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第8回 覆面お題小説  作者: 読メオフ会 小説班
6/10

午前零時の案内人 〜 スタンドバイミー 〜

「わあ、これ、懐かしいな」

「どうしたの?」

 僕の漏らした声に奥さんが寄ってくる。

「ほら、これ観て」

 スマホの画面には「『午前零時の案内人』を見た!」という投稿が表示されていた。

「あら、ゼロアンね。確かに懐かしいわね」

「でしょ?」

 言いながら僕は遠い記憶を思い浮かべる。

「誰か無茶するやつが出なけりゃいいけど」

 彼女はふふっと笑うと

「きみがそれ言う?」

 たしかに、と胸の中で独りごちて僕はもう一度投稿記事を眺めた。どこそこで怪しい黒ずくめの人物を見た、とか、午前零時頃にどこそこの山林が光っていたとか、あるいは星が流れて近くの山に落ちたみたいだとか、それがちょうど午前零時で、きっと案内人の仕業に違いないとか。あの頃もそんな感じだったなと僕は懐かしく思い出す。それと共に当時のなんともやり切れない気持ちも想いだして、少し胸が疼いた。


     


「ねえねえ、たっくん、これ見て。またゼロアン、現れたみたいだよ」

「え、またかよ?」

「うん、今度はどこかの神社だって」

 少し興奮気味に話すのは気の弱そうな小太りの少年で名前はまもる

「俺らも会えねえかなあ、ゼロアン。なんでも望みを叶えてくれるんだろ?」

 そう言って僕に話を振ったのは中学になってますます背が伸びて大人びてきた拓也で、でも僕は

「そんなのただの都市伝説だろ。あほらし」

 真剣に相手にする気にはなれなかった。

 ゼロアンとは『午前零時の案内人』と名付けられた都市伝説のことで、曰く、午前零時に黒服の人物がどこからともなく現れる。曰く、その者に出会えば、どんな望みでも一つだけ、叶えてもらえる。曰く、会ったときの記憶は消されるので誰も正体を知らない、などなど。去年の末頃から地域のSNS上で噂が広がりだし、半年経った今もそこそこ投稿を見かける。けれど大半は、どこそこのコンビニで黒ずくめの男を見たとか、午前零時頃に夜道を歩いていたら黒い影とすれ違ったとか、その程度の話で、中には話題を狙って自分で黒服を着て撮った写真をアップするような便乗犯もいた。

「えー、でももし本当なら快斗くんは、興味ないの?」

 衛が不満そうに口にする。なにか一つ叶えられる希望。そんなものがあるとしたら、それは……興味が無いはずないじゃないか。


 僕ら三人は小学校時代からの仲良しだった。同じ中学に進学した後も、良く集まって遊んでいた。

 衛は少し内気で運動も苦手だったけれど、物知りでいろんな珍しいもの(ゲームやらおもちゃやら)を持っていて男子には人気があった。それはたぶん彼が社長の息子だったからだと思うけど小学生の僕らは羨望の眼差しを向けていた。

 拓也は昔から背が高くて運動神経が良く、いわゆる腕白小僧だった。地域のスポーツ少年団でサッカーをやっていて将来の夢はサッカー選手、と宣言するようなやつだ。中学でもサッカー部に入っていて放課後グランドで練習している姿を見かける。

 僕は……取り立てて言う事もない普通の中学生だ。成績も普通、運動も普通、容姿だって人並みだ。ただ普通の人と違うことがあるとすればそれは……親がいないことだろうか。べつに死別したわけじゃない。それならむしろ良かった。僕は親に……捨てられたんだ。まだ小学校に上がる前、僕は母さんと二人暮らしをしていた。ある日、出かけた母さんは、そのまま二度と帰ってこなかった。僕はアパートに一人放置され衰弱しているところを、たまたま集金に来た大家さんが見つけてくれて助かったのだ。その時のことはもうあまり覚えていないけれど、最後に見た母さんが家を出て行く後ろ姿だけは脳裏に焼き付いている。その後、母さんの行方は分からなかった。僕は施設に預けられ、それからずっとそこで暮らしている。だけど中学が終わったら、施設を出ないといけないのだ。中学になった途端、その事実は僕の心に重しのように横たわった。もし望みが叶うなら、僕は何を望むだろう? 母さんとの再会? 施設を出なくてもいい権利? 一人でも生きていけるぐらいのお金? それともいっそ人生のやり直し? そんなの夢のまた夢だ。僕は夢を見たくない。夢はきっと叶わないから……


 七月に入って暑い日がやってきた。その頃、目に見えて拓也の機嫌が悪くなっていった。会うと彼の口から悪態が漏れた。

「くそ! なんで出れねえんだよ!」

 サッカーの試合に出場できないことでイライラしていたのだ。

「まだ、一年だから、仕方ないんじゃない?」

「俺の方がずっと上手いんだぞ!」

 衛が宥めるとますますいきり立った。

「もうすぐ夏休みだし、そこで一杯練習で見せつけてやればいいんじゃない?」

「夏合宿から外されたんだよ!」

 僕の言葉はやぶへびだった。ああ、くそと頭を掻きむしって悪態を吐く彼に言う言葉が見つからず、僕らは押し黙った。今から思えば、拓也は焦っていたんだと思う。子供の頃は無邪気に夢見ていたサッカー選手になることが実現にはどれほど難しいことなのかだんだん分かってきて、その難しさに押しつぶされそうだったんだ。

 そんな時、僕は僕で、いやなことがあった。施設の院長さんと職員さんの会話をたまたま聞いてしまったのだ。

「え? 閉鎖ですか?」

「いやいやそうは言っとらん。ただ、資金繰りが苦しいのは事実だ」

「そんなあ」

「もっと寄付を募らんといけないな。きみたちも力を尽くしてくれ」

 施設が閉鎖する? また僕は一人で置いていかれるのか? 胸がキュッと苦しくなった。不安が胸を満たした。


 そんなある日、衛が興奮した面持ちでやって来て

「ねえねえ、見て、たっくん、快斗くん」

「なんだ?」

「ほらこれ、ゼロアンの投稿記事」

「またゼロアンか?」

「もう、いいだろ、そんなの」

「でも、これ、とにかく見て!」

 うんざりしながらその投稿を見ると、不鮮明な写真ながら中央の光の中に黒ずくめの人物のシルエットが映っている。それだけならばなんて言うこともない写真なのだけど、光の中になにやら強大な動物の顔のような物がおぼろげに浮かび上がっていた。

「なんだこれ? 作り物?」

「合成なんじゃじゃないのか?」

「でもほら、ここ見て! ここ」

 衛が指さした部分を拡大していくと、光と影のちょうど境界になにやら写っている。

「えっと、なんだこれ、小屋?」

「祠だよ。祠」

「ほこらあ?」

「うん、しかも僕らここ知ってる」

「え?」

 よく見ると祠の屋根に変な旗が立っている。

「あー、これ! 俺たちが立てたやつだ!」

「ほんとだ!」

 僕らの住んでいる地域はすぐ近くに手つかずの自然が広がる山々があり、毎年夏には大人たちに連れられて、キャンプに行ったりしていた。何年か前、僕らはキャンプ地で探検と称して遠出をし遭難しかけて大人たちにこっぴどく叱られたことがあった。これはその時に立てた旗だ。あれはどこだったっけ?

「ねえ、これ、凄くない? ここに行ったらゼロアンに会えるのかな?」

「いや、でもこの写真がゼロアンだって決まったわけじゃないだろ」

「それはそうだけど……」

「それにここって結構遠かったぞ」

「そうだけど」

「どうせ誰かの悪戯だって」

「そうかなあ」

 衛は諦めきれない表情で口を噤んだ。


 一学期の終業式が終わって拓也と一緒に衛を迎えにクラスに行くと、いなかった。おかしいな。待ってるように言ってたのに。

「なんか二年生に連れて行かれたよ」

 まだ残っている生徒に聞くとちょっと声をひそめて教えてくれた。

「最近よくあるんだ。ちょっと強面の先輩。衛は嫌がってるようだったけど」

 なんだよそれ。拓也と二人して教室を飛び出す。スマホを鳴らしたけれど繋がらない。


「拓也、こっちだ!」

 人気のなさそうな校舎裏を覗くと案の定、衛が二人の生徒に絡まれていた。お約束過ぎて笑えてくる。

「行こう」

「ああ」

 僕たちの姿を認めるとバツが悪くなったのか、それとももう用が済んだのか、先輩たちは逃げていった。

「たっくん、快斗くん……」

「なんだ、虐められてるのか?」

「お金要求されて」

「かつあげかよ」

「大丈夫か? 殴られたりしてない?」

「ううん、でも、殴るぞって言われると、怖くて……」

「金、渡しちまった?」

「……うん」

 それまで耐えていたものが切れたかのように衛は涙を流し始めた。

「もういやだよ、こんなの。なんで僕、こんなに弱虫なんだろう。もっと強くなりたいよ」

 じぶんの不甲斐なさに悔し涙を流す衛の姿を見ていたら不意に言葉が口を吐いて出てきた。

「なあ、ゼロアン、探しに行かないか」

「へ?」

「あの場所にいるんなら、僕たちで見つけよう。それで望みを叶えるんだ」

 拓也が、衛が、ビックリした表情で僕を見てる。

「おまえ、信じてないんじゃなかったのかよ」

「そうだけど……」

 僕は目を瞑る。脳裏に施設での会話が蘇る。

「なにもしないのはいやなんだ」

「いいぜ、それ」

 拓也がニヤリと笑う。

「おれも行く」

「ぼ、僕も、行くよ!」

 衛が慌てたように声を上げる。涙はもう止まっていた。

 僕らの特別な夏休みが始まる。



「準備は大丈夫か?」

「うん、大体必要なものは持ってきたよ」

 拓也の質問に背負ったリュックを揺らして衛が答える。

 夏休みが始まって一週間。僕らは昼過ぎに最寄りのバス停前に集まっていた。今日はゼロアン探しの決行日だ。

 あれから僕らはキャンプの場所を親から聞き出し、スマホの地図で位置を確認したり、交通方法を検索したり、新たな情報がないかを探したりしながら計画を練った。キャンプ場は山奥にあり、車も資金もない僕たちにはバスの最寄駅からは歩くしか手がなかった。親に車を出してもらうことも考えたがそれでは一緒にキャンプについて来られるだろうし、真夜中にキャンプ場から抜け出して祠までいくのも難しいだろう。だから僕らは互いに友達の家に泊まりで遊びにいくと嘘を吐いた。

「じゃあ、行こうぜ」


「三人で旅行なんて、なんだかワクワクするね」

 衛がバスの車内でスナック菓子を頬張りながら楽しそうに言う。

「お前なあ、なに子供みたいなこと言ってるんだよ」

 拓也もスナックに手を伸ばしながら呆れた表情を浮かべた。

「えー、たっくん、楽しくないの?」

「俺はもうそんな子供じゃねえっての」

「えー、冒険だよ! 冒険! 楽しいよね? 快斗くん」

「うん、そうだね」

「あー快斗、お前、裏切ったな」

「なにそれ?」

 そんな風に車内で過ごしながら複数のバスを乗り継いだ。その度にどんどん山奥に入っていく。最寄駅に着いた頃にはすでに夕方になっていた。そこは山間の鄙びた場所にあって、眼下に深い谷と川が望めた。ここからは歩きで更に山奥へと入っていかないといけない。僕らは顔を見合わせて頷き合った。よし、行くぞ。大きく息を吸って気合を入れて歩き出した。


「暗くなってきたな」

「懐中電灯出す?」

「そうだな」

 歩き出して数時間、夏の日暮れは遅いけれど流石に暗くなってきた。

 あたりが闇に沈む。

「たっくん、ちょっと待ってよ。はやいよ」

 衛がはあはあ息を吐きながら付いてくる。

「大丈夫か?」

「…うん」

 衛が腰に手を当てて伸びをした。

「あれ? これどっちだ?」

 先を行く拓也が困ったような声をあげる。近づくと懐中電灯の光に二股の分かれ道が浮かび上がっている。

「えーと」

 山の中ではもはやスマホの地図アプリは役に立たなかった。そもそも電波が入らない。衛は用意してきた紙の地図上で今まで歩いてきた道を指でたどりながら首を傾げる。

「おかしいな。地図には分かれ道なんて書いてないけど……」

 ここに来るまでの間、ところどころにキャンプ場を示す道標もあったけれど、ここには見当たらない。

「今、どの辺?」

「多分この当たりだと思うんだけど」

「キャンプ場は?」

「ここ」

 衛が示す場所を見て

「じゃあ、こっちじゃね?」

 拓也が道を指さす。

「うーん、方向としてはあってるぽいけど、なんとなくそっちの道のほうが細くない?」

「そうかあ? 同じぐらいじゃね?」

「衛、どう思う?」

「うーん、確かに方向はこっちだと思う」

「じゃあ、しばらく進んでみて変だったら引き返すか」

「うん、そうしようよ」

 それが……僕らの運命の分かれ道だった。


 道はどんどん狭く、登りも急になってきた。左右の木々がまるで覆い被さってくるように感じる。何処かで陰鬱な獣の鳴き声も聞こえてきた。

「ねえ、なんか変だよ。戻った方がいいんじゃない?」

 歩きにくい荒れた道をそれでも長々と進んだ頃、衛が不安げに口にした。

「だってもう、キャンプ場に着いててもいいはずだよぅ」

 なんだか泣き出しそうな声だ。

「たしかに、そうなんだけど…」

 僕は口ごもった。自分でもそう思っていたけど、今から引き返すことを考えると徒労感が湧き上がってくる。振り返ると、今まで歩いてきた道はすっかり暗闇に呑まれて見えなかった。

「なあ、もうちょっとだけ、行ってみようぜ」

 こういうとき拓也はいつも前向きだ。

「それでだめだったら引き返そう」

 それからしばらく僕らはモクモクと歩き続けた。けれどキャンプ場は出てこない。みんながもうそろそろと思い始めた頃、不意に目の前が開けた。木立が左右に後退し、小さな広場のような空間が現れる。

「わあ、見て!」

 衛が思わず声を上げた。さっきまでの夜闇が嘘のように明るく感じる。見上げると綺麗な満月が浮かんでいた。僕らはその光景にホッとして足早に駆け出す。

「うわっと」

 拓也がなにかに躓いて転けそうになった。

「なにしてんだよ」

「いや、足元になんかあって」

 懐中電灯の光をかざすとそこに鉄のレールが横たわっていた。

「線路? でもちょっと小さいか?」

 頭を捻っていると衛がポンと手を打った。

「これ、トロッコの線路じゃないかな」

「トロッコ?」

「うん、多分、山で取れた木材とか石炭とかそんなのを運ぶためのものだよ」

「へえ、さすが物知りだな」

「なら、トロッコに乗っていったりできねえかな?」

 拓也は多分某考古学者の冒険映画みたいなことを考えてるんだろうなあ。

「いや、無理だと思う。もう使われてないと思うよ」

 僕らはレールの続く先を懐中電灯で照らす。よく見ると広場の先に木立の無い空間が続いていた。

「この先行けそうだぞ」

「行ってみるか?」

 顔を見合わせて頷きあう。来た道を戻る気にはなれなかった。


 レールは大部分、草叢の中に沈んでいたけれど場所によっては剥き出しになっている所もあって、僕らは線路をたどりながら月夜の道を歩いた。さっきまで森の中で聞こえていた獣の鳴き声もなく、シンとした静寂の中、みんなの足音と息遣いだけが聞こえる。夜中の山中で廃線を歩く。あれ? こう言うのってなんかなかったっけ?

「こう言うのってなんだよ?」

 拓也が聞いてきて、自分が声に出していたことに気づく。

「いや、あの、なんか僕らみたいな映画なかった?」

「?」

 拓也は首を傾げた。

「あー、それ、スタンドバイミーだ」

 物知りの衛が声を上げる。

「ああ、それそれ!」

「なんだよそれ?」

 拓也は知らないようだった。

「どんな映画だよ?」

「えっと、なんというか、少年たちが夜中に線路を歩いて……死体を見つける話かな?」

「なんだそれ?」

「もう、快斗くんは説明が雑!」

 衛に怒られた。

「いや、だって、線路を歩いていくところが僕たちに似てるかなって」

「じゃあ、俺たちもこの先で死体を見つけるのかもな」

「やめてよ! たっくん!」

 衛が慌てて耳を塞ぐ。

「あはは、冗談だよ。マジになるなよ」

「もう!」


 それから線路に沿ってどのくらい進んだだろうか。歩き詰めの疲労と、深夜に向かう時刻、そして何より、もはや自分たちが目的地には辿り着けないだろうという失望感に、みんな口数が減って黙々と足元のレールだけを頼りに歩いていた。不意にその足元がよく見えないことに気づく。懐中電灯の灯りがぼうっとしたモヤを映している。顔を上げると周りじゅうが靄っていてなにも見えなかった。

「え?」

 前を歩いていたはずの拓也の姿も、後ろにいたはずの衛の姿も全く見えない。

「拓也! 衛!」

 返事はなかった。

「おーい、聞こえるか! 拓也! 衛! おーい」

 できる限り大きな声で呼んでみてもなんの反応もない。

「うそだろ……」

 これは霧だろうか? 待っていたら晴れてくるのだろうか? それともずっとこのままなんだろうか? ドクンと心臓が不安げに音を立てた。不意に自分がこの世界に一人取り残された気がした。親しかった友は去り、自分はまた一人だけ残された。お前はいらない子だと、だからひとりぼっちなのだと言われた気がした。胸が苦しくなる。早く、二人を探さなくちゃ。早く! 僕は何かに追われるように駆け出す。白い闇が体を包んだ。


 おーい、おーいと呼びながら走ったけれど、二人からの返事も、二人を見つけることもできなかった。息苦しさのあまり立ち止まって荒い息を吐いた。気づくと目の前に大きな壁が立ち塞がっていた。ここで行き止まりだろうか? 二人はどこへ行ったのだろう? ここで行き止まりならこの近くにいるはずだ。霧の中を壁に沿って慎重に進んだ。ふっと霧の切れ目が現れた。壁に大きな空洞が開いていたからだ。

「トンネル?」

 覗き込んでももちろん中は暗闇で見えない。出口があるかどうかもわからない。でも、行くしかないと思った。きっと二人はそこにいる。そんな気がした。

 真っ暗なトンネルの中を懐中電灯の弱々しい光を頼りに進む。やばい。だんだん光が弱くなってきた。電池が切れかかっているんだ。こんなところで切れたら真っ暗闇になって動けなくなる。心底疲れていたけれど、焦りが足を動かした。僕は脚を引き摺りながら歩いた。後から考えたらスマホで明かりを取ることもできたのだけど、この時の僕はそんなことも思いつかなかった。いよいよ光が弱くなって焦りに胸が痛くなった頃、仄かな明かりが見えた。出口だ! 気力を振り絞って駆け出す。ようやくトンネルを抜けた!


「え?」


 驚きに足が止まった。

 そこはまるで昼間のような明るさだった。驚いて腕時計を見た。時刻はすでに零時近く。間違いなく真夜中のはずだ。空を見上げる。もちろんそこに太陽はなく、けれど遥か彼方にぼうっと光る空が広がっていた。いや、あれは空なのか? もしかしたら巨大な天井じゃないのか? 目の前には見たこともない巨大な木々が立ち並んでいる。まるで熱帯雨林に生えているような巨木。捻じ曲がった幹があちこちの方向に枝を伸ばして絡まっていた。ここは一体どこだろう? 呆気に取られて眺めているとどこかでおーいと呼ぶ声が聞こえた。目を凝らすと木々の隙間から動く人影が見えた。

「拓也!」

 叫んで駆け出す。

「こっちだ、快斗!」

 拓也も気がついた。

「快斗くん、こっちこっちぃ!」

 ああ、衛もいる! 良かった! ようやく二人を見つけた! 安堵で泣きそうになる。と言うか衛はすでに泣き腫らした目をして座っていた。

「怖かったよぅ」

 対照的に拓也は興奮して飛び跳ねていた。

「すごいぜ! ものすごいぜ!」

 その様子を見ていたら妙に冷静になってきた。

「なんか不思議な場所だね。ここどこだろう?」

「決まってるじゃん。異世界だよ、異世界!」

 拓也が拳を握って力説する。

「俺たちはきっと異世界に続くトンネルを通り抜けたんだ!」

 なんだその厨二設定? 僕らはまだ中一だぞ。

「衛、どう思う?」

 常識人で物知りな衞に訊いてみた。

「わ、わかんないよ、そんなの」

「バカ、お前、そうに決まってるじゃん。きっとゼロアンは異世界人なんだぜ」

 色々あって忘れかけていたけれど、僕らはゼロアンこと『午前零時の案内人』を探しに来たんだった。ハッとしてもう一度時計を見る。まさに今、午前零時を過ぎた所だった。

「……零時だ」

 その時、僕らの後ろで木々がガサゴソと大きな音を立てた。みんな驚いて振り返る。まさか! 本当にゼロアンが現れるのか⁉ ︎急に心臓がドキドキと音を立てた。誰もが立ち上がって木々の先を覗き込む。期待に息を呑んだその瞬間、バキバキと枝を蹴散らし出現したのはーーー見たこともない巨大な生き物だった。

「なんだ、こいつ!」

 拓也が叫ぶ。いや、小説や映画の中なら見たことがある。こいつは…

「竜?」

 衛が声を漏らした。その生き物は長い首の先に付いた顔をこちらに向けて、威嚇するように大きく口を開けていた。鋭い牙がびっしりと並んでいるのが見えた。太い二本足と不釣り合いな細い腕。まるで恐竜のようなその姿には、けれど決定的に違う、背の後ろでバサバサと音を立てる翼があった。

「うそ、だろ⁉︎」

 その時、目の前の竜が耳をつんざくような叫び声を上げた。瞳がギョロリと僕らを見据える。圧倒的な悪意が浮かぶのが分かった。

「逃げろ!」

 僕らは一目散に走り出した。けれど竜がすごい勢いで追いかけてくるのが背後の物音でわかった。チラリと後方を確認する。やばいやばいやばい! 追いつかれる!

「わあ!」

 前を走っていた衛がなにかに躓いて派手に転んだ。

「なにやってるんだよ!」

 拓也が慌てて衛を引っ張り起こす。僕は咄嗟に足元に落ちていた小石を拾って竜目掛けて力の限り投げた。けれど竜は顔を軽く振ってその石を弾き落とした。だめだ。全然効いてない。それどころかさらに怒らせてしまったかもしれない。

「おい、快斗、早く!」

 拓也が焦った声を上げる。背を向けて再び走りだそうとした時、ずるっと足が滑った。

「あっ」

 顔を上げると拓也と衛が恐怖に歪んだ表情でこちらを見ている。急いで振り返った僕の視界の全てが大きな牙で覆われた。

 もう、だめだ。

 そう観念した瞬間、目の前に何かが跳び込んできた!


 それは一瞬、黒い何かの塊に見えた。でもその黒いものがひらめくとそれが黒いローブを纏った人だと分かった。なぜなら、振り向いたその人のローブの下に真っ赤な服が覗いていたからだ。

「君たち、大丈夫?」

「え?」

 その人は綺麗な女の人だった。僕には女性の年齢はよく分からないけれど、多分僕らより少し年上。優しそうな瞳と口元には僕を安心させるためなのか柔らかい笑みを浮かべていた。しばらく呆気に取られて見つめていたけど、ハッと気がついた。こんなことしている場合じゃない! 竜が襲ってくる! 僕は女性の肩越しに竜を探した。そこで初めて気がついた。竜がまるで繭のような淡い光に包まれて宙に浮かんでいる。少女の手がその光を掴んでいるように見えた。

「リベルテ・エル・オキニス。さあ、もう心配いらないわ。おかえりなさい」

 少女が竜に優しく話しかける。あれほど怒っていた竜がおとなしく、わかったと言うように首を振った。バサバサと竜の羽がはためいて、竜を包んでいた光が弾けて消える。竜はそのまま飛び去っていった。

「あの子は母親なの。子供を連れているから警戒心が強くなっているのよ」

 小さくなっていく竜を見つめながら少女が言う。その光景を見ながら僕らはその場にへたり込んでいた。

「ところで君たちは誰なの? こんなところでなにしてるの?」

「え、あ、僕らは……」

 今起こった事が衝撃的すぎてすぐに言葉が出てこない。立ち直りはやっぱり拓也が早かった。

「あんたが、その……ゼロアンなのか?」

「ゼロアン?」

「えーと、午前零時の案内人のことです」

「なんの案内人だって?」

 僕らは午前零時の案内人について彼女に説明した。その人を探しに来た事も。そしてここに迷い込んだ事情も。彼女は少し困ったように眉を上げて「おかしいなあ。ちゃんと結界張ってあるはずなんだけど」とボソボソ独り言を漏らした。

「うーん、確かに私が人里に降りるのは人目を避けるために真夜中が多いし、このローブで姿を隠してるから、そのなんとかの案内人の目撃情報に近いし、なんなら確かに私のことなのかもしれないけど、でも、どんな望みも叶えられたりしないわよ」

 その言葉を聞いて薄々予想していたけれどやっぱり少しがっかりしてしまった。それでも聞きたいことはいっぱいある。彼女は誰で、ここはいったいどこなんだろう?

 そう尋ねると彼女は「じゃあ、当ててみて」と僕らの質問を愉しげに返した。拓也が異世界説を力説し、衛はジュールベルヌの地底都市説を持ち出した。

「ふーん、当たらずといえども遠からず、かな?」

「えー、どう言う意味ですか?」

「ふふっ」

 でもそれ以上、彼女は教えてくれない。

「あ〜あ、骨折り損かよ」

 拓也がボヤキ声を上げた。つられて僕らも気持ちが緩んだ。

「せっかくこんな遠くまできたのになあ」 

「本当だよ。すっごい大変だったのに」

「もう少しで死にそうだったぜ」

 みんなが口々にボヤく。それを聞いていた彼女は僕らをかわいそうと思ったのか、こんなことを聞いてきた。

「ちなみに、君たちの叶えて欲しかった望みってなんなの?」


「俺は将来プロサッカー選手になって、ワールドカップで優勝したい!」

 拓也が勢い込んで言った。

「それは……人に叶えてもらう望みじゃないわね。君の頑張り次第じゃないかな」

「そ、そんなの…わかってらい。でも、簡単じゃないんだよ!」

 拓也が不貞腐れる。

「まあ、君がプロ選手になれるように少しだけ手伝ってあげてもいいけど」

「え? まじ?」

 彼女は軽く笑いながら衞に目を向けた。

「それで、君は?」

「ぼ、僕は…もっと強くなりたい。いつまでも泣き虫は嫌なんだ」

「なんだ。君の望みも誰かに叶えてもらうものじゃないわね」

「でも、その…勇気が欲しくて」

「勇気ならもうあるじゃない」

「え?」

「君はこんな所まで、やって来れたんでしょう。それだけで君の勇気は証明されているわ」

「あ…」

「それでもまだ足りないと思うんなら、手伝ってあげてもいいけど」

「ほんと?」

 返事の代わりに笑いかけて最後に僕の方に顔を向けた。

「それで君はなにを望むの? 君も他の二人みたいに誰かに叶えてもらう意味がないことかな?」

「僕は…」

 なにを望めばいいだろう? やっぱり母さんのこと? それとも施設を助けるお金? 自分の将来の成功? どれも違う気がする。僕の本当の望みは、欲しいものは…なんだろう? 迷った挙句、その言葉は胸の奥から零れ落ちた。


「僕は、あなたの特別になりたい」


「へ?」

 彼女は呆気に取られた表情でしばらく僕を見つめていた。それから急にアタフタし出して

「え? なに、それ? もしかして、プ、プロポーズ?」

「は?」

 なにを言い出すんだと思ったけど、よく考えたらそんなふうにも取れる言葉だった。

「え、いや、ちが…」

 僕もしどろもどろになって言葉に困っているとヒューヒューと言う拓也の囃し声が聞こえてきた。子供か!

「いや、あの、違くて。僕は…」

 そうして僕は彼女に自分の生い立ちについて話した。

「だから僕は、もう一人で置いていかれるのは嫌なんだ。いつまでも一緒にいてくれる誰かの特別になりたいんだ」

「ふうん」

 彼女は人差し指を顎に当てて何かを思案してるようだった。

「そうねえ、君の望みも、やっぱり人から与えてもらうものじゃないと思うな」

 その言葉に胸がグッと苦しくなる。僕にはなにもない。なのにどうやって特別になればいいんだろう?

「君が私の特別になれるかどうかは、君次第じゃないかな」

「え?」

「それを望むなら、つまり君が努力するしかないって言う話」

 彼女の言葉を聞いて心底驚いた。そんな可能性あるの? 僕がポカンとしているとやっぱり彼女は笑いながら

「その…手伝ってあげることぐらい、できるかな」

 その時の僕は、彼女の笑顔をひたすら見つめていることしかできなかった。




 その後、僕らはちょっと信じられない方法で彼女に街まで送ってもらって帰ってきた。そして結局、僕らは三人とも彼女〜午前零時の案内人〜と約束を交わしたことになった。その結果がどうであったかというと

ーーー拓也は見事プロサッカー選手になって地元のプロチームで活躍した後、ヨーロッパに活躍の舞台を移した。けれどまだワールドカップには出ていない。そろそろ三十半ばなので次のW杯が最後のチャンスかもしれない。頑張ってほしいな。

ーーー衛は有名国立大学を卒業後、アメリカに渡り、ネット関連の事業を起こして成功している。向こうではタフネゴシエーターとして有名らしい。こちらも順調で何より。

 そして僕はーーー



「ゼロアンの話は懐かしいけど、でも快斗くん、そろそろ見回りいくわよ」

「はい、ユナさん」

 奥さんに促されて立ち上がる。扉を開けるとそこにはまるで熱帯雨林のような森が広がっていた。見上げると太陽のない空をいくつもの影が横切る。竜たちが気持ちよさそうに飛んでいるのだ。

 そう、僕はあの時の少女、ーユナさんーの伴侶になった。

「今年生まれた子供達も、もう飛べるんですね」

 空を仰ぎながら言うと

「うん、だいぶ大きくなったね」

 僕の隣で彼女も空を見上げていた。

 それだけで僕はとても幸せだった。


 なぜ僕が彼女の伴侶になれたのか? その涙ぐましい努力についてはここでは記さないことにする。ただ一つ、彼女は決して甘くはなかったとだけ言っておこう。同じように頑張ったであろう拓也と衛の名誉にかけても。




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