113.ティルダの言い分
ティルダのまぶたが、ゆっくりと開いた。
「う、う……」
「動いたらあかん!」ルイーズがすぐに手をのばし、ティルダの脈をとる。
「意識は戻ってる……外傷もなし、打撲もないしー」エスメラルダが手際よく全身を確認した。
「無事みたいやな……よかった」ルイーズがほっと息をついた。
「ティルダさん……気分はどう?」リリアがそっと声をかける。
ティルダはぼんやりとルイーズの顔を見た後、首をかしげるようにして言った。
「ああ、兄さんの看病をしてたヨソ者ね」
その声音は、どこか冷ややかだった。そして、敵意をたたえた目をリリアたちに向けた。以前ケーキ屋で見せていた兄を気遣う健気な妹の印象とはまるで違っている。
「……ずいぶん態度が違うんやな」ルイーズが目を細める。
「余計なことばっかりしてくれるわね。なんなの、あんたたち?」
ティルダの言葉に、空気が一気に凍りついた。リリアが場をとりつくろおうと何か言う前に荒々しい二人組が戦闘モードに入った。
「はぁ? この子、マジむかつくし!」エスメラルダが先に声を上げた。
「めっちゃ腹立つわ、助けて損したやん!な、リリアちゃん?」
「まあまあ、師匠……落ち着いて、おさえて……」リリアが慌てて間に入る。
──反射神経良すぎだって!! なんでみんな、瞬間的に敵対するわけ!?
リリアは勇者として運動神経に関しては群を抜いているが、心の反射神経は鈍い。急に怒るなどできないのだ。「あれ? これって怒っていいんだっけ?」と立ち止まり、十分に考えてから「うん、大丈夫。私悪くないもん」と結論が出る頃には怒る気が失せているのが常だ。勇者が瞬間湯沸かし器だったら、いろいろなモノが滅びかねないので、この世界はこうしたリリアの鈍い性格によって救われているフシもあるのだが。
「ティルダさん。あのエルフの男性、誰だったの? あなた、塔のてっぺんで彼と……」
「エルフ? あれ悪魔やなかったん?」ルイーズが即座に反応した。
「ちがうんだよ、師匠。私見たの、あれはラーバリの翼を使いこなすエルフだった」
「ラーバリの翼、そんなもん使っとったんか! たまげたで!!」
「ティルダさん、あなたたちは……恋人みたいだった」
「こ、恋人って……なにそれ? 聞いてないし」エスメラルダが思わず身を乗り出す。
「は? なに恋人みたいって。正真正銘、彼氏なんですけど」
ティルダの瞳は敵意をますます増している。
「でも……彼はあなたを塔から突き落としたの。覚えてるよね?」
ティルダの表情が一変した。
「なにこのブス! ふざけないでよ! 私は突き落とされたんじゃない、足を滑らせただけ!」
そして——
「その汚らしいアザ、見せないで! あーもう、キモッ!」
それは、リリアの顔に残る古傷を指しての言葉だった。
その場にいた誰もが、息をのんだ。
リリアは一瞬、顔を伏せる。
──だいじょうぶ。こんな言葉で、私の心は折れたりしない。
少しずつでも、乗り越えてきた。誰よりも自分自身が、それを知っている。
──落ち着いて。ティルダさんから聞かなきゃいけないことはたくさんあるんだから。私が感情的になっちゃいけないの。さあ、深呼吸して……スー、ハー。顔を上げたら冷静に話を……ってええええ!?
リリアの目の前ですでにとっくみあいの大げんかが始まっていた。
──あらら……なんてこと……
リリアは、唖然として口から魂が抜けていきそうになった。
「なに言ってくれてんねん! このメス豚!!」ルイーズが爆発していた。
「リリアちゃん、気にせんでええで!」
「この女、もっかい塔の上から落とした方がいいし」エスメラルダまでが憤る。
「引きずり上げて、落とし直したるで!エスメラルダ」
「その前にボコるし!」
すでにルイーズはティルダの服をつかんでおり、エスメラルダは顎の肉をつまみあげていた。ティルダの方も、ルイーズの鼻の穴に指を2本突っ込んで広げようとし、さらにもうエスメラルダの腕に噛みついている。
──ティルダさん、強い……じゃなくて、止めないと!
我に返ったリリアが止めに入る。「ちょっと!みんな冷静に……」3人を強引に引き剥がそうと奮闘。
騒然としたその中で、ティルダが冷たく吐き捨てた。
「よくそんな顔で人前に出られるわね……。近くで見せないでよ。そのアザ。あんたなんかと違ってねえ、美しいのよ、クロアルダ様は」
ピシッと音がしたような気がした。
リリアも、ルイーズも、エスメラルダも——その場で硬直した。
「……クロアルダ?」リリアが小さくつぶやいた。
「は……? クロちゃん……って?」ルイーズが目を見開く。
「……」エスメラルダは、無言のまま青ざめ、今にも崩れ落ちそうな足取りで一歩、後ずさった。
沈黙が満ちていく。
空気が変わったのを、ティルダだけが理解していないようだった。
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