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第8回 覆面お題小説  作者: 読メオフ会 小説班
8/10

午前零時の案内人 船上にて

 雨が近づいています、とラジオが言っている。社用車から空を見上げると朝は春の青空が広がっていたのに雲が青空を埋め尽くしている。空が低くなり普段の私なら気分も下がっていくものだが、今日の私は違う。今日の夜はこの場所を脱出するのだ。


 とっとと仕事を切り上げて仕事荷物を置いて再出発する。深夜22時、竹芝埠頭から島に向かう大型船に乗り込む。土日は込み合うのかもしれないが、平日の夜は人がまばらだ。ご高齢の方、軽装の若者、カップル、友達同士など年齢や性別もばらばらだ。買い込んだビールを飲みつつ夜景や人々を眺めているとさっきまで仕事をしていた自分がまるで昔のことのような気がしてくる。


 ラジオの天気予報通りまばらな雨が降り始めた。濡れはしないのだが浮かれて軽装で来たので寒い、寒すぎる。雨というものはこんなに寒くなるものとは知らなかった。

 船内に戻ると魅力的なラーメンのディスプレイが目に飛び込んでくる。凍えた体には嬉しすぎるメニューだ。券売機にはビールからおつまみまで肩を並べている。おでんにソーセージとても魅力的なラインナップだ。貸し切り状態で初手はビールとおでん。静まり返って時折波にあおられて揺れるくらい。時間感覚が緩やかに薄れていき、うとうとうと眠気の波が足元から流れてくる。

「お姉さん、今日は終わりです」

「あ、はい」

 23時半、閉店。でも寝るのはまだもったいなくて、寒いことは覚悟の上で甲板に戻る。雨はすっかり止んでいる。深夜とお酒の力が加わってか寒さが薄れている。

誰もいないのかと思ったら若い女の子が一人で海を眺めている。

「こんばんは」

 女の子が振り返る。驚いた顔。マスク生活をしていると素顔の表情が見られるのが、なんだか新鮮だ。

「こ、こんばんは」

「こんばんは。雨やみましたね」

「そうですね」

「学生さんですか?」

「あ、はい」

「どちらから来られたんですか?」

「横浜です」

 話したい気持ちはあるものの会話というものは続けるのが難しい。

「あ、あの、貴方は社会人ですか?」

 おそるおそる会話を続けようとしてくれる女の子が嬉しくて思わず変なことを言ってしまった。

「私は午前零時の案内人です」


「午前零時の案内人……、ですか?」

 私が聞き返すと女の人は胸を張って言い放った。

「午前零時の案内人です」

 なんだこの人は。オフィスカジュアルの格好でどこからどう見ても普通の人……だと思う。でも、平日の夜、ここにいるということは普通の人ではないのだろうか。

「午前零時の案内人って何ですか?」

「午前零時は今日と明日の境界線。そこにはぽっかり今日でも明日でもない時間が生まれるんです。そんな時にご案内するお仕事です」

「今日でも明日でもない時間?」

「はい。昼の明るさの中では隠されていますが夜の闇は柔らかく覆い隠している時があるんです。」

「なにができるんですか?」

「とくには何もないです。夜をご一緒するだけです。こんな平日の夜、海の上で会うなんてなんか不思議なご縁じゃあないですか。あなたとお話してみたいと思ったのです」

 至極真面目な顔でそんなことを言われて面喰ながらもいつもは怖気ついて引っ込み思案になるはずの心が妙に言葉を紡げと後押ししてくる。景気づけのつもりで飲んでみたお酒のせいだろうか。


 何言ってんだ、私。穴があったら埋まりたいくらい恥ずかしい。話したいだけだったのに、変なことを口走ってしまった。気持ち悪い女だと引かれただろうな。とっとと退散しよう。

「あ、あの」

「へっ?」

 不意打ちの言葉に思わず声が飛び出る。

「私も……、お話してみたいです。……、今日でも明日でもない時間で」

 ちょっと照れた顔でそういってくれる女の子に私の心は浮かれる。

「ご案内いたしましょう」

 午前零時私たちは笑みを交わした。


 緊張が解けたからか春の夜風の冷たさが身に染み船内に戻ることにした。他愛のない話を振ると小さく笑みを浮かべて話してくれる。昔、自分が初めて船に乗った時のことを思い出す。あの時の私は何もかも手放したくなってこの船に乗った。勝手な想像かもしれないけれど、同じ匂いがする気がするのだ。

なんと偶然にも同室で他には誰もいない。船内は消灯しており、ベッド横の電気がちいさな明かりを照らしている。ベッド横に二人で腰かけるとほかには誰もいないような不思議な感覚に陥る。

「何度か来られているんですか?」

「はい。どこかに行きたくなると私は島を目指すんです。船に乗って黒い海を見ているとすべてがちっぽけなところから脱出できた気がして好きなんです」

「脱出、ですか」

 女の子の顔が少しこわばる。

「遠くに行きたいだけかもしれませんが」

 女の子がぽつりと言葉をはきだした。


「わたしも逃げてきたんです。もう家にも学校にも居たくなくて。」

「何かがあったんですか?」

 優しい言葉につられるように見る見るうちに言葉が零れ落ちていく。

「息苦しいんです。みんなは自由自在に泳いでいるのに私はずっとスイミングスクールから出られずにいるみたいな。周りに決められた通りに動いて言いなりになってる。嫌って言えば良いだけなのにできなくて逃げ出してきたんです」

「息はしやすくなりましたか?」

「分からないです。親には船に乗って出かけるから帰らないと連絡は入れたけれど、圏外になってからスマホは見ていないからなんていわれるか今もすごくドキドキしてます」

「船を選ぶのが素敵ですね」

「ここ、大学に行くとき毎日のように目にしているんです。いつもはぼおっと眺めているだけだったんです。でも一昨日大学から一人きりで昼過ぎに帰るときふと思ったんです。みんなは友達がいて恋人がいて楽しそうにしているのに私は一人で何をしているんだろうって。家に帰ったところで親にいろいろ言われるだけ。友達も恋人もいないのもつまらない人間だからなのはわかっているんです。でももう嫌になっちゃって。そんな時大型船が見えたんです。どこか遠くに連れて行ってくれる気がして初めて調べてみたんです。そしたら深夜便があることを知ったんです。うちも門限も厳しくて22時に帰らないと怒られるんですが、乗ってしまえばいいって思ったんです。だからその場で予約して今日乗り込んだんです」

 今まで言えなかった言葉が溢れる。こんな話を聞かされても迷惑だろうに。柔らかな温かさが頭に触れた。

「簡単に同じにしないでほしいと思うかもしれないのを承知で言わせて頂くと、その気持ちがわかる気がします。とても窮屈で自分じゃ何もできない閉塞感。私も同じ思いから動いている気がします」

「分かりますか……?」

「ええ。私は船が好きなんです。大海原を道路も線路もない中進んでいく。がらんじめにしてくる電波も届かないですから、何かが干渉してくることもない。周りは海しかない中を進んでいくのが良いんです。目を瞑ると夜の底にいるような気がするんです。ほら試してみて」

 そういうと女の人が下の段のベッドに横になった。わたしも階段を上がりベッドに横になり目を閉じる。緩やかな揺れが体に響く。瞼がだんだんと重くなっていく。


 気づくと朝だった。大きく一つ伸びをする。上のベッドの女の子はまたおやすみのようだ。鞄からノートとペンと取り出し、ノートの1ページを切る。昔の自分に重なる女の子に昨日伝えきれなかった言葉を紡ぐ。「逃げ出したい」という気持ちは響くほどによくわかる。もう少し一緒に過ごしてみたかったけれど起こすのも野暮というものだろう。荷物を纏め、船上に出る。

 眩しい光が目に刺さる。昨日の雨は嘘のように晴れ上がった空。あの女の子はこの朝日を浴びて何を感じるのだろう。ちょっとでも晴れやかな気分で空を見上げてほしい。

 下船の音声案内に倣い、手続きを踏む。昨日振りの地上だ。時間はたっぷりある。まずはどこに行こうか。

「あ、あのっ!」

 真後ろから声がして振り返ると女の子が立っていた。私の書いた手紙を握りしめている。

「今夜も案内してもらえませんか?」

 思いもよらぬ言葉にじんわり心が温まる。

「もちろんですとも」

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