53 - 手詰まりと切り札
その素振りはゆったりとさえ見えてしまうほどに美しく、しかし現実には恐ろしいまでの早さで行われる袈裟斬りで、その刀身は空気を切り裂き――その斬撃は真っ白に染まって、ただまっすぐ空を引き裂いて、しかしある一点でその白い斬撃は動きを鈍化させる。
鈍化しているだけで、少しずつ動いてはいるけれど……つまり、そのあたりに『何か』があるのだろう。
「まずは力業だ! 追撃頼んだぜ!」
「追撃って、簡単に言ってくれるわね……もちろんやるんだけれど!」
ヘレンさんが構えたのは三枚の羊皮紙で、その三枚には複雑な図形がそれぞれに描かれている。
それぞれを宙に舞わせつつヘレンさんが踊るような動作を見せれば、その瞬間、ヘレンさんの眼前に青い大きな大きな渦が三つ現れ、三つのマジックが同時に発動。
一つは狂い猛る火炎として。
一つは凛と躍る氷礫として。
一つは劈き奔る雷光として。
一つずつでも最上級であるに違いない、そんな攻撃型の魔法三つを、それぞれ複雑に絡み合わせて一本の糸のように振る舞わせて――これも空へと放たれる。
リーヴァさんの斬撃とヘレンさんの魔法を受けても尚、そこにある『何か』の突破には至らない。
単に膨大な空間があそこに圧縮されているだけか、それともあの場所で弾こうとしているのか……両方かな?
「これでも足りないか――アルテア! 何かやってくれ!」
「何かってまた適当な……」
まあ、やるけれど。
ショートソードを構えて、しっかり『理想』で剣を振る――その剣は、リーヴァさんに比肩しうる、最高としての理想だ。
結果、その剣の効果が発動し、斬撃の先へから影が奔り、その場所を塗りつぶすかのような墨色で空を埋めてゆく。
影の性質が付与された超等品。
影という概念による攻撃は奇襲こそ得意だけれど、殺傷力という観点で見ればいまいちなんだよな。
案の定、ヘレンさんの魔法やリーヴァさんの斬撃が押しとどめられたような場所で、僕の斬撃も似たように押さえつけられてしまう。
ただ、ここまでしても――特にリアクションらしいリアクションを感じない。
その空間はまだ緑色のままだし。
先ほど投げた石がもの凄い速度ではじき返されたのは偶然か?
あるいはあれは警告であって、今は無視されている?
それとも……単に僕達の攻撃に対処しかねているのか?
キィン、と。
そんな高い、耳障りな音がして――瞬間、全ての動きがピタリと止まる。
否。
それは錯覚だ。
単に均衡したと言う事……そして、先ほどまでは僕達の攻撃が優位だったはず、それを押し返された……、石の時と同じならば、僕達の方に攻撃そのものを反射してくるか?
十分にあり得る話だ。
集中力は……普段以上に溜まっている。
大丈夫。
そう気合いを入れ直した途端に、やはりこちらの攻撃が『押し返される』というより――勢いそのままに、『反射』されたらしい。
まずはリーヴァさんの斬撃が。
次いでヘレンさんの三色魔法が、そして僕の斬撃が、順を追って僕達へと降ってくる。
予め構築しておいた――『防衛魔法』を展開。
この防衛魔法はこの世界の魔法ではない。
集中力をリソースとする魔法で、簡単に言えば『古いアニメに出てくるような割れるタイプのバリア』だ。
この魔法、維持コストといって展開しているだけで、維持する為には相応のリソースを消費し続ける必要があるのだけど、とにかく頑丈だ。
もちろん限度を超えたダメージを受けると割れる……というか砕けるというか、ともあれ突破されるんだけど、この突破される直前に術者がリソースを補充することが出来るならば、なんと強度を回復できるというおまけ付き。
……まあ、だからこそ防衛魔法を破るための魔法というのは当然開発されていたし、それに対応する形で防衛魔法を極めて多重に展開するとかいう技術もあるんだけど、それはそれ。
今回展開したのは、単なる三層構造の防衛魔法……、僕の『斬撃』程度ならば十回ほどは受けきれる、そんなバリアは、リーヴァさんの斬撃を余裕で耐えきり、ヘレンさんが放った三色魔法を押しとどめ、僕が放った斬撃をぱしゅんと弾いて尚、そもそも一層目の耐久を殆ど削れていないようだ。
ちょっと臆病になりすぎたか?
「……なんだ、この壁。ヘレンか?」
「いえ……アルテアよね?」
「はい。石みたいに弾かれるか反射されるか……そういう事態を想定して、一応の防御を用意しておいただけです」
「こうも悠々と耐えられるとそれはそれで複雑ね……」
「そう連発出来ない上、維持できる時間にも限りがあるので……。それに今は、壁よりも空のほうが問題でしょう」
「それもそうだ。なんなんだろうな、アレ。俺たちの攻撃を防ぐでも消すでもなく……反射した、ってアルテアが表現したが、まさにそんな感じだな」
「厳密には反射とも違うんでしょうけどね。軌道を曲げられた、そうね、そんな感覚よ」
ああ、そっか。
僕とリーヴァさんは剣による効果で直線的に攻撃したけど、ヘレンさんは攻撃魔法だったからな……軌道を後からでも制御できていて、その上で曲げられたと感じることもできたと。
重要な情報だ。
「アルテア。さっきの壁、どのくらいの距離まで出せる?」
「一瞬で良いならばかなり遠くにも出せますよ。ただ、今回の距離だと厳しいですね……」
「そう……」
「待て。話を進めるな。俺が理解出来ていないんだが、お前達は何に気づいたんだ」
「『魔法の軌道を曲げられた』感覚があったわ」
「それは聞いた」
「つまり空間そのものが曲がったのではなく、何かがヘレンさんの魔法を曲げたということです。あの妙な空に隠れて何かが居る」
「…………? いや、空間そのものが曲がってる可能性もあるんじゃねえの?」
「もしそうなら、私は『曲げられた』という感覚を持てないでしょうね。空間だけが曲がっているなら、魔法はまっすぐ進んでいることになるでしょう?」
「……なるか?」
僕は一応頷く。
実際には微妙なところだけれど、このあたりは術者が受け取ったニュアンスが正解に近いことが殆どだしな。
……うーん。
割と手詰まりって感じだ。
見境無く行くにしたって、相手の場所まで届かないかも知れないし――届かなかったとき、もしも反射されたならば、その被害を受けるのは僕達になるし。
幸い攻撃能力は殆ど無いのか、こちらから何もしない限り何かをしてくる気配は……ない……?
「あの、僕が始めておいてとても言いにくいのですが。あれ、放っておくことはできませんか?」
「本当に凄いことを言うなお前……」
「……けれど確かに、『追撃』はなかったわね。通ろうと思えば通れる、かもしれないわ」
「…………。通れたとしてだ、あの得体の知れないものが常に頭上にあるかもしれない、そんな不安な状態のままホウザの調査なんてできるか?」
「それは……できませんね……」
ヘレンさんも多少は考えていたようで、苦々しそうに、けれど頷く。
となるとだ。
見境無く、はさっきも考えたとおりダメ。
であるならば、身も蓋もなくの方向で考える。
空間そのものをマテリアルとして指定……は出来ないよな、フルエリアマテリアルを使って領域って形に落とし込むなり、フルエアーマテリアルを使って気体に落とし込むなり、そういう定義を一度挟まないといけないし。
ただ、それが結界のような、何らかの技術による結果として生み出されたものならば。
つまりは魔法の結果ならば、一応、マテリアルには出来るはず……なんだけど、ちょっと認識が難しいな……、そもそも大きさからなにから、あらゆるものが判別できないからなんだけれど。
錬金術の基本に立ち返って器で囲おうにも、その器として必要な大きさがまずわかんないし……何より、目立つ。
……よし。
「仕方ない。サムの意見を聞くとしましょうか」
「そうね……、けどアレもアレで多忙でしょう」
「駒にばかり働かせてないで、指し手も偶には働けということです」
というわけで、遠隔音声伝達でサムに事情の説明を行う。
こちらの現在値、観測したもの、既に試したこと。
その上で何か思い当たる節がないか、あるいは解決策が思いつかないかと質問だ。
回答は可能な限り急いで貰う。
そんな伝達を終えると、
『その場にヘレンとリーヴァが居ると言う前提で話すぞ』
と、すぐに答えは戻ってきた。
急げとは言ったけど即答してくれるとは……いや嬉しいけれど。
『空などという場所に結界を張る魔物はそう多くない。その上で貴様らが同時に攻撃をしたにもかかわらず、それをねじ曲げる力量となれば本来ならば特定できなければならんが、アカシャが記録している限りで貴様らの同時攻撃を全て弾きうるような魔物なんぞ聞いた事が無い。貴様はともかくヘレンとリーヴァはそれぞれ単独でも不死鳥を狩れるほどだからな。……つまり、そこにあるそれは、不死鳥をも越える何らかの存在と考えるしかないが、かといって魔狼とも違うな。不死鳥でもない』
魔物だとしたら、少なくともアカシャには出たことのないタイプ。
不死鳥ではなく、魔狼とも別枠。
単純な引き算をすると……聖竜か?
『それが聖竜か、あるいは未知の魔物かまでは解らん。そもそも聖竜などという存在は記録らしい記録もない。どちらにしても討伐法など確立されているわけもない、貴様らの全力で処置に当たれ、としか助言のしようもないぞ。こちらから数名の腕利きを極秘裏に寄越すくらいならば出来るが……。要るか?』
あまり意味は無いだろうなあ……。
今すぐ派遣したって一弦はかかるだろう、一弦あれば出来る事は沢山ある。
それで解決できないなら無駄だろう。
『要らんと答えると思うし、その前提で話を進めてみるが。アルテア、貴様ならば実は「手」がいくつかあるだろう。もっともそれは周囲に甚大な被害を与えるものかもしれんが、報告を聞く限りもはやホウザはどうにもならん。数十年単位の復興計画が必要だろうな、サトサンガも踏ん張りどころだが……、だからこそ、焼け野原が別の惨状になったところで大差はあるまい?』
いや大差あると思うけど……。
『多少の無理は多方面から誤魔化してやる、強引でも構わん。それは討伐しておけ。ついでに死体が確保できればこっちに回せ。解析する。以上――っと、ついでだからここで連絡をしておくぞ。例の二匹の猫だが、喧嘩をして困っている。どうすればいい? 今のところ檻に入れてあるが……』
…………。
サムにはどうやら教育が必要らしい。
「おい。アルテア。お前、なんだ、その殺気。え、っていうか俺もマジビビリするくらいなんだけど、そんなにも研ぎ澄まされた深い深い殺気を練れるもんなのか……? え、寒くないか?」
「奇遇ね。私もなんだか大分寒く感じるんだけど……ええと、アルテア?」
おそるおそる二人が聞いてきたので、笑顔で答える。
「なにか?」
「いいえ。」
「なんでもありません。」
聞き分けの良い二人だった。
サムへの呪詛はあとで考えるとして、アレの突破用の道具を作るか……。
「ヘレンさん、ちょっと確認したいんですが。さっきヘレンさんが使ってた攻撃魔法、あれを防御する魔法、使えますか?」
「ええ、まあ……、さっきあなたが使っていた『壁』ほどじゃないけど、それなりに頑丈なものは作れるわ。具体的にはそうね……リーヴァの斬撃を二回までならば耐えられると思って頂戴」
「それ、衝撃にもそれなりには強いですか?」
「…………? ええ」
ならばそれで防御面はなんとかなるか。
「何をするつもりだ、アルテア」
「とある道具を投げ込みます。それで一度様子を見たい」
「はあ。……つっても、石みたいにざっと戻ってくるだけじゃねえかな?」
「戻ってこさせなければ良いだけのことです」
「…………?」
「こっちもちょっと準備が要るんですが。ヘレンさん、特に『音』『衝撃』『熱』の三種類を徹底して防御するような魔法を組んでおいてください」
「それは……構わないけれど……」
「熱なら俺も多少手伝えるぞ」
「そうね」
ということで、マテリアルを認識。
いざという時の手持ちで、いざという時にしか使えないような『応用』だったけれど、まさか本当に使う時が来るとは……。
材料は至って少数――硝石に木炭、そして硫黄。
この三つがあれば、錬金術では最上級の黒色火薬を生み出せる。今回必要なのは質と量の両方だ、半径十センチほどの球体に閉じ込め、かつその中央には爆発を起こさせる為の仕掛けとして単純な『爆発』から発想される集中力による魔法を仕込む。
今回は殺傷目的なのでしっかり爆弾だけれど、ここを鑑賞目的にすると一応花火も作れたり。ま、それは別にどうでも良いことだ。
そして注意点。
今回作る爆弾は一つで良い。
全て鞄の中で完成させ、僕はその球体を取り出す。
「防御の準備が出来たら言ってください」
「えっと、その前にお前が何をするつもりかききたいんだが」
「説明が難しいんですが……、爆発を起こすと思ってください。ただし極めて大規模にですが」
「……その小さなボール一つで?」
「はい。僕も防御は行いますが、ヘレンさんの助けも必要です」
「…………。わかった」
目の前でヘレンさんが図形を絡め、複雑な魔法を組み上げてゆく。
リーヴァさんも手伝うようだ、そりゃまあ、熱ならばたしかにそうだろう。
なにせリーヴァさんがもっているあの剣は、『熱』を操れるのだから。
あの剣の機能に関しては、持ち主以上に詳しいと自負している。
――何せ、僕が作ったのだから。
五分ほどの後。
「準備出来たわ」
「それじゃあ、さっさとやりましょう。さん、にい、いち、でこれを投げるので、僕が投げた直後に展開してください。口は少し開けておいてくださいね」
「ええ。ええ?」
「……では。さん、にい、いち――」
僕は。
合図にあわせて、その爆弾を『錬金術を発動しながら』、思いっきり投げつけた。




