73 - 世界の壁を越えてでも
9月下弦24日。
予定通りの日程で、プラマナの首都であり神都でもあるプライムに僕達は到着した。
プラマナ冒険者ギルド本部では、ベリル・ザ・キーパー"カイリエ"からの書状なども含めて提出することで、あっさりと『育みの庭』の一時的な拠点として家屋が付与された。
その家屋は一般的な家庭の一般的な家屋と同等で、元々冒険者の拠点として作られた物ではなく、とはいえカイリエ三番街のような緊急時の避難用家屋というわけでもない。
単に一軒家を冒険者ギルドが買い上げた、それだけの事で、目的としては『若干気を遣わなければならない、けれど全力で気を遣わなければならないということでもない来賓』に対して貸し出すゲストハウス用途。
なんとも今の『育みの庭』にぴったりな用途と言えよう。
尚、間取りは大分違う。
まず三階建てという時点で別物だと言うことは理解出来るだろうけれど、一階から三階までの全てに水場が完備。
水場一つにつきトイレが二つと浴槽突きの湯浴み場が一つで、浴槽は例によって岩造りののびのびスタイル。どうやらプラマナのこの手の家屋では当然の標準装備のようだ。
で、水場以外には一階が四部屋、二階と三階は三部屋ずつ。
一階には調理場がある都合か二階、三階と明確に異なっていること、また一階にベッドルームがなかったことから、一階は全域を四人の共有スペースとして全ての部屋を皆で利用すること、二階の部屋はコウサさんとニーサが、三階の部屋は僕とタックが使う事になった。
特に異論らしい異論が出なかったのは、それこそお互いの距離感が掴めているからだろう。たぶん。
で。
そんな新居というか新拠点を馴染ませる意味も兼ねて二日ほどはそれぞれ自由行動をとり、本格的に魔導府へと接触するのは早くても27日ということに。
……もちろん、今回の行動が『育みの庭』だけの意図で動けるならばここまでルーズにはしないんだけど、ギルド側による監視体制を整えるまでは行動を控えるべきという意見を僕とコウサさんが出した事、ニーサとタックは精神的に窮屈な移動で疲れが溜まっていた事が複合し、今回の決定に至ったのだった。
「グロリア。タックは?」
「部屋で寝てますよ。ニーサもでしょう」
「ご名答だ」
そんな、新拠点に到着した日の夕暮れ。
一階の共有スペース内、食卓部屋でお茶を飲んでいるとコウサさんがやってきたので、コウサさんの分のお茶も淹れて差し出すと、「ありがとう」とコウサさんは受け取り席に着く。
「カイリエとプライム。どちらもプラマナの大きな街だというのに、また随分と性質が違う街ですね」
「神の都と呼ばれるほどには特別な場所だからね」
肩をすくめながらコウサさんが答える。
神の都。特別な場所。
そのどちらにも、侮蔑的な感情を込めて。
「それでグロリア。君はこの街をどう思う?」
「野良猫が少ないですね」
「そうではなく」
「いや、わりと真剣なんですよ。野良猫の有無が僕の場合、モチベーションに直結するので」
「君はアカシャでは何も出来ないだろうな……」
ごもっとも。
「で、本当に感想はそれだけかい?」
「まさか。……順序が逆だなあというのが率直な感想ですか」
「なるほどね」
そう。
神の都と呼ばれる街だけあって、この街には綺麗なものが集まっている。
それは人間的な美徳であったり、あるいは芸術的な美意識であったり様々だ。
これが自然なサイクルならば文句は無い。
ただ、この街は順序が逆だ。
つまり、『神の都と呼ばれる街でなければならない』から、『綺麗なものを集めている』。
無理矢理に、国を挙げて。
無理矢理だから――反動がある。
「……プラマナで闇市を見たのは初めてです」
「…………。この国に唯一存在する闇市が、神の都にあるんだから皮肉だね」
「はい」
ま、地獄の沙汰も金次第。
あるいは神の威光だって闇市で売ってるのかもな、プライムに限って言えば。
ちなみに闇市でちょっと気になった商品があったので、明日の自由行動中にでも買い物に行こうかと思案中。
そもそも明日まで売れ残ってるかどうかも怪しいけど……。
「ただまあ、そういう危ない場所に近付かなければそれほど馴染むのにも苦労はしないと思いますよ。ちょっと物価は高いですけど、その分品質は良かったので」
「高いだけのことはあるか。他は?」
「さて……。流石に中央、政府機関だとか、魔導府系の機関は随分と厳重に取り締まられているとか、そういうあたりですか。当然ですけど」
「だね」
ただ、当然じゃない部分もある。
軍だ。
プラマナの軍関係施設、あまりにも警備が杜撰というか……、適当というか。
そのくせ戦力はしっかりしているような感触もあるから気味が悪い。
単に軍の強さは確保できていて、ただ統率がいまいちって所かな。
いつぞやにハルクさんが使っていた、他人を統率する技術を使いこなしているとか……いや微妙だな。
「当面は妙な行動を起こさないでくれよ、グロリア。言うまでも無いだろうけど」
「はい。肝に銘じます。……さて?」
時計を眺めれば十八時半。
そろそろ夜ご飯の支度をするか。
「今日は二人が寝ちゃってますけど、夜食は用意しておくか。コウサさんは夜ご飯、何か食べたいものとかありますか?」
「そうだね……、移動中は……、って思い出すと、移動中も結構贅沢な食事をしていたんだよね、俺たち」
「煮込み系の料理をする時間はとにかく沢山あったので……」
実際、豚の角煮やらビーフシチューやらカレーもどきやら、まあ、その手のものを暇な幌馬車の移動中に作り、御者さんたちと一緒に食べていたりする。
豪華と言えば豪華だけど、ワンパターンの嫌いはある。
「何か炒め物でがっつりといけるものはあるかな?」
「ふむ」
レバニラ……はレバーが無いから却下、豚肉とニンニクの芽のピリ辛炒めをメインにしよう。いっそ中華系に吹っ切れたら楽なんだけど、調味料が全然足りないからな。
パスタはざっと炒めつつ味を調えるだけの簡単なものにして、あとはスープ系を足すか。
「少しピリ辛な感じでお肉の炒め物、パスタもざっと炒めた香ばしい塩味のものという所になりそうです」
「十分だ。悪いが、頼むよ」
「はい」
それにしても最近、なんか気づけば料理をしているような……いやストレス発散にも繋がるから良いんだけど、何か大切な目的を忘れてないか……?
いや気のせいか。
思い直して一歩進むと、
「うわっ」
「え?」
がらん、と。
床に金だらいが落ちた。
いや、正確には頭上に落ちてきたのを咄嗟に避けたんだけど。
誰だこんなブービートラップを仕掛けたのは。
いやトラップじゃないよな、こんな金だらいはさっきまで無かったよな。
…………。
あ。
やっば……くない。
いやゴメン洋輔。忘れてたわけじゃないからね?
◇
夕食を終えて自室に戻り。
いや釈明をさせて貰うならば、現実問題として、渡鶴という観測機も無しに異世界から見れば異世界である現実、地球の観測などそうそうできるものではないのだ。
というか渡鶴があったとしても、どうやって洋輔がこちら側の状況を把握しているのかが正直理解しかねているんだけど。
まああっちには洋輔だけじゃ無くて冬華も居ればソフィアからの助言もあるし、最悪まで割り切れば対魔呪や呪いそのものを扱える日お姉さんも居るわけで。
それに冬華を洋輔が手伝う前提なら、勇者としてではなくただの冬華として、ペルシ・オーマの杯に辿り着けるか……。
その辺はあちらの事情だ、とりあえずは置いておこう。
じゃあこちらの事情を整理してみよう。
まず世界を観測・再現するための手段が無い。
もし地球ならば『渡鶴』というゴーレムが居て、そのゴーレムを介して様々に必要なパラメータをぶち込めれば、過去や現在のどこかを詳細にゴーレム内部に情報として『再現』し、実質的に世界をエミュレーションすることができるし、何なら再現した世界に干渉して『もしも』を手繰ってみたりすることもリソースが許す限りならば可能だ。
ただ、ここは異世界で、手元には『渡鶴』が居ない。
そして『渡鶴』は僕と洋輔が渾身の力を込めて作り上げたゴーレムであり、僕一人でも、洋輔一人でも決して作り上げることは出来ないし、洋輔と僕以外の誰かで『似たような機能を持つゴーレム』は作れたとしても、僕と一緒に作った『渡鶴』と比べればその機能はかなり劣るだろう。
まあ、僕と同じような本質的才能……『生成』『換喩』を持ち合わせた誰かとならばあるいは可能かもしれないけど、そんな奴はそうそういない。
これは裏返しにも同じ事が言えて、僕と洋輔以外の誰かでは『渡鶴』に似たような機能を持つゴーレムさえ作れない可能性が高い。集中力をリソースとする魔法における到達点の一つであるゴーレマンシーを極めて高いレベルで使いこなす前提で、洋輔が持ち得た様々な才能やセンス、そして何より蓄積した技術が必要になるからである。
たとえばこの世界の誰かに集中力をリソースとする魔法を習得させることができたとしても、洋輔と同レベルになるまで育て上げるのは、あまりにも気長な計画を立て、その上でペルシ・オーマの杯やラストリゾートという外法を使わざるを得ないだろう。
要するに、『渡鶴』がないなら作れば良い、とは行かない。
僕が使っている便利な眼鏡も大概高度な応用を大量に含んでいるけれど、『渡鶴』はそれを鼻で笑える程度に制作に費やしたリソースの桁が違うこともあって、神智術上に登録も出来なかったのだ。
『渡鶴』を再現する事はどうやっても不可能。
それを前提に、『異なる世界』を観測する術を見つけなければならない。
単純に考えれば無理ゲーなんだけど……。
フラグというものはとりあえずでも、立てておくものだな。
地球からこの世界に転移させられる直前、現実世界、地球上のあの場所に刻み込んだ錬金術で、洋輔は『異世界からの相互観測』という当初僕が想定していた目的に気づいたはずだ。
それは地球という惑星のある現実世界も実は二重になっているのではないか、あるいは裏表、陰陽が存在するのではないかという疑惑があって、その疑惑を検証するには『その世界の外から観測する』のが手っ取り早かったからで、今でもそれが可能ならばどんどんやるべきだと考える。
ただし『当初僕が想定していた目的』と表現しているように、実を言えば『渡鶴』にアクセス出来る事を前提に考えてたんだよね。それが出来ないものだからどうしたものかなと代替手段を最初の頃は探していて、でもそんなに簡単に代替手段が見つかるわけも無く……。
うん。
ごめん洋輔。
忘れてた。
お叱りは帰ってから受けるとして、今は洋輔が寄越してくれたヒントを手繰ることで解決策を探してみよう。
ヒントというのは他でもなく金だらいで、先ほどの他にも一度、アカシャで一通り錬金術のバランスを崩壊させた時にも落ちてきたことがある。
恐らくその一回目は咄嗟のツッコミが『たまたま』世界の壁を越えることに成功した一撃で、先ほどの二回目はその『たまたまの一回目』から『なぜ成功したのか』などを調べ上げ、ついに一つの形として出す事が出来たのだろう。
回数制限があるのか、もしくはリソース的な問題があるのか、単に条件が付いているのか、そうそう連発はできないようだけれど。
ではどうやって洋輔は『世界の壁』を越えたのだろう?
地球とは何の『つながり』も無いはずのこの世界を、そもそもどうやって見つけたのだろうか――それは恐らく単純で、『渡鶴』を使ったのだ。
洋輔と冬華、それにソフィアが共同すれば『渡鶴』を簡易モードで操作することはできるだろうし、僕を探させたと考えるのが妥当だ。
那由多の果てのような試行回数が必要だとしても、『渡鶴』はそれを実現しうる性能を持っているし……ね。
もし違う方法だとしても、図式としては単純化できるはずで、『洋輔たちは地球上から僕がいる異世界を特定した』→『僕がいる異世界を理極点からピン止め、固定し、観測用のシステムを作り出した』→『観測したデータを元に干渉する所まで研究を進めた』、こんな感じだと思う。
であるならば、僕は今、既に洋輔たちにデータ的に観測されている。
今頃皆『忘れてたかあそっかあ後でぶっ飛ばす』とか剣呑なことを言っているだろうから、そっちに居るであろう亀ちゃん他野良猫一同に『説得』を遠い異世界からお願いとお祈りをしておくとして、ちょっと気になる事がある。
金だらいは自由に落とせる物ではないけど、落とせないものでもない。
リソース的な問題があるとしたら集中力に由来する魔力だろうけど、それは僕が地球に残してきている道具でどうとでもなるはずで、その道具を使い切るという事も無い。冬華が居る以上、僕とは違うアプローチであっても、『道具を増やす』ことは出来るからだ。
つまりリソース的な問題であるとは考えにくい。
回数制限があるとしたら、その貴重な回数を洋輔が金だらいなんかで消費するかな?
一度目は『偶然』だったから仕方が無いにしても、二度目は防げたはずだ。まあ、二度目で検証をより確実にしたって可能性はあるけど、そんな検証は渡鶴の再現世界でやればいい。そのくらいなら洋輔達にでも操作ができるだろう。
消去法で考えると、残ったのは何らかの条件がある、という可能性だ。
もちろん現段階では決めつけに過ぎないけれど、どうせ無理をしたって検証らしい検証が出来ないのが現状なのだから、決めつけておいて間違いだったらやり直せば良い。
さて、じゃあ条件とは何だろう?
それも洋輔が比較的日常的に行えるような条件のはず……。
例えば……認識の共通とかはどうだ?
僕と洋輔は今でこそ『使い魔の契約』が寸断されているような状況だけれど、本来はその契約によって精神の一部を共有し、その共有部分で殆ど全ての感覚や情報を共有できるわけだけれど――そのせいでお互い隠し事が難しいんだけど――、寸断されているのではなく遮られているだけで、お互いにそれを感じることが出来ないだけで、その機能自体は『空回り』しているとしたら。
つまり僕と洋輔が、同じタイミングで同じ事を考えたなら、何かが起こせるとか――金だらいをそれで説明するならば、僕が『ああ、このタイミングで洋輔ならツッコミを入れてくるんだろうなあ』と考え、洋輔は『おい、このタイミングでツッコミを入れさせてくれよ』と考えた結果、洋輔の思考が僕の思考と認識の外で混ざり合い、僕の思考として『ツッコミを洋輔が行う』という現象が適応され、僕の錬金術を介して洋輔が金だらいを生み出し、僕の頭上に発生させる、みたいな可能性だ。
さて、どうだろう。
もしこの可能性が正しいならばだ。
洋輔、教科書かノートを一冊こっちに寄越してみて欲しい。教科は何でも良いけど、僕が知らない事が記述されているものがいい。
はたして――ばさり、と。
見つめていた虚空に一冊のノートが落ちてきたのを見て、正解かなと考え、拾ったんだけど……。
「白紙……」
……さすがにそう簡単な話でも無いか。




