「あれ」ではありません
こんにちは、ぼく、「あれ」です。
ぼくの持ち主であるおじいさんは色んなものをそう呼びます。
おばあさんはまるで超能力者のように「あれ」だけでおじいさんがほしいものをちゃんとわたします。
おじいさんは当たり前のようにそれを受け取って使います。
しかし、ある日のこと。
出掛けようとしたおじいさんが言いました。
「おい、ばあさん、「あれ」をくれ」
いつもならすぐにわたすおばあさんですが、今回はまったく動こうとしません。
「……おい、ばあさん、「あれ」」
おじいさんはとまどいながらもう一度言います。
おばあさんは首をかしげながら返します。
「「あれ」とは一体なんでしょうか」
「え」
おどろくおじいさん。
おばあさんはとぼけた顔で言います。
「「あれ」だけでは何のことかわかりません。ちゃんと名前を言って下さい」
「……もういい、自分で探す」
ムッとしたおじいさんは自分で探すことにしました。
寝室。押し入れ。タンスの中。
色々な場所を探しますが、ぜんぜん見つかりません。
いつもおばあさんにまかせっきりなのでどこにしまったのかわかりません。
探しているうちにのどがかわいてきました。
「おい、ばあさん、「あれ」」
おばあさんはまた首をかしげます。
「「あれ」とは一体なんでしょうか。ちゃんと名前を言って下さい」
ムッとしたおじいさんは自分で探すことにしました。
台所に行って探しますがぜんぜん見つかりません。
いつもおばあさんにまかせっきりなのでどこにしまったのかわかりません。
おじいさんはあきらめて少し落ち着こうとこたつに入りました。
「おい、ばあさん、「あれ」」
おばあさんはまた首をかしげます。
「「あれ」とは一体なんでしょうか。ちゃんと名前を言って下さい」
ムッとしたおじいさんは自分で探すことにしました。
しかし、やっぱりどこにしまったのかわかりません。
それから、おじいさんは何度も「あれ」と言う度におばあさんに首をかしげられました。
そのたびにムッとしながら自分で探して、やっぱり見つかりませんでした。
「……もうわしの負けだ、許してくれ」
結局、おじいさんは泣きそうになりながらそう言いました。
おばあさんはニコニコしながら返します。
「じゃあ、何がほしいのかちゃんと言ってくれますか」
おじいさんはしょんぼりしながら言います。
「のどがかわいた。お茶をください」
「はい、どうぞ」
「一息つきたい。新聞をください」
「はい、どうぞ」
あれだけ探しても見つからなかったのに、おばあさんはまるで魔法のように次々と差しだしてきます。
でも、あれ? まだぼくの名前が呼ばれてませんね。
「あら、おじいさん、最初に探していたものはいいんですか?」
気付いたおばあさんがそう言うとおじいさんは恥ずかしそうに言いました。
「……マフラーをください」
「どんなマフラーでしょう。きちんと言ってくれないとわかりませんね」
おばあさんはすべてお見通しのようにそう返します。
おじいさんは「うぬぬ」とうなると顔をまっ赤にして言いました。
「ばあさんがわしのためにあんでくれたマフラーをください」
おばあさんは満足そうにうなずくと差し出しました。
「はい、どうぞ」
そうして、差し出されたのは今年のクリスマスにおばあさんがおじいさんに贈った白いマフラーでした。
やれやれ、やっとぼくの名前を呼んでくれましたね。本当におじいさんもがんこなんだから。
どこか悔しそうにするおじいさんにおばあさんは言います。
「心を込めて贈った贈り物です。それくらいきちんと名前を呼んでくれてもいいんじゃないですか?」
おばあさんはべつにおじいさんにいじわるをしていたわけではありませんでした。ただ、自分の贈り物さえも「あれ」ですまされたことが悲しかったのです。
おじいさんはマフラーを受け取ると申し訳なさそうにあやまりました。
「わるかった」
おばあさんはにっこり笑いました。
「わかってくれればいいんですよ。出掛けるのが遅くなってしまいましたね。どうぞ、行ってらっしゃい」
おじいさんは少し迷いながらぼそりと言いました。
「……ばあさんもいっしょに行くか」
おばあさんはおどろいたようにキョトンとします。
「え、私もいいんですか?」
「たまにはいっしょに散歩でもしよう」
「あらあら。じゃあ、ちょっと用意してきますね」
そう言って軽い足取りで用意に向かうおばあさん。おじいさんはぼくを大切に首に巻くとぽつりと呟きました。
「いつもありがとう……」
おばあさんに聞こえないような小さな声で。
本当に素直じゃありませんね。
でも、おじいさん、おばあさんにはちゃんと聞こえていたようですよ。
こちらを向いたおばあさんは本当にうれしそうな顔をしていましたから。