10.勇者はニックネームで呼んでみた
レッドガルム討伐に投入された兵士の数は三千。平時であっても、全軍投入というわけにはいかないのは分かるのだが……
十数万の兵力を誇るガレリアにもかかわらず、たった三千。リリアは拍子抜けした気分だった。レッドガルムの群れを甘く見すぎている。
「申し訳ありません。勇者殿」
リリアの心を読んだかのようにテオドアが話しかけてきた。今、二人は行軍の最中。並んで馬を走らせている。
「え? なにがです?」
「このような小規模編成しかご用意できず、さぞ驚かれたことでしょう?」
「ま、まあちょっと足りないかなあ〜なんて、アハ、アハハ……」
「その分、私が働きますのでご安心ください。勇者殿!」
「あ、はい。た、助かります。テオドア団長自ら、兵を率いていただいて。こ、光栄に思います。はい、とっても」
「テディとお呼びください」
「え?」
「お呼びください!」
「いや、でも……」
「お呼びください!!」
「わ、わかりました。て、テディさん……」
テオドアは一瞬、満足そうな顔を浮かべたが、すぐに眉間にシワを寄せたデフォルトの顔つきに戻った。
「勇者殿、喉は乾きませんか? ボルゴーニュ山脈の雪解け水など、ご用意がございますが」
「あ、まだ大丈夫です。あとでいただきます」
王都を出発してから一時間。こうして散発的な会話を何度か交わしているが、リリアはこの大男に少しも慣れない。とにかく、話をする時に顔を凝視してくるのが苦手だ。きっと本人に悪気はないのだろうが、圧を感じて居心地が悪い。
それに、愛称で呼ぶことを懇願するなど気持ちが悪い。しかし、作戦を共に遂行する以上、連携が大切だ。テオドアは団長としての立場から、やむを得ず自分と仲良くなろうとしているのだろうとリリアは思った。
――あなたも大変ですね。こんな小娘に気を使わないといけないなんて。
テオドアの上司にあたる人物と言えば、大臣か国王だけだ。それほどの男がずっとリリアの執事のように振舞っているのだ。
「これは内密に願いたいのですが……」と、いつになくテオドアが小声で話しかけてきた。
「隣国リューベルとの交渉が決裂しまして。いきなり戦争ということにはならないと思いますが、局所的な戦闘はいつ起きてもおかしくありません」
「そうなんですか……。それで、兵の数が少ないんですね。国境の哨戒や王都の警備にもかなりの人員が必要でしょうし」
「ご推察の通りでございます」
リューベルはガレリアと国境を接する海洋国家で、ガレリアに豊富な海の幸や加工食品を輸出し、ガレリアからは絹や綿などの繊維、そして船などの建造技術を享受している。
しかし、その貿易は平等とは言えず、国力の差からリューベルにやや不利な条件で協定が結ばれている。リューベルの商人は卸す場所を制限され、高い関税をかけられていた。
その解消を求めて、今回リューベルは大臣以下、数十名の貴族たちをガレリアに派遣して粘り強い交渉を行ってきたのだが……
「しばらくの間、リューベルとの交易はストップするそうです」
「やっぱりそうなりますよね……」
「なにかお困りになることがあるのですか? 勇者殿」
「いえ、大したことはないんですが……大丈夫です。はい……」
全く大丈夫ではなかった。リリアは心底落胆していた。
リューベルはリトヴィエノフの住むセメラキントを統括する国だ。つまり、リューベルとの交易停止とはリトヴィエノフがガレリアに来なくなるということだ。
あんな嘘がバレてしまった以上、恋人になるなど望むべくもない。しかし、せめて会って謝りたい。リトヴィエノフの目を見て自分の口から本当のことを伝えたい。
そんなリリアの健気な願いは、遥か彼方へ飛んで行ったように思われた。
「はあ……」
思わずため息が出る。それをリリアに対してマグマのように熱い思いを抱く男が見逃すはずはなかった。
「やはり、何か心を痛めることがおありなのですね。私に何かできることないでしょうか? 少しでも勇者殿のお役に立てるのならば、この薄汚い体、そして欠片も価値のないこの命など喜んで差し出しますぞ!」
「は、はい?」
リリアは突然宣言されたテオドアの謎の覚悟に、あっけにとられたが、あまりにもテオドアが真剣な表情なので、それなりの感謝を込めた言葉を返そうと頭を巡らせた。
しかし、テオドアのつながった眉毛が気になって仕方ない。さらに、眉間にシワを寄せて険しい表情をつくっているだけに、余計に滑稽さが際立っていた。
――どうやったら、こんな生え方するの?
リリアは、こらえきれず笑ってしまった。
「フフフフ、す、すみません」
「大丈夫ですか? 勇者殿!」
「あの、お言葉に甘えて一つお願いしてもいいですか?」
「もちろんですとも! 何なりと」
「眉間にシワを寄せるの、やめてもらえません?」
「は?」
「もっと力を抜いて。顔の緊張をといて」
「勇者殿、こ、こんな感じでしょうか?」
「ギャハハハハハ。イイ! イイですその方が。テディさん、そんな感じでいきましょう」
テオドアの弛緩した顔は、ナマズそっくりで余計に可笑しみを増した。悲惨なことにそれはリリアの笑いのツボのど真ん中にはまってしまったようだ。
「勇者殿に喜んでいただけて、光栄に存じます!」
行軍全体に響き渡るリリアの大爆笑。そして、鬼神のごとくと形容されたテオドアの滑稽な表情。三千に上る周りの兵士たちは、さぞ不安になったに違いない。
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