58 - 猫の居る国
サトサンガでの一仕事を一度停止し、僕が向った先はプラマナだ。
移動手段は陸路と海路の二パターンがあり、陸路は歩き、海路は旅客船。
お金に困っているわけではないし、なによりこの所歩いて移動しすぎて偶には楽をしたかったし、旅客船というものに興味があったので、迷わず定期旅客船の一等船室でプラマナまで船旅を楽しんだ。
交易船とは違って、旅客船内部にはちょっとしたお楽しみスペース……まあ、それは例えば音楽と食事を楽しめる酒場くらいなんだけれど、自由に使える湯浴み場などもあり、なかなかこれが息抜きになるなあ。
値段相応ではあったので、今度の移動でも利用を検討しよう。
で、プラマナの港街に到着。
特に入国管理らしいものもなく、船を下りて港街へと繰り出した――
――のが、だいたい、三時間前。
「世の中には動物に好かれる人間も居るとは聞くけれど」
「ここまで極端な例は初めて見るな……」
「この町の子じゃないよな?」
それとなく気配はしていたのだ。
ただ、船から下りたところにちょこんとまず、一匹の灰猫が居た。
可愛かったので抱きかかえて船着き場から街のほうへと移動し、あまり迷惑にならないように広めの場所で撫でていたんだけど、そうしたら続々と猫が寄ってくる寄ってくる。
結局サトサンガでも猫とは会えなかったようなものだからなあ。
随分振りだ、猫とこうやって自由にふれあうのは。
時間も忘れて片っ端から撫で回し、その場に転がって猫たちと視線の高さを合わせて皆で仲良くひなたぼっこをするというのは、何よりも代えがたい贅沢の時間だよなあ……。
とはいえ楽しい時間は何時までも続かないのだ。
具体的にはそろそろ宿を決めなければならない。
いや本当はもう次の街くらいで宿を取ろうと思ってたんだけども、しかたなく時間を使ってしまったし……。
「というかあの子供大丈夫か。猫まみれだが。あいつらすごく引っ掻くし噛むだろう」
「傷一つ無いように見えるわ……しかもとても幸せそうだし、邪魔をしてはとても悪いと思うの……」
「まあそうだが……。何匹居るんだろうな、猫」
でもなあ、宿を取るにしたって猫の同伴は無理だもんなあ。
久々の猫まみれタイムだ、いっそ今日はこのまま野宿でも……いやそうすると流石に通報されそうか……。
仕方が無い。
「おい。なんか急に猫がすっと皆して座ったぞ……」
「しかも等間隔、子供を中心にした綺麗な円形ね……芸術だわ……」
「ああ、なんか猫の柄もそれっぽいよな……あ、子供も立った」
ぐるりと周囲を見渡す。
と、猫たちも僕と同じように周囲をぐるりと見渡した。
「そこの方にお聞きしたいのですが、宿屋さんってどこにありますか?」
「え? 俺?」
「はい。別にその横のお二人のどちらかでも構いませんが……」
「えっと……、宿。宿な。…………。君だけ?」
「見ての通り僕は一人ですよ。ああ、保護者って意味か。保護者ならば居ません」
「あ、うん……いや、ごめんな。てっきり猫も一緒かと」
「そうしたいのも山々なんですが……、さすがに猫も一緒に宿泊とは行かないと思うので……」
「そうだな……」
僕や猫たちにがっつりと視線を向けてきていた三人組にとりあえず聞いてみると、一応宿の場所は教えてくれた。この町には六つほどあるようだ。
ただし港街の例に漏れず、海側はあまりお薦めされないらしい。
で、海から遠い……つまり街の外側、街道側になると、ちょっとお値段は張るようだ。
けれどまあ其程の問題ではないな。
お金もサトサンガを出る前に換金してきたし。
そもそも僕にとっては金貨など一枚あれば何枚も同じである。
「あ、そうだ。もう一つ聞きたいことがあるんですが」
「何かな? ……というか、その猫たちの視線も一気にすって集中するのなんとかならない?」
「猫から沢山見られるなんて羨ましいことですけど……。ほらにゃんこたち、僕を見ておいてねー。はい良い子良い子ー」
「いやそんなんで……通じるのか……」
通じるのだ。
「で、質問ってのは?」
「ディル翁をご存じですか?」
「はあ。そりゃまあ。見ての通り俺たち、そのディル翁の弟子だから……」
…………?
見ての通り?
「なんだ、まさかその程度も知らないで会いに来たのか……?」
「お恥ずかしながら……、ただ、『お前にとってはディル翁に師事するのが一番だ、行ってこい』と。プラマナまで送り込まれたようなものでして……」
「それで来ちゃうお前もお前だが、送り出す方も送り出す方だな……」
うん……?
まあ、サムの知り合いでミスティックの権威って話だ。
そりゃ簡単に会えるような相手じゃないんだろうけど……。
「ディル翁はミスティックの才能がある奴を教育する『魔導府』という機関の長だ。で、俺たちはその門下生。門下生はこういう刺繍を服につけている」
なるほど、言われて見れば三人は揃って外套を纏っている。
そして外套には共通して一つの紋様が刺繍で施されているけど、それ以外の刺繍は結構違うな。それに刺繍の色も違う。
全員違うのかと思えば、同じ形の刺繍が使われていることもあるし、となると何かを見分けるための仕組みって所か。
「その門下生って、僕にもなれるんでしょうか?」
「ミスティックの才能が明確にあるのは大前提として、どんな分野でも構わない。ある程度実績を積むことだな。あとは勝手に魔導府から人が来る」
「……つまりこちらから魔導府に直接入りたいとお願いすることは出来ない?」
「そういう事だ」
……サムが手配してるかな?
いや、このあたりの説明全くなかったからな。
事情はサムも知らないか……。
「ちなみに、会うだけでも難しいんでしょうか?」
「会うだけ……って、ディル翁にって事か?」
「はい」
「難しいというか、ほぼ無理だな。あの人魔導府からまず出ねえし、魔導府に入れるのは魔導府の関係者くらいだぜ」
秘密主義……というより、単なるセキュリティか。
……サムのせいで麻痺してるけど、そうだよなあ。
国家の要人だ、そうそう簡単に出歩ける物ではないのだろう。
「ま、頑張りなさい。こつこつとやってればいずれ魔導府から人が来るはずよ。ちゃんとあなたにミスティックの才能があるならね」
「はい。色々とありがとうございます。よし猫ちゃん達、宿屋までは一緒にいこう」
僕の合図に、猫たちが一斉ににゃあと鳴いた。
壮観だ。
なぜかきょとんとする三人にはお辞儀をしてから、教えられた宿の方向へと歩いて行く。
僕がそうしたからか、猫たちもお辞儀をするような素振りをしてから着いてくるようだった。
なにもそこまで真似はしなくても……。
ともあれ街を外へと進んで目的の宿屋へと。
通り過ぎる度にいろんな人が猫を見てぎょっとしているけれど気にしない。
すぐになれるはずだ。何せ猫は可愛いのだから。
と言っている間に宿に到着。
「さてと。それじゃあみんな、また明日ね。解散!」
にゃん。
と、猫たちの何割かはそう鳴いて、一目散にどこかへと向う。
殆どは野良猫だったけど、飼い猫も混じってたっぽいからな。家に帰るのだろう。
全ての猫がとりあえずはけた後、僕は改めて宿へと入る。
「すいません、お部屋は空いてますか」
「部屋ならば空いている。ただ、そこそここの宿は高いぞ、少年。金はあるのか?」
「ばっちりと」
「ならばよし」
と、明確に区切り、受付に立っていたおじさんは丁寧に言う。
「少年。まずは名前から教えてくれ」
「グロリアです。グロリア・ウィンター」
自然の名乗ったその名前は、船に乗った時、既に使い始めた今の名前だ。
名前には言霊が宿る――その生き方を示すような、そんな感覚さえある。
アルテア・ロゼア、つまりは『葵』という、僕にとってあるいは平和の象徴とも言える名前を名乗っている間、僕はまともな戦闘をほとんどせずにすんだし――だからこそ、今度は鮮烈な、間違いの無い結果を出したい場面なのだから、そういう名前を名乗るべきだった。
だから。
『冬華』の名前を借りるのが、きっと正解なのだ。
「また偉い名前をしてるなお前さんは……」
「親に言ってください」
「違いない」
でもごめん。名乗ったのは僕だからその指摘は僕の親ではなく、僕自身でたぶんあってる。
そんな内心はさておいて、用意して貰ったお部屋は三階の二号室。
サトサンガと比べてプラマナの家屋は少し、構造的に古い部分がある。
ただ、古い部分があると言うだけで、その規模で見るとかなり大きなものが多く、この宿もそんな一つだ。
また、細かい部分で見るとアカシャよりも発達しているところもある。
具体的には鍵とか。
ちゃんとした鍵穴を使うタイプの鍵がついてる扉自体が久々だぞ……。
あと、ベッドに限らず全体的に余裕のある、大きな作りになっている。
これは単に建物の規模が大きいから、自然と使える家具の大きさも大きくなるんだろう。
良い事だ。
「夕食と朝食は部屋まで運ぶが、時間に指定は?」
「夕食は十八時から二十時までの間ならばいつでも。朝食は……何時からできますか?」
「街の外に近いとはいえ港街の宿だからな。夜明け前に発つ船もある都合で、飯はいつでも用意できるよ」
「じゃあ、……六時くらいで」
「わかった。飲み物は紅茶類かな。アルコールはまだ飲まんだろう?」
「はい。紅茶でお願いします」
「了解。それじゃあゆっくりと。これが部屋の鍵だ」
……ちなみに部屋まで案内してくれたのは受付をしていたおじさんだけれど、なんでもこの人がこの宿の責任者だそうで。
時間的に人手が足りないだけなら良いけど……、この世界、もうちょっとパートタイマー的な概念を導入した方が上手く回ると思うなあ……。
そこまでして働きたいと思う方が希なのだといわれたらどうしようも無いけどね。
「さてと」
扉を閉めて鍵もかけ、部屋の椅子に座ったら、荷物は机の上に置いて備品を確認。
特にこれと言って不便そうでもないし、暫くはこの価格帯の宿を狙ってみるとしよう。
それとは別に遠隔音声伝達を使ってサムにいくつか確認事。
ディル翁の現状について、それと今、僕が名乗っている『グロリア・ウィンター』の名前も伝えておく。
もっとも、サムはサムで今頃ドラゴニュート対策であちこちを文字通りに走り回ってるだろうから、返事が来るまではちょっと時間が掛かるだろうから、ある程度の方針はこっちで決める必要がありそうだ。
今回の目的がディル翁に会うことだけならば、それこそ魔導府とやらに忍び込み、そのまま直接訪ねるという、サトサンガでも使った手の亜種でいけそうなんだけど、今回はディル翁を師匠としてミスティックを習得するのが目的だからな。あんまり無礼な方法は取りたくない。
となるとやっぱり、正攻法かあ……。
どんな分野でも構わないから実績を積めと言われてもな。
子供が一人で積める実績には限界がある。
それも質的な意味ではなく、種類的な意味だ。
手っ取り早く目立つなら、やっぱり冒険者かな……。
ただなあ。
プラマナには成人の概念があるのだ、具体的には十五歳で大人として扱われ、冒険者ギルドの正式な構成員の条件にある『成人』がちょっと辛い。
僕が成人していない以上、プラマナ冒険者ギルドに新規で加入するためには通常要件での加入が出来ないわけだ。
特例でならば入れるし、特例の加入ならば魔導府とやらの目を引くかな?
そう考えれば必ずしも問題だけとも限らないわけか。
ちなみに、僕が持っている承認印はアカシャ冒険者ギルドに由来する者なので、グロリア・ウィンターとしての僕をその承認印で冒険者としたとしても、アカシャの冒険者ギルド所属になってしまう。
いざとなったらアカシャの冒険者として動けると考えて、できる限りプラマナで冒険者の地位を新たに獲得するとしよう。
確かこの港街には冒険者ギルドハウス分室があったけど……。
本部はやりすぎでも、せめてギルドハウス級の施設を当たろう。
よし方針決定。
サムからの返事はまだ来ていないし、と窓辺に向い、窓から夕暮れの港街を眺める。
遠くの野良猫がこちらを見ている。
猫の居る街、というか、猫が自然にいる国という時点で僕としては楽園のようなものだけれど……。
「停滞の国……か」
その景色から、不思議とその異名に納得してしまう僕が居る。
プラマナという国は現存する大国家の中でも特に歴史が深い部類ということもあって、二つ名というか、異名として、停滞の国と呼ばれる事がある。
それは尊敬と同量の軽蔑が込められた呼び名であり、どちらかといえばネガティブな呼び方だ。
けれど、なるほどな。
こういう形の停滞も――『平和な状態を維持するための停滞』というものが、あるのか。
「この仕組みを作った誰かは……」
きっと誰よりも人間が大好きで。
けれどそれ以上に、人間を信じられなかったんだろうな……。
…………。
というかサムからの返事が遅いな、本当に。
いつもならとっくに来てるタイミングなんだけど……、よっぽど苦戦してるのかな?
リーヴァさんあたりに何か持たせれば良かったかな……、余計なお世話か。
窓辺から見ていた野良猫に手を振って、部屋に置かれたベッドに座る。
プラマナでやることは決まっているのだ。
気長に、けれど迅速に、色々と済ませていこうじゃないか。




