一途な男
――――彼の旅人が館に寄られました。
そんな内容だけの手紙を読むなり出発してきたのか、一ヶ月ほどで返事より先に本人が館を訪れた。
「レッジ、手紙を読んだ。姉上が……。本当なのか……? 姉上は今、どこに?」
お嬢様が好きだった花が満開を迎えている季節。パチンと鋏の音をたて、花を摘む。
「この館におられます。どうぞ、こちらへ」
摘んだ花を束にし、案内するよう館内を歩く。
緊張した様子で後ろを歩く彼は、この辺りの土地を管理している領主。現在この館の持ち主でもあり、私の雇い主でもある。
先代以前はこの頃になると、ご一家揃ってこの館で過ごされていたが、あの日以来、それはない。
年老い丸まった背中で歩き、お嬢様が使用されていた部屋に案内する。
「これは……?」
部屋の中は、今もいつでも使えるよう、掃除を欠かしていない。ベッドには、花に囲まれた灰の山が積まれていた。その傍らに花束を置く。
「お嬢様です」
「あ、姉上? この灰が? 死んだのか?」
老いたのは私だけはない。しわがあり、乾燥した手を出しながら、旦那様がゆっくりとベッドに近づく。
「これは……。本当に、姉上なのか……?」
「はい。私が最期を見届け、旦那様が到着されるまで、灰をすくい、ここに眠らせていました」
「一体、なにがあった……?」
「今から一ヶ月ほど前のことであります――――――」
◇◇◇◇◇
今やこの館を管理しているのは、私だけ。地元民は気味悪がり、ここへ近寄る者はほとんどおりません。たまに度胸試しや研究のためだと、急な客人が訪れることもありますが、稀な話です。
あの晩、戸締りを確認している最中でした。
まるで嵐が訪れた時のように、ガタガタと窓が音をたて揺れ始めたのです。それも一つの窓だけ。この時には、すでに予感がありました。お嬢様が帰って来られたのだと。
やがて大きな音をたて、バルコニーに通ずるその窓は勝手に開き、夜風と共に夜をまとったお嬢様が姿を現したのです。
お嬢様の姿は、あの頃のままでした。私など、この通りなのに、お一人老いておらぬ外見。そして、動けなくなっていた足を動かしベランダから室内に入ってきました。ただその表情は怪我を負い、この館で暮らし始めた頃のように、無表情でした。
「お、お嬢様……」
「……私を知っているの? ……待って、貴方、もしかしてバント?」
夜の世界の住人になったからでしょうか。真っ黒いドレスを着ておられました。以前はそのようなことはありませんでしたのに。
「いえ、私はバントの孫です」
「孫? ということは、レッジなの? 本当に貴方? そう……。貴方がそんな姿ということは、あれから、そんなに時が経っているのね……」
「老けましたでしょう。それに私は祖父に似ており、すぐに分からなくて当然です。それよりお名前を憶えていただけているとは、光栄です」
「……でも、貴方がそんな年齢だと……」
真っ黒ながらも、趣向が凝らされているドレスを両手で強く握られました。
「はい、ご両親は残念ながら、他界されております」
「………………」
黙るお嬢様に、座られるよう案内しました。
「今はお嬢様の弟、アレン様が当主となられ、ご活躍されていらっしゃいます。ただ最近、年老いたとご自分の体をよく心配されております」
「そうよね……。あの子は貴方よりも年下だったけれど、そこまで大きく年令が離れていた訳ではなかったもの……。私、肉体の成長が止まったせいか、ある頃から何年経ったのか分からなくなってきて……。いいえ、気にする必要がなくなったせいね……」
沈痛な表情で椅子に座られているお嬢様に、どのようなお飲物を用意すべきか、私には分かりませんでした。
「とにかく、お帰りなさいませ、お嬢様。事故で歩けなくなり、ここで暮らされるようになった時から使用していた部屋も、まだあの時のまま維持させております。今日は里帰りでしょうか」
「いいえ……。挨拶に来たの。死ぬ前に」
「なにを不思議なことを。お嬢様はあの魔物の仲間となり、永遠の命を手に入れられたではありませんか」
「そう、あの人……。人間だった頃の私に目をつけ、毎晩通って来た魔物……。彼を愛してしまい、側にいたいと仲間になったあの日から、私の肉体は成長が止まった。永遠とも言える肉体を手に入れた。時の感覚も失い、それでも良かった頃もあった。愛した方と一緒に過ごせ、幸せだったわ。だけど、あの方は生き血を吸えなくなった私に、興味を無くしていった……。お母様や神父様たちの言うことを聞けば良かった。魔物など愛してはならなかった。結局こうしてあの方から去り、帰って来たのだから。反対を押し切ったのに、勝手に傷つき、なんて愚かなのかしら」
そうしてさめざめと泣くお嬢様に、なんと声をかければ良いのか分かりませんでした。
「だから死ぬ前に、お母様たちに会おうと思ったのだけれど……。アレンもここにはいないの?」
「……はい。実はあれから、この館に魔物が通っていたことが知れ渡り、お嬢様が魔物の手を取り去って以降、この館で寝泊まりされた方は僅かばかりです。奥様は、いつかお嬢様がお戻りになられるかもしれないと、頻繁に顔を覗かせに来ていらっしゃいました。ご両親とも晩年は、この館で過ごされました。最期まで、お嬢様を心配されていらっしゃいました」
「私は……。とんだ親不孝者ね」
「恋は人を盲目にさせます。しかも相手は、人間の生き血を吸う魔物。夜にしか行動できず、怪しい魅惑を持つ存在。魅入られたのも、仕方のないことでしょう」
それから私はお嬢様から、ここを去ってからどんな生活を送っていたのか等、話を聞きました。
お嬢様は最初こそ、あの魔物から丁重に扱われていたそうですが、己の食事のためだと、お嬢様を放って出かけることが増えたそうです。もちろん食事とは、かつてのお嬢様のような、少女で血を吸うために。
お嬢様は長い間、嫉妬心に苦しめられた。これからもそれが永遠と続くのは、耐えられない。だから太陽の光を浴び、死を選ぶのだと話されました。
「昔は……。怪我をする前は、自由に自分の足で動いていたから。魔物の一員となれば、あの方と共に生きられる。足も戻り、また歩けると言われ、私の都合の良いことばかり。だから一員になることに、迷いはなかった……。けれど暗い塔の中、一人で過ごすことの辛いこと……。私も食事をするため、夜の町を出歩いたわ。もちろん舐める程度よ、殺しはしない。仲間にもしなかったわ。けれど、魔物と知られたら追われ、逃げ……。世界って広いのね。どこまで行っても、どこに行っても、終わりがない。ここへ帰ってくるのも、何日もかかったわ」
「あの魔物は、お嬢様が姿を消したことに気がついていらっしゃるのでしょうか」
「どうかしら」
寂しそうな笑いでした。
「さっきも言ったけれど、特に最近、ご執心な女の子がいるから。一緒に暮らしてはいたけれど、あの方は、ただ寝に戻ってきていたようなものだったから。私がいなくても気がつかないと思うわ……。永遠を生きるから、一瞬やその時を大切にできなくなるみたい……」
もし魔物が気がつき、追いかけてきたら、お嬢様は死ぬことを止められたでしょう。
表情や内容から、今もお嬢様の心の中を、あの魔物が占めていることは分かりました。
私達は一晩中、話しました。
「お嬢様、死なずとも……。老いている身ではありますが、私を魔物の仲間にしていただければ、私がずっとお嬢様にお仕えします」
「それは駄目、貴方にお願いしたいことがあるから。私には行けられない天国にいる両親に、伝言を頼みたいの」
それから二人で庭に出ました。
「お嬢様が好きだった花が、もうじき満開となります」
少しずつ闇は消え、白々明けの時間帯。
お嬢様の陶磁器のように白く滑らかなその肌が、赤味なんて優しいものではない。真っ赤に火傷を負ったように、変化してきたのです。
「お嬢様……! お体が……!」
「分かっていたことよ。魔物の体は太陽の光を浴びると、焼けて灰になって死んでしまうと」
「館の地下室へ……!」
「言ったでしょう、私は死ぬために帰ってきたの」
お嬢様の決意は固いものでした。
「お嬢様……。実は私は、お嬢様がここで暮らすようになり、喜んでいました。だから、あの魔物に夢中になっていく貴女を見る日々は、辛かった。お嬢様、私は、今でも貴女をお慕いしております」
体から煙を発しながら、お嬢様は微笑まれました。
「ありがとう、レッジ」
それがお嬢様の最期の言葉でした。
◇◇◇◇◇
「この耳飾り、覚えがありませんか?」
「ある、私が姉上に贈ったものだ。怪我で歩けなくなった姉上を喜ばせようと土産で買ったが、貝で出来ていたせいで、海に行けない私への嫌味かと言われ、投げられた」
苦い思い出だと、アレン様が顔を歪ませる中、お嬢様はそれを持って魔物と発ったのだと告げると驚かれた。
「申し訳なかったと話されていました。海が好きな自分のため、せっかく贈ってくれたのに、酷い態度を取ってしまったと。魔物になってから見る海は暗く、ただ波の音が聞こえる程度で、この耳飾りが慰めだったそうです」
「そうか……」
受け取るとアレン様はそれを胸に抱き、一粒の涙を落とされた。
お嬢様が魔物に魅入られ仲間になったから、そのせいで、旦那様たちは距離を置かれるようになった。それでもアレン様たちは負けず、やっと信頼を取り戻し始めている。だから誰と分からないよう、でもアレン様には伝わるよう、手紙を書いた。
「姉上は……。苦しんでいる様子では、なかったか……?」
「長年、一人の時間が多く、辛かったそうです。魔物の中では新参者だからか、馴染むこともできなかったそうです。それでも先ほどもお伝えしましたが、お嬢様は愛を知り、それ故に苦しまれ、しかし最期は笑われました」
「そうか……。レッジ、姉上はもういない……。いつか帰ってくるかもと、この館を残していた。だが、灰になったのなら……」
「承知しております。旦那様にこのようなことをお願いするのは、失礼にあたりますが……。油を買ってきてもらえませんか?」
それからアレン様は、敷地内に入ることさえ怖がっていた御者と共に、町へ向かわれた。
それを見送り、隠していた油を館に撒いていく。
その時が訪れたら、この館を燃やし、処分する。
それはお嬢様のご両親と決めていたこと。アレン様も同じ考えだ。
お嬢様が一度でも帰ってきたら、その後、この館を焼いて処分すると。帰ってくるまでは、この館を守ると。しかしそれも厳しくなってきていた。
なにしろ管理しているのは、老いた私だけ。次の当主となる予定のアレン様の御子は、伯母が魔物になったことを恥じ、嫌悪されている。だから早く当主となり、この館を処分したがっている。
それをアレン様が阻止されていた。だからどんなに辛くても、当主の座を譲ろうとされなかった。
魔物となったお嬢様がどこかで生きているのか、なにも分からない状態だった。だから一度でも姿を見せてくれ、話ができれば……。それで終わらせようと、話していた。
油を撒きながら、館のあちらこちらに火を放つ。
そして最後に向かうのは、お嬢様の部屋。
燃えているのは、お嬢様の魔物への愛か。私のお嬢様への思いか。
なんにしても、これで終わりだ。
「お嬢様、貴女の最期の伝言、お二人に必ずこの私が……」
燃えて燃えて、灰になる。灰になり、散らばる。灰となった姿で、お嬢様の側に……。お嬢様と共に、世界へ……。
それが私のこの思いへの、終わらせ方だ。