112.落下の刹那
リリアとティルダが、塔の頂から落下していたその時──
地上ではルイーズとエスメラルダが同時に動き出していた。塔に駆け寄りながら呪文を唱える。
「フィナリス、メラルド。聖なる水よ。天より育まれし魂の水源よ。我が名の元にこの地を満たせ!」
二人の声が重なり、月明かりの下、魔法陣がきらめく。彼女たちの振り上げた腕の先から、水柱が天へと駆けのぼり、まるで意思を持つかのように空へ広がっていく。そして、次の瞬間、その水がある一点へと集中して流れ込みはじめた。
ちょうど、リリアたちが落下してくる真下——石畳の一画、十メートル四方の空間だ。
水はそこにプールのように溜まりはじめ、勢いよくその深さを増していく。
「もっとでないの? ルイーズ!」エスメラルダが叫んだ。
「これが限界や!! この街の空気、乾きすぎとんねん!」
二人は文字どおり、水のクッションをつくってリリアを救おうとしていた。しかし、魔力の限界とこの街の環境がそれを許さない。せいぜい、溜まった水の深さは三〇センチ。
「リリアちゃん、もうすぐ真上だしー!」「あかん……!」「間に合わないし!!」
と——
落ちてきたリリアが、ティルダを抱えたままその水に突っ込んだ。
轟音とともに、水が炸裂する。
プールの水は四方八方へ弾け飛び、月明かりにきらめく粒となって空に舞った。
あとに残されたのは、びしょ濡れの石畳と、水浸しのリリアの姿だった。ティルダをしっかりと抱きしめ、守るように倒れている。
「リリアちゃん!!」
ルイーズとエスメラルダが叫びながら駆け寄った。リリアは動かない。
二人は悲痛な面持ちで見つめ合った。しばしの沈黙──
そして、ルイーズは一つ唾を飲み込み決意を固めると、リリアの脈をとろうと手を伸ばした。
と──リリアの指先がぴくりと動いた。かと思うと、何事もなかったかのように立ち上がった。
「!」ルイーズは目が飛び出しそうなほど、驚いた。
「すごい! 二人、水魔法使えるの? なかなかいないよ、水魔法の使い手。訓練してもできないんだから、限られた人間しか使えない。魔王討伐軍にだって一人しかいなかったんだから!」
興奮気味にまくし立てるリリアに、ルイーズは呆れた顔をした。
「っていうか、なんでそんなに無事やねん?」
「あんな水くらいじゃ、気休めにしかならなかったし」エスメラルダが肩をすくめた。
「えへへ、この通り! 大丈夫なんだ〜」
リリアが満面の笑みを浮かべる。
「リリアちゃん、あんた勇者やないんやない?」
「勇者じゃなくてなんなの?」
「魔物よ、魔物。ありえへんがな、あんな落ち方して無事なんて」
「魔物って言うな。私、嫁入り前の女の子なんだから」
そう言いながら、リリアは胸を張った。
「実はね、着地する瞬間に、二人が呼び込んでくれた水を空間転移魔法でかき集めて圧縮したの。私の体がぴったり収まるくらいの空間にね。たぶん十倍くらいは圧縮したんじゃないかな」
「ようわからんけど、勇者ってやっぱりすごいねんな……」
「尊敬しちゃうしー」
「いや、だけどホントに死ぬかと思ったよ。二人が出してくれた水がなかったら、またエルフの森で療養しなきゃいけないところだった」
「療養で済んだらマシな方よ」
「死んじゃうかと思ったし」
「あはは、そうだね。ところで……二人はなんで水魔法が使えるの?」
「私らの生まれた土地がそう言う土地なんよ」ルイーズが答えた。
「水神さまを祀ってるしー」エスメラルダが続ける。
「私もエスメラルダも、そこの古くから水神さまを守る使命を与えられた家柄で、代々水魔法を使える能力を受け継いどるんよ」
「私ら、水魔法の能力をいかして医術をやってるんだしー」
「そやねん。医術の基本はきれいな水よ。清潔にするところから始まるんよ」
「そうなんだ……すごいなあ」
「すごいのはあんたや」
すると、リリアの腕の中でティルダがかすかに動いた。
「う、う……」
まぶたがぴくりと動き、目がうっすらと開く。
「あなたたちは……」
小さく、弱々しい声がこぼれた。