75 - レジストレータ
10月上弦2日。
いつもより少しだけ豪華な昼食を四人で食べおえてからほんの少し経った、13時を回った丁度その頃、拠点の扉がトントン、と鳴らされた。
「うん? 来客か。俺が出るよ」
対応に向ったのはコウサさん。
尚、タックは洗い物の真っ最中で、ニーサは食卓で僕と一緒にデザートを食べていたりするけれど、まあそれはそれ。
「はい、どなた様……、でしょうか、ご老人?」
「やあ」
食卓のあるダイニングキッチンは玄関口に直結していて、だからその客の姿は僕が座っている場所からでも見ることは出来る。
真っ白な長い髪を後ろで束ね、同じく真っ白なひげは綺麗に整えられている――そんな老人が纏う服装は、その辺の一般人が着ているものと大差は無い。
にもかかわらず、コウサさんが思わず敬語口調になるほどに、底知れない気品を漂わせる強者――だというのに、存在感が欠落している。
目に見えていてもそこに居るのだという確信を持てないような、そんな強度で。
幽霊ってこんな感じなのかな。
そう思考が逸れ始めたところで、
「君はコウサだね。初めまして、君の剣捌きには関心を勝手に持たせて貰っているよ。君が何時気づくのかとかね――」
「……あれ。って、この声……、イノンドのじっちゃん? あれ? 本物?」
「――タック。お前は相変わらずだなあ。槍を持ち歩いてるそうだね」
「うん……じゃなくて、え? 本物だ……、皆、この人がイノンドのじっちゃん。『イノンド・ザ・レイズ』、本人」
タックのそんな断定に、少しびっくりしたようにカップをテーブルに置いてニーサが立ち上る。
ニーサが何かを言いかけた途端に、
「ニーサだね。初めまして。けれど実は以前、一度だけすれ違ったことはあるんだけれど……しかし、ふむ。今は弓を使っているのか。不思議なものだね」
「……はじめ、まして?」
イノンド=ディルである彼の言葉に、ニーサはあっさりと飲み込まれる。
それは冒険者として。
というより、人間として――どころか、生命としての本能だろう。
存在としての格が違う。
絶対的な壁をいくつも乗り越えてしまっているかのような、そういう『先』に行ってしまった存在だと、『理解出来てしまう』相手だから、理解が追いつかない。
「中へどうぞ。イノンドさん」
「そうさせてもらおう、グロリアくん」
「ケーキは食べます?」
「甘い物は苦手でね」
コウサさんとニーサは、『理解が追いつかない』。
だから会話には入ってくることが出来ない……恐らくこのまま、『見ているものが現実なのか夢なのか』さえも曖昧な状態で傍観することしかできないだろう。
一方、タックは過去の面識があってか、恐らく認識面でのギャップがそこまで無いんだろうな。
いや、ギャップを塗りつぶす別の要素でディル翁への認識が塗りつぶされている感じ……か?
「それで、私を呼んだのは君だね、グロリアくん。君は私に何が聞きたいのかな?」
「簡単に言えばミスティックの使い方です」
「…………」
「魔導府から頂いた魔法譲渡書に、ミスティックがあったんですよ。それはもう習得しているので、たぶん発動は出来ると思うんですが……、僕はミスティックで用いる『領域』についてあまりにも知らなさすぎる。ならばその専門家に、プラマナの魔導府のトップに聞けば良い。そう思って、呼びました」
「……やれやれ。私に個別教師をさせるために呼び出すなんて荒技を仕掛けてきたのはアカシャの坊主以来だね」
「そのアカシャの坊主に僕も聞いたんですけど、ならディル翁に教えて貰った方が早いと言われちゃったんですよね」
「あの小僧、なかなか強かだな……」
「そうでもなければやっていけない立場ですからね」
「ごもっともだ」
ああうん、サム、ディル翁にアポは取ってくれてなかったのね……。
別に良いけど。
一方、今の会話でタックは複数のハテナを浮かべていた。
まあ……いきなりアカシャとか、何を言いだしてるんだってなるよな。確かに。
あるいは、それ以前か。
「タック。あとでお話をゆっくりする時間は作るから、コウサさんやニーサさんを二階に避難させてくれるかい。ちょっと荒技を使うからね」
「わかった。グロリアは……いいのか?」
「うん」
「ああ」
ディル翁の要請にあっさりと頷き、タックは一人、また一人と運んでいく。
その直後、僕とディル翁をギリギリ包み込む程度の大きさで、その結界は展開されていた。
……すごいな、結界を行使してから実際に完成するまでの速度がえげつない。
渦を観測する前に展開が終わってたぞ……。
「闇市とは大違いですね。せめて取り繕うくらいのことはしてくるかと思ったんですが」
「私の行動はお忍びだからね。観測されてはならない。存在を偽装するより、こちらの方が確実だ――まあ、タックのような例外も居るが、私が取り繕わなければそれだけで、実質的な認識操作にはなるからね」
……納得。
目立ちきってしまえば、逆に人間の意識には残らないものだからな……、あまりにも目立つものは覚えていたくないみたいな意味で。
「それでだ、私が君にミスティックを教えたとき、私が得る対価はあるのかい?」
「当面の間、僕と敵対しないと言う事は当然として――魔導府からもらった魔法譲渡書をフルに活用した『テクニックの移植』だとか、そのあたりですか」
「敵対はともかく、移植くらいならば魔導府内部でも可能だな。それに君はそもそも、私と敵対するつもりもあるまい」
ごもっとも。
僕にとって敵対は目的の逆で、友好でありたい理由の方が多すぎる。
もし僕達が敵対することがあるとしたら、それはディル翁が敵対を選んだときくらいだろう。
だからこちらが札を切らなければならない。
「『契約の秤』の修復。やりましょうか」
「…………。何?」
『契約の秤』。
プラマナに伝わるアーティファクトの一つでありながら、ちょっとした不注意が原因で破損してしまった、そんな道具。
それはまだ僕がアカシャに居た頃、噂話として僕の耳に入ってきたことだ。
どこまでが本当なのやら、話半分未満の眉唾としてしか考えてなかったんだけど……その後も色々とサムやその他の人物と照らし合わせた結果、どうやら本当に壊れている可能性が高いと判断していた。
破損の原因は不明。
恐らく秘密裏に『使った』結果……なんだろうけども。
「もちろん修復方法は内緒になりますが」
「アーティファクトの修復が可能だとでも?」
「できます」
「…………」
それがどんなに特別なものであれ――修復してしまうのが、錬金術なのだから。
ただし。
「注意点として――それを修復するとなると、僕はその現物に触れる必要がどうしてもあります。正確には触れなくともある方法で可能かもしれませんが、その方法を取る場合、確実性を保証できません。それでも良いならばそちらの方法の用意をしておきましょう」
「現物に触れる……か。そのまま窃盗されるリスクを負ってまで、出来るかどうかも解らない修復をさせるわけにはいかないね」
そりゃそうだ。
歴史の詰まった国宝だもんな……。
「確実性の保証ができないというのも、それはそれで困る。確かに今、あれは破損状態にあるけれど、まだその存在を保てているわけだ。それにトドメを刺されても困る」
「そうですね。自信はありますが、絶対の保証をするためには現物に触る……、まあ、せめて直視するくらいはしないと無理です」
「観測が必要と言う事だね」
「はい」
錬金術師としての僕は、それが道具であるならば、殆ど本質的な所まで、その道具の解析が出来てしまう。
……だからこそ、アーティファクトというものは一度観測しないと正直、修復出来るかどうかが解らない。
いや、十中八九大丈夫だとは思うんだけどね。
僕が作る超等品が、ほとんどアーティファクトと同等に限りなく近いとサムは表現していたし、リーヴァさんも似たような表現をしてくれた。
けれど僕はアーティファクトの現物を見たことが無い。
それが本当に道具ならば修復は簡単だ、けれど道具では無くたとえば本質が生命ならば使うべきはエリクシルだろうし、本質が魔法ならば別な専用の道具を新たに作らなければならない可能性だってある。
「『契約の秤』をいきなり任せるわけには行かないな。けれど、別のアーティファクトを一度修復して貰うというのはありかい?」
「それへの対価は?」
「成功報酬としてで良いならば、ミスティックの基礎を教えよう。素質次第ではあるが……君も私と同じ『化け物』。最初の一歩に数秒かかる程度で、それ以外はすぐに習得できるだろうからね」
化け物……ね。
「僕としてはそれでも構いませんけど、僕はそれで満足してしまう可能性が高いですよ。となると、『契約の秤』の修復はやらずに帰ってしまうかもしれない」
「その時はその時だ。より大きな対価を用意するまでのこと」
妥当なところか。
取引成立とお互いに頷くと、それを合図にするかのように結界は解除され、いきなり視界に僕達が映ったからか、タックが驚いているのが見えた。
「じっちゃん、グロリア、話は終わった?」
「とりあえずはね」
「ごめんね。独占しちゃって」
「いや……別に、独占とかは思わないけれど」
タックにおいで、とディル翁はジェスチャーで伝えると、タックは一瞬躊躇し、けれど結局はディル翁へと近付いて行く。
そんなタックの頭を愛おしそうに撫でて、ディル翁は言った。
「タック。冒険者になったとは聞いていたが、どうだい、それからは」
「どうもこうも……、じっちゃんが教えてくれたいろんな事のおかげで、今もこうしてパーティで頑張れてる。それが答えだよ」
「そうか」
まるでおじいちゃんと孫だな……。
実際には血の繋がりは無いだろうけど。
それでも近所のおじいちゃんと親しい子供みたいな感じはする。
やんちゃ気味の子供と、それにやれやれと思いつつ何も言わないおじいちゃん……うん、しっくりくる。
「けれどな、タック。槍を使ってるだろう」
「うん」
「あまり良くないな」
「……でも、おれは結構強いよ」
「そりゃあそうさ。けれどね、タックの才気の全ては、槍では決して出せないだろう。精々、『結構強い』で終わってしまう」
「才気……」
そしてディル翁って、ニーサやコウサさんに対してもそうだけど、僕が黙っていようと思ったことをあっさり口に出すんだな……。
僕と同じ『化け物』として、その辺は口に出さないかなとも思ったんだけど。
まあ、僕と同じなのは『化け物』という部分だけで、カテゴリも違うか。
僕は試練を与える者で、彼は育成する者と自然に呼び分けられているように。
「そういう意味では……。グロリアくん、君も大概、君自身の才気とは随分とかけ離れたところに身を置いているね」
「自覚はあります。魔法使いなんて柄じゃない」
本来ならば洋輔がやることだ。
僕がやるべきことではない――けれど、ここに洋輔は居ない。
だから、
「今は、これでいい。足りないものを埋め合わせるために、魔法使いとしての経験値を積まなければならないだけのこと――ですからね」
僕は洋輔に少しでも『近付く』ために、決して得意分野ではない『魔法』に手を出さなければならない。
洋輔が僕に少しでも『近付く』ために、決して得意分野では無い『錬金術』を習得しなければならないように。
「まあ良いだろう。グロリアくん、詳しい話は明日……と言いたいところだが、明日は3日だからね。明後日、きみたちを指定して使いを出す。その使いから話を聞き、その後をどうするか、このパーティの皆と相談して決めてくれ。いつまで一緒に行動をするのかも含めてね」
「はい」
……『3日』を特別視、か。
この人もあの夢を――黒床の神子たちの夢を見ているのかも知れない。
で、詳細は明後日、パーティで相談しろか……。
そりゃあ、今の『育みの庭』としての行動はこの会談で『達成』したのだから、今後を考え直すときに来ているというのは事実だけれど。
「タック」
「どうしたの、じっちゃん」
「お前がもしも強くなりたいと思うならば、少しグロリアくんにお願いして、稽古をつけて貰いなさい」
「槍の稽古?」
「違う。お前が学ぶべきは槍じゃ無い――ニーサが学ぶべきが弓ではないようにね。コウサの剣はあながち間違いでも無いが、『まだ』足りていないな。そう思うだろう、グロリアくん」
そこで話題を僕に振るのか……。
「嫌とは言うまい?」
「教えること自体には。ただ、場所がありませんね」
「ならば気軽に使える良い場所があるからね。通行証はこの場で用意しておく。冒険者ギルドにはこの後、全員揃って報告に行くのだろう? きちんと荷物を纏めておくことを薦めるよ」
ん……?
なんだ、この言い回し。
僕が違和感を感じている隙に、あまりにも素早くまたも魔法は紡がれて、僕の手元にその板は生み出されていた。
それは冒険者ギルドが用いる依頼プレートによく似た、けれど決定的に規格が異なる板で――そこに書かれた文字を見て、きっと僕は頬を引き攣らせていたのだろう。
「グロリア?」
「これは決定事項だよ、グロリアくん。君がこの後どうするにしても、『そうする』しか君以外には選択肢が無い――彼らの安全を買うためにはね」
『移籍要求書』。
強い影響力――それこそ国家レベル――を持つ依頼主にしか発行する事が出来ない、冒険者ギルドに所属する冒険者を依頼主が配下に移籍させるという要求書で、今回対象として指定されているのは『育みの庭』に現時点で所属している四名、発行者はイノンド=ディル魔導府長となっている。
……そして、これは滅多に使われることの無い強権だ。
それを使わざるを得ない事態が起きている。
直前までの会話も含めて考えると――
「――冒険者ギルドは損切りを決めていた……?」
そういうことだ、と。
ディル翁は一度頷くと、タックの頭をもう一度撫でた。
……どうやら、僕の想定よりも遙かに、足下の氷は薄かったようだ。
「上手くやりなさい。グロリアくん。この程度の『試練』、君が『移籍要求書』を使えば突破は可能だろう?」




