52 - ホウザの怪奇
『深緑のたまり場』、という二つ名を、ホウザという地域は持っているそうだ。
その名が示すとおりなだらかな丘や森は深緑に包まれた、自然に溢れた大都市圏。
中心となる都市は単にホウザとだけ呼ばれ、その都市の人口は三千を優に超えている。
そんな地域に、僕はヘレンさんの先導のもと、リーヴァさんも含めた三人で踏み込んでいた。
ちなみにバリスさんとウグイさんには、ノウ・ラース側を介してちょっとアカシャの冒険者ギルドに依頼を出して貰っているので、別行動中だ。
……けれど、まあ。
なんというか。
「これでは深緑のたまり場というより黒炭のたまり場だな。自然の匂いと言えば自然の匂いに違いは無いが、俺が期待していたものとは大分違うぞ。焦げ臭いどころの騒ぎじゃあない」
「……そうね」
ホウザ地方に入る前からそれは解っていたことだ。
それは視覚的にも、嗅覚的にも。
丘も平原もその全てが等しく焼き尽くされていて、かろうじて大木だったものの炭が残っている程度。
『何もかもが終わった』ような――そんな印象があまりにも強い。
「アルテア、大丈夫かしら? この匂いはかなり強烈だけれど」
「大分手前から匂ってはいたので……、まあ、かなりキツイですけど、我慢できないこともないですね。どうしようもなくなったら嗅覚を麻痺させます」
「……ああ、うん」
そんな事よりも今は焼け野原というのも生ぬるいような、ホウザ地方の確認をいくつかしておく。
「お二人は大火の後、ホウザを訪れたことは?」
「俺は今日が初めてだな」
「私もよ。その前には何度も」
「それは俺も。依頼でだけど」
つまり深緑のたまり場としてのホウザを二人は知っている、と。
「お知り合いはいますか?」
「そりゃ、何度も来てれば馴染みの店もあるからな」
「それは私もやっぱり同じね。ただ、大火の後に連絡を取ったかという意味での問いならば答えは『いいえ』よ」
「……俺もだ」
で、ホウザに知り合い入るけど、この状況において生存の可能性は低いとみている……か。
ただの火事でも結構、燃え広がるのは早いからな。
ましてや森林火災、恐らくは火災旋風のような現象も起きているだろう。
とはいえ、ある程度水に関する魔法が使える人が居るならば、全く避難ができずに終わるわけでもないとは思う……、いや、ミスティックならまだしも、魔力に関連するものだとしたら制限がある。キツイか。
「復興にはかなりの時間が必要でしょうね……」
「残念だがな。……もっとも、復興という段階がまず遠いかもしれん。現政権がこれを隠している理由があるはずだ」
そう、そこも問題だ。
サムの読みでは不死鳥とか、そういう類いの何かだけれど……なんか性質が、大分違うような気がする。
具体的にどう、と表現できないのが辛いけど……。
「……アルテアなら、この焼け野原もある程度は復元できるのか?」
「そうですね。完全には無理ですけど……、ある程度森林を戻すとか、そういう事は出来ると思います。ただ……、今もサトサンガがこの大火の原因を探している最中だとすると、そういう事をするのは良くないでしょう」
「原因が解らなくなるか……」
そういう事だ。
あまり気乗りはしないけれど、ホウザ地方にそのまま突入し、一応暫く歩き回ってみる。
ヘレンさんが持っていた地図によると、僕達が今歩いている場所は大森林らしい。
今僕の目には森林どころか無事な樹の一本もないんだけれど。
そんな不毛な土地を歩くこと一時間ほど、
「そろそろ町に着くわね。ホウザの玄関口で、名前はリュカ」
と、ヘレンさん。
「町につく、ねえ……」
「…………」
リーヴァさんがそう感想を漏らしたのは、町以前の問題だからだ。
人工物に限らず、自然物ですらも『突起』が殆ど無い。
ただ平坦に続く、真っ黒な地面。地平線まで真っ黒に続いている以上、町もなにもありやしな――
「って!」
「備えろ!」
「構えっ!」
――い、などと思考をしていた瞬間のことだった。
僕の場合は視界に『赤』が表示されて。
リーヴァさんとヘレンさんはコレまでの経験からだろうか、ともあれ、『それ』に全員が同時に気付き、それぞれに構えを取る。
ほとんどその直後に、その衝撃波は伝わってきた。
構えを取って踏ん張ろうという体勢を取っていたこともあって、吹き飛ばされるようなことはなかったけれど――これは、なかなかの圧力だ。
しかも肌がヒリヒリとする。薬品的なもの、ではないな。
単純な温度……、熱か……?
「――――。今のは、一発だけか……?」
「自然現象、にしては妙ですが……。お二人とも大丈夫ですか?」
「私は問題ないわ。というよりアルテア、君はほとんど装備らしい装備をしていないのに、よくもまあ今のを食らって吹き飛ばなかったな……私達は剣やら鎧の重みがあったが」
「その分鞄を持ってますから」
「その鞄、そんなに重いのか……」
「冗談です」
いや結構重いとは思うけど。
それはそれ。
「確認しますけど、今の衝撃波。ホウザで時々見られる自然現象とか、そういう事は無いですよね?」
「少なくとも俺は知らん」
「私もね。それに今の……、随分と『熱い』と感じたけれど」
「そうか? 俺は気づかなかったが……」
「僕は感じました。幸い、瞬間的だったこともあって火傷まではしていませんが……」
「厄介ね……」
「次からは咄嗟に護れるようにしておきます」
「ええ」
熱を伴う衝撃波。
というだけならば、防衛魔法で守り切れるだろう。
ダメでも即死するほどじゃないし、即死しないならば治せる。
とはいえ……だ。
「今の、何だったんでしょうか」
「何かが攻撃を仕掛けてきたと考えるのが妥当だろ?」
「何かって何よ、リーヴァ」
「知らん。敵かもしれないし、敵じゃないかもしれない」
「敵じゃないなら攻撃はしないで頂きたいものです」
「敵じゃなくても味方じゃない。そういう事かもしれないだろ」
敵対寄りの中立……いや、そんな面倒な事でも無いか。
「単に縄張りに、僕達が踏み込もうとしている。今のはその警告ってところでしょうか」
「あり得る話だな。とはいえ熱を伴う衝撃波……、そんな魔物居たかな?」
「寡聞にして聞かないわね……それに、魔物の影も見えないわ」
「参考までにはなりますけれど、地平線まで見ている限り、魔物どころか人影一つありませんよ」
「……見えるの?」
「ええ、くっきりと」
「あなたも中々どうして、ラウンズよね……そういう地味系な魔法はあまり使い手がいないんだけれど」
ごめんヘレンさん、魔法じゃない。眼鏡の機能だ。
まあそれはそれとして、もし魔物がリアクションをした結果が今のものだとして……、地平線まで黒い炭で埋め尽くされているのは言わずもがな、魔物の姿は見えやしない。
色別をしても緑ばっかり。
七段階色別によると一段階だけ全体が赤に寄っているけど、そりゃまあこんな焼け野原という空間ならば当たり前だ。
かといって地平線の向こうから攻撃してくると言うのも妙なんだよね……。
地球とは大きさが違うようだし、一概にそうだとはいえないけれど、僕の視線からの地平線はたかが四キロ前後だから、別にそれ以上の探知能力を持っているならば不可能でもないか。
「衝撃波の方向から算出するのは?」
「無駄でしょうね。さっきの衝撃波、『突然作られた』感じでしたから。……ただ、魔法の結果だとしたら、ちょとそれはそれで妙なんですが」
「…………?」
「いえ」
魔法だったら渦が見えるはずだ、それが無かった。
あるいは渦が見えないほど遠くに居たのか、僕の死角で渦を作ったか。
……まだしもありそうなのは距離かな。
最悪の場合は距離プラス死角……それも、単なる死角じゃなくて地中とかから発動されているパターンか。その場合は渦も見えないかも知れない……、うん?
地中という可能性があるなら、空ってのはどうだろう。
七段階の『色別・虹』をオンにして空を見上げれば、空は中立を意味する緑の一色で、焼け野原の大地は一段階だけ赤、害ありに傾いている。
文字通りに杞憂だったかな?
この手の勘は大事にした方が良いと……思うのだけれど。
「…………」
「アルテア?」
「どうした?」
直感を大事に……というより、今の僕の名乗りから言えば楽しむほうが近いな。
それも雑な楽しみ方ではだめだ。
もしそうなったらいいなという、心の底からの思いがなければ届かない。
もしそうなったら。
もし、偶然投げた石がぶつかったならば。
「我ながら馬鹿げてるとは思うんですが……」
鞄の中から野球ボールほどの大きさの、少々角張った石の塊を取り出す。
ぱっと見はただの石。
その内実もただの石。
そんなものを持ち歩いているのは、僕にとっては石と言うだけで、遍く宝石と同じように扱えるから……なんだけれど、今回は宝石としてではなく、そのまま『石』として扱う。
扱うというか。
投げるというか。
「――っせい!」
「はあ。…………。何してんだ?」
「時々あなたって奇行に走るのよね」
「いや、なんか適当に投げた石が敵に当たって、敵が怒って出てきてくれたら楽だし、ラッキーじゃないですか」
「思っていた以上に楽天的な発想……、なのは良いが。アルテアが投げた石、ぜんっぜん落ちてこないな……」
「まだ飛んでるのよねアレ。もともと意外と力持ちなのは知っていたし、ラウンズである以上投擲だってできるんでしょうけど……」
「…………。散々な言われようですね……」
けれどまあ。
『見つけた』ぞ。
「ヘレンさん、リーヴァさん。僕が投げた石、まだ見えてますよね」
「ええ」
「ああ」
「おかしいです。いくら僕が全力で投げたからといっても、未だに『高度を保っている』のは。魔法を使ってるわけでもあるまいし……あそこらへんの空、なんか変ですよ」
「…………。言われて見れば確かに、殆ど石が……動いてない……?」
「……そういえば、たしかにそうね……」
やってみるもんだな……、いや、感心以上に恐怖さえ覚えるんだけど。
名乗りに宿っている言霊が強すぎる。
また名前を変える事があったら、それこそ慎重に選ばなければ……。
「もっとも、例によって僕にはああいった現象の心当たりがないわけですが」
「空間拡張で似たような現象は見たことがあるが……」
空間拡張?
「結界系の高等技術だって聞いたことがある。ヘレンの方が詳しいだろ」
「偽装結界の亜種というか、あるいは応用系というか。表現は難しいわね……。あなたたち、偽装結界の別名は知ってるかしら?」
「知らん」
「補充結界のことですか?」
「アルテアの方が正解ね」
いやリーヴァさんは回答していないような。
「そもそも結界は、一部の空間を明示的に認識できないようにした上で、一時的にその空間を切り取る技術よ。切り取っているわけだから、その場所には何もないように見えてしまう。何もないというかそもそも認識できないんだけど……、空間的な繋がりを絶っちゃうわけ。その不自然さを解消するために産まれた技術が補充結界――偽装結界で、これは『結界として切り取った部分に別の空間で補充』することで、結界の存在をないように偽装するって意味合いになるわ」
そこまでは知っている。
……んだけど。
「初耳だ……って顔してるのはむしろリーヴァね……」
「いや俺は正直詳しくないからな……」
リーヴァさんは知らなかったようだ。
流石というかなんというか、単純に『剣』の強さだけでそのレベルに達しているだけのことはある。
……いや褒め言葉になってるのかなこれ。
「ともあれ、それが偽装結界の成り立ちよ。ただ、結界として切り取った部分を別の空間で補充する以上、偽装結界は予め別の空間を用意しておかないといけないし、その空間によって結界の形がある程度制限されるという問題があったわ。それを解決する方法として、『ならば結界の周りの空間を引き延ばすことで、結界として認識できない部分を埋めてしまおう』って発想が生まれたわ。これが空間拡張。ただ――アルテアは表情からして察したようだけれど、あの現象。空間拡張では説明が付かないのよね」
「は? どういうことだ?」
「答え合わせも兼ねて僕の理解で説明しますが」
……うーん。鞄で良いか。
「例えば、僕のこの鞄がありますよね。この鞄を両側からこうやって挟み込むように持っているとき、鞄だけを包むように結界を張った時、そこには鞄が確かにあるのに、鞄が認識できないという状況になります。鞄が認識できないだけなので、僕の両手は『くっついていない』のに、『手がくっついているように認識される』んですが、『僕の両手はくっついていない』とも認識される可能性があります」
「ん……」
「その不自然さを解決するために、鞄の周りから空間を何倍かに拡大して、鞄がある部分を埋め合わせる。そうすると僕の両手の間には周辺の空間によって埋められますから、『鞄は認識できない』けれど『手はくっついていないように認識される』。両手の間に空間が引き延ばされる形で埋められるからです」
「あー。なるほど。ヘレン、今の説明であってるのか?」
「ええ。『空間拡張』はあくまでも拡張なの。アルテアの説明に会わせるならば、その鞄を包む結界を埋め合わせた空間はその周囲にある空間よ。そこに石を投げたなら、その石は『拡大された分だけ早く』動いて見えるはずよ。『遅くなる』の逆ね」
「じゃあ、空間拡張ならぬ空間圧縮がされているってだけじゃねえのか?」
リーヴァさんが事も無げに言う。
「結界を張るんじゃなくて、空間を圧縮する。鞄の例に会わせると、この鞄が存在している空間を極端に『圧縮』して、その結果生じる空間を自由に利用するって感じだ。もともとは存在しない空間だから、結界みたいに振る舞えそうだしさ」
「それは……、理論上は存在しているけれど……」
「相手が人間ならば現実性は大切です。が、今回はどうやらそうじゃないようですから……。リーヴァさんの言った通りの現象がそこに起きているかもしれませんね」
ただし――色別に変化がないのも、変わらない。
「……そうね。真相はともかく、あの空には何かがある。そう考えて――」
今後のことを考えましょう、と。
ヘレンさんが話題を結ぼうとしたその時、先ほど投げた石が目にもとまらぬ早さではじき返され、僕達の足下、地面へと突き刺さった。
「…………」
「…………」
「……考えるためにも、ちょっと場所を変えませんか?」
「そうしたいのはやまやまだが……逃がしてくれるかな?」
「微妙ね。仕方ない、アレを結界だと決めつけて、一戦交えるとしましょう」
ヘレンさんの決定に僕とリーヴァさんが静かに頷き。
リーヴァさんは――ブロードソードを構える。
「こんな場所でコレを使うのも忍びないが――こんな場所でもなければ最大限には使えないからな。さあ、お前の全力を見せてみろ!」
その構えは理想と言って過言ではない、まさしく剣の極致から繰り出されたのは――完璧な太刀筋の素振りであり。
『それ』は、その素振りと共に起きた。




