41.祖国に別れを告げた勇者は……
リリアがガレリアを脱出したのは、リトヴィエノフをセメラキントに帰した日のことだ。
衛兵たちが包囲するギーガの幻影に向けて、リリアが火炎魔法を放ったあと、魔物が消滅したのを確認(実際は幻影が消え、大木が燃えたに過ぎないが)した現場の兵士たちは歓喜の声を上げ、抱き合った。
その喧騒の最中、リリアはイザベラにガレリアを去ることを告げた。
「そう。それがいい。私も賛成だよ」イザベラは笑顔で言った。
「え、いいの? 私、絶対反対されると……」リリアは拍子抜けした感じだった。
「私がアンタのやることに一度だって反対したことはあるかい?」
「……」
リリアは「たくさんありますけど……」と言いたいのを堪えた。
流行りの小悪魔風メイクにしようとした時も、勝負下着をTバックにしようとした時も(勝負する機会もなかったが)、豊胸パッド入りの鎧に作り変えようとした時も、イザベラの猛反対にあい、屈したのだ。
──うるさい母親みたいに小言を言ってくれたわねぇ。まあ、この際それは忘れとくか。
「リリア、アンタはもう十分に役割を果たしたよ。だから、もう好きに生きていいんだよ。誰にも文句は言わせないさ。文句言うヤツは私がタダじゃおかないよ」
「一つだけお願いしてもいい?」 リリアは言った。「おじさんとおばさんだけには、伝えてくれる? リリアはしばらく旅に出ますって。心配するだろうから」
「分かった。他の連中には?」
「何も言わないで。すぐに私のことなんて忘れるでしょ。そして、たまーに思い出す人がいるの。神隠しに遭った女がいた……みたいな? そんな感じかな、アハハ」
「じゃ、また。元気でね、リリア」
「うん、またね」
リリアはリトヴィエノフが渡っていった橋を進んでリューベルへと入った。
デボンたち衛兵がその姿を探した時には、脱ぎ捨てられた鎧があるだけだった。
リリアは走り続けた。そして東の空から昇ってくる太陽を見ながら、新たな人生が開けるのを感じていた。
リューベルの首都、ニューヴォルフォルムに入るとリリアは質屋や直行した。そこで、勇者を任命された時にガレリア王からもらった精霊の指輪を売って旅の資金を手に入れた。
これまでどんなに金に困ろうと手放そうとしなかった代物だ。それは、ガレリアの神殿で聖なる光を込められたもので、魔物との戦いでは闇の魔力をよせつけない結界となり、休息の時には体力の回復を早めてくれた。そして、何より、くじけそうになった自分を鼓舞してくれるお守りだった。「聖霊の加護」がどれだけリリアの窮地を救ってくれたことか。
勇者として魔物と対峙していたころの“相棒”と言ってもいい存在だったのだ。その指輪と別れを告げる。それはリリアにとって勇者である自分との決別を意味していた。
指輪の真の価値など知るよしもない質屋だったが、一ヶ月旅をするには困らないほどの金で買い取ってくれた。
数日、ニューヴォルフォルムで過ごしたが、周りの人々は温かかった。宿屋では女の一人旅を心配してくれた女将さんが、いろいろと世話を焼いてくれたし、市場では気さくな野菜売りのおじさんが冗談で笑わせてくれた。
ガレリアとリューベルが戦争するなんて、信じられなかった。争いを止めることのできない自分の力のなさを嘆いた。
──私がいたら余計に話がややこしくなる。だから、私は消えてしまった方がいい。どこか遠くへ。遠くへ行こう。
リリアはそう自分に言い聞かせ、新天地を探した。
キャスタロックのことを聞いたのは、向かいの宿屋に泊まっていたバイオリン弾きの女からだ。
外から聞こえる音色に誘われて窓辺に行った時に、ちょうど演奏中の彼女と目があったのだ。彼女は気さくに話をしてくれた。
「私は世界中、いろんな場所を巡ったけど、最高だったのはやっぱりキャスタロックね。天国みたいな場所だった。オアシスにね、みんな集まるの。男も女も。そこでいろんなお話をするの。仲良くね。のんびりとした時間が流れていてね、それはそれは素敵な場所よ」
バイオリン弾きから聞いたキャスタロックはリリアにとって確かに魅力的だった。しかし、それだけで行き先を定めたわけではない。あることを思い出したのだ。
リリアはキャスタロックがあるトーリ砂漠でサンドリーアの大群と戦ったことがある。サンドリーアとは砂の中を触手で掻いて進む巨大なイモムシのような魔物だ。その時、共に戦った軍司令官がキャスタロックの出身で、リリアにこう教えてくれた。
──キャスタロックは永世中立国。
勇者としての身分は隠して生きていくつもりだったが、仮にバレても永世中立国なら争いに巻き込まれることはないのではないか。
世間知らずの勇者は永世中立国という響きに惹かれたのだ。無論、それは戦争と無縁であるということとは違うのだが。
リリアは船を乗り継いで大陸を渡り、トーリ砂漠へ向かった。そこから飼い慣らしたサンドリーアが引くソリでキャスタロックに到着した。
真っ先に向かったのがオアシスだ。そして、そこで花屋を見つけた。花屋になるのが夢だったリリアはすぐにそこにいた店主に言った。
「私を雇ってください!」
「いいよ」何も聞かず二つ返事で答えたのがジルだった。
あとあと、リリアはジルに聞いた。
「なんで素性も分からない私を雇ってくれたんです?」
「アタシゃね、人を見る目だけは自信があるんだ」
リリアは笑ってしまった。ジルが離婚した夫は二人とも、とんでもない遊び人だったという噂を聞いていたから。
とにかく、リリアは今の生活に満足していた。ガレリアにいた頃よりも性格が明るくなった気がする。
オアシスで花束を売りながら、リリアはガレリアを旅立ってからのことを思い出していた。無計画のままよくここに辿り着いたものだ。
──それにしても、よく売れるなあ。ジルさんの言った通りね。今日はこの街のあちこちで愛の告白があるんだわー。キャスタロックは恋の都。ここにいれば私もいつか良縁に恵まれるかしら……なーんて、アハハ。
しかし、キャスタロックにも光があれば陰もある。確かにリリアのように再出発を期してやってくる者にとっては、まさに砂漠の中のオアシスだ。しかし、そのオアシスを目指すのは訳アリの人間が少なくないのである。
お読みいただきありがとうございます!
もしよかったらブックマーク、感想、レビュー、評価などいただけると大変励みになります。
どうぞよろしくお願いいたします。