87 - 約束された邂逅
その吟遊詩人は、えんじ色のローブを纏い、手元のハープを奏でて吟じている。
彼が楽しそうに謡えば場も湧き上がり、彼が悲しそうに謡えば場は静かになる。
単なる表現力という概念だけでは説明の付かない、けれど『単なる表現力なのだ』と理解せざるを得ないようなその謡いには、子供に限らず大人達も真剣に聞き入っていた。
すごいな。
魔法を使っているならば納得できる。
高度で複雑な魔法をよく実現したものだと感心していただろう。
けれど実際には、魔法は全く使われていない。
心理的な誘導をしているのかと思えば、その形跡もないんだよなあ。
だからそれは、単なる表現力の完成形なのだろう。
ちょっと世界からズレている感じがするけど、地球だったら売れっ子になりそうだ。タレントだか芸人だかは解らないし、なんなら新興宗教の教主とかかもしれないけれど。
「さあ。楽しいお話が続いたね。少し難しい、けれどとても大切な語らいをするとしよう」
そしてこうも思う。
「最果てを求めた咎人と、三度の艱難を破った賢者の噺を」
この吟遊詩人は、常に誰かのために謡っているのだろうと。
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第一の咎は終焉を読詠んだ。
第二の咎は黎明を描欠いた。
第三の咎は永劫を溢佚した。
咎には罰を、そして禊を。
第一の禊は畏れを生有んだ。
第二の禊は願いを壊恐した。
第三の禊は歩みを止渡めた。
賢者は三つの禊の全てに関わり、ついにその艱難と対面する。
畏れを生有んだ終焉を、賢者は歴史に忘却させる。
終焉を忘れ去り、人々は畏れを識って飼い慣らした。
願いを壊恐した黎明を、賢者は夢想に追放させる。
黎明を追い遣り、人々は願いを改めて心に灯した。
歩みを止渡めた永劫を、賢者は異界に補填させる。
永劫を押し与え、人々は未知なる道へと歩み出した。
最果てを求めた咎人は、世界を巡りて解を導く。
――斯くして賢者は対峙する。
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誰かのために謡われる、吟遊詩人の謡い。
これまでの英雄譚や冒険譚とはあまりにも毛色の異なるそれに、そこまでの謡いを聞いていた人々は首を傾げていたけれど――リーシャでさえも首を傾げていたけれど、だからこそ。その謡いが僕に向けられたものなのだと理解できてしまう。
「難しい謡いね。どう解釈するのが良いのかしら?」
「……さあ。ただ、咎に第一、第二、第三って続いてるからね」
「…………? 心当たりがあるの?」
「まあね」
第一の咎人、豊穣の国リコルド。
存在そのものが歴史的に編纂され、不自然に整理されているかのようだとサムは表現していた――それが、『歴史に忘却させる』という部分ともリンクする。
畏れという部分にも何か意味があるのかな? 畏れ。恐怖。言い換え方はいくらかありそうだけど……。
で。
第二の咎人、陰陽の国ドア。
『夢想に追放させる』にせよ、願いをコワすという表現にせよ、きっとこの考え方であっているのだろう。
ただまあ、何故あの吟遊詩人がそこまで詳しく謡いうるのか――って問題は、出てきてしまうけれど……これはちょっと、次にも関連する。
つまり、僕もサムも、誰もが知らない『第三の咎人』が平然と謡いに紛れたという事実について。
『異界に補填させる』……異界って何だ? そのまま受け取ると異世界だよな。異世界に補填させる……、つまり、異世界の何かで補った。
それは、『僕』の事か?
それとも、『僕の前に誰かがいた』のか?
この辺の解釈がとても難しい。
……なんだろうな、『テストの答え』を聞かされた気分だ。
理屈は解らない。
細かい意味も分からない。
ただその通りに答えれば満点を取れるよと助言された感じ……。
前半、特に最初のあたりは言葉が複雑に絡んでいたし。
一つの言葉に一体いくつの意味込めてるんだろう……?
それでいて、最後の最後で『賢者』と『咎人』がまた曖昧になるし。
いや、曖昧になるのはたぶん僕の認識のせいだ。
まず咎と咎人という言葉を、あの吟遊詩人は分けて使っていた。
で、僕の認識の中で、たとえばリコルドは第一の咎人、ドアは第二の咎人だ。
けれど、吟遊詩人は『咎』としか読んでいない。
それは微妙な差のようで、致命的な違いだと思う――それらの国を咎人と呼んだのはそもそもサトサンガのアルベイル卿で、僕もアルベイル卿の言い方から記憶していただけだ。
本来は『咎』で、人を付けない方が正しいのかもしれない。
なぜなら、『咎人』はまた別に居るから。
うーん。
順を追って考え直してみよう。
前半部分で、咎そのものは禊によって解決されていることが解る。
その禊という行為には賢者とよばれる誰かが常に関わっていた。
で、その賢者は三つの咎に対応した結果、最後の一節に至るのか?
咎人と賢者は別人……と考えるのが自然だよな。
絶対とは言えないけど……咎人が世界を巡って、賢者がそれと出会うという謡いだ。
最果てを求めた咎人は、世界を巡りて解を導く。
…………。
僕の事、かなあ……。
最果てというのも、ちょっと前までは何のことやらだっただろうけど、今ならば見当が付く。
占星術だ。
ディル翁はそれを、最果ての占星術と呼んでいた。
そして僕は今世界を巡って解を導こうとしている――ただし、導こうとしているのは最果て、つまり占星術というものへの解答ではなく、月の魔法や陰陽の国ドア、黒床の神子に関することだけれど。
いや、それも結局はアカシャを出た後、何を目的とするべきかと考えていたところでおあつらえ向きに出てきた課題であって、自発的にそれを選んだわけじゃないか……。
むしろ自発的に調べていることは占星術の方が正しいと言われたら否定しきれない上、ドアが占星術と関係していないとも限らない。月に願うか星を占うかの違いだ、それは本来似ても似つかぬ別物だけど、どちらも空に関連しているからな……。
あとでもう一度しっかり考え直そう、という保留側に思考を丸ごと放り込んだころには、吟遊詩人は次の謡いを始めていた。
今度はキャッチーな感じで、ハープも自然とその噺を盛り上げている。
内容は英雄譚の一種だろうか?
鎖された島の街に一人の男がやってきた。
その男は島の外から来たと言い、曰く、鎖された島には竜が居て、その竜は世界に害を為していて、それを狩りにやってきた。
一方島の人達は、竜が居る事を渋々認めた。なぜなら彼らにとってその竜は、島を護ってくれる『良い神様』だったからだ。
男の目的は島の人々の利益と反し、男がもしも竜を狩ったら、男は二度と島から外に出られないだろう――と、島の人々はそう男を脅し、男は困惑の中街を離れ、島の内部を調べ始めた。
その過程で、男はこの島と己が狩りにやってきた竜が、本当の意味で共生していることを知る。
相容れないものだと信じてきたものが、当然のように実現しているこの島を見て、男の決意は僅かに揺らいだ。
そんな悩む男の上空を、竜は悠々と飛んで行く。悩み事など無さそうに。
が、男の目にはあるものが映っていた。そしてそれははらりはらりと落ちてきて、男の近くにその布が落ちた。
その布を拾って、男は決意を新たにする。
再び街を訪れた男は、そのぼろきれのような布を島の人々へと見せつけた。
確かに。
この島であの竜は良い神様なのだろう。島を護ってくれるのだろう。
しかしこの島の外で、あの竜はやはり害なのだ。
竜は海からやってくる。
街を焼き、人を食らい、そして去って行く――男の故郷も竜に焼かれていた。
先ほど男が見せたぼろきれのような布には焦げた跡と血の跡がある。それが証拠だと男は言うと、街の人々に宣言した。
『竜は確実に俺が狩る。邪魔はさせない。だが、竜を狩ったら必ずこの街に立ち寄る。あなたたちが守り神と呼ぶそれの邪悪さの証拠を携えて』
そして男は狩りに出かけた。
男と竜の戦いは、とても苛烈なものだった。
竜はブレスに火や雷を織り交ぜ、強靱な爪や尻尾で男を攻め立てる――男はブレスを盾で受け流し、爪の隙間を掻い潜り、ついに竜の鱗に刃を突き立てた。
泣き叫ぶ竜に男は何度も何度も刃を突き立て、ついに竜を絶命させる。
男が竜のねぐらを探れば、竜の犠牲になった者達が見つかった。
そんな者達の亡骸を運び出し、男は街へと戻って行く。
島の人々はそんな男を見て――
「さあ、しかしこの噺には終わりが無い」
ハープで奏でられていた音楽が、不自然な部分でかき消える。
「皆はどのような結末が良いだろう? 誰もが幸せになれるような終わりが良いだろうか。ではこの物語、どのようにすれば誰もが幸せになれるだろう?」
吟遊詩人は笑みを貼り付けたまま問いかける。
それは、ここで聞いていたすべての人々に対して――きっと、今の噺も誰かのための噺なのだろう。
それは終わりが無いという謡い――『どうすればよかったのか』、それを他人に聞きたいという背景があったのか……。
「面白いわね。客に終わりを作らせるなんて」
「吟遊詩人としてはどうかと思うけどね。これじゃあ娯楽ではなく勉学だ」
「リリは大概辛口評価ね」
いやまあ。実際授業でも受けているような感じだったし。
とはいえ全部が全部スカッとするような物語だったら、それはそれで飽きがくるか……。
「けれどリリの言い分も理解出来るわね。これはこれで良いけれど、単純に楽しめるような喜劇も聞いてみたいしね」
そんなリーシャの言葉は、けれど他の人々がああでもない、こうでもないと『結末』の噺を交わしている。
皆が幸せになれるようなハッピーエンドに、どうやればたどり着けるのか。
それとも別に、全員が幸せにならなくても良いのか。
そもそもハッピーエンドにする必要があるのか……バッドエンドが自然なのではないか。
「けれど、こうして聞いていると不思議だわ。多くの子供達は幸せになる方法を考えて、多くの大人達はそれ以外の未来を考えるのね。偶々かも知れないけど」
「どうだろうね。大人になるということは、不幸を知ると言うことだと思うし……不幸をよく知らない間は、成功や幸福にと、無垢に考えるところがあるんじゃ無いかな?」
「まあ。子供の頃からドロッドロな考え方をされる方が嫌か」
「僕達はその点失格だね」
「言えてるわ。私が語らっていたならば、間違い無く男は死んでるわね。島の人も巻き添えにして」
リーシャらしいといえばリーシャらしい物騒な考え方だった。
「リリはどう?」
「さあ……僕だったら――」
…………。
僕だったら、きっと。
「――表面上はあの吟遊詩人さんと同じように、他人に聞いて回ると思うよ」
「ふうん?」
「僕自身の答えはたぶん決まってるんだ。ただ、その答えが気に入らない。だから他人の話を聞いて、誰かが『いい話』にしてくれるのを待つ……みたいな。あの吟遊詩人さんとは理由が違うだろうけど、表面上の行動は同じになる」
「自分で出した答えなのに、気に入らない?」
「リーシャはそういう事、あんまりないの?」
「あんまりというかまず無いわ。私は振り返らないもの」
…………。
それは……人としては格好いい生き方だと思うけど、たしかリーシャってアルガルヴェシアでは『斥候』の異彩だったよね?
アルガルヴェシアはどうせ作るなら作るで、もうちょっと確実性とかを見直した方が良いと思う。
ま、直感に全振りしてるタイプとしての完成度で考えれば間違い無いほどに問題ないのだから、さすがは異彩なんだけどね。
そんな会話をしている間に話はどんどんこじれていき、謡いの結末を巡って大きく勢力は三つに分かれた。
あくまでも全員の幸せを追求する者達。
島もしくは男のどちらかが幸せになれば良いとした者達。
そしてどちらも報われない形にするべきだとする者達。
ディベートでも始めさせる気だろうか……?
このままだと船上で諍いの基になると思うけど。
「されば全てを謡いにしよう――されば全てに安息を」
……ん?
ざらり、と――なにか、猫に頬を舐められたときのような、そんな奇妙な感覚を覚えて、咄嗟に思考を固める。
いや、なんで?
思考を固めるって……、なんで今、僕はそんなリアクションを取るんだ?
「ははは……。さすがはとでも言うべきか」
吟遊詩人が謡うような声音で言葉を紡ぐ。
はっとして周囲を見れば、皆が突然黙りこくって、その場に呆けているようだった――リーシャまでもが、停止している。
時間が止まっている……? わけじゃないな、普通に時間は動いている。
船が波に揺られているのは、僅かだけれど感じられる。
「初見で対策されるほど、甘くはないはずだったのだけれど――さすがは咎人。おみそれしました」
謡うような声音はまだ続く。
状況の理解が追いつかない――ただ、今、この場を支配しているのはあの吟遊詩人だということだけは断定できた。
咎人。
その吟遊詩人は、僕をそう呼ぶ。
「しかし、対策されてしまったものは仕方が無い。本来ならば異界において、事情の説明としたかったのですが――おっと。異界というものは異世界ではありません。この世界に重なる別の階層、というのが近いでしょうか?」
「…………。何者?」
「あなたをこの世に呼び出した、陰陽の国バードの占星術士――という名乗りが、私に出せる最大限の情報なれば」
陰陽の国、バード……?
ドアと血を分けた国……の、名前か?
占星術士。は、そのままだな。
占星術使い――運命に干渉する者。
「勝手な願いとは承知の上。どうかこの世を」
「救うならば賢者に頼むべきだし、変えたいならば勇者を探すべきだ」
「はい。それはドアの者どもが働きかけましょう」
「…………」
不思議と。
僕が抱いた感想は、『そうだよな』、という納得だった。
……何故だろう。
「咎人よ。どうかあなたには、この世を違えて頂きたい――」
不意に。
周囲に喧騒が戻る――何事も無かったかのように、皆が吟遊詩人を取り囲みながら、謡いを聞いている。いつのまにか、吟遊詩人は謡いを始めていた――既に中頃まで。
「……うん? どうしたの、リリ。何か何時にも増して奇妙な表情ね」
「……そうかな。リーシャ、さっきの謡いなんだけど、結末はどう思う?」
「はあ。さっきの謡いって、竜に困っていた島が英雄に助けて貰ったという噺よね。最後は皆ハッピーエンド、良かったんじゃない?」
僕が聞いていた噺では無いな……。
僕があの詩人と話している間、他の皆は幻覚を見ていたのか?
いや、違う。
さっきまではディベートというか口論一歩手前だった場が、もとの平和な場へと変わっている。
……これが運命に干渉するという――占星術、その効果か?
「そうだね」
「なによ。不満でもあるの?」
「まさか」
「なら良いけれど」
リーシャは気づいていない、と。
サムにどうやって説明しよう……いやまあ、全部説明するしか無いんだけど……。
ここにきて急に、哲学みたいな課題が増えたなぁ……。




