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ごみを拾っていた。
ごみと言っても燃えるごみや生ごみではない。壊れた道具や、装置のパーツといったごみだ。
それを見つけては拾い、荷車に積んでまた牽いて歩く。王都では拾っても拾っても、ごみが尽きることはなかった。
「ノースロップ」
不意に名前を呼ばれた。顔を上げると、髪に白い物が混じり始めた、仕立てのよいスーツ姿の紳士がいた。
「兄貴か」
「こんな所で会うとは」
「そうだな」
「酷い格好だな」
乞食だってノースロップよりはましな服を着ているだろう。今はどこぞの貴族の執事をしているという兄とは、比べることすらできないような差だ。
そのことが、むしろ歪んだ喜びのようなものを湧き起こさせる。
「なあ、いつかした話、考えてくれないか?」
「兄貴。俺は別に、兄貴のことを嫌ったり、恨んでいる訳じゃない。自分で選んでこんな暮らしをしているんだ。気持ちは嬉しいが、もう俺のことは放っておいてくれ」
そう言ってまた、荷車を引いて歩き始めた。
王都最北区。城壁に近く、昼でも陽が差し込まないこの一角は、最貧民の住む区域だ。ほとんどスラムと言っていい。
拾った板に殴り書きで『何でも屋』と書いてある看板を掲げているあばら家に、拾い集めたガラクタを荷車ごと入れた。
ガラクタの山の影に、誰かがいる。
「ガキか」
ガキとは言ったが、いい歳の娘だった。多分、十七、八と言うところだろう。それがガラクタに腰かけて座っていた。
「それは売り物だ。買う気がねえなら出て行け」
「雨」
「あ?」
「雨、降りそうだから」
確かに空は、今にも降り出しそうな雲が垂れ込めている。空気も生暖かく湿っていて、風もない。間違いなく一雨来るだろう。
「雨が上がったら出て行けよ」
舌打ちをしてそう告げ、奥へと引っ込んだ。
それからほどなくして、バケツをひっくり返したようなどしゃ降りになった。雨音がやかましい。あばら家はそこらじゅう雨漏りをしていて、野晒しよりましという程度だ。
「おじさん、これも売り物?」
娘が積み上げたガラクタを指先で突きながら言う。
「触るな。崩れる」
「誰が買うの?」
「うるせえな」
「雨音をただ聞いてるのは嫌。なんか話そう」
「そういうガラクタを、直して使えるようにすることに挑戦するのが楽しいって物好きがいるんだよ。それに、部品にばらせば使える物もある。元が拾いもんだから、飴玉より安くっても儲けになるんだよ」
雨の日が嫌いなのは、ノースロップも同じだ。特にこんな土砂降りの日は、二十年も前に死んだ妻を思い出す。
死んだ、と言うのは間違いだ。妻は殺されたのだ。他ならぬ自分が、彼女を死に追いやってしまったのだ。
土砂降りは長くは続かなかった。音が遠ざかったと思ったら、陽が差し込んできた。
雨が降っている間に荷車を空にして、晴れるとそれを引き出した。もう一回りしておきたい。
「いってらっしゃい」
行こうとしたら、娘にそう声をかけられた。そんなことを言われるのは、いつぶりだろうか。
「馬鹿なこと言ってないで、さっさと家に帰れ」
いい気なもんだ。そう心の内で吐き捨てながら、ぬかるんだ道を進み始めた。
まだ使えそうな物。使えるかもしれない物。どう見てもゴミにしかなりそうにない物を節操なく拾い集めながら、ついでに『配達』もした。
配達はガラクタ拾いとは比べ物にならないほど金になるが、全部酒か博打に使う様にしていた。
どちらも好きという訳でもない。ただ、生活に余裕を生じさせたくなくて、できるだけ愚かに使い果たしたかった。
川沿いの道で人だかりができていた。
「なにがあった?」
野次馬の一人に尋ねる。
「水死体が上がったんだよ」
「事故?」
「いや、自殺だろうよ。服の中に石を入れて重りにしてたってさ。女で、まだ四十行ったか行ってないかくらいだろうな」
「そうか」
なにがあったかは知らないが、珍しい話ではない。どこかで誰かが自殺した。そのどこかが、たまたま近所だったというだけの話だ。
帰ると、雨宿りの娘はまだそこにいた。
「お前、帰れつっただろう。迷惑なんだよ」
「帰るとこ、無いし」
膝を抱えながら娘が言った。
「あん?」
「家はまだあるけど、お金なんて持ってないから、すぐに追い出される」
「親はどうした」
「お父さんは、初めからいない。お母さんは今朝、ごめんなさいをいっぱい書いた手紙を置いていなくなった。多分、もういない。どこにも」
砂を口に含んだような感覚がした。
「お前の母ちゃんって、いくつくらいだ?」
娘がノースロップの方を見る。
「おじさんと同じくらい。もう少し若いかな」
「さっき、河原で水死体が上がっていた。四十くらいの女だそうだ」
「そっか」
そう言って、娘はまた前を向いた。表情を動かしてはいない。そう見えたのは僅かの間で、すぐに嗚咽も上げずに涙をこぼし始めた。
見ていて気持ちのいいものではなかった。舌打ちしてガラクタを蹴飛ばし、奥へ引っ込む。
妻も死に際に、あんな風に泣いていた。忘れたことなどない。だが、見せつけられて気持ちのいいものではない。
「ねえ、おじさん。ここに住んでるの?」
「悪いか」
「そんなことは言ってないけど、酷い所だから」
「そうだ。酷い所だ。だからここにいても、お前の飯はねえぞ」
食わせてやろうと思えば、食わせられる。ガラクタ以外の売り上げを使えば、もう少しましな暮らしもできるし、娘一人食わせるくらいはできる。
しかし、それをする気はなかった。そんな資格は、俺にはないのだ。
「コレット」
「ん?」
「お前じゃなくて、コレット。私の名前」
「そうか」
「おじさんは?」
無視した。
「ちょっと。私は名乗ったんだから、おじさんも名乗ってよ」
「知るか。お前が勝手に名乗っただけだろうが。そんな義理はねえ」
「じゃあいいわ。おじさんはおじさんのままね」
それからというもの、コレットは何でも屋に居ついて離れようとはしなかった。
本気で追い払おうとはしなかったが、それはただ面倒だからだ。ノースロップからはコレットに対して、一切なにもしない。飯も食わせなければ、話しかけもしなかった。
ただコレットの方は、執拗に話しかけてくる。無視し続けるのもうるさいので、三回に一回くらいは応えてやると、満足してしばらく大人しくなった。
時々姿が見えなくなって、消えたかと思うと、しばらくしてまた戻ってくる。雨宿りにしてももっとましな場所があるだろうに、なにを好き好んでこんな場所に戻って来るのだと思う。
もっと本気で追い払うべきだろうか。たまにそう思うが、それでは自分が彼女のことを意識していることになる。
意識などしていない。あんな娘っ子、いないのと同じだ。放置し続ければ、いずれ耐え難くなっていなくなる。
それよりも、ここしばらくガラクタが売れないことの方が問題だった。
ガラクタが売れないことには飯を買う金がない。ガラクタ売り以外で得た金で生活する気はない以上、ガラクタが売れなければ、ひもじい思いに耐えるしかなかった。
数日の間、道端で採った草を食って生活した。ひっきりなしに腹の虫が騒いでいる。
仕事以外で起き上がる気力もなく、一日のほとんどを寝て過ごした。
「おじさん」
コレットが呼び掛けてくる。返事をするのも億劫で、無視した。
ノースロップの目の前に、粗末なパンが一つ置かれた。思わず体を起こす。
「なんだ、こりゃ」
「おじさんにあげる」
「なんだと?」
「だっておじさん、私より食べてないじゃない」
「馬鹿にするな」
パンを払いのけようとして、思いとどまり、コレットに突っ返した。
「俺は好き好んでこんな生活をしているんだ。余計なことをするな。食うのに困るのも、自分で選んだことだ」
「でもこのままじゃ、おじさん本当に死んじゃうよ」
「そのときは、そのときだ。そうなったとしたら、それでいいんだ」
コレットが、ぼろぼろと涙をこぼし始めた。
「どうして? どうしてそんなこと言うの? お母さんもいなくなる前、おじさんみたいだった」
「俺はお前の母ちゃんじゃねえ」
「それでも、嫌だよ。そんなの」
頭を掻きむしった。女に泣かれるというのは、ほとほと扱いに困る。
「死なない程度には食うようにする。それでいいか?」
コレットが手で涙をぬぐい、頷いた。まったく、面倒なことになったものだ。
それにしても、声を荒げるなんてことをしたのは、いつ以来だろう。らしくないことをしたものだ。
それだけ心がざわついた。それを認めない訳にはいかなかった。
嫌なことを思い出した、というのは少し違う。思い出しはした。だがそれに、どんな感情を持てばいいのか、判然としない。
とりあえず、これ以上泣かれるのは鬱陶しいので、ガラクタ売り以外で得た収入の一部を食費に回した。
今まで一度だってそうしたことはなかったが、別にこだわっていた訳ではない。ただ、できるだけ極貧の状態に身を置きたいだけで、ポリシーの様なものがある訳ではないのだ。だから、なんの感慨も持たず、そうすることが出来た。
「おじさん、本当はお金あるでしょう」
飯を食っていると、そう言われた。言われて、迂闊なことをしたと気付いて顔をしかめた。
その気になればちゃんと飯を食えるだけの金はある。それをコレットに気付かれたら、毎日ちゃんと食べろと、うるさいことを言われるだろう。
「駄目よ、食べられるならちゃんと食べないと」
「うるせえ!」
食べかけの飯を、土の上にぶちまけた。
「お前こそいいかげんに出て行け。勝手に住みついて、女房面してんじゃねえ」
コレットが身をすくめる。
ノースロップは僅かに狼狽えた。だがそれは、コレットが身をすくめたからではない。無意識のうちに口を衝いて出た自分の言葉に、狼狽えていた。
「女房だと、ふざけるな」
呟くような言葉が漏れる。
「おじさん?」
「黙れ。黙って出て行きやがれ!」
手の届く距離にある物を、手当たり次第に投げつけた。コレットはそれを避け、逃げるように飛び出して行く。
一人になると、ノースロップは投げ散らかした物もそのままに、酒瓶を引っ張り出した。
碗は、投げつけたせいで割れていた。歯で栓を抜き、ラッパ飲みをする。
胸の内で燃える蛇が暴れている様な感覚は、いくら飲んでもなかなか消えなかった。
気が付くと、薄暗くなっていた。
寝ていたらしい。頭に靄が掛かったような感じで、酷く重い。二日酔いではなく、まだ酔いが残っている。
体がだるかった。飲み過ぎたせいで脱水を起こしているのだろうが、水を飲みに起きるのも億劫だ。
身じろぎをして、薄っぺらい毛布が体に掛かっていることに気付いた。
「起きた?」
コレットの顔がのぞきこんできた。暗くて分かりづらいが、顔に少し痣ができていた。投げた物が当たっていたのだろうか。
「悪い」
若い娘の顔に痣を作ったというのは、流石に気が咎めた。
「ねえ、辛い思い出なのかもしれないけど、奥さんはどうしたの?」
「別に、辛いことはねえさ。ただ、聞いてて気が滅入るような話だ」
「いいわ。教えて」
「その前に水持って来い。口が渇いてしぇべれねえや」
コレットはすぐに適当な器に水を入れて持ってきた。それを一息にあおる。
「俺はこれでもな、ちょっといい家の子だったんだ。もっとも庶子。つまり妾の子で、大した扱いはされなかったが」
そんな、ちょっとしたボンボンだったノースロップは、恋をした。相手はなんということもない町娘だった。
ほとんど一目ぼれの様なものだったが、互いに真剣に愛し合い、結婚も誓った。だがそれこそが、今にして思えば不幸だったのかもしれない。
ノースロップの両親が、二人の結婚に強硬に反対した。庶子でもなんでも、他家との好を通じる貴重な駒。町娘と娶せるなどとんでもない。そういう態度だった。
両親は折れるどころか、別の婚約を強引にまとめ、町娘の実家には圧力を掛けた。
それでも諦めきれない二人は遂に駆け落ちし、遠く離れた土地で二人で暮らし始めた。
「酷い親ね」
「いや。本当に酷いのは、俺の方だったのさ。それを思い知るのに、時間は掛からなかった」
所詮ノースロップは金持ちのボンボン。頼る者もなく、まともに生計を立てる術など持ち合わせてはいなかった。
持ち出した僅かな金はたちまち使い果たし、二人は極貧の生活を余儀なくされた。
そして僅か数年で、妻は極貧生活の無理がたたり、無残に痩せこけて亡くなった。
「あいつは最後に、泣いていたよ。楽しい思い出の一つも作ってやれなかった」
ノースロップが唇を噛む。
「俺が馬鹿なせいで、あいつを殺したのさ。愛し合う二人がいれば、どんな困難でも乗り越えられるなんて、馬鹿な楽観を抱いていた俺の愚かさが、あいつを殺したんだ」
直視しないように目を背けてはいた。それでも、一日だってこの罪を忘れたことはない。
「そもそも俺があいつに惚れなければ。いや、惚れても諦めて、大人しく周りに言われた通りにしていれば、愛した女を自分のせいで死なせるなんてことには、ならなかったはずだ」
「だからおじさんは、今もこんな生活を?」
「少し違う。いや、違わないのかな。他にどうしようもないのさ。少しでもいい生活をすると、身が引き裂かれるような気がして堪らない。これは罰なんだ。牢屋に入る代わりに、乞食よりひどい暮らしをすることで自分を罰している。そうせずにはいられないのさ」
話が終わってもコレットは、ノースロップのそばに黙って座っていた。
そのうちに、辺りが本格的に暗くなってきた。この家には、もちろん灯りなどはない。
「なにか食べる? 私、作るわ」
「遠慮する。粗末な飯はいいが、下手な飯はご免だ」
「失礼ね。ちゃんとした物くらい作れるわ」
「それでもやめておこう。今食ったら、吐きそうだ」
腹立ち紛れに、かなり飲み過ぎたようだ。さっき飲んだ水が、みんな冷や汗になって噴き出している。
それを察してか、コレットは何度も水を持ってきた。
「お塩もないのね。ここ」
甲斐甲斐しい娘だ。そんな所が、妻に似ている。
いつ眠ったのかも分からないうちに眠り、朝になって目が覚めた。
気分はいい。二日酔いしない性質なのはありがたいことだ。
「おはよう。なにか作る?」
すでにコレットが起きていた。
昨日は、余計なことをしゃべりすぎた。酔っていたせいだ。そう思うことにした。
「お前の作った物など食わん。そもそも、出て行けと言ってるだろうが」
「じゃあ、お家賃払うわ」
「払う金など有るのか?」
「お金はないけど代わりに、料理とか、掃除とか、洗濯とか」
「それこそ余計だ」
吐き捨てるように言ったが、それはすぐにため息に変わった。
積み上げたガラクタの隙間に、いろんなものが住みつくのはいつものことだ。ちょっとばかり姦しい住人が増えた。そう思うことにした。