66 - 日常は何を招くか
「……タック、大丈夫?」
「な、なんとか……」
生まれたての子鹿だか子馬のように足ががくがくと震えてしまっているけれど。
たぶんダメだろう。
「タックの部屋まで運ぶよ。ここだと体調を悪くするかも知れないからね」
「…………。うん。お願い」
というわけでタックを背負い、野良猫と一緒に水場を出て、そのままタックの部屋へと移動。
タックの部屋の中には何冊かの本が置かれているけれど、それ以外には特にこれといって何かが置かれているわけでも無い。
殺風景といえば殺風景だけど、冒険者の拠点だからな……。
「猫ちゃんはちょっとそこで待っててね」
「にゃん」
「…………」
部屋の中を荒らされては困る。
ので、とりあえずタックの部屋の入り口付近で待機させつつ、タックはベッドの上まで移動させておく。
「着替えはどこ?」
「そこの棚の、下から二段目……ごめん、出してくれるかな」
「もちろん」
下から二段目、の引き棚を開けると、なかにはしっかりと畳まれたシャツとズボンが。
どちらも無地の簡素なもので、恐らく寝間着のようにしているのだろう。
それと、部屋にぽんと置かれていたタオルもあわせてとって、ベッドの上、タックの真横に置いておく。
タックは「ありがと」と塩らしく答えた。
「身体を冷やさないように、ちゃんと着ておくんだよ」
「うん」
「それじゃ、おやすみ」
「ん……」
タックは曖昧に頷いたので、僕は野良猫と一緒に部屋を出る。
ぱたん、と扉を閉じたところで。
「ねえ」
と、話しかけてきたのはもちろんニーサである。
「なんだか随分な……こう、絶叫って言っても良いほどの悲鳴がだいぶ聞こえていたんだけど、大丈夫? タック、生きてる?」
「もちろん。傷一つ無いし、なんなら身体が軽くなってるはずだ。……まあちょっと効き過ぎたかなとはおもうけど」
「……何したの?」
「マッサージというか整体というか……。骨盤とか間接とかに溜まってる歪みをリセットしたんだよね。腕と足、腰のあたりに首とかをバキバキ」
「腕と足はまだしも首はバキバキしたら死ぬと思うんだけど」
「いやいや。折るわけじゃ無いよ。試しにやってみる? 結構気持ちいいはずだよ」
「全力で遠慮するよ……」
うーん。
結構気持ちいいはずなんだけどな。
整体にマッサージを重ねてやってるんだから、尚更。
「グロリアは妙な才能が多いね」
「他ならない僕もそう思うよ」
「で、その猫は……?」
「ご飯一緒に食べてた野良猫。洗ったら美猫さんでしょ?」
「…………!?」
うん、ニーサの反応も分からない事は無い。
パンキッシュだったもんな、お風呂に入れるまで。
いまはもふもふ尻尾の美猫さんだけど。
「けれどまあ、飼うわけでもないからね。そろそろ外に出してやるつもり」
「そう……そうね……」
ニーサはだいぶ残念そうに頷くと、また明日、と挨拶をして自分の部屋へと向っていった。
ふむ。撫でるくらいはしても良いのにな。
まあいいや。
猫を引き連れて一階へと降りて、玄関から外に出してやる。
野良猫はご機嫌そうに尻尾とひげを揺らして、何歩か歩いてから振り向くと、僕に「にゃあ」と、伝えてきた。
「ありがとう」
「にゃん」
またね、と野良猫が去って行く。
それを見て、僕は少しだけ考えて――まあ、玄関を開けっぱなしというのも問題なので、玄関の扉を閉めて鍵も閉め、二階へと戻り自室に入って、ベッドに腰をかけた。
あの野良猫に僕が頼んだことは至って単純。
僕が合流する前の段階で、この育みの庭というパーティの主軸が何処にあるのかを確認して貰っていた。
結論から言えば、コウサさんに主体は無い。
ニーサとタックの意志のほうが尊重されている、そう野良猫は察知したし、僕としても同感だ。
そしてその二人の間だと、タックの主張のほうが僅かに強く、けれどコウサさんはニーサに同調しやすい……。
随分と繊細なバランス関係だったわけだ。
僕が入ったことで、このバランスは間違い無く崩れるだろう。
どうせ崩れるならば作り直してしまうというのも考え方だけど、僕がいつまでもこのパーティに参加していられるわけでも無いからな……。
「幸い……」
真偽判定の応用編で、感情はある程度方向性を決められる。
それで調整する事自体は難しくも無いだろう。
問題があるとしたらそれは良心とどう折り合いをつけるかと言う点で、その点においても今更気にする僕では無い。
「……ま」
どの程度の付き合いに成るかは解らない――長い付き合いになるかも知れないし、短い付き合いで終わるかも知れない。
ただ、目覚めが悪くなるようなことはしたくない。
そのくらいには、考えている。
気をつけよう。
そのままベッドに寝そべって……時計を見る。
サムからの連絡は未だに無い。
何かがあった、もはやそれは確実だ。
まあ、向こうから指示された内容は現在も遂行中だ。
全部終わっても尚連絡が無いようなら、一度アカシャに戻って確認したほうがいいだろう。身分はいくらでも偽れる。
「あっちもあっちで忙しいなら、こっちは少しゆっくりと。寄り道をしても、怒られることは無いだろうし……」
それに完全な寄り道というわけでもない。
ミスティックのカテゴリの一つ、ミスティックスキルをタックが使っている以上、それを参考に自力で習得することだって……、難しいだろうなあ。でも、やってみなきゃ解んないし。
暫くは今の状況で動くのが、結局ベストだとも思う。
そんな事を考えながらうとうとと、そのまま眠りについて――ふと目が覚めたのは、雨音が一層強くなったからだった。
◇
9月上弦11日。
天候、大雨。
この世界ではすでに半年ほどが過ぎている。
地球での時間とこの世界での時間が必ずしも同じでは無いこと、僕自身は完全エッセンシアという道具で所謂成長を止めていることから、いまいち時間という感覚に疎くなってしまうけれど……結構、長い時間が過ぎているな。
そしてその長い時間のなかで、実は大雨という天候に遭遇したのは今日が始めてだ。
小雨とか霧雨は時々あったけど。
これは嵐に近い雨だし、なんなら雷も遠くで鳴っている。
「作戦は雨天延期……か。ふぁあ」
あくびを隠さずに一度済ませて、よし、と気合いを入れ直す。
時計を眺めれば七時。
早くも無ければ遅くも無い、そんな時間だったので、とりあえず一階へと降りると、既に朝食を取り始めているニーサが居た。
「おはよう、グロリア」
「おはよう、ニーサ。すごい雨だね」
「そうね。ここまでの雨になるとは思わなかったわ」
こくりと頷き、僕も朝食をとることに。
食器類を見る限り、どうやらタックとコウサさんはまだ起きていないようだ。
そしてニーサが食べているのは……、シリアル……?
「ねえ、ニーサ。それは何かな?」
「朝ご飯だよ」
「それは解るんだけど……」
「コーンスターチから作ってるんだったかな? ちょっと小腹が空いたときとかには丁度いいのよ、これ。タックとコウサは苦手みたいだけど……、グロリアも食べる?」
「よかったらちょっと食べたいな」
「調理場の一番左にある棚の一番下の段に入ってる」
ふむ?
言われた場所を探ってみれば、なるほど、確かにあった。
大きな袋に結構な量が入っているので、器に移して、と。
一口だけちょっと味見、ちょっと甘いけどがっつり甘みがするほどでもない。
牛乳は昨日使ったな、まだあるはずだから、水飴と一緒に入れて、朝食完成。
折角なのでりんごもカット、定番うさぎの飾り切りをしてお皿に載せ、食卓へ。
「ニーサもりんご、食べない?」
「あら、可愛い。貰うね。……けど、随分と変わった食べ方をするのね、それ」
それ、と目を向けてきたのは牛乳につけたシリアルだ。
僕としてはこっちの方が普通で、ニーサみたいにそのままばりばり食べるのはあまりしないのだけれど。
「前に僕が暮らしてたところでは、こうやって食べるのが普通だったんだよ」
「へえ……、一口貰ってもいい?」
「うん」
スプーンを使ってニーサが一口分、僕の器からシリアルを取る。
ぱくりと食べると、ニーサは目を丸くした。
「え、なにこれ。甘くてクリーミー……、美味しい……」
「牛乳と水飴を入れるだけだよ。特別なことはしてないかな」
「今から私もこうやって食べるわ……」
今から?
と思ったら、ニーサは食卓から一度調理場へと戻り、牛乳と水飴を投入して戻ってきた。
……実はそのままバリバリ食べるの、ニーサ的にもいまいちだったのか。
「グロリアって美味しいものをよく知ってるよね」
「折角食べるなら美味しい方が良いでしょう」
「間違い無いけど。あんまり美味しいものばかり食べていると、いざという時飢えちゃうよ」
「ありうるね。僕は特に好き嫌いが多い方じゃ無いけど、それは美味しいものを食べているからだし」
結局、舌の肥えた現代人。
そりゃあ素焼きの肉や魚をそのまま食べるという経験はちらほらしているし、それが耐えきれない程でも無いだろうけど……。
お腹が空いてるとかならば、結局は錬金術を解禁してしまうと思う。
「冒険者として、それはきっと良くないことだと思うんだけど……。でも、どうせなら美味しいものが食べたいって欲が僕は強くてさ」
「そういう我欲は大事にした方が良いと思う。私はだけどね」
「そんなニーサは我欲があるの?」
「あるよ」
ニーサは笑って、スプーンをくるりと手の上で回した。
「私は死にたくないって我欲を大事にしてるの」
「なるほど。それは大事だ」
「でしょう? コウサは解ってくれないのよね。タックは多少、私よりだけど」
ふうん……。
死にたくない。そんなのは根源的なものだろうに。
その後もなんやかんやと雑談をしながら朝食を取り終え、洗い物を済ませた頃、もの凄く眠たげにしながらタックがやってきた。
「おは……よう……」
「おはよう」
「おはよう……って、大丈夫? 具合悪いの?」
「気にしないで良いよ、グロリア。タックは寝起きが悪いだけ」
「ああ……」
なんだかずいぶんとふらふらだけど……具合が悪いわけでは無いのか。
目をこすりながらよたよたと歩くタックは、なんというか、いつも以上に幼く見える。
そしてそんなタックの後ろから、今度はコウサさんが。
こちらもやや眠そうだけれど、ふらふらとまでは言うまい。
「おはよう、皆」
「おはよう。今朝は大分早いね」
「おはようございます。…………。早い?」
「起こしに行かなければ九時まで寝てるのよ。コウサは」
「あはは……寝起きが悪いわけじゃ無いんだけど、睡眠が深くてね」
……つまりちょっとやそっとじゃ起きないタイプかな?
だとしたらコウサさんは僕に似ているのかも知れない。
「グロリアは、朝が早いな。感心だ」
「そうでもないですよ。今日は七時になってようやく起きたくらいですから……」
「俺に言わせれば早起きだよ。……それとタック。そんなところで歩きながら寝るんじゃ無い。あぶないよ」
「んー」
タックは眠たげに調理場でパンを調達し、そのままよろよろと食卓へと歩いてきている。
椅子に座るのかと思えば床にぺたっと座り込み、椅子を机代わりにしてのんびりとパンをかじり始めた。
寝起きが悪いというか……なんというか……。
「普段はしっかり者なんだけどね、タックも。朝は五歳くらい幼くなるだけで」
「言えてる。とはいえ、今日は何時にもまして酷いわね……」
「いつもはもう少しマシなんですか?」
「ああ。少なくとも目は開いてるかな」
確かに今はほとんど目も閉じてるけど……それは誤差のような気がするなあ……。
「まあ、放っておいて大丈夫だよ。三十分もあれば普段のタックになるから」
「三十分ですか……」
気長だなあ……。
まあいいけれど。
……いざとなったらすぐに目が覚めるお薬でも投与しようっと。
「さてと、俺はこれからご飯だけど、その様子だとニーサとグロリアはもう食べ終わったんだね」
「うん」
「はい」
「ニーサは今日、私と情報ギルドに行く。ちょっと待っててくれ。グロリアはタックが起きたら、留守番依頼を出しに行って貰うよ」
ん……あれ、それってつまり、今のタックは起きてないってことなんじゃ……。
まあ、良いか……。
ちなみにタックの朝ご飯はさっきも言ったとおりパンをかじるだけ。
一方でコウサさんの朝ご飯はと言うと、パンに野菜を挟んだ簡素なものだ。
簡素とはいえタックのものとくらべればしっかり食事って感じだけども。
シュトーレンでも作っておいたら食べてくれるかな……?
「タックが起きたらタックにも聞きますけど、保存食は普段どんなものを食べてるんですか?」
「乾パン類と干し肉がメインになるな。ナッツ類も多少は持ち歩くけれど」
「グロリアには味気ないかもね。むしろグロリアはこれまで、どんな保存食で済ませていたの?」
「保存食を持ち歩く習慣がそもそも薄いんですよね。野生動物を狩ったり魚を捕ったりしてその場で調理とか」
「マジックが使えるとお得だなあ……」
それは僕もそう思う。
「とはいえ、今回はタックと一緒に買ってきますよ。できるかぎりおいしく食べられるものをお得にね」
「ははは、それは楽しみだ」
「私もね。さて、それじゃあちょっと着替えてくるわ。まさか寝間着で行くわけにはいかないものね」
また後で、と。
去って行くニーサにはいはいと頷くコウサさんと、まだ眠りの園から脱出しきっていないタック。
日常面ではなんとも言えない三人組だけど……。
冒険中とは、さすがに違うんだろうな。




