100.悪魔さがし③
「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」古めかしいカウンターから初老の男が顔を出して言った。どこか暗い目をしている。
「私ら泊まりに来たわけやないんですよ。ちょっと聞きたいことあってんけど」ルイーズが言った。
「こちらでヴァンサンさん、いやケーキ屋さんの配達を頼んだ方を探してるんです。ご主人はご存知じゃないですか?」
「ケーキの配達? お客以外で訪ねてくるのは警察くらいなもんだよ。ウチのお客、タチ悪い人が多いからね。あちこちで酔っ払って暴れただとか、金を盗んだとかそんな理由でしょっぴかれていくんだよ。お二人さんみたいにかわいい女の子がやってくるなんて滅多にないから、何かと思えば……。なあ、ばあさん、ケーキ頼んだお客、知らないか?」初老の男はカウンターの前の狭いロビーに目を向けた。
そこには薄汚れたソファに老婆が腰掛けていた。
「……私が……頼んだんだよ」老婆はかすれた声で言った。
「俺の知らない間にそんなことを……」初老の男は呆れたように言って、二人を見た。「そういうことみたいだよ。訊いてみるといい。俺の母親なんだ。ちょっとボケてるから、全部鵜呑みにしないほうがいいけどね」
リリアとルイーズは老婆の前に座った。
「こんにちは!」リリアはにこやかに挨拶してみた。
「……」老婆はピクリとも動かない。
ルイーズがリリアにヒソヒソ声で耳打ちした。
「このおばあちゃんが悪魔なんかな?」
「うーん、どうだろうねえ」
「私はちゃうと思うで」
「だよねえ。普通そうだよねえ……」
目の前に座っているのは、まるで生気が感じられない人形のような老女だ。直感的には違うと思っているリリアだが、警戒心を解かないでいた。悪魔とはそういった隙をつくのが上手い生き物だと知っているからだ。
「おばあさんはケーキがお好きなんですか?」
「……」
「ケーキ屋のヴァンサンさんのことは覚えてますか?」
「……」
「ここに配達しに来た人なんです」
「……」
「こりゃあかん、リーリちゃん、帰ろ。時間がもったいないで」
「……そうだね、師匠。おばあさん、お邪魔してごめんなさいね」
リリアたちが立ち上がった瞬間、老婆が口を開いた。
「あんたたち……彼氏はいるのかい?」
「え?」
予期しない質問に面食らった2人は、顔を見合わせた。
「私はこないだ別れたばっかりや。募集中なんよ、おばあちゃん」
「お嬢さんは?」老婆はリリアの顔を覗き込んだ。
「わ、私? 私ですか? 彼氏なんていません……今は」
リリアは最後に<今は>をつけるのを忘れなかった。本当は彼氏いない歴イコオール年齢なのだが、見栄を張りたい年頃だ。開き直って「私、彼氏いたことないんですー」と言えるほど成熟もしていない。
──別にウソついてるわけじゃないしー!
「……二人とも、恋をしなくちゃいけないよ……女は死ぬまで恋をしなくちゃ」老婆の目は急に輝き始めた。
「そや。やから私、恋をしに海をわたってここまで来てるんよ、おばあちゃん」
「私も恋はしたいんです! でも、なかなかいい人がいなくて」
「それな! ほんま、それに尽きるわー」
「おばあさんも恋してるんですか?」
「……もちろんだよ」
「えーすごーい!」リリアは感嘆の声を上げた。
「おばあちゃんの旦那さん、素敵な人なんやろねー」
「……夫はとっくに死んでるよ」
「じゃ、ホントに彼氏さんなんですね?」
「……最初に会った時にね……ビビビときたんだよ……長い間、忘れていた感情がね……湧いてきたんだよ……そんなものもうとっくに消え失せていると思っていたものがね……」
「おばあちゃんの体に電気が走ったんやねー、アハハ。素敵やわ」
「おばあさん、情熱的! 羨ましいです! 私、そんな出会い経験したことないですから! あー、私も一度でいいからビビビを経験してみたいですー」
リリアはそう言ったが、実際のところ初対面の男にリリアが<ビビビ>とくることは珍しいことではない。年がら年中勝手に運命を感じてトキめいているが、それが身を結んだ試しがないというだけのことだ。
「ヴァンサンさんとウィノーラさんもそんな感じだったんだろうね。運命に出会ったって思ったんだよ、きっと」
「ある意味幸せもんやなあ。私は運命なんか信じとらへんけど」
「ええ! 運命はあるよぉ〜」リリアは完全なる運命信奉者だった。無理もない。生まれながらの勇者なのだから。
「別に世界中の男から一番自分と合う男を見つけ出すわけやない。知り合った中で一番いい男を選ぶだけや。そう考えたら、せいぜい選択肢は何百人かしかないで。どんなに広く考えても。たった何百人かや。その中で趣味とかお金をよーけ持っとる持ってないとか、食の好みが合うとか合わんとか、子供何人欲しいかとか、あとは……アッチの方とか、いろいろ考えてパラメータ化して数値を比べるだけや」
「師匠、なんか理系っぽい……」
「私、医者やで。そりゃ理系やわ」
「私、パラメータよりもビビビがいいな……そうだよ、ビビビだよ。ビビビしかない! 師匠には悪いけど、やっぱりビビビが私の恋なの!!」
「そうなんか。ウン、人それぞれや。で、おばあちゃん、彼氏さんとはどこで知り合ったん?」ルイーズは勝手に熱くなっているリリアを放って、老婆に話しかけた。
「……ここだよ……元々はホテルのお客さ……私の彼氏はケーキに目がなくてね……」
「だから、配達を頼んだんですね」
「そうだよ……ヴァンサンとこのは評判がいいらしいからね……」
「彼氏さんがヴァンサンさんの店を?」
「……そうだよ。どこかで評判を聞いたんだろうね……」
ルイーズがリリアの耳元に口を近づけた。
「なあ、リーリちゃん、彼氏、絶対怪しいと思わへん?」
「私の中では完全にクロ」
二人は老婆に聞こえないように囁きあった。
バタン
その時、ジゼルホテルの入り口ドアが開いた。
「……おかえり、ダーリン」老婆がにこやかに言った。
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