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水曜日のパン屋さん  作者: 水瀬さら
第3章 チョココロネは初恋の味
19/44

6月13日(水) 雨のち曇り 1

 朝から雨が降っていた。テレビのお天気キャスターが、「梅雨入りしたもよう」と報告している。

 お母さんを見送り、ひとりで朝食を食べ、二人分のお皿を洗う。そこまではいつもやっていること。そのあとの予定を、私は考える。

 今日は水曜日。雨も降っているし、いつもだったら図書館に行って、それからさくらさんのパン屋さんに行くのだけれど。

 詩織さん……来るのかな。

 来週の水曜日も来るって言ってた。そのあと詩織さんはきっと東京へ帰る。またしばらく詩織さんには会えない。

 音羽くんはどんな顔をして、詩織さんを見送るんだろう。それを想像したら、なんだか胸が痛くなって、私はリビングのソファーに力なく身体をうずめた。


 今日行くの……やめようかな。

 パン屋に行くのは義務じゃない。さくらさんだって「来れたら来てね」と言っている。べつに私が行かなくたって、なにかが変わるわけでもない。

 いろんなことを考えていたら、今度は頭が痛くなってきた。それを忘れるために、私は本を読む。今日は一日、本を読んで過ごそうか。そうだ、それがいい。そう思って読みはじめたら、あっという間に時間が経った。

 インターフォンの音が鳴って、顔を上げる。時計を見ると、午前十時。私は本にしおりを挟むと、立ちあがってインターフォンについたカメラを見た。

「え……なんで?」

 私の家の玄関の前で、濡れた傘を閉じながら立っているのは、音羽くんだった。


「どうも」

 玄関のドアを開くと、音羽くんが面倒くさそうに片手を上げてそう言った。高校の制服を着て、リュックを背負って、透明な傘を持っている。傘から垂れる雨水が、音羽くんの足元に小さな水たまりを作っていた。

「なんで?」

「家、誰もいないの?」

 私の言葉を無視するように、音羽くんが家の中をのぞきこもうとする。

「あ、あのっ! なんでうちに来たんですか!」

 思わず声を上げてしまったら、音羽くんはちょっと困ったように私を見た。

「やっぱり……まずかった?」

「べつに……まずくはないけど……」

 もそもそとつぶやいた私の前で、音羽くんはリュックをおろし、中から何冊かの本を取り出した。


「これ。俺が使ってたやつだけど」

 押し付けるように差し出され、両手でそれを受け取る。見ると高校受験用の五教科の問題集だった。

「やさしいやつだから。少しずつやってけば、大丈夫だと思う。芽衣にやるよ」

 私は問題集を見つめたあと、顔を上げて音羽くんを見る。

「わざわざ……持ってきてくれたの?」

「いや……そうじゃなくて」

 音羽くんは私から視線をそらして頭をかく。

「それは口実。ほんとうは行き場所がなくてさ」

「……学校、またサボったの?」

 私が言うのも変だけど。

「朝、バタバタしてたら遅くなっちゃって。最近さくらさんも不審に思ってるから、一応家は出たけど、学校行くの、なんかもう面倒で」

 それでうちに来たんだ。

「でもやっぱ、まずいよな。どこかで時間つぶしてくる」

「あの……」

 振り返ろうとした音羽くんに言う。

「よかったら……どうぞ? 勉強教えてほしいし……」

 音羽くんはゆっくりと私を見て、どこか安心したように小さく笑った。


 音羽くんをリビングに通す。

「適当に座って下さい」

 なんかヘンな感じ。音羽くんは少しきょろきょろしたあと、いつも私が座っているソファーに腰かけた。

 音羽くんが私の家にいる。やっぱりなんかヘン。自分の家なのに、自分の家じゃないみたいで、全然落ち着かない。

「じゃ、なにからやろうか」

 音羽くんはそう言って、リュックの中から勉強道具を取り出した。

「え……ほんとうに勉強するんだ」

「は? 勉強教えて欲しいんだろ? ほかになにが目的なんだよ」

 目的って……そんなのないけど。


 なんだか恥ずかしくなって、うつむきながら、音羽くんの前に座った。音羽くんは問題集をぱらぱらとめくりながら聞く。

「一番苦手なのは、なに?」

「……数学」

 問題集をながめたまま、音羽くんがちょっと笑う。

「よかった。俺、得意」

 顔を上げると、音羽くんと目が合って、なんだかどきどきした。音羽くんの服からは、パンのいい匂いがした。


 雨の音がかすかに聞こえる部屋で、音羽くんと問題集を解いた。わからない問題を聞くと、音羽くんはすらすらと答えてくれて、失礼だけど、ちょっと意外だった。

「音羽くんって……もしかしてすごく頭いいひと?」

「おそらくお前よりはな」

 平然とした顔でそんなことを言われて、ちょっとムカつく。

「じゃあどうして学校行かないの? 学校の授業なんか、余裕すぎてつまらないとか?」

 私が聞くと、音羽くんは考えるような顔つきをした。

「……そうだな。なんでだろ」

 私はシャーペンを持ったまま、音羽くんを見る。

「勉強はめんどくさいけど、一日席に座ってれば終わるし、周りの連中は騒がしいけど、べつに害はないしな」

「音羽くんって……友達いないの?」

 音羽くんが私をにらむ。


 だって学校に行く理由なんて、だいたいそういうものでしょ? 勉強が楽しくて行くひとなんて、ほとんどいなくて、だいたい友達と会うのが楽しいから行くんでしょ?

「べつに友達なんか、いなくてもいいし」

「あ、やっぱりいないんだ」

「うるせぇな。お前はいちいち」

 でもそんなふうには全然見えない。

 音羽くんってけっこう顔いいし、髪の毛サラサラだし、背も高いし、制服もカッコよく着てるし。市郎おじいちゃんが言っていたみたいに、女の子にもモテそうなのに。


 むすっとした音羽くんが私に言う。

「じゃあ、お前はどうなんだよ?」

 私は顔を上げて音羽くんを見る。

「お前は友達いるの? なんで学校行かないんだよ?」

 きゅっと唇を結んで、うつむいた。机の上にシャーペンをことんと置く。

「友達……いたよ? 小学校からずっと仲がよかった子たち」

 音羽くんが私を見ている。

「それなのに突然、私と話してくれなくなっちゃって……どうしてなのか、全然わかんないんだけど……そしたら教室にも居づらくなって、学校行こうとすると、お腹痛くなっちゃって……」

 思い出すとまた、胸の奥がひりひりする。


「友達いないのに、学校なんて行けないよ。みんな私のこと、なんだか変な目で見て……ひとりで一日中、黙って席に座ってるのって、耐えられない」

 ぽろっと涙がこぼれた。あわててそれを手の甲でこする。

「音羽くんは……ひとりでも平気かもしれないけど。私は友達がいない学校なんて、行けない」

 部屋の中が静まり返った。私はティッシュに手を伸ばし、ぐすぐすと鼻を拭く。音羽くんはうつむいて、問題集のページを、意味もなくぱらぱらとめくった。


「芽衣。お前さぁ」

 私と視線を合わせないまま、音羽くんがつぶやく。

「うちの高校来れば? そしたら俺が、友達になってやってもいいけど?」

 私は勢いよく顔を上げる。

「お、音羽くんひとりが友達になってくれたって、しょうがないじゃん! だいたい女の子じゃないし、学年だって違うし!」

「冗談だよ」

 視線を上げた音羽くんが、ふっと笑う。私は顔を赤くする。

「でもさぁ、マジでうちの学校来れば? 高校入ったら、なにかが変わるかもしれないだろ?」

 私は目の前に開かれた、数学の問題を見下ろす。

「まぁ俺のサボり癖は変わらなかったけど。でもちゃんと卒業はしようと思ってる」

「……さくらさんのために?」

「ちげーよ」

 音羽くんが小さく笑う。

「自分のために、だよ」

 でも音羽くんは思ってる。いつだってたったひとりの家族である、お母さんのことを思ってる。


 私はふと、詩織さんのことを思い出した。お母さんが亡くなっても、悲しくないと言った、詩織さんのことを。

『母とは最期まで上手くいかなかったけど。でもあの頃、私が私でいられたのは、あの場所があったから』

 もしかして詩織さんも、居場所を探しているのかな。心の拠り所となるような、大事な居場所を、今も探しているんじゃないのかな。

 私たちと同じように。

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