第三二話
戦時中とは思えないほど平穏な日常が続くイーダフェルト。
ローゼルディア王国に展開する部隊のため物資を満載した多数の輸送艦を送り出す軍港や戦備増産を指示されている軍需工廠はこれまでにないほど活気づいていたが、居住区画や商業区画ではいつもと変わらない時間が流れていた。
「これは承認……これも承認でいいな」
総帥官邸の執務室で各省庁から提出された書類に目を通し、黙々と承認のサインを書き入れていく蔵人。
朝から休むことなく書類で出来た紙の塔の解体を進めていた蔵人が次の書類を取ろうとするが、伸ばされた手は虚空を掴む。
「終わりか。シルヴィ、今来ている分はこれで……」
机に積まれていた紙の塔がなくなったのを見た蔵人は、喋っている途中で話しかけた人物がこの場にいないことに気付く。
一瞬だけ寂しげな表情を浮かべた蔵人は頭を振ると、卓上のボタンを押し首席秘書官を呼んだ。
「お呼びでしょうか」
「今日の決裁事項はこれで全部か?」
「はい。各省庁から提出されたのは、決裁していただいたもので全部になります」
「そうか。それならここらで休憩に――」
政務に一区切りついたことから休憩にしようと首席秘書官に紅茶を頼もうとしたとき、隣の副総帥執務室に繋がる扉が開き仮の主となった小夜が姿を現す。
「ご主人様、緊急のお電話が入っております」
「ここに直接だと? 誰からだ?」
「それが、相手は言えば分かるとの一点張りでして……」
小夜の言葉に、蔵人は訝しげな表情を浮かべる。
総帥室や副総帥室の直通回線は蔵人やシルヴィアの側近にしか知らされていないため、かけてきたのはその中の誰かだろうが名乗らないということが奇異に感じさせた。
「考え難いが、もしかして悪戯か……?」
「その辺は何とも。とにかくご主人様を出せ、との一点張りです」
「分かった。とりあえず出てみよう」
小夜の言葉に頷いた蔵人は、仮にもイーダフェルトの中枢にかけてきたのだから怪しい電話ではないだろうと自分を納得させて受話器を手に取った。
「代わったぞ。直接この回線にかけてくるとは、一体どこのどいつだ?」
『主様、お変わりなさそうで何よりです』
威圧するような口調で電話に出た蔵人の耳に入ってきたのは、ずっと聞きたいと願っていた鈴を転がしたような声音。
「し、シルヴィなのか!?」
突然のことに、蔵人は思わず椅子から立ち上がる。
慌てて小夜に視線を向けると、彼女は悪戯が成功した子供のような表情でウィンクしてから主席秘書官と共に部屋を退室した。
「本当にシルヴィ、なのか?」
『はい。本物のシルヴィア・ディドナートですよ』
「良かった……いつ目を覚ましたんだ?」
『つい三日前です。御堂情報官から今回の件について報告を受けました。このような大変なときにお傍で支えることが出来ず申し訳ありません』
「謝れないでくれ。こうしてシルヴィアの無事と声を聞けただけで十分だ」
ずっと焦がれていた女性との会話なのに、久しぶり過ぎて何を喋ればいいか分からなくなり会話がぎこちなくなってしまうことに蔵人は少し情けなさを感じた。
『――私個人としては、ウォルターズに平手打ちされたご主人様の姿を見れなくで残念でしたが』
「なっ!? どうしてそれを知っている!?」
『小夜から教えてもらいました。本土へ帰還してすぐウォルターズ自身が申告してきたそうですが、主様が問題視していないようだったので不問にしたようですが』
蔵人の動揺した声に、シルヴィアは受話器越しにくすくすと笑いながら答える。
「あの時はシルヴィが撃たれて気が動転していたんだ。出来れば知られたくなかった……」
『私は知れてよかったですよ。帰ったら帝王学の補習ですね』
「うっ……お手柔らかに頼む」
久しぶりの心地いい時間に、これまでの疲れが吹き飛びどこか清々しい気持ちで蔵人は時間の許す限り話し続けた。
「すぐに会いに行けないのが歯痒いが、必ず迎えに行くから待っていてくれ」
「はい。私もこちらで出来るだけのことをしながら待っています」
「そうか。ただ、無茶だけはしないでくれよ」
『善処します。では、主様が迎えに来てくれるのを楽しみにしています』
シルヴィアと別れの言葉を交わし電話を切ると、タイミングを見計らうように小夜が再び執務室に入室した。
「――小夜、やってくれたな」
「はて? 私は執務室にかかってきた電話をご主人様にお繋ぎしただけですが?」
とぼけた顔をしてそう返す小夜に、蔵人の口元も思わず緩む。
「まあいい。それで、叛乱軍討滅の目途はついているのか?」
表情を真剣なものに戻した蔵人が尋ねると、小夜は執務机にローゼルディア王国南部の地図を広げた。
「フェルジナを橋頭保とした我が軍は、二個機動旅団が王都ヴィレンツィアに向けて進軍を続けています。叛乱軍は街道に砦を築いて抵抗していましたが、航空支援により大した障害になっておりません」
「順調そうだが、二個旅団で本当にヴィレンツィアを解放できるのか? 周辺地域の掃討や投降兵の収容があるだろ?」
「後詰としてさらに三個旅団を増派しています。増派部隊は整備と補給を終え次第、周辺地域での残敵掃討と投降兵の収容に当たらせます」
「単刀直入に聞くが、ヴィレンツィアに到達するまでに要する日数は?」
「叛乱軍の抵抗の度合いによりますが、二、三日でヴィレンツィア郊外に到達する見込みです」
二個旅団の現在位置に駒を置いた小夜は、地図上の街道を指でなぞりながら答える。
話を聞きながら地図を見つめていた蔵人は顔を上げると、目の前にいる小夜の反応を伺うようにゆっくり話し始めた。
「今後の動きについては分かった。それで、ひとつお願いがあるんだが……」
「言いたいことは分かっています。本来であれば窘めなければいけないのでしょうが、今回は特別です。ご主人様の希望に添えるように計画を立案させます」
「ありがとう。それと、オーフェリア陛下の近況はどうだ?」
安堵した表情を浮かべた蔵人は、一緒にイーダフェルトまで避難してきたオーフェリアについて尋ねる。
「主様から併合の話を受けた直後は塞ぎ込んでいたようですが、現在は我が国のインフラ施設等の視察や第三管理島に拘束中のローゼルディア王国軍士官への訪問など精力的に活動されているようです」
「そうか。併合案についての反応は?」
「国務省から併合案の詳細な説明を行ったおかげか、併合について前向きに捉えてくれているようです」
「反感が少なければいいんだがな、引き続き、注意深く陛下と王国軍士官達を監視してくれ。時期が来れば、正統軍として王都へ入城させたいが武器がなぁ……」
蔵人はそう言うと、深い溜息を吐く。
イーダフェルト軍の正当性を主張するためオーフェリアをヴィレンツィアへ帰国させることは決定事項だが、その際に率いらせる正統王国軍に供与する武器が問題だった。
今回の併合を知ったとき、一部の過激な王国軍部隊が決起する可能性も否定できず今回の叛乱の二の舞になってしまう可能性もあった。
「その点について、少々乱暴ですが解決策に目途がつきました」
小夜はそう言うと、執務机の上にアンプルが装着された一本の針なし注射器が置かれた。
「これが解決策……?」
「はい。統合軍需省が製作したナノマシン内臓の監視チップ液です。一定の感情に達すると警告が行われ、警告に従わない者はチップからの電流により脳を焼かれます」
「またえげつない物を作り出したな……」
「人道的な問題はありますが、有効な手段かと考えます。本チップは外部からの解除も可能なので、併合後に叛乱の意思がないと判断すれば人知れず解除すればいいでしょう」
「分かった。その手でいこう。オーフェリア陛下には本チップの話は伏せて正統軍編成に協力してもらうよう話をしておいてくれ」
「かしこまりました」
話を終えて頭を下げた小夜は、副総帥室に続く扉の前まで行くと再びそこで一礼して総帥室から退室した。
* * *
蔵人との電話を切ったシルヴィアは携帯をベッドの横にあるキャビネットに置くと、部屋の外にいる御堂を呼び寄せた。
「お呼びでしょうか?」
「早速で悪いのだけど、ヴィレンツィアにいる我が軍の戦力を教えてちょうだい」
「それは構いませんが……お身体は大丈夫なのですか?」
シルヴィアからの依頼に、御堂は不安気な表情を浮かべる。
意識を取り戻してからまだ三日しか経っていないが、シルヴィアは御堂に現在の状況を聞くなど仕事に取り掛かろうとしていた。
「問題ありません。それに、早くこのバカ騒ぎを鎮めて主様の傍へ戻らなくてはなりませんから」
「そういうことであれば仕方ありませんね。少々お待ちください」
そう言って一度部屋から出た御堂は、資料がまとめられたファイルを数冊持って戻ってきた。
「我々の戦力ですが、中隊規模のパラミリ――パラミリタリーオフィサーが分散して王都に潜伏しています。彼らは、こちらからの指令で動けるよう待機中です」
「中隊規模か……ここにいる人員は戦えるのか?」
「勿論戦えます。ですが、ここの防衛を行う必要もあるため戦力として数えるのは不適でしょう」
「そう……そうなると王都に展開する叛乱軍を相手にするには少々心許ないか」
御堂の説明に、シルヴィアは手を顎に当てて呟く。
ヴィレンツィアには叛乱軍が一個師団駐屯しており、近郊の駐屯地が壊滅した現状で中隊規模の部隊でどこまで戦えるか不安があった。
「戦力というのであれば、このシュルーズ監獄に近衛軍が収監されています。彼らを解放すれば、戦力は我々の方が多くなりますが……」
「我々を裏切った国の軍を反攻作戦に組み込むと?」
御堂の提案に、シルヴィアは険しい視線を向ける。
収監されているからといって近衛軍の全員が心からオーフェリアに忠誠を誓っているとは限らないため、今回の反攻作戦はイーダフェルトの戦力だけで行うべきとシルヴィアは考えていた。
「ですが、シュルーズ監獄には我が国の大使館職員も収監されています。監獄自体の制圧は必要かと思います」
「貴官の言うことも最もだが、そうなるとただでさえ少ない人数をさらに割く必要が出てくるな」
「致し方ありません。我が軍がこのまま王都に迫れば、監獄に収監されている者達に何をしでかすか分かりませんから」
シルヴィアと御堂が反攻作戦に向けて話を詰めていると、扉がノックされて市民に偽装した職員が部屋に入ってきた。
「何かあったのか?」
「定時偵察において、敵に異変がありました」
「異変……?」
シルヴィアと御堂が顔を見合わせていると、職員はタブレット端末を二人に差し出す。
画面に映っているのは交差点付近で立哨する叛乱軍の兵士を撮ったものだったが、シルヴィアにはその違和感を感じ取れなかった。
「御堂情報官、何か分かるか?」
「はい閣下。叛乱軍部隊が使用する兵器が我々が供与したものではありません」
「何?」
シルヴィアが画像を見直すと、兵士が肩から下げている小銃が確かにイーダフェルトの供与したM1ガーランドではなく見たことのないものに変わっていた。
画像を見つめいていた御堂は、自分の記憶の中から該当する種類を口にする。
「これは……ダールヴェニア帝国軍が正式採用している自動小銃ですね」
「帝国の小銃か……だが、帝国の武器は我が軍が回収して王国には渡していないはずだろう」
「その通りです。ですから、これは彼らがどこからか入手したものと考えるのが妥当でしょう」
「今回の件には帝国も絡んでいる可能性もあるな。御堂情報官、仕事を増やしてしまうけど宰相派が懇意にしている商人を調べなさい」
「承知しました。こちらも最優先で取り掛かります」
シルヴィアの指示に御堂はそう言うと、職員に二、三言何か告げて部屋から退室させた。
「これはまた話がややこしくなりそうですね」
「そのようね。とりあえず、情報を収集しつつ反攻時に制圧が必要な場所と必要な人数について話を詰めていきましょう」
その後もシルヴィアと御堂による打合せは続き、反攻時に重要となる拠点や制圧に要する人員を決めていくのだった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
ご感想・評価をよろしければお願いします。




