99 - 天井裏で間者働き
2月上弦10日。
御屋形様からの命令もあって、僕はキヌサを離れ、ミズイに潜入していた。
ミズイという勢力は、キヌサとは違った方向で豊かな勢力だけど、どちらかといえばミズイの在り方の方がこの国、クラにとっては普通なのかなあとも思う。
その違った豊かさというのは、つまり外に向けられた豊かさというか……、戦争で勝ち取る豊かさだ。
ハイゼさんに軽く確認をした程度だけれど、ミズイが勢力として延ばし始めたのは十年ほど前。
収まることの無い、延々と続き続けている内戦の中で、ミズイはごく一般的な勢力の一つだったのだけれど、十年前に跡継ぎとして大名貴族となった今の大名、カガヤ・ノ・ミズイという人物が傑物で、軍を纏め挙げ、最低限とはいえ十分な装備と作戦を託し、そして周囲の勢力を併合していったのだとか。
決して無敗ということではないけれど、大きな決戦や要所では殆ど負け無しであり、結果、ミズイという勢力は大きく富み、周りの勢力は小さく削がれ、今に至る。
で、そんな国に潜入して何をしているのかというと。
『ノ・キヌサ……流石にしたたかだな』
『まことに』
ひとつは以前キヌサに訪れた使者、ハイラット・コーバルがどのような立場にあって、そしてどのような話をミズイでしているかを探ること。
というわけで現在地はミズイの屋形、の天井裏である。
『もとより上手く行くとは考えず、単に揺さぶりを掛けてくるか。将の処罰……、ノ・ジワーに代役をやらせるとしたらば、間違い無くノ・ジワーはミズイに反発しような。それを名目に平定するにしても、大義というには線が細い』
『しかしながら、ノ・ジワーに派兵した将、リングス、並びにトウガンの両名はミズイとしても保護しなければ為りませぬぞ。かの二将は将来が有望なのですから』
『解っている。あの二将を欠くような真似はするまい。……ふむ。しかし、そうなるとノ・キヌサの要求は無視するが最善か。無論ノ・キヌサは納得するまいが、今すぐに行動を起こすこともできまい』
『は。ですが、厄介ですぞ。キヌサは我らミズイと比べれば小国――領土的に、我々より数段の格下。あるいは十年前、未だ御屋形様が一度目の戦争を迎える前に近しい状況であるというのに、兵力は一万二千。それも全員がまともな武器とまともな防具を装備している――』
『贅沢極まれりだな。我々の当時に至っては武器も防具も支給できず、兵力だって三千にさえ届かなかったというのに』
あ、うん……そのくらいが適正だよねやっぱり……。
妙な納得を敵地でしながらも、話は続く。
『一万二千か。我が軍の全軍を集結させれば六万になんとか届くが、数で押せるとみるか、ハイラット・コーバル』
『厳しいかと。合わせて七万の対軍が行動出来る場所に限りがあるのは言うまでも無く、そのことをキヌサも承知しているでしょう。彼らは決して広い場所には出てこない。全軍を集結させた決戦は、現実的には不可能です。よしんば集めることが出来るとしても、現状ではリスクが勝つかと』
『やはりキヌサは大規模な魔法を習得していると?』
『解りませぬ。ですが、否定できない以上、あるものとして考えた方が安全ですぞ』
『そうさな。全軍を集めたところに大きな一撃を食らえば、被害はこちらにこそ大きくなる』
ふうん……、そりゃ当然の発想だけど、ちゃんと軍単位に有効な魔法ってクラでは使ってるのか。
『眠れる猫は目を醒ましたが、猫のままならば危険は薄い。暫くは捨て置こう。だが万が一虎になるようならば、相応の手を打たねばならぬか……。うむ、だが当面は手出し無用と知らしめよう。また、ノ・キヌサの要求は無視する。ジワーを攻めるようなこともあるまいが、万が一切り取られてもその時はその時。大軍を持って取り返す』
『はっ』
『ご苦労、ハイラット・コーバル。休んで良いぞ』
『有り難く』
その後挨拶でも交わしたのか、微妙な間を置いてから、ハイラット・コーバルは屋形の広間を出て行く。
ノ・ミズイは、少し不機嫌という様子で独り言を始めた。
『手が早いな……もとよりキヌサを舐めていたはないが、過小評価はしてしまっていたか。まさかこうも指し手が早いとは恐れ入る――小勢力だからこその小回りの良さに、一万二千の充実した兵力。危険だな、ああ、危険だとも。キヌサはいずれ攻略せねば、ミズイの統治はあり得ぬ。だが、どうやって? ジワーを決戦地とするか。キヌサの軍をジワーに動かさせ、ジワーの統治を始めたところを攻める。決まればそれこそ決まるだろうが、それはキヌサ側も警戒するだろう。当時の我らのように困窮しているならばそれでもジワーを取るしかないが、キヌサは困窮していない……危険を冒してまで敢えて別勢力を占領しようとも思うまいな、軍はすぐに退くだろう。まともに数を減らせぬ……ふん。やはり手を出させたのが失敗だったか。眠れる猫に恐れる者をあやそうと、猫に手を出したが故に起こしてしまった。これは私のミスだな――』
眠れる猫はキヌサの事だとして。
恐れる者は……ジワーかな。
『やはりジワーは滅ぼしておくべきだった……いや、キヌサと直接国境を接していれば、むしろミズイとキヌサの決戦は早まっていたか。ならばジワーは臣従で済ませておいて正解だったとも言える。だめだな、方針がぶれてしまう。このような姿では民が纏まらぬ――迷いを見せてはならぬのだ』
そして統治者としてのノ・ミズイは、己を律するようにそう言う。
それはきっと、正しい事だ。
実践しようとしているだけでも十分に素晴らしい。
『民を纏めるためにも、勝利が要る。……一つ、潰すしかあるまいな。軍略を働かるとしよう、私が考えるよりもその方が良い。私は私にしか出来ぬ事をこなすべきなのだから――』
ノ・ミズイはそう言って言葉を――
『御屋形様』
――終えたのだ、と思った。
けれど、違った。
音も無く誰かが目の前に現れていたらしい。
『ふむ? 珍しいな。ガーコ、何用だ』
『我らが失態を報告せねば為りませぬ』
『失態?』
『は。キヌサに紛れさせた草が廃されたと』
『…………、何?』
ガーコ……、ミズイの諜報関係のトップクラスかな、ノ・ミズイに直接話が出来るくらいだし。
『いつ頃の話だ』
『定時連絡が途切れたのは、今月に入りすぐとのことで』
『…………』
そのタイミングがハイラット・コーバルの派遣と妙な符号をしたことに気持ち悪さを感じたのか、ノ・ミズイは黙り込んだ。
『被害は』
『キヌサ・ヴィレッジに直接紛れていた者が摘発されたと』
『それ以外は』
『今のところは無事ですが……、キヌサ・ヴィレッジにおいて、「間者を大規模に一掃した」という旨の布告が出たと』
『大規模? ……かの街には一人だけだろう?』
『我が勢力からは、となりますが』
『……そういう事か。それで、どの程度掃除がされたとみる』
『……完璧に、と』
『…………』
それ以外……、やっぱりキヌサ・ヴィレッジの外に拠点があるのか。
御屋形様に報告して、必要ならばそこも掃除だな。
『諜報拠点の分散を急げ。場合によっては退避も考えよ、貴様の判断があるならば許す。いたずらに失う意味もあるまい』
『はっ』
『それと別命を下す。掃除をした者を探れ。それほど大規模な動きであれば、結構な人数だろう。これまでキヌサに諜報組織があるとは寡聞にして聞かぬ、それを新たに作ったならば相応の動きがあるはずだ。あるいは今までも隠れて行動していたのだとしたら、今回の動きで尻尾を出したやも知れぬ』
『かしこまりました。早速伝えてまります』
『うむ』
そして掃除するときは一気にやらないと逃がすなコレ……。
天井裏で考えつつ、更に会話に聞き耳を立てるも、ノ・ミズイは黙り込んでしまった。
まあ……考えるときに言葉に出さない方が多いもんな、普通。
それに加えて、間者を排除された、イコール、間者を送り込まれているかも知れないという危惧もしているのかもしれない。
だとするとドンピシャだけど。
結局その後、二時間ほど粘ってみたけれど、ノ・ミズイは一言も発すること無く、夕方になったからか広間を去って行った。
……ふうむ。
これ以上は厳しいかな?
幸いそれなりに情報は得られたし、このままついでに軍もちょっと探っていくか。
天井裏を移動して、軍略とノ・ミズイが表現していたその部署の天井裏へ。
軍略と言うか軍師というか、軍事行動の計画や策定を行う部署のようで、羨ましいことにしっかりと兵站管理もしているようだ。
で、こちらは会話から拾える物事は其程多くないため、天井の僅かな隙間からその部署をしっかりと覗き見。
兵力管理に関する書類や軍事行動計画が乗った地図、装備や食糧などの補給経路などがシルされたものもあったので、それらは一度眼鏡に情報として保存しつておく。
『キヌサの攻略計画は……やはり厳しいな』
『やはり損害が大きいか』
『うむ。不可能とは言わん、だが非現実的だ。五万を動かし、二万の消耗をしてまでキヌサを得て、収支が合うか?』
『合わぬな』
ため息交じりの会話からして、しばらくキヌサは安全そうだ。
『精強な兵に水準を大幅に超えた将が三人。かの国は恵まれすぎている』
『戦を嫌うからこそ揃えられたのだろう。戦わなければ消耗しない。だから装備も支給が出来る』
『あり得る話だ』
それに、と。
『例の怪異への反応も早かったな』
『早いなどと言う騒ぎでは無い。放ったほぼ直後に感知されたようだ。アレでは意味が無いよ』
『そうか』
……と言う会話が続く。
怪異の出所、ミズイだったか……。
今の会話からして、あの感知をした付近にミズイ側の拠点があるな。
帰り際に探っていこう。
『それで、現実的に次の攻略先は? イキか? それとも、セイか?』
『セイ、と見ている』
『ふむ。イキからの妨害があるかも知れぬが』
『ああ。しかしセイを先に抑えれば、イキは塞がる。あとは放っておくだけで干上がるだろう』
『そうさな』
セイというと……、ミズイから結構遠い場所だったような。
イキも同じくか。
地図的にはそれらの間にチワカがあるんだけど、そのチワカは他でもないミズイによって滅ぼされているのだから、既にミズイ領ということなのだろう。
『あとは時期か』
『御屋形様は急ぎ勝ちを望んでおられるが、勝つことが肝要であって急ぐことはそのついでで構わぬとの仰せだ』
『今から準備をするとして――となると、早くとも5月だな』
セイに対する軍事行動は早くて5月頃……と。
もうちょっと盗める情報あるかな?
欲張りたいけど、バレちゃったら水の泡だもんな。
というわけで、バレていない間に天井裏の『掃除』を済ませて、屋形から外へと抜け出し、そのまま夕暮れの街へと溶け込んで行く。
ミズイの屋形があるこの街もキヌサに似てミズイ・ヴィレッジというのだけど、その作りはキヌサのそれとは大きく違い、とても賑やかで華やかな街といえる。
なのに不思議と緊張感が常に街を包み込んでいるのだから、またこれが不思議というか何というか。
悪政ではないのだ。
むしろ善政なのだと思う。
ただ容赦が無いだけで。
「とりあえず、僕の役目はコンプリートだけれど……」
もう少し寄り道していくべきか、それともさっさと帰るべきか。
一日しか調査していないわけで、もうちょっとくらい裏取りはしておきたいというのもまあ、事実。
ただ、真偽判定的には何ら嘘は含まれていなかったし、あくまでも検算目的にすぎない。
ならばさっさと帰って、ついでにあの怪異が出たその場所の近くを調べておくべきか?
あまりにもタイミングが良すぎると、キヌサが警戒しそうなんだよな。
だとするといっそ泳がせておいたほうが良いのかも知れないし……。
ある程度は僕の判断で動いて良いとは言われているけれど、このあたりはやっぱり御屋形様に確認してからの方が良いな。
方針決定、一旦帰ろう。
まだ夕方だ、夜中には帰れるだろう。
――キヌサとミズイは急げば案外近いのである。
◆
「ほう――ミズイが動くと」
「は。現状、ミズイには選択肢が二つありまする。即ち、我らセイか、あるいはイキか」
「キヌサはどうだ」
「飛び地になりますからな。かの国は好みますまい」
「それを言うならば我々を、セイを攻めるというのも妙だな。旧チワカからならばイキのほうが自然では無いか」
「御意。しかしながら、セイが落ちればイキは他の勢力から完全に孤立するのです。ミズイはイキを攻め、セイを攻めるのを『手間』と感じるかと」
「なるほど。我らが負ければイキも陥落ちるか。道理だな」
「差し出がましいようですが。御屋形様、ここは盟を結ぶべきではないかと」
「イキと組みミズイを止めろと」
「御意」
「…………」
「…………」
「……背に腹は代えられぬ」
「では」
「だが、その盟は上手く行くまいな……我らの因縁はあまりにも深すぎる」
「…………」
「それでも座して待つは大名として失格よな。書を認めよう、これを運べ」
「はっ」




