26.勇者は目覚めて恥を知る
ぼやけた視界の中で何かが光っている。ほっぺたに何か冷たいものを感じてリリアは目を開けた。
──しずく?
つららのように尖った岩から、水がしたたり落ちている。地下水だろうか。やはり例の隕石の成分を含んでいるのか、ほっぺたを伝うたびに傷跡が消え、隙間風に乾かされてはまた現れる。
──ここは……あ、そっか、洞窟だ。私、温泉に入ってて……
ようやくリリアの記憶は輪郭を取り戻し、ことの成り行きを思い出した。ずいぶんと長い間、アンデッドたちと戦っていたが、剣を落としてしまった後は大群に押し潰されて気を失ってしまったのだ。
身体を動かすことができない。アンデッドに散々痛めつけられたようだ。
──私、助かったの?
リリアは背中に重みを感じた。うつ伏せになって倒れている自分の上に何かがのしかかっているようだ。
──なに? 重たい。でっかい岩? 岩の下敷きにでもなっているのかな?
その時、リリアは思いがけない声を聞いてしまった。
「う……う……う……」背後から男の掠れた声がする。
──マジ!? どうなってるのよぉ!!
リリアは目で見て確かめずとも、その声の主が分かった。テオドアだ。瞬時にリリアは理解した。テオドアは自分を背中から包みこむように抱き抱えたまま気を失っているのだ。
──て、て、て、テディさん! もしかして私を守ってくれたの? っていうか私、すっぽんぽんじゃない!! ど、ど、ど、どうしよう!? これ絶対、裸見られちゃってるよねー! いろんなとこ完全に見られちゃってるよねぇ! なんてことよぉ! 最悪過ぎるよぉ! 嫁入り前なのにぃいいいい!!! と、とにかく服を着ないと。是が非でも着ないと。テディさんが目を覚ます前に!!
目を凝らすとビリビリに破れた服が岩肌に貼りついているのが見えた。元はお気に入りの花柄のブラウスとスカートだ。アンデッドたちに踏まれたのだろう。ひどい有様だが、素っ裸よりはマシだ。幸いにも手を伸ばせば届きそうなところにある。
リリアは歯を食いしばったが、身体はピクリともしない。魔王との戦いで重傷を負った時でさえ、こんなことはなかった。おそらく、自分は死の淵を彷徨っていたのだ。魔法を使おうにも、体内の魔力の泉は枯れてしまっている。勇者にとって魔力は命の源でもある。日頃はありあまる魔力を持て余していたリリアだが、枯れ果てた経験など一度もない。死なずにすんだことだけでも奇跡なのだろう。
しかし、今のリリアは命が助かった幸運に感謝するよりも、自分が裸である状況を呪った。
──もう、だ、め、みたい。私、どうなっちゃう……の……よ……
リリアの意識は再び混濁し、意識を失った。
数時間後。
テオドアは目を覚ますと瞬時に状況を理解した。一糸まとわぬリリアに自分は抱きついているのだ!
慌てて起き上がり、後ろを向く。
あたりはアンデッドたちの残骸である砂に埋もれ、洞窟の中が砂漠になったようだ。その光景は壮絶な戦いを物語っていた……のだが、そんなことはテオドアにはどうでもよかった。
今、テオドアの頭の中を占めているのは、リリアの肌の感触だった。不可抗力とはいえ、この手はリリアの……な部分に触れていたのだ。
──なんて柔らか……いや、ダメだダメだ!! でも、ふんわりと……ぬぉー!やめろ、この馬鹿者!! 女性の弱みにつけ込むなど騎士の名がすたる!! 父からもそう教え込まれたはず。だが、俺も男。女性の柔肌に触れて何も思わぬなど不可能ではないか。自然の摂理だ。何が悪い! ましてやリリアさんの……。魅力的、そう魅力的過ぎるのだ! この世のものではない!まさに天国、まさに楽園。その余韻に浸らねば逆に失礼というもの……なのかなぁ……まあ、そういう考え方もあると言えばあるような……。
テオドアは今、訳のわからない葛藤に身を投じていた。そして、30分ほど無為な時間を過ごしたテオドアはようやく一つの結論に至った。
──これは天から与えられた僥倖。この記憶を、この感触を一生大事にするのが神への信仰であり、騎士としての道にほかならない。
どのような過程でそのような境地に至ったかは不明だが、脳内で行われた戦いは、騎士としての誇りと気高さを退け、スケベえな心が勝ったのは間違いない。
とはいえ、腐っても騎士団団長。不可抗力以外の悪事は働かないのである。
──とにかく、リリアさんを治療しなければ。しかし、薬草は馬車の中。自分だけ取りに行って戻ってくるか……、いや、リリアさんを無防備なまま一瞬たりとも放置することはできない。まだ生き残りの魔物がいないとも限らない。とすると……
答えは出た。リリアを抱えて洞窟を脱出するのだ。しかし、裸のままお姫様だっこは気が引ける。となると鎧だ。リリアの鎧は温泉の縁に置いてあるのを見つけていた。
──鎧を着せればなんとか……いや、ダメだ!
テオドアは自分のほっぺをつねりあげた。リリアが裸のまま鎧をつけている姿に思わず興奮してしまったのだ。鎧の接ぎ目から垣間見える●●、想像力逞しいテオドアの脳裏に焼き付いて離れなくなった。それは、裸エプロンに萌える一部のマニアと同じ心境なのかもしれない。
──裸に鎧は非常にマズい! ぐむぅ、我が身を滅ぼしかねん!!
ふと見ると、リリアが着ていた服が落ちているのを見つけた。ボロボロだがかろうじて服の体裁を保っているように思える。
──服を着せてから鎧。そうだ、これがあるべき姿だ、ウン。しかし、どうやって着せたらよいのか。
テオドアは後ろを向いたまま、リリアの肩口をつんつんしてみた。
「リリアさん、リリアさん。起きてください。起きてお洋服を着てください」
声をかけてもリリアはピクリともしない。
──ああするほかあるまい。
もうテオドアの頭には選択肢は一つしかなかった。
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