30.勇者は侵入する
騎士団本部はガレリアの中心部から離れた小高い丘の上にある。王都をここに遷都する前は要塞だったという。うずたかく積み上げられた煉瓦の建物は殺伐としていて刑務所を思わせる。戦乱の時代に流れたガレリア兵の血が、この煉瓦に染み込んでいた。
リリアはその門前から少し離れたところの茂みに隠れて様子を伺っていた。月明かりが彼女の表情を照らし出す。アンデッドにやられた傷もまだ生々しく、まるで戦場からそのままやってきた兵士のようだ。
門番は二人、直立不動の姿勢だ。気の緩みなど全く感じられない。
──さすがね。教育が行き届いてるわ。テディさんやるぅー。
リリアは夜の闇にまぎれ、裏手に回った。幅20メートルほどの堀の向こうに、高さ20メートルの石垣。それを越えれば、矢を放つために備えられた窓から中へ侵入できるはずだ。
リリアは剣術指南で何度も本部を訪れているが、裏から見たのは初めてだった。
──難攻不落とはよく言ったもんだなぁ。これは。きっつー。でも、やるしかないか。
目の前の堀から異臭がする。月明かりの中でも、その汚れのひどさが分かるほどだ。
──ここ泳ぐの? ほんと勘弁してほしいよぉ。
リリアは鎧を脱ぎ捨てた。重装備のまま泳ぐことはできない。こんなこともあろうかといつものような花柄のワンピースではなく、捨てようかと思っていた地味な木綿のワンピースを下に着ていた。
ちゃぷん。
リリアは堀に飛び込んだ。水というより、ドロドロの液体だ。枯れた葉っぱや木の枝が散乱していて進みにくい。
──うわ。やっぱりシャレにならないよぉ。
なるべく顔を水面につけないよう慎重に泳いでいく。リリアは割と泳ぎは得意な方だった。剣の重みくらいなら、なんなく平気で泳げた。
が──
「ぎゃああああああ!!」
虫は苦手だった。堀の中はとにかく気持ち悪い虫の巣窟だったのだ。リリアの身体をつたってムカデが服の中に入る。ゲジゲジが髪の毛にまとわりつく。顔や腕にはヒルがびっしり貼り付いて離れない。
「うわああ! ひぃいぃいい!!」
リリアの悲鳴が夜の静けさの中に響き渡った。哨戒中の兵が続々と駆けつけてきた。警鐘の笛が大袈裟に鳴る。兵たちはたいまつを堀にかざして周囲を伺った。
リリアは咄嗟に水の中に潜った。こうなればもうヤケクソだ。このドブのような腐った水を飲もうが知ったこっちゃない!石垣に向かって全速力で泳ぎ始めた。
しかし、建物内にいた兵たちも警鐘を聞きつけ、石垣の上から堀を注視していた。堀の縁に備えられた無数の巨大たいまつに火がつけられていく。堀全体が明るく照らし出された。堀の中にいる侵入者を討ち取ろうと無数の矢が向けられた。まさに虫一匹逃げることも不可能な厳戒態勢だ。
侵入者の一報はすぐさま騎士団団長であるテオドアの元にも届けられた。テオドアは明日からの進軍に備え、参謀とともに作戦計画を練っているところだった。
「リューベルの刺客か! 汚い手を使いおって……。殺すな。生捕りにして吐かせるんだ!!」
部下に命じたテオドアは自らも掘へと向かった。
そのころ、リリアは水中でひたすら耐えていた。窒息しそうな息苦しさに。そして、虫の常軌を逸した気持ち悪さに。
──き、き、き、気持ち悪くて死にそう! こんな虫、魔法を使えば追い払えるんだけど……だけど、それやっちゃたら居場所バレちゃうよ。出力を最小限に抑えれば、大して光らない? いや、無理だよ。アンデッドにやられたけど、もう魔力は元に戻ってるもの。どんなに抑えたって火柱は上がる……ひぃ!な、なに? 胸のところを何か這ってる!ぎゃあ! 股の間も!!
テオドアが堀の前にやってきた。哨戒兵に状況を尋ねる。
「侵入者は?」
「テオドア団長! 水中に潜っていると思われます!そのうち息も上がるでしょうから、待っていれば……」
「手ぬるい。手ぬるいぞ」
「申し訳ありません! テオドア団長!」
「矢を放て。ヴィラモンテスの毒をたっぷり塗った矢をな。リューベルのやつらにナメられては今後の戦いの士気に関わる」
「はっ!」
号令とともに堀に向けて無数の矢が放たれた。堀の縁から石垣の上から、雨のように。最初は堀の真ん中の一区画、二発目はそのとなりの一区画。訓練された兵たちが号令に合わせて端から端まで隈なく矢を放っていく。
水中のリリアのすぐ横を無数の矢が通り過ぎていく。
「!」
危ないところだった。目の前を矢がかすめていったのだ。
──もっと深く潜らないと!
リリアが下に向けて体勢を変えた瞬間、ふくらはぎに激痛が走った。
お読みいただきありがとうございます!
もしよかったらブックマーク、感想、レビュー、評価などいただけると大変励みになります。
どうぞよろしくお願いいたします。