110.尾行
一時間後、街に灯がともり始める頃。リリアたちは、ビルバッキオの外れにある一軒の店の前に立っていた。ヴァンサンが営んでいたケーキ屋だ。
閉店間際、店のシャッターを下ろそうとしていたのは、彼の妹——ティルダだった。
「ねえ、師匠……なんでヴァンサンさんの妹を疑うの?」リリアが眉をひそめて尋ねた。
「こういうときは、身内が一番怪しいんや」ルイーズが断言する。「ウィノーラさんの魔郵便をヴァンサンに見せんようになんて簡単やろ?」
魔郵便というのは、郵便局に行って空間転移魔法を使う魔術師に頼む郵便で、世界の隅々までメッセージを送れる。各家庭はメッセージを受け取るために、土間などに目の細かい砂を50センチ四方くらいの平たいガラス容器に張っておく。メッセージが届くと砂の上に文字が浮き出るという形だ。
ウィノーラから届いたメッセージをヴァンサンに読ませたくないのなら、その砂をただならすだけでいい。
「まあ、家族ならできるとは思うけど……」リリアはピンときていない。それもそのはずリリアは優しい父と母(魔物に殺されたが)、そして叔父や叔母に育てられたため、家族を疑うという引き出しが思考回路にないのだ。
「ルイーズは実体験だしー」エスメラルダがぽそっとつぶやいた。
「どういうこと?」とリリアが聞いたが、ルイーズは軽く手を振ってはぐらかした。
「私のことはええんやて。それより……見てみい。ほれ、あやしいやろ?」
彼女の視線の先には、店の戸口から外をうかがうティルダの姿。ティルダは大きめのずきんを目深にかぶり、きょろきょろと左右を確認すると、手にランプを掲げて夜道に足を踏み出した。
その挙動は、あきらかに何かやましいものを抱えている者のそれだった。
リリアは思わず息を飲んだ。明確な違和感が、心に突き刺さった。
「ほれほれ、動き始めたで」
ルイーズは嬉しそうにニヤリと笑った。
「師匠……あなたって、名探偵?」
「せやろ? けど私の推理は、いつも雑やで。だからこれからが本番や。ついてきぃ」
表通りでは観光客らしき若者たちが、酔っ払って大騒ぎをしていた。酒場に入りきれないらしい。おそらくはウィノーラのマッチングをあてにしてやってきたが、受けられず、恋愛したい熱い思いの吐け口を酒に求めているのだろう。
ティルダはその横をすり抜けて、まばらな街灯しかない薄暗がりの路地裏を歩いていく。
ルイーズとエスメラルダは尾行に慣れているかのような身のこなしだ。違いにアイコンタクトや手信号で合図を送り、バレないように身を隠しながら後をつける。まるで訓練されたスパイだ。リリアは最後尾で驚きの目で見ていた。
「ちょっと師匠、エスちゃん、要領良すぎない? もしかして軍の諜報活動とかやってた?」リリアが小声で聞いた。
「ちゃうちゃう」ルイーズが苦笑いした。
「実体験だしー」エスメラルダが口をへの字に曲げて言った。
「実体験?」
「私らな、しょーもない男に騙されてばっかりやってん。そんでなお互いの男を尾行して浮気調査をしあいこしとったんよ」
「何度やったかわかんないしー。経験豊富だしー。身バレゼロよ、ゼロ!」エスメラルダはなぜか勝ち誇ったように目を細めた。何も勝ってないのだが。
「そうだったんだ……」思いがけなく二人の悲しい歴史に触れたリリアは、かわいそうに思った。
──彼氏に浮気なんてされたら、私、絶対に火炎魔法を暴発させちゃう!そんなことに耐えてきたんだ、師匠とエスちゃんは。ウィノーラさんもそうだけど、この二人にも絶対に幸せになってほしい! いや、幸せになるべきよ!!
よく分からない無駄な感情移入をしながらリリアは、慣れない隠密行動に精を出した。
そして10分後、たどり着いたのは街の真ん中にある塔だった。
メリダールの塔──高さは100メートルに達しようかというビルバッキオの街のシンボルだ。今は観光施設となっているが、もともとはこの街の大富豪が溺愛していた娘・メリダールのためにつくったものらしい。メリダールは最上階にこもって、戦地に赴いた恋人の帰りを待ち侘びて、毎日毎日、港の方角を望遠鏡で見ていた。恋人の姿を見たい一心で。つまりこの塔はメリダールの愛の証なのだ。しかし、結局恋人は戻ることはなかったという。メリダールは老いて死ぬまでこの塔の最上階にこもって恋人を待ち続けたにも関わらず。
観光ガイドに載っていたそんな文章をリリアは思い出した。
──なんでこんなところに……
ティルダは細い外階段を登っていく。
リリアたちは塔の下で顔を見合わせた。
「どうする?」エスメラルダが言った。「外階段は隠れようがないしー。上っていくと絶対にバレるしー」
「リリアちゃん、飛べへんの? 勇者やろ?」ルイーズが言った。
「師匠、私を悪魔か魔物と勘違いしてない? 羽がはえてるわけじゃないんだから」
「じゃ、しゃあないな」ルイーズは肩から下げていた鞄から筒のようなものをとりだした。
「なにそれ?師匠」リリアが言った。
「これはな、望遠鏡や。しかも、黒魔術師の暗視魔法でバージョンアップ済みや。暗闇でもよー見える」ルイーズが言った。
「なんでそんなの持ってるわけ?」リリアが聞いた。
「は? そりゃ浮気調査のためや。決定的な場面はこういうアイテム使わんとなかなか押さえられんやろ?」ルイーズは望遠鏡で塔の外階段を登っていくティルダの姿をとらえながら答えた。
「さすが、師匠……」謎の頼もしさを発揮するルイーズをリリアは憧れの目で見た。
「あの子はランプを手に持っとるから、わかりやすいで。あー、今一番上に着いた。なんやろ、そわそわしとんな。待ち合わせでもしとんのやろか……」
と──
バサッ、バサバサッ
頭上で巨大な鳥が羽ばたくような音がした。
「な、なによ!?」ルイーズが怯えながら言った。
上空には月明かりに照らされて魔物のようなシルエットが浮かび上がった。その影は、まるで空を裂くようにゆっくりと翼を広げていた。
「あれは……悪魔?」リリアが言った。
「あかん、逆光でよう分からん」ルイーズが望遠鏡で見ながら言った。
「ティルダさんが危ない!」
リリアは外階段を駆け上がっていった。
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