29.勇者は頼みごとをしに行く
リリアはガレリア大聖堂の前にある広場にいた。ここで礼拝をしている男を待っているのだ。
その男はガレリア騎士団の団長で、ゴリラのような風体をしている。しかし、その外見に似合わずどこまでも心優しく生真面目な元僧侶。彼の人生の歯車が少しでも違っていたら、今頃はこの大聖堂で祈りを捧げる聖職者となっていたのかもしれない。
朝一番でリリアは自警団の詰所を訪ねた。平和ボケした牧歌的な雰囲気が常だったが、今日は慌ただしく殺気だつものを感じた。やはり戦争は近いらしい。そこでテオドアの居場所を聞き、この場所にたどり着いたというわけだ。
司祭に丁重に礼をしてテオドアが大聖堂から出てきた。いつものように大仰で動きにくそうな鎧を着て。そして、すぐさまリリアの姿を認めた。
「リリアさん!」テオドアはガシャガシャと鎧の音をさせて駆け寄ってきた。
「こんにちは、テディさん」
「こんなところで奇遇ですね。リリアさんはどうしてここに? 礼拝ですか?」
「いえ、テディさんに話があって」
「話……と、は?」
テオドアの顔が曇った。
──もしかして、私がリリアさんの裸を見たことでPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患ったとでもいうのか? 賠償金? いや、金ならいくらでも払うが……リリアさんに限ってそんなことは……ハッ!もしかして二度と自分の前に顔を見せないで、なんて言うつもり……。誓って言います。リリアさんの裸の記憶を決していかがわしいことには使っていません!私は純粋にリリアさんをお慕い申しているのです。おお、神よ!私からリリアさんを奪わないでください!
テオドアはテオドアなりに気まずい思いを抱えていた。しかし、今日の要件はそんなことではなかった。
「戦争になるんですか? リューベルと」リリアは訊いた。
「……はい。どうやら避けられぬようです」
「どうしてもですか?」
「私は武人。戦えと命令されれば戦うしかありません」
「私は人どうしが殺しあう戦など、イヤです! あってはならないことだと思います!」
「あなたは若い。魔物との戦い以外の戦争を知らない。私は、幼いころ目の前でリューベルの兵士に両親を殺されました。父も母も同時に串刺しです。人は恐ろしい。私にとっては魔物よりも恐ろしいものです。姿形が同じなだけタチが悪い」
「それならなおさらテディさんは人どうしが殺しあうことの無意味さ、悲惨さを知ってるじゃないですか?」
「はい」
「それでも戦わないといけないんですか?」
「単純なことです。私が戦わねば、ガレリアの国民が命を落とす。私がリューベルの兵士を殺さねば、ガレリアの子供たちの未来が壊れる」
リリアは全てが平和に解決できるなどとは毛頭思っていない。そんなにウブではないし、勇者として戦いに明け暮れる日々を過ごし、理想主義などとうに捨ててしまっていた。しかし、今は……そんなこと分かっていても、無駄だと知っていても言いたかったのだ。
テオドアならそんなわがままも受け止めてくれる。そうした甘えがリリアの心のどこかにあったことは否定できないだろう。
「大丈夫。リリアさんは戦闘に参加することはありません。勇者は国家間の戦争に動員してはならないと国際法に定められていますから」
「もちろん、知ってますよ。でも、いざとなれば国王はそんな国際法など無視するだろうということも。そして国民もそれを望むことも」
「……私にはこれ以上なにも言えません。ただ、そうなったら逃げてください。国を捨てて逃げてください。あなたに人殺しをさせたくはない」
「やっぱりあなたは優しいんですね、テディさん」リリアは笑顔で言った。
リリアにはポッとテオドアの顔が赤くなるのが分かった。テオドアらしい分かりやすい反応だった。それを見届けるとリリアはうつむいた。少し間をとらなければ。これからしようとしていることには助走がいる。
──今から私は最低のお願いをしなければならない。騎士団の団長であるテディさんに、敵国の人間を救う手伝いをさせようというのだから。それはつまりテディさんに国を、ガレリアを売れということで。戦士としての誇りを踏みにじり、愛国者としての資格を剥奪し、何よりもこれからのテディさんの人生に苦しみだけを残すかもしれない。だから、私の申し出をどうか断って。断ってくれさえすれば私は納得する。納得して一人で実行する。でも、100パーセントの努力をしないまま、もし、リトヴィエノフさんが死んだら私は……だから、勝手だけれど、これは私のケジメ。努力をしたという証明がほしいだけ……
リリアは顔を上げ、勢いに任せてテオドアに声をかけた……
「テディさん!私、お願いが……」
……しかし、テオドアの眼差しはどこまでも優しかった。優しすぎた。全てを受け入れてくれる、そう確信するほどに。
リリアは、固まったまま動けなくなってしまった。
「リリアさん? リリアさん?」ゴリラ顔が心配そうにしている。
リリアはそのゴリラ顔に愛くるしさを感じていた。それは恋愛の情とは違うものだが、確かに心に響くものだった。
「テディさん」今度は落ち着いた口調だった。
「はい?」
「死なないでくださいね」リリアは笑顔で言った。
「ハハハ、私が死ぬようなヤワに見えますか?」
「テディさんなら大丈夫。あなたは自分のやるべきことに全力を注いでください」
「ありがとうございます! リリアさん!!」
リリアは目的を果たすことなく、テオドアの元を去っていった。曲がり角で振り向くとテオドアはまだ広場に立ち尽くしていた。その背中を見ながらリリアは思った。
──私はこの人の好意を利用して、自分の好きな人を守ろうとしていた。100パーセントの努力なんてただの言い訳だ。テディさんにどこまで甘えるの? 私は最低の女にはなりたくない。これは私の戦い。私一人でケリをつける。
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