32.勇者は泣き虫
リリアは煉瓦の上に倒れ込んだ。火炎魔法で魔力を消耗したため、一気にヴィラモンテスの毒が身体に回ったのだ。
「リリアさん!」駆け寄ったテオドアは瞬時に悟った。
リリアのふくらはぎからは黒々とした血が流れ出ていた。そして、顔色が炭のように黒くなっている。ヴィラモンテスの毒が血中を巡っていることは明らかだ。
──解毒剤だ!
「待っていてください、リリアさん!」
テオドアは最上階の扉を乱暴に開けると、階段を飛び降りていった。頭の中では後悔の念が駆け巡っていた。
──俺のバカ、バカ、バカー! なんでわざわざヴィラモンテスの毒を塗った矢なんて使わせたんだよー! 哨戒兵の持ってるノーマルのやつで良かったじゃんよー! ていうかリリアさんに向けて矢を撃たせるなんて、俺は、俺は、俺はー!!
何度同じシチュエーションを迎えても、同じ判断をするに違いないが、恋愛モードに切り替わったテオドアの頭の中はぐちゃぐちゃだった。
しかし、心とは裏腹に体は叩き上げの軍人らしく的確な動きをしていた。保管庫まで最短ルートを全力疾走。そして、すぐに解毒剤の入った注射器を持って戻ってきた。その間、わずか1分。
テオドアはリリアを抱きかかえ、腕に注射を打った。 リリアの顔色が元に戻っていく。
「もう大丈夫です」
リリアは意識を取り戻し、テオドアを見た。
「……こういうシチュエーション何回目? って感じですよね。すみません、いつもいつも助けてもらってばかりで」
テオドアは思わず本音を言いそうになったが、飲み込んだ。本音はこうだ。
──何回でも何百回でも何万回でもOKです!むしろラッキーです!お金を払ってでもやりたいくらいです! 神様、ありがとうございます! 毎日、祈りを捧げた甲斐があったよー!!
しかし、それをそのまま出すほどテオドアも馬鹿ではない。一応、大国の将たる人物なのだ。ただ、恋愛においてその類まれな才能が発揮されたためしはないが。
「いいんですよ。それよりも休んでいかれますか? 客室は空いていますから。リリアさんのようなお方に合う部屋かどうかは分かりませんが……客室といってもなにぶん、軍関係者を迎えるだけなので、簡素といいますか、ショボイと言いますか……」
「いえ、大丈夫です」リリアは立ち上がった。そして続けた。
「それよりも……」
「?」
「解毒剤をもう一ついただけませんか?」
「どうしてです?」テオドアは不思議そうに訊いた。
「私、ヴィラモンテスの毒に弱いみたいで、ほら、右腕がまだ……」
リリアはテオドアに向かって腕を差し出した。
「これはひどい! ひどいじゃないですかぁ! まだ先日の傷も癒えてないというのに」
その腕は他の部分とは違い、まだ炭のように黒々としていた。
「分かりました。すぐに持ってきます!」テオドアは踵を返し、走っていった。
テオドアの背中が見えなくなると、リリアはため息をついた。自分でも驚いていた。
──こんなにすらすらと嘘が言えるなんて……。私、悪い女なんだろうなぁ。
リリアはこれまで嘘をついたことがないわけではない。見栄を張って嘘をついたこともあったし、仮病を使ったこともある。しかし、誰を傷つけるわけでもない、言わばたわいもない嘘に過ぎなかった。
──これは、悪い嘘。人を裏切る嘘。テディさんの気持ちを踏みにじる嘘。
この罪悪感を一生忘れまいとリリアは思った。そして、黒ずんだ腕に目を向けた。ヒリヒリして痛い。それはヴィラモンテスの毒のせいではなく、リリアが瞬時に火炎魔法で皮膚の内側を自ら焼いた痕だった。その痛みはテオドアについた嘘と共に記憶することになるだろう。
戻ってきたテオドアは注射器と解毒剤の入った小瓶を渡してくれた。これなら持って帰りやすい。
「ありがとうございます、テディさん」
「いやー、大したことでは、アハハ」
「明日から進軍だというのに、こんなご迷惑をかけちゃって、本当にすみませんでした」
「いいんですよ。それじゃ私は」テオドアはリリアに背中を向けた。
「あの……」リリアは呼び止め、続けた。「何も聞かないんですか?」
テオドアはリリアに背中を向けたまま言った。
「これから作戦会議に出席しなければならないもので。時間がないんですよ。すみません、自分から言い出したのに。とにかくお大事にしてください。どうか」
いつになく力のない言葉だった。そしてテオドアは階下へと戻っていった。扉が閉まったあともリリアはしばらくの間テオドアのいない空間を見つめていた。
──もしかしたら、私の嘘に気づいたのかもしれないな。火炎魔法でガイコツさんを動かしてたことだってバレてたもの。腕を自分で焼いたことなんて、テディさんにはすぐに分かっちゃうのかも……
──でも、何も聞かないでいてくれた……
リリアは深々と頭を下げた。テオドアに対する感謝の思いを抱いて。
気づくと泣いていた。涙が止まらない。感情がとめどなく溢れてきた。
魔王軍との戦いでも一度も泣くことのなかった勇者は、いつしか泣き虫になっていた。
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