1話 居酒屋で拾われた
「おはよう。目覚めの気分はいかがかね? 」
目を覚ますと、見覚えのない部屋のベッドで横になっていた。昨夜からの記憶が全くない…… いや、正確には一人で居酒屋に入り、隣で飲んでいたこの無精髭の男と意気投合し、別の居酒屋に一緒に梯子した場面までは記憶している。
「あんたかなり溜まってたんだな。激しかったぜ」
男の不穏な言葉が、残ったアルコールと眠気に支配されていた頭を一気に起動させる。まさか、といった顔をしている私をみて、男は口に運びかけていたコーヒーを吹き出した。
「ああ、悪い、言葉選びがへたくそだった。大丈夫だ、なんにもしちゃいねえよ。取って食っちまいそうな奴らがうようよいた居酒屋に酔いつぶれて眠りこけた女を一人でおいていけるかよ。家も分かんねえし、一夜の宿として提供したまでだ。とりあえず、水飲むか? 」
確かに、腰の重苦しさもないし衣服の乱れもない、恐らく貞操は無事。この男の言っていることも嘘ではなさそうだ。カバンの中身の無事も確認できたタイミングで、コップに入った水が差しだされる。
「恐らく覚えていないだろうからもう一回自己紹介しておく。俺は、風見涼。ほれ身分証」
差し出された免許証には写真と名前が、男の話と差異なく記載されていた。歳は40代前後か。
「で、あんたの名前は? 見た目からして、20代前半だろう? 散々仕事でストレス、ためてたんだろうな。居酒屋で散々毒を吐き散らしてたぞ」
「風見蛍です。残念ながら年齢は、今年27です。その節はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。どこまでお話ししたかわかりませんが、実は昨日リストラされてしまって…… 」
そう。昨日の業務中、突然リストラされたのだ。就職して会社全体の業績が振るわなくなったのは知っていた。社内でもリストラの噂が立ち始めたタイミングで、部内でも成績の悪かった私が、リストラ第一号となったのだった。
「ああ、聞いたぜ。まったく気の毒に。働きにくい世の中になったもんだよなあ。で、これからどうするつもりなんだ? 社員寮も出なきゃいけなんだろ? 」
昨晩の私は一体どこまで情報漏洩をすれば気が済むのか、また頭が痛くなりそう…… そう。私は今現在、社員寮で暮らしているため、今後職探しと同時に家探しも待っている。今から考えても気分が落ち込む。また、頭が痛くなってきた。
「おやっさーん! いつまで俺だけに仕込みさせる気ですか!? 」
涼さんの後ろの扉から二日酔いの頭に、また別の大声が響く。
「おう! 悪い、今行く! お、そうだ。あんた、働き口探すんだろ? じゃあ、うちで働かねえか! 」
は? 、と思わず口から出てしまう。何だこの人は。前日に居酒屋で拾った見ず知らずの女性をスカウトするやつがいるか?その時の私は恐らく、あからさまに懐疑の表情をしていたのだろう。涼さんが慌てて釈明の言葉を付け加えてきた。
「驚かせちまったか、悪い悪い。そりゃいきなりとは言わねえよ。ちょっとインターン、的な? 今日、予定とかないようなら、飯食ってくついでにうちの仕事みてけよ。決めるのはそれからでいいから、な? 」
そんな経緯があり、あれよあれよと言いくるめられて、結局私はここに立っている。どうしてこうも流されやすい性格に育ってしまったのか。高校生の時なんて、仲のいいと思っていた友達とラブホ女子会とかいってホテルに連れ込まれ、なんだかんだいいムードにされ一線を越えそうになったことさえある。まあ、その詳細は今は語るときではないから割愛。
「おはようございます! 俺は、柳巧です。ここでおやっさんに雇ってもらってる、いわゆるバイトっす。よろしくお願いします!」
階段を降りた早々、バイトの柳君に高校球児顔負けの元気な挨拶をされた。金髪に染めたその髪から抱く印象とは異なり、表情や言葉の節々からさわやかないい子オーラが醸し出されている。
「あ、どうも。風見蛍です。なんか今日は流れでお仕事を見学させてもらうことになった、っていうか」
簡単な自己紹介と挨拶を済ませ、店の内装に目を配る。ぱっと見小さな大衆食堂と居酒屋の中間のような内装だ。数多の手書きメニューがびっしりと、壁面をカラフルに彩っている。カウンター数席とテーブル席もいくつか。決して大きいとは言えない広さだ。
「仕込みサンキューな、柳。さて、あと1時間でランチタイムだ。仕上げしちまうぞ」
涼さんはいつの間にかエプロンをつけて厨房に立っていた。私は、邪魔にならない様に、その上彼の動きも見えるようにカウンターに腰掛ける。慣れた手つきで涼さんと柳君は仕込みを終わらせていく。仕込みといっても、お通しや煮物、小さな小鉢等を作っていくだけ。しかし、ひとつひとつの量はあまり多くはないが、なにぶん種類が多い。動きを見るに柳君も恐らくかなり長い間ここで働いているんだろう。動きがスムーズだ。涼さんが次に必要とするものを的確に下ごしらえをして渡していく。まるで、二人でオペをしているかのような手際だ。
「悪い。俺たちは手が離せねえ。あんた、ちょっと暖簾と看板を出してきてくれねえか?」
「ええ、そのくらいなら」
入り口の一番近いテーブル席に立てかけてあった暖簾をかけて、玄関先の看板を「閉店」から「営業中」にひっくり返す。一仕事を終え、先ほどの定位置に戻ろうとする。すると、ガラガラと懐かしさを感じる引き戸の音とともに、最初のお客が入ってきた。