顔の識別
只今パウラは昼寝も出来ずに自分の存在価値について長々と説明されている真っ最中だ。
「つまり、マリウス騎士団長が亡くなった今。我が国の戦力はかなり乏しいという訳です。そして今回の兵を増やしたフランメ王国を見れば、あなたを何がなんでも我が国としては留めておきたいのです。」
「うーん…?」
先程からひたすら黙って説明を受けていたパウラは一段落着いたところで、唸りながら首を傾げる。
「何か疑問に感じることがあるのなら、お答えしますよ。」
カチャリと眼鏡を押し上げパトリックは緩く微笑んだ。
「あの、マリウスさん?って、先月病気で亡くなったんですよね?」
「敬語は結構です。」
言い放つパトリックは主人と使用人の立場を教えるためなのかもしれないが、顔の見分けがつかないパウラとしてはタメ口は憚られた。
パトリックと間違えてアデルベルトにタメ口で話しかけてしまう可能性も、かなり高いのだから。
「しばらくは、敬語、使います。それで、先月なんですよね?」
「ええ。それがどうかしましたか?」
「なんでフランメ王国は兵を増やしたんですか?」
「…マリウス騎士団長の死を知って、ではないでしょうか?」
「そんなに強い人が亡くなったら、攻め入れられるのも当然では?箝口令とか無かったんですか?」
この短時間で随分とコミュニケーション能力を取り戻しつつあるパウラは訝しげな顔をして、問う。
「箝口令は敷かれていました。…お察しの通りです。あまりいい話ではありませんが。」
「内通者、ですか。」
(…まぁこんだけ広い城なら1人や2人いた所で何ら不思議じゃないなぁ。)
「ええ。なかなか尻尾を捕まえることが出来ず…。」
落ち込んだような表情をパトリックは浮かべた。
「とは言え、そこら辺の事は私に関係ないですよね。とりあえず私は他国が攻め入ってきたら薙ぎ払えって事で間違いないですか?」
「そうですね。」
苦笑しつつパトリックは頷く。
パウラはティーカップを手に続けた。
「なら深追いはしませんよ。ね?」
(めんどくさいから犯人探しとか絶対嫌だし…。)
続けられたその言葉にパトリックは目を見開く。
そしてピクリと頬を痙攣させた。
「それじゃあ、私は一眠りしたいと思います。おやすみなさい。」
驚愕の表情を浮かべるパトリックを背にパウラはベッドに直進して行ったのだった。
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あれから数日が経とうとしていた。
王城の設備は完璧で死にゲーの世界で暮らしていたパウラに取っては至福の毎日だったのだが、ひとつだけ問題が発生していた。
「あ、パトリックさん。」
「私はパトリックではありません。」
「パトリックさーん。」
「俺はパトリックじゃないです。」
「貴方はパトリックさん?」
「違います。」
パトリック間違いが多すぎるのだ。
(流石にこれは、周りに迷惑だよね。)
パトリック間違いを無くそうと決めたパウラは、本物をどうにか探し当て、部屋に連れ帰る。
そしてパトリックを椅子に座らせると、その顔を凝視した。
「…どうか、なさいましたか?」
困惑するパトリックにパウラは目を逸らさず凝視しながら答えた。
「顔を覚えたくて。」
「…顔?そう言えば、使用人達から私の間違いが何とかと話があったような……。」
ふむ、とパトリックは顎を撫で考え込む。
そして1つ思いついたように口を開いた。
「そんなに存在感がないでしょうか?」
「いや、そうじゃないんですけど…。私が面倒で言ってなかっただけなんですよね…。」
「何を?」
「顔の識別が出来ないんです。」
パトリックは眼鏡の奥にある瞳をめいっぱい見開いた。
「識別が…。生まれつきですか?」
「心配しなくても大丈夫です!以前は見分けついてたので!殺し過ぎてちょっとよくわかんなくなってるだけだと思うので!」
パトリックがまるで重大な秘密の話をするかのごとく尋ねてきたので、パウラは慌てて返事を返した。その結果余計なことも言ってしまった訳だ。
「………。そうですか。それでは髪色や瞳の色で判断するのはどうでしょうか?私の色は珍しいので間違えることも無いかと。」
パウラの余計な言葉には一切触れずパトリックは話を続けた。
「……色。そうかその手があったか!よし!」
パトリックを再び凝視する。
「パトリックさんの髪は綺麗な灰色なんですね。あれ、パトリックさんってご老人でしたか?」
彼女の暮らしていた死にゲーの世界でもはるか昔に住んでいた日本でも、彼女は灰色の髪をお年寄りの白髪くらいしか見たことが無かった。
最も、パトリックの髪は白髪よりもう少し暗いのだが。
「いえ、まだ23ですが。」
「てことは、天然でその色ってことですか?凄いですね。それで、瞳の色は……紫?」
「はい、髪は灰、瞳は紫です。」
パウラは頬を痙攣させる。
(さ、流石、異世界だ…!2度目だけど!色彩が鮮やか過ぎる!もっと他の人の髪色とか注目しよう!)
パウラが決意新たにパトリックを見つめる。
「頑張って覚えます。」
意気込むパウラにパトリックは首を傾げる。
「パウラ様には我々がどのように見えているのでしょうか?」
「どのように、と言われる困りますね。馬の顔が並んでいると思ってもらえれば簡単ですか?」
「馬の顔………。」
パウラはサラッと言ってのけるが、今まで自分の顔を貶された覚えなんてないだろうパトリックの衝撃を考えてあげて欲しい。
「馬の顔の違いも表情の違いもわからないでしょう?簡単に言えばそんな感じです。勿論パトリックさん達が本当に馬に見えている訳では無いですよ。」
「そうでしたか…。それで…。」
何か思うところがあるのかパトリックは妙にスッキリとした顔でにこりと微笑んだ。
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そしてまた数日が経過する。
パウラがこちらに来てから2週間くらいたっただろうか。
そして最近のパウラの悩みは2つある。
まず1つ目、暇、という事だ。
以前であれば暇なんて贅沢な悩みだと思ったのだろうが、それでも暇ができると暇らしい。
と言っても身元の分からない小娘に王城をほっつき歩かせる訳にも行かず、パウラの行動範囲は制限されていた。
勿論王都などであれば、簡単に許可が降りるのだが、それをよく分かっていないパウラはただ暇を持て余していた。
「パトリック…。暇だね…。」
この数日でパトリックを見分けることに成功していたパウラは敬語も敬称もどこかへと捨て去った。
「そうですか。それでは中庭にでも行かれますか?」
パトリックはパウラが飲み干したティーカップを片付ける。
のは良いのだが、その距離と言うのかさり気ないボディタッチというのかが多く、パウラは顔を顰める。
そう、もう1つのパウラの悩み。
それはパトリックがなんか近いと言う問題だ。
顔が識別出来ないと知った日から、妙にパトリックがパウラに触れてくるのだ。
パウラに取って、触れられる=殺される、に繋がる節があるので正直かなり嫌なのだが、ここ最近で培ったコミュニケーション能力から、「きもいから触んな」とも言えず、頭を悩ませていた。
「いや、中庭はなぁ。お昼寝出来ないしなぁ。」
「ふむ、では騎士団の訓練所でパウラ様もお久しぶりに鍛錬をされてみてはいかがですか?」
騎士団という言葉にパウラは首を傾げる。
「私そこ行っても大丈夫なの?」
「ええ。訓練所は許可が出ております。」
パトリックが頷くのと同時にパウラは見知らぬ場所に瞳を輝かせたのだった。