92 - 異国からの使者
1月下弦20日、ジワーの軍が国境に近付いたことを理由として、キヌサは軍を国境管理の名目で派兵。
キヌサが派遣した兵力は六千で、これは『担いの手』タンタウト・ガーランドが将として指揮を取り、堂々と進軍開始。
この動きに呼応する形でジワーに集まっていた兵の内、およそ半数、一万が越境、とはいえあまり進軍するつもりも無かったようで、越境はしてもそれだけで、街の一つにも到達しない場所に布陣。
ガーランドがその報告を受けるやキヌサ・ヴィレッジと連携し、待機していた残り六千のうち三千を『鷹の目』ワッシャー・ホーマン、残る三千を『太刀風』ケン・シーリンが指揮し急ぎ合流。
合流後キヌサの全軍でもある一万二千は再び進軍を始めると、ジワーは布陣をあっさりと解き、一戦すらせずジワーに戻り、ジワー領内で再度布陣。
これに対抗するようにキヌサ側も領内に布陣したのが1月下弦25日で、その報告を受けた同日のキヌサ・ヴィレッジには、来客があった。
「先触れも無く、突然押しかけてしまった事。まずは謝罪させていただきたく」
キヌサ・ヴィレッジの屋形に通されたその髭を蓄えた男性は、年の頃は五十代後半だろうか?
ノ・ミズイに仕えているんだとか。
お爺さんという程では無いけれど、お兄さんとは喚べないような年齢帯だ。
僅かに白髪が交じり始めた少し淡い黒色の長い髪をしっかりと後ろに纏めたその姿は、いわゆるポニーテールなんだけれど、不思議とこの人には似合っている。
……というのも、こう、典型的な『達人』みたいな雰囲気なんだよね。
恐らくは弓かな……、それも大弓とか、そういう特殊な物ではなく、ごくごく普通の弓を普通とは言わせないタイプの厄介さな気がする。
「それもまた巡り合わせということでしょう。気になさるな、ハイラット・コーバル殿。して、本日は何用で?」
「忝い。しかし……」
ちらり、と。
その男性、ハイラット・コーバルという人物は僕に一瞬視線を向けてきた。
敵意ではなく好意でもなく、ただ見られたと言う事は解ってもただそれだけの、機械的な視線。この視線の『温度』、厄介な……。
「勝手な都合ではありますが。お人払いを頼めましょうか」
「ふむ……」
で、僕に視線を向けてきた理由は人払いか。
アイラムさんは考える素振りを見せ、僕に一度視線を送ってきた。
こちらは『どうする』、という問いかけのようだ。
「これは気が利かず、申し訳なく。御屋形様、僕は隣室で控えています」
「そうだな。そうして貰おう」
「では、これにて」
お辞儀をしてから立ち上がり、そのまま部屋を出る……と、すぐそこにはハイゼさん。
『良いのか』、という表情をしているので、扉を閉めた後僕は首を横に振り、魔法で軽く天井板をずらすとジャンプしてその中へ。
ハイゼさんは先ほどとは異なり、『この悪ガキめ』とでも言いたげな表情だけど、『行ってこい』ともジェスチャー。
言われずともそのつもりだ。
天井板はもとの位置に戻して……まあ、普通に移動してもたぶんバレないけど、念には念を。
集中力由来の魔法で重力操作、自分の重さをほぼゼロに。
更にピュアキネシスで天井板から二センチほど離して足場を作り浮かせ、そのうえを滑るように移動、しかるべき場所――つまりはアイラムさんの真上あたり――でぴたっと停止。
あとは盗み聞きモードである。
『人払いも済んだな。要件を聞かせてくれるだろうか』
『はっ。わが主、ノ・ミズイに二心無いことをお伝えしたく』
『ほう』
…………?
いや……言い訳をするにしても、タイミング的に最悪だと思うけれど……。
『これは異な事を。ハイラット・コーバルよ。確かに今、このキヌサは隣国、ジワーと少々緊張状態にはあるが、あれはジワーの動きであろう。ミズイに関係はあるまい?』
『本来ならばそうでしょう。しかしながら、ジワーは今、ミズイに臣従しておりまする。言うなればジワーはミズイの配下。ミズイが命じたと思われても致し方ない状況にて』
『つまり、ミズイはジワーに何も命じていないと?』
『その通りにて』
ふうん……、そりゃ嘘も混じってるんだけど、結構真実をそのまま言ってる感じ……。
ジワーはミズイの支配下にある。
ミズイは今回、ジワーに何も命じていない。
まあ、どっちも本当なんだろうな。
何も命じること無く兵だけを送りつけた。
ジワーはそれを掴みかねた……いや、この方向はちょっとおかしいか。
兵にはしっかりと命じている。
ただしそれはミズイの兵や将に対してであって、ジワーに対しては命じていない。
このあたりが落としどころかな?
『二心無いというのは、ならばミズイがキヌサと緊張状態にある事を避けたいということでよいか』
『はっ』
『では何故、ミズイの兵がジワーを越えてキヌサに入ったのだ?』
『これは異なことを。そのような事があり得るわけも無く。ジワーが兵を挙げたのです』
『ほう――そうか。つまり今現在にらみ合っているジワー側の将兵はジワーの者であり、ミズイの者ではないと』
『はっ。全てはジワーの独断にて』
あ。
アイラムさんが罠を張った直後に嵌まったぞ、この人。
『無論、その勝手働きを止めることが敵わなかったミズイに責はありまするが』
『いや何、そのような事は些事よ。そう何度も起こされては困るが、一度や二度の見落としをいちいち咎めていては、咎める側もつかれてしまう』
『有り難きお言葉』
『此度の動きはジワーの責である。ノ・ミズイ殿には、この私、アイラム・ジ・キヌサがそう決断したとお伝えいただきたい。しかし事が事だ、念のため書状にしたいがどうか?』
『ご配慮に感謝がたえませぬ』
『ハイゼに用意させよう。……しかしハイラット・コーバル。貴殿もなかなか、難しい立ち位置にあるな』
『はっ』
と言ったところでハイゼさんが入ってくる音がする。
アイラムさんが先ほどの内容をハイゼさんに伝えると、ハイゼさんはその場で書状を書き始めているようだ。そんな音がする。
『ハイラット・コーバルよ。此度のジワーの責はジワーの責であり、少なくともミズイの責ではない。此度の軍事敵対行動はジワーの決断であり、ジワーの将兵の責である』
『はっ』
『故にキヌサとしては、ジワーの将兵の責を追求し、これの処断を求める』
『はっ……?』
『我々キヌサには実行する力などありはせぬ。だがジワーはミズイに臣従しているのだ。ミズイがジワーに命じることはできよう。何、挙兵した全てに咎を追求するわけでは無い。あれほどの数を失えばジワーは廃墟となるだろうからな。故に、将だ。ジワーの兵を指揮した将を処断していただこう。なに、たかが将四人で済むのだ。ミズイの将を削るわけでも無い。臣従もより深く強くなろうな。それで良かろう?』
『それは――』
構造を纏めよう。
ミズイはジワーに派兵したが、軍事的な命令をしていない。
ジワーはミズイに呼応する形で挙兵し、特に命令はなかったがキヌサを攻め込んだ。
キヌサはそれに対応し、結果、ジワーは一戦もせず退いた。
ミズイはキヌサに攻め込む意図は無かったと説明し、ジワーの勝手働きを咎める立場を取った。
これが表面上の動きで、外交的に見た今回の動きである。
現実としてはミズイがジワーをキヌサに攻め込むよう圧を掛けたんだろうし、その為の将兵をジワーに貸したのだろう。
あるいはミズイの兵でありながら、同時にジワーの兵として二重の立場にあるだけかもしれない。
重要な点は、侵犯したのが『ジワーの将兵である』とキヌサとミズイで断定したことだ。
だからキヌサはジワーにその処断を求める。
当然ジワーは応じないけれど、ジワーはミズイに臣従した勢力である。
ミズイがこの件について潔白であると証明するためにも、ジワーに対してペナルティ……つまり、将の処断を行う事に何ら不自然は無い。
将を失えば兵は役立たずになるかも知れないし、重要度で言えば一万の兵よりも一人の将ということもありうるとはいえ、一人の将を守るために一万の兵を犠牲にすれば、二度とその将に兵がついていくことはない。
どちらを選んだとしても『ジワーは』軍事的に詰む。その状況はミズイにとって手放しで喜べることでは無くても、ジワーという臣従勢力をより手元に近づけ、そのまま取り込む好機になるだろう。
真実、それがジワーの将兵による独断ならば。
実際はミズイの干渉が明白であり、またそこに居た将兵の殆どはミズイの将兵でもあるはずだ。
もしキヌサの要求通り将を処断しようとしたならば、ミズイの内部が揺れるだろう。というかそれ以前に、将の側が大人しく処断されてくれるとは到底思えない。
一戦交えて決定的な敗北をしただとか、そういう責任があるならばまだしも、政治的な意図で派遣され、政治的な意図から実際の戦闘を控えるように指示され、その通りに行動した結果政治的な理由で処断されるなんて理不尽だろう。
まあ、戦闘を控えるように指示されているかどうかはわかんないけど……あるいは戦闘をしない方が利益になると将が考えただけかも知れないか。
ただどちらにせよ、将の側がそれを大人しく受け容れられるわけも無いし、そんなことはミズイも解りきっているはずだ。
もしこれで処断を正しく決行するならばミズイはよほどキヌサを恐れているという事になるけど、まあ、まず無いよな……。
処断をするとしても、本当の意味でジワーに属する将を処断する形になるだろう。
それはジワーの不満を大きく買う。ミズイが何もしなければキヌサに何かをする予定は無かったかもしれないのに、ミズイの差し手の結果ジワーだけが損をするのだから多いに不満は溜まるし反感も酷い事になる。
じゃあ処断をしないというのはどうだろう?
その場合、ミズイはキヌサに対して大きな大きな借りを作ることになる。
人間単位の貸し借りだってそこそこデカい決断を伴う行動を取らせうるというのに、勢力単位の貸し借りとなると、その規模はあまりにも大きく、踏み倒すことも難しいだろう。
『さあ、書状を持ちミズイに帰るが良かろう。こちらの要求も合わせて記した、安心せよ』
『……御配慮に多大な感謝を』
『うむ。本来ならば客人を持てなす宴の一つは用意するのだが、場合が場合だ。急ぎ持ち帰られよ』
『はっ』
これもまた悪辣だな……。
何がって、とりあえず抜け道をまだ残していることだ。
つまり『書状が届かなかった』という状況で時間を稼ぐとか。
あるいはジワーやミズイの困った連中をその場に居た将としてついでに処断するとか。
……その辺の抜け道に気づいたから大人しく引き下がったわけじゃないだろうな。
とりあえず決裂させるのはまずい、とでも考えたか。
ハイラットという人物が去った後、暫くして。
『リリ・クルコウス。もう構わんぞ』
と、ハイゼさん。
天井板を外して天井からアイラムさんの前にすとんと着地し、天井板はしっかり魔法で元の位置に戻しておく。
「…………。隣室に居るという話だったはずだが?」
「この謁見室の隣の部屋に違いはありません。横か上下かの違いです」
「天井裏は部屋とは呼ばぬぞ」
「天井裏だってしっかり掃除していれば、雨はしのげますよ。構造次第では風だって」
「…………」
屁理屈ですけどね、と最後に言葉を結んで視線をハイゼさんに向けると、ハイゼさんは一度頷いた。
「リリ・クルコウス。将ではなくとも力を出せる場所があると言っていたな。斥候か」
「斥候というよりかは、間者の類いでしょうか。相手の陣地に忍び込んで情報をこっそり貰ってくるだとかは得意ですよ。そうそう乱発はできない奥の手としては闇討ち暗殺なんていう手も取れますね」
「なるほどな。ハイゼ、これは使えるか」
「は。事実、御屋形様でさえも気付けぬほどの手練れ。敵に彼ほどの使い手がいたならば、手に負えませぬ。今でさえ、間者の全てを排することは敵いませぬからな」
「だそうだ。リリ・クルコウス、最初の仕事をやろう。掃除をして貰う。範囲は……そうさな。キヌサ・ヴィレッジ全域としよう。方法は問わぬが、捕らえるにせよ殺すにせよ、可能な限り逃がすなよ。当然、報酬ははずんでやる。期限は定めぬが……、二月中には一定の報告が欲しい所だな」
「……御屋形様。それは彼には少々、」
「お心遣いに感謝を。けれどハイゼさん、大丈夫です。そして御屋形様。その命、確かに承ります。捕らえたり殺したものは、どこに置いておけば?」
「この屋形の隣に牢獄がある、それをくれてやるよ。好きに使うが良い。今はどうせ空だからな」
なんで屋形の隣にそんな物騒なものを。
警備を分散せずにすむって意味では良いのか……?
いや、そもそも空で使ってないんだもんな。
普段使いではないのだろう。
何に使ってるのかは考えないことにして、と。
「ちなみにですが。問答無用で良いんですか?」
「根拠があるならな。根拠無しに冤罪でやらかしたならば相応の罰は与えることになるだろう、要心しろよ」
「はっ。必ずや綺麗に掃除してきますとも」




