り付けて、そしてアレを勃たせて…わしの魔導は慰安専門であって男の×××を勃たせるためのものじゃないぞ!」
クゥーリィーはラフェールの憤りは至極ごもっともだと思いながら聞いていた。
「ラフェールさん」
クゥーリィーはふとある事を思い出してラフェールに質問があると声を掛けていた。
「ムタロウは転移者だと言ってましたが、そもそも転移者って何ですか?ムタロウの転移と呪いは関係あるのですか?」
クゥーリィーは旅を始めてからずっと気になっていた事をラフェールに訊いた。
転移と呪いの話をムタロウはしようとしなかった。
クゥーリィーも自分の事をあまり語らないムタロウの心情を尊重し本人にずけずけと聞くことは控えていた。
「まあのう。ムタロウの転移と呪いは密接に関係しているのだろうのぅ。」
さて、何かをどうやって話そうかと考えながらラフェールは思索にふけるのであった。
「転移者というのはのぅ、この世界とは全く別の世界の人間がどういう理由か知らんが、こっちの世界に迷い込んだ者をいうのじゃよ。」
「はあ…」
クゥーリィーはラフェールの言ってる内容が全く理解できなかったが、口を挟むのは止め、ラフェールの次の言葉を待った。
「やつは、シル湖の東にある「子無し女の里」に転移したと言ってたのぅ。そこで呪いを掛けられたとのことじゃ」
「その里の名前は小さい頃、父から聞いたことがあります。呪いにより子供を産めない身体となった女しかいない町だと。父の与太話かと思っていましたが実際にあるのですね!」
シル湖はナメコンド南部にあるナメコンド最大の湖である。
湖の周辺には漁業を営む者達が転々と集落を作っているが、水を求めて周辺の魔物や害獣が集まってくるため、ナメコンドの人々の間では危険地帯という認識であった。
クゥーリィーは子供の頃から危険地帯で自分は一生行くことはない場所に、これまた架空の存在であると思い込んでいた呪われた町が実在し自分の仲間が呪われた町の出と知って高揚していた。
「そうじゃ、子無し女の里は実在するのじゃよ。ムタロウは運悪く転移した場所から最寄りの町がそこだったせいで病気となったと常日頃口にしていたのじゃよ。お前さんが来てからめっきりその話題を口にしなくなったが…まぁ、ムタロウはお前さんに言いたくないのじゃろな。」
クゥーリィーは、ムタロウの呪いの詳細と、自分に呪いの話題を言いたくないという理由がなんであるか気になった。
「ひょっとして、普段から水を飲む量が多いことや酒を一切飲もうとしない事、女性にも興味を見せる素振りもない事も呪いのせいなのですか?」
クゥーリーは身を乗り出してラフェールに質問を続けた。
「よう知らんがそうなのかもしれないのぅ。」
さぁ、という様子で素っ気なくラフェールはクゥーリィの質問に答えた。
「だったら…わたしは、ムタロウの呪いを特にお手伝いがしたいです!わたしの絶望から救ってもらった恩をわたしは返さなきゃならないです」
クゥーリィーは思わず大きな声を出し、ふと我に返って耳まで真っ赤にして黙り込んでしまった。
ラフェールはそんなクゥーリーの真っ赤な顔を見て「ひひ」と笑ったのち、何事もなかったようにクゥーリーの前を歩いていた。