19.勇者はやっぱり鈍感だった
辺りがすっかり暗くなったころ、ようやくダーマルの街が見えてきた。灯りが近づくにつれ、リリアの気持ちは高ぶる。
考えてみれば旅は久しぶりだった。温かな光の一つ一つに人間の暮らしがあると思うだけで、幸せな気持ちになれる。
門の前で馬車を降りると、テオドアは地面に杭を打って馬が逃げないよう手綱をくくりつけた。しかし、見たところ、街の中は道がきちんと整備されていて馬車で入っても問題ないはずだ。
「街の中まで馬車で入ればいいのに。その方が良くないですか?」
「万が一、馬が暴れて怪我人が出たらいけませんからね」
「なるほどー」
リリアはテオドアの細やかな気配りに感心した。顔も体格もゴリゴリのゴリラなのに。
「では、いきましょう」
テオドアが先に門をくぐり、リリアが後に続いた。
「あ、団長だ!」
「テオドア団長、お帰りなさい!」
門の前でチラシを配っていた少年たちがテオドアの姿を認め、寄って来た。
「おお。お前らは店の手伝いか?」
「そうだよ。今が書き入れ時だもん」
「そうか。頑張って父さん、母さんを助けてやれ」
「うん」
テオドアは柔和な笑顔で少年たちの頭を撫でている。
ガレリア騎士団団長としての常に眉間にシワの寄った威圧的な顔こそが、このテオドアという男のつけた仮面で、本当の姿は目の前にいる、ひたすら心の優しいおじさんなのだろうとリリアは思った。
それにしても人通りの多さに驚く。もうすっかり日も暮れているというのに、この賑わいは王都ガレリアでも見られない。
通りに沿ってオレンジ色の街灯が並び、どこからともなく歌声やギターをかき鳴らす音が聴こえてくる。
――さすが観光地!私までワクワクするよ。
リリアがキョロキョロと辺りを見回すと、観光客と思しき連中が広場で踊っている。おそらく恋人どうしなのだろう。肩を寄せ合い、見つめ合い、愛を囁きあっている。
リリアは、自分もいつかあんな風に恋人とイチャイチャできる日が来るのだろうかと、遠い目をする。そして、その相手がリトヴィエノフであればいいのにと願った。
大通りを曲がると、一気に静けさが広がった。さっきまで目に入っていた煌びやかな宿屋とは対照的な質素な石造りの家が立ち並ぶ。ここが地元民の居住区なのだろう。
「ここが、私の実家です。こんなボロ家でお恥ずかしい限りですが、くつろいでいってください」
その言葉通り、テオドアの実家は決して立派な家ではなかった。騎士団団長の給料は決して安くないはずなのに。しかし、そんなことよりもリリアが気になったのは家の中に灯りがついていないことだ。
「あの、お母様はお留守なんじゃ……」
テオドアを信用していないわけではないのだが、さすがに二人っきりで一つ屋根の下で眠るのは気が引ける。
「いえ、母は中にいますが……あ、ああ。灯りがついていないから驚かれたんですね。すみません。まさか、結婚前の女性と二人きりで泊まるなどと。私のような無骨な男にそのような大胆なことはできませぬ。アハハ」
テオドアはそう弁解しながら古めかしい木の扉をノックした。
「母には必要がないのですよ。灯りは」
「え?」
その意味がわかったのは玄関を入った時だ。暗闇から姿を現した初老の女は一目でそれと分かる盲人だったのだ。
「お帰りテオドアや。そちらがリリアさんかい?」
「そうそう。リリアさん、母のマルチナです」
「リリアです。突然お邪魔してすみません」
「あら、素敵なお声ですね、リリアさん。あなたの心の清らかさが分かります。まるで穢れを知らぬ少女のよう。失礼ですが、おいくつかしら?」
「に、22歳になりました……」
いつの間にかマルチナはリリアの体を撫で回すような勢いで触っている。リリアは完全に萎縮しきっていた。
「そろそろ結婚を考えるお年頃ね、ウフフ。あら奇遇じゃない? テオドア。あなたも結婚相手を探していたっけねえ、フフ」
「は、はぁ……」
「母さん、分かったから。ろうそくを出してくれないか。今、真っ暗だから」
「ああ、うっかりしていたね」
マルチナがろうそくを探しに奥の部屋に消えたのを見届けると、テオドアは小声でリリアに言った。
「母のこと、すみません。リリアさんのことは護衛すべき要人だと伝えてあったのですが……若い女性にはいつもあの調子なもので」
「大丈夫ですよ、テディさん。それにしてもどうして、お母さんは私たちが来るのを知っていたんですか? 急に決めたのに」
「ガレリアを出る時に、魔郵便で手紙を送ったので」
魔郵便とは空間魔法で手紙を一瞬にして遠方に送ることができるシステムで、郵便局のある街どうしならやりとりが可能だ。しかし、郵便局はかなり大きな街にしか置かれていないのが普通だ。
「ここにも郵便局、あるんですか?」
「はい。一応、観光地なもので旅館の予約など需要があるらしく」
リリアは、思わず心の中でガッツポーズした。実はリトヴィエノフへの謝罪の手紙を書かないまま旅立ってしまったことを後悔していたのだ。今夜書いて、明日の朝イザベラあてに送ればいい。
「あの、リ、リリアさん」
「はい?」
リリアが振り向くと何やら思いつめたようなテオドアの顔があった。
「しょ、食事が終わりましたら、わ、私と一緒にほほほ、ほ、ホタルを見に行きませんか? せせせ、せ、せっかくなので」
テオドアは真っ赤になりながら、リリアから顔を背けたくなる弱気な自分と必死で戦っていた。
「え? あ、ああ。ど、ど、どうしようかな……」
ただでさえ手紙などほとんど書いたこのないリリアだ。リトヴィエノフへの手紙など考え始めたら一晩中かかるに決まっている。しかし、何かと世話を焼いて暮れているテオドアの誘いを無下に断るのも気が引けた。
「お疲れですかね? やめておきましょうか?」
「……いや、せっかくですもんね。こんな機会滅多にないし。ちょっとだけ行きましょうか。案内してください、テディさん」
「はい!お任せ下さい!」
テオドアの嬉しそうな顔を見て、よっぽどふるさと自慢をしたいのだなとリリアは思った。
――テディさんって本当にこの街が大好きなんだなあ。まあ、ちょっと見てすぐに帰ってくれば大丈夫だよね。テディさんにはいっぱい借りがあるし。それに、やっぱり見てみたいしね、ホタル。ヤバ、けっこう楽しみになってきちゃったー。
テオドアが一大決心をして誘ったことなど、リリアは全く気づいていなかった。
リリアは、自分に思いを寄せる者に対して、どこまでも、果てしなく、救いようがないほど、鈍感な女だった。
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