68 - 霧の森
9月上弦12日。
晴天。
『育みの庭』は朝早くに拠点を出立し、体力を消耗しない程度の速度で移動を開始――街を出たのが六時前で、現場の森に到着したのは八時になるちょっと前といったところだ。
まあ、街から五キロしか離れてなかったからな。
「ここが問題の森か。確かに霧が深いな――グロリア。風で払えるか、ちょっと試してくれ」
「どのくらいの強さでやるべきですか?」
「霧は深いからな……まあ、強いに越したことは無いと思う」
強い風……うん。
大丈夫。
「じゃあ、やります。三人とも、ちょっと伏せ気味になっておいてください」
「全力か」
「全力全開とまでは言いませんけどね。惜しまずにやってみます」
『魔力の光』を展開。
光で『魔力の突風』の発展系としての『魔力の旋風』及び『気圧変化』を連鎖並列発動。
発生した旋風は直径で十メートルほどの巨大な、ほとんど竜巻のような形で発生し、そのまま森へと突入――森に溜まっていた霧を振り払い、また木々もめきめきとへし折り引っこ抜きながら先へと進み、森を綺麗に縦断。
魔法を解除したところ、風に舞っていた木々が森の奥の方にどかどかと落ちていった。結構離れているけどなかなかの轟音と震動……。
「強いに越したことは無いと言ったのは俺だけど、ちょっと強すぎないかな、グロリア」
「いえ。今にして思えば今の魔法に火も絡めてやれば、いっそそれだけで全部片が付いたかもしれません。甘かった……」
「危ない発想だな……」
「でも効率的かも……」
ジト目で見てくる黄砂さんに答えれば、タックとニーサがそれぞれに感想を漏らす。
まあ。
「とりあえず道は切り開きました」
「切り拓いたって言うか風で無理矢理作ったというか。だが道には違いないな。――行くぞ!」
「了解」
「了解」
「はい」
というわけで、それぞれ武器を構えていざ森に切り拓かれた道へと突入。
やや急ぎ足なのは、こちらの行動が派手だった以上、標的のフェザーリザードが目を醒ましている可能性が高いからだろう。
警戒しながらの突入をしてみれば、森の中に野生動物が居ない。
微弱とは言え毒性のある霧……か。
「気配の数が少ないですね」
「……グロリア、気配の位置と数、言えるか?」
「詳しい位置はちょっと。方向ならとりあえず、ほぼ正面に三つ。右手側に二つ、左手側に三つ。気配の大きさからして左手側の三つは動物かな……、毒に耐性があるのかも。右手側の二つは気配が独特なので断定しかねます。正面の三つが恐らく魔物ですが、フェザーリザードだとすると数が合わない」
「だそうだ。タックのミスティックスキルはどうかな?」
「もう有効化した。左手側は動物。正面が魔物。右手側はおれも断定不能。たぶん人間……」
「グロリアは気配が独特だと言ったが、人間だからか?」
「恐らく。気配を隠している感じなんですよね」
「なるほどな。ニーサ、場合によっては人間が邪魔に入るかもしれない。矢の準備は余分にしておいてくれ」
「了解」
タックが持つミスティックスキルは何も、『ウィズランス・ウィズダム』だけではない。
今のは『インディケート・サムワン』ってもので、気配を察知する、というミスティックなのだとか。
これの精度はかなり高く、しかもある程度は分類してくれる便利機能付き。
僕が漠然としか感じ取ることが出来ない『気配』の裏付けをしてくれるのだからありがたい。
「正面方向の気配、大分近いよ」
「警戒! 会敵次第、戦闘を開始だ」
タックの言葉にコウサさんが指示を出す。
殆どその直後、僕の視界の奥にその魔物の影が確かに見えた。
なるほど、あれがフェザーリザードか。
羽をふさふさと生やしたトカゲ、という表現がまさしくそのままだな。
「状況開始!」
少し遅れてコウサさんも見つけたらしい。
宣言すると同時に、コウサさんは背負った大剣に手をかけた。
そんな行動と同時か少し早いくらいのタイミングでタックは槍を構え、ニーサは弓に矢を番えている。
それ――
フェザーリザードもこちらに気づくと、三匹ともにその羽を逆立てるようにして威嚇してくる。
もともと三メートルくらいはあるだろう、それがさらに大きく見えるあたり、威嚇としては正しいんだろう。
とはいえそのうちの一匹は既に手負い。
出血しているようだ、一部の羽が赤く染まっている。
思った以上にあの旋風は効果があったらしい。
旋風そのものというより、旋風で巻き上げられた樹の枝やそのものとかがぶつかった結果だろうけど。
よく見れば枝が刺さってるし。
そんなフェザーリザードの、特に傷の無い一匹の周りに緑色の渦が産まれる。
魔法……たしか風のミスティックがどうとか言ってたな。
「魔法警戒!」
僕が声を挙げると、三人は自然と防御の姿勢を取る。
直後、周囲に散った木の葉を巻き上げながら、突風がこちらへと殺到してきた。
それ自体にはそこまでの威力はないだろうけど、地味に嫌だな……。
『魔力の光』から『魔力の突風』に連鎖発動、突風に対して突風で相殺。
その一瞬の均衡の最中、ニーサが矢を射ち、炎の属性を纏ったその矢は弱っていたフェザーリザードに的中、フェザーリザードが『キュイイ』と悲鳴のようなものをあげると、直後、炎に包まれた。
そんな事にはお構いなしか、残る二匹はこちらへと飛びかかりつつ、また緑色の渦。
「警戒!」
「物理は俺で足りる! タック!」
「おう、今が攻め時――!」
振りかざされたフェザーリザードの尻尾は、しかし振り下ろされると同時に片方は『がぎん』と何かに弾かれる。
それはコウサさんの『インターセプト・モア』による斬撃の防御で、もう片方はだんっ、と、振り下ろされる尻尾の方が大きく切られた。
それ以外に魔法由来の現象は起きていない――ならば単純、身体強化系の魔法だったと考える。
「切れなかった方は無視して!」
「おっしゃ!」
無傷のフェザーリザードにはニーサの矢が牽制する一方で、尻尾に傷が付いた側のフェザーリザードの頸にはタックの大身槍、その刀身がたたきつけられ、僅かな抵抗はあったもののその槍の重さが強かったのか、あるいは切れ味が単純によかったのか、フェザーリザードの頸をあっさりと刎ね飛ばした。
間髪入れずにタックはその胴体も蹴り飛ばすと、残った最後の一匹に向けてコウサさんが大剣を抜くと、大雑把に一度だけ振った。
その一度で、最後の一匹の胴には大きな傷がつく――その傷を狙うようにタックは槍を突き刺し抉り、更にそこへとニーサが矢を叩き込むと、最後の一匹も『キュイイ』と鳴いて、動かなくなった。
「…………、」
そして、しん、と周囲が静まりかえる。
フェザーリザードたちにはそれぞれ品質値が表示できるようになり、つまりは死体となっていることが確定。
「これで三匹……あと一匹はどこだ?」
「気配は無いですね……」
「おれのミスティックスキルでも、同種の気配は見つからないな」
「グロリアの旋風で飛んでいっちゃったのかな?」
ニーサの仮説が恐らくは正解だろう。
気配が無い以上、死んでるとは思うけど……。
「じゃあ、四匹目を探すついでに周囲の探索をするとしようか。もしかしたら五匹目以降も居るかもしれない」
「おれは賛成しかねるな」
「僕もです」
「どうして?」
タックと僕が当然の提案を拒否したのは、やはり同じものを感じたからだろう。
つまり。
「妙な気配が近付いてきている」
「しかも気配の質が変わってる……」
僕の言葉にタックが補足。
確かに気配の感じはちょっと変わっているだろうか?
……タックみたいに魔法で探知してるわけじゃ無いから、その辺は曖昧なんだよな。
「速度は?」
「歩きよりかは早い。気配の大きさがいまいち掴みにくいから、距離感は解らないな」
「僕も同じく。ただ、今のところ『近付いている』だけで近くは無いと思います」
「なら、死体を片付けながら様子見がよさそうね」
僕とタックが頷くと、ニーサが早速死体を足で踏みつけた。
一方、コウサさんは僕達の反応から『気配』を探ろうとしたみたいだけど、できなかったようで、僕達の視線に会わせる形で方向だけは合わせている。
「……迂回してるのか?」
「たぶん……」
その気配を感じる方角が少しズレているのは……直進を避けている、あるいはこっちが気づいたことに気づいて、誤魔化そうとしていると考えるのが普通だろう。
「もともとおれらにちょっかいを欠けるつもりが無いなら、そのまま迂回しきるはずだしね」
「うん」
けれどその気配はある程度角度をずらしはしても、やっぱりこちらに向ってきているようだ。
自然とタックは槍を握り、僕も指を擦り付ける。
はたして――
がさり、と木の葉を散らしつつ、両手を挙げた状態でやってきたのは男女、二人組だ。
着ている服装は……、うん?
この外套。
確か、魔導府の……?
「失礼。冒険者どのとお見受けするが」
「ああ。君たちは……魔導府か?」
「はい。魔導府の指令で、この森の調査をしていた者です」
ダウト。
『魔導府の指令』って部分は真実だ、けれどその後が『嘘』。
この人達、この森の調査をしていたわけではない。
「先ほど大きな旋風が発生していたが、あれは……冒険者殿が作り出したものか?」
「ああ。霧を消す必要があったからね」
「…………、なるほど」
二人は神妙に頷き、何かアイコンタクトをするような素振りを見せる――背後で赤い渦が産まれているあたり、アイコンタクトどころかがっつりと意志疎通をしている可能性が高いけど。
「それはフェザーリザードですね。その討伐を?」
「さて。その辺は答えかねるよ」
「それもそうです。野暮なことをお聞きしました」
「で、君たちは……、何故こっちにきたのかな? 大分離れた位置にいたようだけれど」
「それはまあ。あんな大規模な旋風があれば調査をしないわけにはいきません」
「ああ……」
真っ当な理由だし、嘘もついていない……。
この森の調査をしていたわけじゃ無いけど、旋風には気をかけなければならなかった。
霧を消す必要があった、という回答に一瞬考慮があった点も考えると、霧そのものの調査か……?
確かにこの森に溜まっていた霧、ちょっと不自然ではあったのだ。
何かが生み出していたと考えても良い程度には。
「じゃあ、お互い任務の成功を祈って別れるとしようか。変に行動を共にするわけには、お互いにいくまいからね」
「……そうですね」
コウサさんの提案に女性の方が答える。
致し方なし、そんな表情で。
その後、挨拶らしい挨拶もなく、二人は神妙な面持ちのまま去って行った。
双方共に警戒をしながら。
だから視界から消えた後、まだ声はぎりぎり聞こえるかも知れないようなところで敢えて僕は口に出す。
「魔導府が直接動いている……なんて情報、ありました?」
「いや。情報ギルドから買った情報には無かったかな……」
情報ギルドはこの動きに気づいていない。
もしくは気づいた上であえて情報を売らなかった――もしくは売れなかった。
どちらにせよ、僕達がこの情報を売る可能性はこれで示唆できた。
あとはあちらがどの程度、それを深刻に考えるかだけれど……。
「そんな事よりフェザーリザードの死体処理、さっさと始めるべきじゃない。雑に置いておくと価値が下がるし」
「ああ、そうしよう」
ニーサの指摘にコウサさんが慌てて指示を出し始める。
ま、今は少し時間が欲しい。その時間をこれで稼ごう。
「にしても、随分と余裕だったな……」
「葉っぱが一気に襲いかかってきたときはぞっとしたけどな。あれ、刃物みたいなものだろ」
「そういえばその風が起きる前にグロリアは気づいてたんだよね」
「前兆みたいなものが見えたんだよ、ニーサ」
「へえ?」
フェザーリザードの死体はそれぞれ血抜きをした上で、組み立て式の手押し車に載せて固定。
手押し車というか台車というか。
演劇部の大型セットを運ぶ時にも使っていたようなものに原理は近く、死体を三つ重ねてもとりあえずは大丈夫そうだ。
「さて、この後はどうするかな?」
「探索は必要じゃないかな。あと一体どっかに居る可能性がある」
「その上で見つからなければその時はその時だしね」
「ふむ。グロリア、風の魔法はあとどのくらい使える?」
「最初に使った旋風に換算するなら、三百回くらいですか」
「ああうん。上限は考えないで良いんだな」
「というよりあの魔法、ほとんど消耗が無いんですよ。水を作る方が大変かもしれない」
「……あの威力で?」
頷く。
いや本当に。
たぶん他の人が使う風の魔法と僕が使う風の魔法は原理というか、根本的な発想が違うのだろうなとは思う。
「じゃあ、霧を定期的に払いつつ探索。見つかり次第帰還。見つからなくても夜には一度森を出よう」
コウサさんの方針に文句もなかったので、僕もタックやニーサと一緒に頷いた。
問題はこの後、『あの二人』がどう動くかだけど……。
それ次第で穏便に済むかどうかが決まるんだよね。
どちらにせよ、今後のリアクション次第であっちの本来の目的に目安がつけられる……かな。




