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コレットがいると思われるのは、ちゃちなやくざの経営している酒場だった。
閉店時間はとっくに過ぎているが、中から明かりが漏れている。
中に何人いるか分からないとか、どこか大きな組織の下部組織だったら、後々面倒なことになるという考えがよぎったが、すぐに消えた。
踏み込んで、ぶちのめして、助け出す。それでいい。単純明快だ。
これでは、タイタスと変わらないなと自嘲した。二十年染みついた習慣は、そう容易く変わらないようだ。
密かに近づいて、ドアに手を掛けた。案の定、鍵が掛かっている。
ドアを蹴破って、中に乱入した。やくざ者たちの視線が集まってくる。七人。そして奥に、縛られ、猿ぐつわを噛まされたコレットが転がっている。一応、無事のようだ。
「なんだテメエは!」
一人が殴りかかってくる。拳を避け、腕を取って関節を極めた。男が痛みに声を上げる。さらに力を加え、腕を折った。
他のやくざたちが色めき立つ。全員が一斉に向かってきた。
さすがに六人は相手にしきれない。テーブルの上を飛び移って逃げる。奥のカウンターバーへ行き、ボトルを手当たり次第に投げつけた。
やくざたちがテーブルを盾にして、じりじりと包囲してきた。ボトルを投げて牽制を続けながら、なにかないかと探る。
発泡性の酒のボトルをかき集め、カウンターの陰に隠れてそれを振った。
至近まで迫ったヤクザが、テーブルの盾を捨て、カウンターを乗り越えてくる。そこへ狙って、ボトルの封を切った。音を立てて勢いよく発射されたコルク栓と噴出する酒が、やくざの顔を直撃する。
怯んだ隙に飛び出し、果物ナイフを突き出した。腿を刺す。そのまま包囲を突破して、ガラス片を踏みながら店の中央に移動する。
腿を刺された以外の五人が追ってくる。こちらも種切れだ。やり合うしかない。
襲ってくる一人に足払いを掛けた。ガラス片が散乱する床に転倒して、血だらけになる。
やくざたちが、刃物を抜いた。大小様々だ。
二人が左右から襲い掛かってきた。右に跳び、やくざの腕を取って、左へ流した。二人がぶつかる。一人が手を傷つけて、刃物を落とした。すかさず蹴り飛ばす。
また新手の二人組。今度は、前後を挟まれた。同じ手は食わないだろう。
いすを掴んだ。ちゃちな刃物よりずっと使えるが、一人に向かえば背中から刺される。
だとしても、にらみ合ったところでどうなるものでもない。いすを振りかぶり、正面の男に襲い掛かった。
さすがにたじろぎ、刃物を握った腕を突き出したまま下がるやくざ。その頭めがけて、いすを投げつけた。
すかさず振り向く。刃がぎりぎりのところで背中を掠めた。手首を打って刃物を叩き落とす。
息が上がってきた。有利に立ち回っている様でも、本当に倒したのは最初の一人だけだ。あとは、多少傷は負わせたものの、ぎらついた目でこちらの隙を窺っている。
一斉に襲い掛かってきた。六人のうち四人は刃物を握っている。死ぬかもしれないと思った。そうだとしても、やれるだけやるしかない。
床を転げまわった。ガラス片で傷だらけになるが、刺されるよりはましだ。首だけは守った。
転がった先に、蹴り飛ばした刃物が転がっていた。掴み、横に薙いだ。ゴムの束でも切ったような手応え。一人が、崩れるように倒れた。アキレス腱を切ったようだ。
立ち上がる。やくざたちは、ノースロップが刃物を手に入れたことで、僅かにたじろぐような様子を見せた。だがすぐに、比較的無傷な二人が向かってきた。
一人は刃物を握っている。もう一人は素手だ。刃物を握っている奴の目元を狙って、こちらの刃物を突き出した。反射的に防御する隙に腕を取り、やくざの刃物で素手の男の手首を切った。続けて刃物を握るやくざの腕に、自分の刃物を突き立てる。
これで二人倒した。残るは三人。しかも、傷を負っている。
やくざの一人が、コレットを乱暴に起こし、首筋に刃物を当てた。
「畜生、動くな。この娘がどうなってもいいのか!」
「貴様」
全身の血が逆流したかと思った。コレットが目に涙を浮かべて暴れているが、どうにもならない。
「糞が、切り刻んでやる」
残りの二人が勝ち誇った顔をして迫ってくる。
「おい、そいつ押さえてろ」
一人がノースロップの背後に回り、羽交い絞めにした。前の男は、これ見よがしに刃物を見せつけてくる。
一か八かの賭けに出るしかない。
息を吸い、止めて、前の男に体当たりをした。胸になにかが当たったが、問題無い。押し倒した男を踏み付けにしながら、後ろの男の股間を蹴り上げ、投げ飛ばす。
コレットを押さえている男があっけにとられている間に突進し、手首を掴んだ。コレットを挟んだまま、もみ合う。
二人の間でコレットも暴れる。コレットの頭が、やくざの顎にぶつかった。やくざがよろめく。押し倒し、馬乗りになってやくざの顔を殴りまくった。
五、六発殴ったところで、やくざが白目をむいた。
「テメエ、よくも」
ノースロップを押さえていた二人が、はいつくばりながらも体を起こした。こちらも立とうとするが、脚が萎えた様に力が入らない。
突然、店の中に二人の男が飛び込んできた。外でも声がする。飛び込んできた二人が、やくざを押さえ込んだ。
「兄貴の。ソーントンの手の者か?」
「はい。遅くなってすいません」
「いや、助かった」
途端に全身の力が入らなくなった。意識も途切れそうになるが、堪えてコレットの縄と猿ぐつわを外した。
「おじさん!」
コレットがノースロップの右胸を触る。出血していた。羽交い絞めにされながらも体当たりをしたとき、刺されたようだ。幸い、肋骨に阻まれて傷は浅い。
「コレット。お前に言いたいことが、いろいろと出来た」
感謝と、謝罪と、他にも色々。しかし全部を告げるには、時間が掛かりすぎる。
だから、今言うべきことは。
「帰ろう」
これだけでよかった。
◇
事件から一ヶ月以上が過ぎた。
その間に、何でも屋は大きく変わった。がらくたを積み上げているのは相変わらずだが、外装は補強して多少マシになり、掃除が行き届く様になった。
なにより、正式に住み込みの従業員を一人採用した。
ノースロップ個人のことを言えば、着る物と食べる物が、いくらか人並みになった。
新しく備え付けた扉と、それに付けた鈴が来客を告げた。
「いらっしゃい。あ、前にも来た人ですよね?」
コレットが客に応対する。ノースロップが顔を上げると、客はタイタスだった。
「あんたか」
「久しぶりに来てみると、ずいぶんここも変わったな」
タイタスが腰を下ろす。コレットが、色が着いた湯の様な薄い茶を差し出した。
「まだ『掃除屋』なのか?」
「俺は、多分一生そうだろう」
「俺も、この前まではそう思っていた。まあいい。欲しいものは、情報か?」
「ああ。あんたの仕事は、割とよかったからな。これからも、たまに使わせてもらおうと思う」
「ひいきの客が付いたことを、喜ぶべきなのかね」
素直に喜ぶのもどうかという気がしたが、儲けが出ることが、今はありがたい。
しばらく仕事の話をした。ノースロップと別れた後も、タイタスは小さな仕事をいくつかしていたようだ。
「相変らずみたいだな」
「そういうお前は、ずいぶん変わったな」
「だろうな。今はもう、前みたいなことはできそうにない。自分を大切にしなくちゃいけないと思う様になったからな」
「自分を大切に、ね」
タイタスが、がらくたにはたきを掛けるコレットの方を一瞥した。
「あの娘を置いているのは、自分を大切にすることと、どう関わりがある?」
「自分一人だけで生きてりゃ、自分の身をどうしようと勝手だと思う」
白湯みたいな茶をすすった。茶の淹れ方一つでも、自分で淹れるのと、誰かのために淹れるのでは、違ってくる。
「誰かと一緒に生きてりゃ、自分を粗末にはできなくなる。自分を粗末にすると、一緒にいる誰かが泣くからな。誰かを泣かせたくなかったら、自分を大事にしなきゃならねえ」
コレットはそんな、自分を大切にしない。だから他人を拒絶して、死や無に向かって行く人間に、敏感であるらしい。
「それを俺に教えてくれたのが、コレットさ。だから俺は、あいつに返せないほどの恩がある。あいつのおかげで、女房のこともちゃんと思い出せたしな」
妻と暮らした日々は、確かに幸せなものだった。
「だから俺は、せめてあいつを泣かせない様に生きなきゃならねえんだ」
「そういうものか」
「そういうものなんだよ」
コレットがこちらの視線に気づいた。ちょっと微笑んで、またはたきを掛ける。
「もう行く」
タイタスが立ち上がる。
「おっと、ソーントン殿から伝言があるのを忘れる所だった」
「兄貴から?」
そう言えば、初めて何でも屋の客としてきた時も、ソーントンの紹介だと言っていた。
二人の間には、どういう線がつながっているのだろう。
「いつでも顔を見せに来い、だそうだ。返事は、直接伝えろ」
そう言ってタイタスは、コレットの声を背中で受けながら、店を後にしていった。
店内が静かになった。コレットの掃除ももう終わったらしい。
コレットがまた茶を淹れた。今度は来客用ではなく、ノースロップとコレットの二人で飲むために淹れた茶だ。
二人で茶をすすった。会話もなにもない。
しかし、このなにもない日々は、この先何十年経っても忘れられないだろう。妻との日々がそうであったように。