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第8回 覆面お題小説  作者: 読メオフ会 小説班
9/10

君の秘密を知って世界の鍵を手にした件  ~マントヴァ1491~

 その日、僕はどういうわけだか部屋から出ようと考えた。物心つくまえから住んでいたこの部屋。木の机と椅子、ベッド、身体を拭くための水を貯める桶、服も数着しかなく、あと目につくものと言えば窓と本だろうか。

 生まれてからこの状態なのだ。定期的に食事が運ばれ、服は汚いと思ったら部屋の外に出しておけば、一晩後にはきれいなものが用意される。

 その代わり、僕は論文を書き、やはり外に出す。すると、書簡が届く。文面を読む限り、僕は評価されていることくらいは分かる。『北伊十傑』の一つと呼ばれているそうだ。

 文字や魔術を教わったことは覚えている。十年以上も前のことだ。基礎を数年程度で叩き込まれ、あとは研究、研究の毎日。論文を書き、返ってくる。文句がない出来にすれば評価される。

 僕にとってはそれが全てだった。正直、外に出る理由なんてなかった。正直、この建物に住んでいる誰よりも僕は外の情勢を理解している。本や書簡にはそうした情報もある。

 少し前に侯爵の顧問という男が来た時に話すと、彼は狼狽した様子で出ていった。部屋からでなくとも部屋の外のことは分かる。

 それなのに。

 なぜ、僕は中庭に出ているのだろうか。

 部屋を出て、少し歩いた。石造りの廊下を歩く。すれ違う兵士や侍女たちが僕を凝視していたが相手にしたくなかった。どこともなく歩いていたら中庭に出ていた。思い返せばそんな経緯だった。

 広い中庭だったが、人はいなかった。いや、一人だけいた。若い女性だった。白いドレスに鷹と大きな花が描かれている。彼女は椅子に座って、目を閉じていた。

 侍女だろうか? まだ昼間だというのに仕事をサボっているのだろうか。気になって少し近づくと、彼女は目を開けた。

「……そろそろ来る頃だと思っていたわ」

 彼女は視線をゆっくりと僕に向ける。目鼻立ちの整った顔立ち、白い肌、可憐という言葉を躊躇わせる芯の強さを感じる大きな瞳。栗色の美しい髪は肩にかかっていた。思わず息を呑んだ。

「あら、ロッシじゃないのね。誰かしら、あなた」

 彼女は不敵に言った。僕は自分の身分をふと思い出す。書簡によく書いている肩書。

「マントヴァ候の顧問魔術師ケルビーニ。『カモメ』などと協会では呼ばれます」

 愛称付は、高位魔術師を表す。人間にできないことができる動物である程、評価の高さが分かる。鳥、などは高位者によくつけられる愛称の一つだ。

「カモメ……侯爵様が飼われている魔術師ですね。部屋に閉じこもりっぱなしと聞きましたが」

「飼われているとは心外です。この群雄割拠するイタリアにおいて優秀な魔術師は国の存亡に関わるのですよ。ミラノのスフォルツァ家、ヴェネツィア共和国、フィレンツェ共和国、法王領の僭主たち、我々の周りは敵だらけですから」

 僕は大人げないと思いながら、魔術師の必要性と政治情勢を簡単に言った。侍女風情に分かる話ではないが、生意気な態度を改めさせるにはちょうどいいだろう。

 しかし、彼女は口元を少し緩めた後でゆっくり目を閉じた。

「なるほど、北伊に名を馳せる魔術師十人のうち、三人もいれば安心ですからね。でも、それだけで安心するほど、侯爵様は楽観的ではないわ」

 他に二人が在籍していることをこの侍女は把握している。歳は僕と同じ十七歳ほどと見ていたが、意外に幼いころから奉公しているようだな。で、あればこの時間に多少サボる要領の良さも納得だ。

「では、傭兵をもっと雇うかな」

 僕がふと言うと、彼女は眼を開けて、鋭く光らせる。

「軍事力では神聖ローマ帝国やフランス王国には勝てないわ。ヴェネツィアのような優れた海軍もない。私たちは頭を使わないといけないわ。アルプスの北側にはない豊かさがあるけど、力はないのだから」

(こいつ、本当に侍女か……?)

 魔術師協会からの情報程度では太刀打ちできない深謀遠慮が見え隠れする発現に僕は言葉に詰まってしまった。

「魔術師ケルビーニ、あなた、魔術の研究に行き詰っているのでしょう?」

 心臓を槍で突き刺されたような衝撃を感じた。

「唐突だね。君に魔術の素養があるようには見えないけど」

「素養がなくてもあなたがどういう状況か分かるわ。十傑から外れれば侯爵様はあなたを養い続けるかしら。ご両親から大金を払って買ったとはいえ、放出するのも早いだろうし」

 なにが狙いだ?

 僕の気持ちを見透かしたように少女は足を組んで、上目遣いで見る。

「ゲームをしない、魔術師様。三夜、私が指定した部屋で会う間に私の正体を見抜いてみて」

「なに?」

「報酬もあるわ。『世界の秘密を知る鍵』どうかしら」

「なんだそれ、『賢者の石』でも持っているのか?」

「さあ、どうかしら?」

 万能の霊薬たる『賢者の石』を彼女が持っているとは考えにくいが、ただ者と考えにくい。そういえば、僕は僕以外の侯爵に仕える魔術師の顔を見たことはない。こいつはその一人なのか。

「どうするの?」

 彼女はもう一度尋ねた。僕は少し考えたが、のらない手はなかった。なんのペナルティもない。

「分かった。ところで、名前は?」

 僕が尋ねると、彼女は笑顔を見せた。

「本当は今夜まで教えないルールだけど、特別ね。私はイザベラ」

 イザベラ。謎の少女の名。




   二


 ルールは単純なものだった。イザベラの用意した特注のろうそくが消えるまで、彼女へどんな質問をしてもいいし、部屋も調べていいという。そのうえで彼女の正体を言う。何度外してもいいというのは僕にとって有利だが、彼女が真実だけを言うわけでもなく、部屋も彼女の私物だけではないという。その点は不利だ。

 イザベラの指定した部屋は城の奥深くにある。

 これはすでにヒントだ。この区画はやんごとなき身分の者しか近づけない場所だ。僕ですら何度か身分を尋ねられたほどだ。とすると、彼女はマントヴァ侯爵の血縁か、高位騎士、僕と同じ魔術師、または侯爵の重臣の一人だろう。イザベラ。そんな名前の人物がいただろうか?

 部屋の広さは僕の部屋と変わりなかった。一人で住むには十分程度の広さ。質素な作りで多少調度品が多い程度だ。

 彼女はソファーに座って、ルールを話した後にろうそくを指さした。それは普通のものより長い気がした。

「悪いけどすでに時間は進んでいるから」

「ルール説明から時間内とは聞いていないぞ」

「といっても、これまでにいろいろヒントはあったでしょう。一夜目から正解してもいいのよ」

 この程度のヒントで分かるわけがないだろう。

「出身地は?」

「フェラーラ」

 フェラーラ公国……大使夫人、いや傭兵団長の関係か?

「家柄は?」

「そうね、高貴よ。ここに来るまでに察しているでしょう」

 そう、それは知っている。

 僕は動揺していた。これといって核心に迫る質問ができたわけではなかった。というより、支離滅裂だったかもしれない。疑心暗鬼になりながら質問ばかりして、あっという間に時間は過ぎていた。

「時間的に最後ね」

 その言葉で僕の緊張の糸は切れた。

「……君の正体は?」

 その一言を聞いた彼女は苦笑していた。まったく分からなかった。僕のプライドが切り裂かれたような気分だった。


 次の夜、僕は少し作戦を変えることにした。

 質問はせず、ただ部屋を調べた。壮麗なドレスをいくつか見て、飾られた盾を見る(確かにマントヴァでは見ない紋様だった)。本のジャンル的に魔術師ではなさそうだった。とすれば。

 僕は床にチョークで魔法陣を描く。そして、立ち上がるとイザベラをじっと見る。

「イザベラ、僕は魔術師だ。その証拠を見せよう」

「必要ないと思うけど」

 僕は腰に付けた瓶の一つを取り、中身を魔法陣の上にぶちまける。

「赤い目の犬の血、月光に三日三晩あてた獣骨を砕いたもの、炭を合わせたものだ。それをこの魔法陣に捧げると」

 僕が言っている間に黒い影のような狼が傍に現れた。

「時間限定の使い魔だ。僕の命令一つで君の喉笛を食いちぎれる」

 僕の言葉に彼女は動揺しなかった。いや、真っ直ぐ見ていた。

「脅しのつもり?」

「手段の指定はなかったはずだよ。どうだい、正体を言うなら命は助ける」

 僕は静かにゆっくりと言った。効果的な脅しの仕方、と本に書いていたことを思い出す。

 しかし、イザベラの瞳はまっすぐ僕を見ていた。

「あなたはそれをしない」

「……何の根拠がある。僕は魔術師だ。手段は選ばない」

「関係ないわ。あなたはしない。それは分かる」

 話が平行線だ。どういう理由かが分からない。でも、狼に指示を出す気にはなれなかった。なぜだ。脅しに少し暴れさせてもいいのに。

 僕が躊躇っていると彼女はソファーから立ち上がった。

「私は魔術こそできないけど、魔眼はあるのよ。『千里眼』というのだけど」

 彼女が言ったと同時に彼女の目に紋様が浮き出るのが見えた。魔眼。しかも千里眼だと。

 いや、それこそウソかもしれない。

「千里眼が本当だとは思えない」

「本当よ。素直に信じたほうがいいと思うけど」

「僕は魔術師だ。千里眼の貴重さは分かっている。よく見るものじゃないんだよ」

 僕が言うと、彼女は苦笑する。すると、机の傍にある椅子に座ると、机の上にあった紙になにかを書き始めた。僕は彼女に近づく。

「これが千里眼の証明よ。明日の昼にはわかるわ。バカな人、折角の時間をこんなことに使うなんて。明日の夜が最後のチャンスよ」

 二夜目もあっという間に終わった。僕は彼女からの手紙を受け取って、自室に戻るしかなかった。




   三


 そう、ラストチャンスだ。昨夜のバカげた脅しの仕方に後悔しながら、僕はイザベラからもらった手紙を読む。

 いい加減な内容でも、予知しやすい内容でもなかった。

「マントヴァ候の領地の境目で小競り合い。負傷者は二名」

 小競り合いなんて珍しくもない。問題はその二名の名前を明記していたことだ。

 小競り合いなら騎士が詳しいかもしれない。

 部屋から出て、僕は半年前にたまたま話したことのあるベテランの騎士に会いに行く。彼は中庭で稽古をしていた。

「騎士デ・サンクティス」

 僕が言うと、顎鬚の似合う筋骨隆々とした大男は鉄の槍をおろした。

「なんでしょうか、魔術師殿」

 彼はそう言って、笑顔を見せた。僕は手紙を彼に見せる。彼はとても驚いた表情を見せた。

「今朝、早馬で来た情報ですが、どうして魔術師殿が……これも魔術ということですか?」

  デ・サンクティスは僕に羨望のまなざしを向ける。

「いや、これは僕が予知したわけでもなにかしらの魔術で戦場を見たわけではない。

「では、どうやって」

 僕は迷った。彼に言ってどうするのか。信じるのか? 正体不明の少女が小競り合いの結果を言い当てた、と。

「魔術師殿。私はあなたを尊敬しています。朝から晩まで自室で研鑽しているのでしょう。あなたの努力を私は知っています。だから、どうか遠慮せずに言ってください」

 彼の言うことはとても温かった。理解者、なんだろうか。魔術師でもないのに、僕のことをわかってくれるのだろうか。

 これはイザベラの時に失敗したことではなかっただろうか。勝手に見下して、昨夜は恥の上塗りだった。

 僕は正直に経緯を話した。すると、デ・サンクティスは少し驚いたが、すぐに言ってくれた。僕の知りたかったことを。


 三夜目。僕はいつもどおり、彼女の質実剛健な部屋に入った。彼女の正式な部屋ではないと思う。持ち物はそうかもしれないが。

 イザベラはソファーに座って僕を見ていた。すると、苦笑する。

「その顔は分かったみたいね」

 イザベラが言うと、僕は彼女の目の前まで行って、跪いた。

「イザベラ・デ・エステ……いえ、侯爵夫人。数々の無礼をお許しください」

 そう、彼女はエステ家から嫁いできた侯爵夫人イザベラだった。若いとは聞いていたが、まさかまだ十七歳だったとは。

「構わないわ。立ちなさい、ケルビーニ」

 彼女の言う通り、立ち上がった。

「なぜ、このような遊びを?」

「……あなたは籠の中の鳥よ。外の世界を知らず、部屋の中だけで考えているだけ。まるで私のようだから放っておけなかった、それだけよ」

「僕は本を読んで世界を知っています」

「そうかしら? デ・サンクティスに聞くまで私の正体を知らなかったでしょう」

 図星だ。確かにわからなかった。

「ニコロ・ケルビーニ。あなたは私よ、私はあなたに世界を知る鍵を、身の自由を与える。その代わり、約束しなさい。旅の中で知ったことは私に知らせて。そして、私の子がこの侯国を統治する時にどうか力を貸してほしい」

「あなたの子に?」

「そう、私の魔眼が教えてくれている。私が産む子はこの侯国の後継者になれる。でも、困難もある。味方は多いほど良い。高名な魔術師ならなおさらね」

 イザベラが言うと、僕は息を呑んだ。

「それが世界を知る鍵だというのなら。受け取ります。イザベラ様、ミア・シニョーラ」

 壮大な話で実感が湧かない。でも、僕の心は高鳴っていることが分かった。

 翌朝には、僕は荷物をまとめて諸国を巡る旅に出た。いつ帰るか、果たして帰れるか分からない旅へと。


 二十八年後。フランチェスコ二世が死去し、イザベラの息子フェデリーコ二世が即位したマントヴァに当世最強と呼ばれる魔術師が帰還する。彼は無条件で彼と彼の母に仕えることを約束した。それはマントヴァ侯国最盛期の幕開けでもあった。

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