『妻』の散策
本日は光の日、3回目のエドガールの授業の日だ。
こくりこくりと船を漕ぎながら授業を受けるパウラにエドガールは目を吊り上げる。
「起きろ!!」
「うぁい!!…びっくりしたぁ。」
「お前の望みでやってるんだぞ。」
「いや、それとこれとは別問題ですよ。」
キッパリと言い切るパウラは何故か得意顔だ。
その顔にエドガールは呆れ顔をし、諦めたように1つため息をついた。
「……そう言えば1つ考えたんだが、お前の授業に礼儀作法も加えようかと思う。」
「は!?」
唐突な提案にパウラは驚愕を隠しきれない。
しかし、今のパウラに礼儀作法を覚えさせるのは必要なことである。
「王城で暮らしているんだろう?それなら必要になる。」
「嫌ですよ、常識はともかく礼儀作法とか、無理です無理。」
「だから、私が教えてやると言っているんだ。喜べ、元国王直伝だぞ。」
口の端を上げて笑うエドガールは正しく悪役のようだ。
「いーやーだー!」
「うるさい黙れ。やると言ったらやる。」
「……エドガールさん。もしや貴方、鬼かなんかですーーーんぐっ。モグモグ、うまーーーっ!」
エドガールはパウラの言葉を遮り、近くに置いてあったクッキーをパウラの口に突っ込んだ。
「これとてつもなく美味しいですね!村の女性の差し入れですか??ちょっとその人の家行ってクッキー貰って帰るので、教えて下さい!」
目をキラキラと輝かせ、パウラはエドガールに詰寄る。
「そんなに喜ばれるとは予想外だな。それは私が作ったものだ。」
「そうですか、エドガールさんが作ったんですか!エドガ………エドガールさんが!?」
信じられないと言った表情をパウラは浮かべる。
それもそのはず、かれこれ1ヶ月程度城で過ごしているパウラは、国王が料理などしない事を一応理解している。
「あぁ。」
「料理できたんですか…!?」
「出来なければ、ここに来てどうやって生活してたと思ってるんだ。」
「あ、いや、村の女の子達からの差し入れとかで…。」
言いながら、それだけでは生活出来ないかとパウラは思い始め、言葉を濁しながら置いてある紅茶を飲んだ。
「そんな訳ないだろう。一応『妻』がいる設定になっているんだ。」
「ゴホッゴホ。……その設定完全に忘れてましたよ。」
すっかり忘れていた『妻』設定を思い出し、パウラは紅茶を吹き出しかける。
どうにか醜態を晒さずむせる程度で済んで幸いだ。
「まあ、流石に週に一度の目撃証言では、怪しまれ始めたがな。」
エドガールは何か言いたげな表情でパウラをじっと見つめた。
「…何が言いたいんですか?妻設定は自業自得ですよね。」
「村を私と散策してくれないか?妻として。」
「はぁ?いやですよ。面倒くさい。」
(そこまでしてあげる義理はない。)
パウラは改めて決心をし、とりつく島もないぞと言った雰囲気で断る。
「村に美味いコーヒーを入れる店があるんだ。」
「……コーヒーだけじゃ釣られませんよ。」
少し釣られかけたのは、城でパウラにコーヒーを出してくれる者がいないからだ。
と言うより、グラキエース城では紅茶が主流でコーヒーが飲まれていない。
「もちろんケーキもある。」
「さ、何してるんですか?早く行きますよ。」
先程の決心はどこへやら。
パウラはすたすたと玄関に向かった。
その様子に、エドガールは呆れ顔でため息をつく。
「そんなに菓子が好きか?城ならもっと良いものが出るだろう。」
「いや、城のお菓子というかデザートは、美味しいんですけど、なんか、味が騒がしいというか。なんというか。」
「素朴な方が好みか。」
「そういうことです。」
家を出て横並びになりながら、目当ての店へと歩いていく。
エドガールはちらりとパウラを見て、口の端を上げる。
「なんで、普通に歩いてるんだ?」
「は?」
「腕を組め。妻として歩いてるんだからな。」
「えぇ…。」
(歩きづらいのは嫌だなぁ。)
パウラが至極嫌そうな顔をして、エドガールを見上げた。
横並びで歩いていると身長の高いエドガールをパウラは見上げないと顔を見られない。
「ケーキとコーヒー。」
「…はい。」
パウラが大人しく腕を組むと、エドガールは満足そうな表情をした。
その2人の様子は仲睦まじい恋人同士、もしくは夫婦に見える。
しかしパウラはそうは感じない。
「なんか、…お父さんと腕組んでる気分です。」
「おい、洒落にならないやめろ。」
眉間に皺を寄せ、パウラを軽く睨む。
「冗談ですよ。そこまで歳離れてませんし。」
「……そうか?いくつだ?」
「肉体的には19です。」
(多分。)
言葉の意味がわからず、エドガールは訝しげな表情をした。
「肉体的?意味がわからんが、19ならありえない話でもないだろ。」
「いやいや、有り得ませんよ。そしたらエドガールさんが10代で親にならなきゃいけないですし。」
「10代で子がいる者など、珍しくもないだろう。」
さっきからパウラが何を言っているのかよくわからないエドガールは、首を傾げた。
「…え、本当に?」
「あぁ、何を今更。」
「穢れた世の中だ…。」
「はぁ?何言っーーーー」
エドガールは途中まで言って口を閉じた。
目の前に、畑を耕している健康そうなおじさんがいたからだ。
「お、どうも、エドガールさん!もしかして!その人が例の奥さんか?」
「どうも。えぇ、私の妻です。美しいでしょう?」
エドガールはパウラの体を自分に寄せるようにして、微笑んだ。
「アッハッハ、お熱いねぇ!」
おじさんは豪快に笑う。
その様子にパウラはどうすればいいのかわからず、ただ笑顔を浮かべていた。
「奥さん、エドガールさんみたいな良い男どう捕まえたんだい?娘に手腕を教えてやって欲しいねぇ。」
「いやいやそんな、捕まえたなんて、むしろ逃がしーーー」
「妻はあまり体が強くないのです。今日はこの辺りで失礼しますね。ではまた。」
パウラの言葉に重ねるようにエドガールは早口で言うと、パウラの腕を引きすたすたと歩いていく。
「余計な事は言うな。」
エドガールは頬をぴくぴくと痙攣させてそう言った。
「笑って黙っていればいい。」
「うわぁ、亭主関白ですね。」
「余計な事を言わないなら喋ってもいいが、お前にそれが出来るとは思えない。」
ばっさりと言葉の刃に切り捨てられたパウラは遠い目で前を見据える。
「はぁ、それにしても良い男なんて、羨ましいです。私も言われたいですよ。」
「…良い女だな。」
パウラの要望に応え、エドガールはそっぽを向きながらそう告げる。
「感情が1ミリも込められていない!!!」
パウラはそう嘆いたが、エドガールの耳は少し赤くなっていたことをここにお知らせしよう。
「着いたぞ。」
エドガールは木造の洒落た一軒家の前で止まる。
そしてその扉を開き中へと入った。
「いらっしゃいませー!って、え!?エドガールさん!?」
店員であろう娘はエドガールに気づくと目を見開く。そしてその頬を朱に染めた。
「邪魔するよ。」
「そ、そちらの方は、奥様、ですか?」
染めていた顔を少し青くして、娘は聞く。
「あぁ、愛しの妻だよ。」
幸せそうに微笑むエドガールを横目にパウラは言われた通り、にっこりと黙って笑顔を浮かべる。
(相変わらず演技力えげつねぇ。)
「………そう、なん、ですね。」
娘はうるうると目に涙を溜め、そのまま厨房へと走っていってしまった。
すぐに店主のおじさんがやって来て、2人をテーブルへと案内する。
店主は「すまないねぇ。」と申し訳なさそうな顔で2人に告げた。
そして、パウラは席に座ると頭を抱える。
「罪悪感が酷い!!!」
「声が大きい。」
喚くパウラをピシャリと諌め、エドガールはメニューを開いたのだった。